二つの勲功爵

 2025年6月28日、和歌山県白浜のアドベンチャーワールドにいた4頭のパンダが中国に返還されるために旅立ちました。2004年以来ずっと白浜にいたパンダがこの瞬間1頭もいなくなりました。当時通産省貿易局輸入課長として、ワシントン条約に基づくパンダの輸入許可を行った者として、また、ずっと後で和歌山県知事として、パンダを愛し、パンダを大事に育ててくれた人々に感謝し、パンダを世に売り出して、観光によって和歌山の県勢浮上を画策した者として、寂しい思いがします。パンダは中国から種の保存、もっと端的に言うと中国の四川省にある研究施設とアドベンチャーワールドの間で共同保護研究のために借りてきているものですから、その契約期間が切れるこの時期に少なくとも一旦は返却しなければならないことになっているので、また、血が濃くなるのはいけませんから、今いるパンダさんが中国に帰るのは当然なのですが、今後の共同保護研究の継続と新しいパンダの来園の目途が立たないうちにこの日を迎えてしまったのは残念です。私が知事を引退したのは2022年12月ですが、その何年も前から、返還期限が来る前に何とか次のパンダの来園の目途をつけようといろいろ画策をしていました。パンダの来園のキーを握るのはもちろん四川省にあるジャイアントパンダ繁殖研究基地の意向と輸出許可を出す当局である中国政府の林務部です。前者に関しては専門家同士の長い共同研究の成果と信頼関係はこの上もないものであるので、アドベンチャーワールドに任せておいてまず間違いがなく、後者はおそらくは中国政府の首脳の意向を酌むに相違ないでしょうから、日本政府や二階俊博代議士のような中国政府に信頼されている有力政治家に頑張ってもらうしかないというのが私の分析でしたが、和歌山県としても、もう一手を打っておこうと考えました。そこで、力になってくれそうな存在として、研究基地と中央政府の中間にある四川省と仲良くしておこうと思って、2019年に四川省を訪問し、意図していた以上の成果として、和歌山県と四川省の姉妹県省関係の樹立と様々な分野での協力の実施に合意しました。よしよしこれで役者がそろったぞ、あとはこの全部を動かして、と思っていたら、コロナ騒ぎで、身動きが取れず、私の引退もあって、後進に期待することになったのですが、結果は残念ながら、返還期限前の次なる展望が描けずに6月28日を迎えてしまいました。ただ、これで和歌山のパンダが消滅すると決まったわけではありません。日中の多くの関係者の努力によって、共同研究は赫奕たる成果を上げているので、このことは中国側も考慮してくれるのではないかと思います。どこかの都市がそのような実績も基盤もないのにただパンダを頂戴と言っているのとはわけが違うのです。白浜でパンダファミリーが大いに繁栄したのは、先輩から後輩まで一貫して、パンダを愛し、お世話に心血を注ぎ、それにより多くの経験を積み、泣きもし、笑いもしてきた大勢の飼育員さんの努力と、これまた、先輩から後輩まで一貫してアドベンチャーワールドのスタッフを指導してくれた中国の専門家の努力のおかげです。凡そ、種の保存と科学に志す人ならば、この30年の大変貴重な共同研究の成果が四散してしまうことに平気でいられる人はいないのではないかと私は思います。
 このようなパンダ保護のための研究に関する日中協力と、パンダを思う多くの人々の愛情に比べれば、パンダによる観光の振興などは二次的なことかもしれません。そうと分かりながらも、和歌山県の県勢の再興に邁進していた和歌山県知事の私としては、パンダを観光目的で売り出そうということに大いに意を用いていました。ものすごく多くのことをしました。就任当時は上野に久しぶりにやってきたパンダのほうがマスコミには圧倒的に多く取り上げられるので、それに大いに噛み付きました。考えられる限りの機会を利用して宣伝をしました。パンダ帽子をかぶり、「くねくねパンダ」とあだ名をつけた、手にはめる赤ちゃんパンダのぬいぐるみを駆使してパンダをアピールしました。するとある時期、臨界に達するようにマスコミの扱いも変わり、白浜パンダ人気も沸騰するようになりました。私の見るところ、NHKでパンダ飼育員さんたちの特集をしたドキュメンタリーが放映されたあたりから臨界が始まったように思います。この時さらに一手を打ったのが岡本玲さんのパンダ大使就任とパンダファミリーへの勲功爵の授与です。パンダファミリーは和歌山に尽くしてくれた功により、勲功爵に任じました。一代限りですが、貴族になってもらったのです。(ここで、うんと教養があり、制度にうるさい人はファミリーに勲功爵とはどういうことだとおっしゃりそうですが、ユーモアでやっていることですから、詰めるのは野暮でしょう。目をつむってやっているのです。)
 この勲功爵位は任命者の退場とともに、忘れられたのか、最近はあまり聞かれなくなったなあと思っているうちに、パンダの共同研究と貸与の期限が来てしまいました。でも、私は、かくも多くの人がパンダを愛しているのだから、その人たちがみんなでパンダがもう一度帰ってくることを願い、大いに世界中にそのことを訴え、それを受けて関係者が皆最善の努力を惜しまなければ、近い将来パンダは白浜の地に再び戻ってくると信じます。間違っても、パンダなんかなくて和歌山の観光は問題はないのだなどと虚勢を張ってはいけません。それに大事なことは、観光面のそろばん勘定ではありません。パンダの保護が日中の協力によって進み、地球の環境の保全に日中が貢献しているのだということです。また、パンダが大好きだということを訴えることです。観光がどうのこうのということはそれからの話です。今後を期待しましょう。

 実は和歌山には、もう一つの勲功爵がありました。こちらのほうが白浜のパンダファミリーよりも少し早く、その受章者の「ねこの駅長さん」たまちゃんが亡くなってから既に10年が過ぎました、6月22日が命日で、私もご招待を受けて和歌山電鐵貴志駅で行われた没後10周年のお祀りの儀式に出席をしてきました。
 貴志川線は和歌山駅から紀の川市の貴志駅までの典型的なローカル線ですが、今から約20年ほど前、それまで経営をしてきた南海電鉄が赤字に耐えかねて廃線を図ろうとしたのに対し、沿線住民が「貴志川線を守る会」を作って廃線反対、存続運動を起こしたことから話が始まります。色々な経緯があって、ここで助け舟を出してくれたのが、和歌山と発音が似ているのでよく間違われる岡山県の交通企業の雄、両備グループでした。2007年それまでの南海電鉄貴志川線は、両備グループの経営による和歌山電鐵貴志川線に生まれ変わります。この経営承継に英断を下してくださったのが両備グループを率いる小嶋光信社長(当時)でした。そして、その開業式の日に小嶋さんと運命的な出会いをするのが、駅の売店にお勤めであったご婦人が飼っておられた三毛猫のたまちゃんであったのです。その模様とその後のたまちゃんとの交友は小嶋さんご自身が2025年6月20日の日本経済新聞の文化欄に寄稿しておられるので、そちらを見ていただくとして、その後のたまちゃん人気はものすごく、たまちゃんと触れ合おうと、全国から多くの人が押し寄せてきて、おかげで貴志川線はいっぺんに黒字化してしまったのです。
 私はこの経営譲渡の後知事になったのですが、小嶋流のたまちゃん売り出しは本当に見事で、人々がたまちゃんを忘れないように、見事なキャッチコピーを次々と絶妙なタイミングで発信していくのです。それも上手にマスコミを使って。たまちゃんは会社の売り上げ向上に寄与したとして、和歌山電鐵の中でどんどん出世していきます。駅長はもちろん、本社の営業課長兼務からから部長、執行役員、ついには社長代理まで上り詰めるのですが、和歌山電鐵はその都度盛大な儀式を貴志駅などで開き、マスコミはもちろん、全国から大のたまちゃんファンがお越しになるのです。見事だなあと思いながら、これだけ一生懸命やって下さっている小嶋さんにせめてもの恩返しと思って、このような儀式には私は必ず出席しました。それも必ず、和歌山駅から貴志川線に乗って。そうこうしているうちに、和歌山電鐵から、県からもたまちゃんに表彰状など戴けませんかというお願いがありました。それはたやすいし、これだけ貢献してくれている和歌山電鐵とたまちゃんに対しては当然だと私は思いましたが、待て待て、方や猫を駅長に任じて、次々と魅力的な役職を与えて世にアピールしてくれている小嶋さんに、ただの表彰状ではいかにも能がないではないか、さてどうしよう、と3日考えて考え付いたのが、「勲功爵」です。世の中には生まれながらに貴族の人もいますが、平民に生まれながらその功績たるや抜群の人に対しては、一代限りの貴族に任ずる勲功爵と言う制度が英国を中心にあります。例えば「鉄の女」サッチャー首相は、その功を認められてこの勲功爵に叙されています。これを貰った人は男性だとサー、女性だとデイムと言われるのです。これだ!とひらめいて、任じたのが、デイム・サッチャーならぬデイム・たまなのです。しかし、たまちゃんに関しては話がこれでは終わりません。小嶋さんと私の知恵比べはまだまだ続きます。たまちゃんの活躍はまだまだ続き、もう一度また何か県で考えてくれませんかと言うご要請が和歌山電鐵からありました。もう貴族になっていただいたし、これ以上何があろうか、と私はまた3日考えました。そこで思いついたのが神様になってもらうことであります。和歌山県はたまちゃんに大明神になっていただくことにしました。そこでまた、叙任式のマスコミ大発表なのであります。小嶋さんは、このような私の思い付きに、その都度完璧に応えて華やかな装いをつけてくださいます。勲功爵の時は三従士に出てくるような華やかな騎士のマントをたまちゃんのために作ってくれました。大明神の時は貴志駅のホームに「たま神社」を作ってくれました。
 このようなたまちゃんの活躍のおかげで、貴志川線は何とか存続が出来ています。近隣住民が乗る数ははかばかしくはありませんが、内外の観光客で貴志川線はにぎわっています。和歌山に最も多くインバウンドの観光客を連れてきてくださっている、香港の袁文紹さんの率いるEGLでもたまちゃんは最も魅力的な日本観光のコンテントです。

 しかし、このような小嶋さんやたまちゃんの努力に接するにつけ、貴志川線の沿線から見る風景は、あまりにも古典的な鉄道理論からかけ離れています。東京の私鉄の沿線開発が典型ですが、鉄道会社は駅の周りに住宅地や商業施設を作り、その不動産ビジネスで儲けるほか、そこで生活する人が自然と鉄道に乗るので運賃収入も上げるというものだと私は思っていました。しかし、貴志川線は駅の周りが田んぼのままで、そこからかなり離れた県道沿いに住宅団地が造成されているというのがほとんどです。これなら住人は電車に乗らずに車で和歌山市などに通うでしょう。それなら、飲酒運転になるから、和歌山の飲食店も仕事帰りのお客さんに期待できないでしょう。どうしてこうなったのか、これでは、貴志川線の赤字もむべなるかなです。たまちゃんが頑張ってくれて、観光客でしのいでいるうちに、沿線構造の改造を図ろうと、和歌山市長にお願いして、開発可能地域を駅の周りに限定するようにだいぶん改革をしてもらいましたが、まだまだ沿線構造はあまり変わっていないようです。貴志川線を守る会の方々の活動には頭が下がるばかりですが、この熱意が冷めてしまった時が最悪の時にもなりかねません。

 実は私は小嶋社長にお願いをして、小嶋社長が人生をかけて主張をしてきた鉄道事業の上下分離、公設民営方式の貴志川線への採用を少なくとも形式的に待って貰ったことがあります。おりしも、小嶋さんの長年の努力が実って、ローカル鉄道の公設民営化に多くの地域で舵が切られていました。そのための制度的サポートも行われたのです。ところが貴志川線においては、私はこの辺の事情を知りながら、小嶋さんにたってのお願いをして、貴志川線の公設民営化を待ってもらいました。理由は、貴志川線が県・市の所有になった途端に、行政も住民も廃線リスクはもうなくなったと思って、乗って残そう、乗客を増やすために乗らなければならないという危機感がなくなってしまうのではないかということを恐れたからです。形式が民営のままだと、乗客が減り赤字が出ると、廃線を企業が言い出さないとも限らないという危機感があるでしょうが、公設が実現すればその危機感が消えてしまうのではないかということです。もちろん実質は公設民営に匹敵するように設備への投資は公共側が行うからという条件の下でなのは言うまでもありませんが。小嶋さんは、公設民営化の旗手としては本当に不本意だったろうと思うのですが、私のお願いを聞いてくれました。本当に感謝しています。ただ、ご自身の経営する会社で、ご自身が唱える公設民営化を少なくとも形式的には達成できなかったという不面目に、和歌山の大恩人の小嶋さんを追い込んでしまったという申し訳なさが残りました。その後年月が経ち、和歌山電鐵は再び今後の経営をどうするかという、会社と県・市間の話し合いの時期を迎えています。私が昔感じた懸念は今も消えてはいないのですが、ひょっとしたら、和歌山の公共機関と住民の気持ちの持ちようは経営形態のいかんによって変わるものでもないかもしれないと、私は今は少しそう思っています。それならば、小嶋さんの本来の持論である公設民営を採用してもいいのかなとも思います。私の記憶によれば、実質的には公設ではなくても公設であったときに公共側が負担しなければならない経済的負担は県・市が支払ったはずです。とすれば、形式的にも公設に移行したとしても、和歌山県などの経済的負担はそう変わらないはずであります。ただ、たまたま県の責任者の方からお聞きしたところによると、コンサルが必要な負担額を算出したところ相当な額の出費がいるというのです。そんな馬鹿なと言って聞いてみると、電車が老朽化しているので総取っ換えといった話だそうです。「だって、現に今たま電など工夫に満ちた電車が走っているではないか。なんで総取っ換えという話になるんだ。コンサルなどに丸投げするからそういった話になるんだよ。仁坂知事退任から2年でもう前の「何でもコンサル丸投げ体質」に戻ったのか」などと現役の「お役人様」に失礼なことを言ってしまいました。それに、コンサルに発注したのは和歌山県ではなくて和歌山市だそうです。
 小嶋さんとたまちゃんのおかげで、今日ある貴志川線がこれからも存続できるようにすべての人の協力を期待したいと思います。小嶋さんの経営努力は営々と続いています。たまちゃんは10年前に天国に旅立ち、文字通り、たま大明神として祀られていますが、後に続く猫たちも活躍中です。にたまちゃん、よんたまちゃん、ごたまちゃんです。皆それぞれたまちゃんの後を追って出世しています。今回も私の乗った貴志川線は外国人観光客でいっぱいでした。そろそろ次の勲功爵授与の時でなないでしょうか。