昆虫少年再生作戦

 私の趣味はと聞かれると、昆虫採集と答えることにしています。本職は蝶で、最近はカミキリムシなど一部甲虫にも浮気をしています。いい年をして昆虫採集というのはちょっと恥ずかしいので、時には、昆虫の研究などと格好をつけて自己紹介をすることもありますが、私自身について言うと、どう考えても採集して標本を作り、それを整理して種類数や亜種数を誇っているだけなので、つまり採って喜んでいるだけなので、やはり昆虫採集としか言えそうにないなと思っています。コレクターの才があるので、日本はもとより、仕事で赴任したヨーロッパやブルネイの蝶を地味なものも含めてせっせと採集しては標本を作り、その分布状況を同好誌に報告したりしており、ブルネイの蝶相については図鑑まで作ってしまいました。(カラー標本写真付き分布生態解説書ですが、世界にも何匹も採集記録がないという珍種も含まれています。未だ若干だけ在庫が和歌山研究会事務局にあるので、良かったらご注文下さい。消費税込みで11000円です。)
 どんどん余談になりますが、私は蝶は好きですが、蛾は嫌いです。蝶と蛾の区別は色々言われますが、実は生物学的に言うとありません。鱗翅目の昆虫をここからここまでが蝶、ここからここまでは蛾と決めただけなのであります。しかし、私は真の科学者ではありませんので、そんな生物学的分類など知るかとばかり、「蝶は好き、蛾は嫌い」と言っているのであります。好きな蝶はどんどん調べて、日本産のものなら、飛んでいるのを見ただけで、種名が分かります。すなわち、私の頭の中で蝶の「種」はどんどん分化しているのですが、蛾の方は嫌いですから、蝶の何十倍も種類数があるのに、どんな蛾を見てもただの「蛾」で終わりです。しかしもっと余談を述べると、私は実は蛾の珍種を見つけたり採ったりするのが上手で、甲虫を目的に行った燈火採集で蛾の和歌山県初記録をいくつか出していて、蛾を専門とする友人に貢いでいます。

 10月14日のテレビめざまし8で10才の昆虫少年が紹介されていました。神戸市の小学5年生の長井丈君です。この世界の達人の一人、杠隆さんからのご連絡で知りました。長井君は、アゲハの幼虫にラベンダーの香りを嗅がせながらストレスを与えると、その記憶はその個体の成虫段階でも保全され、ラベンダーの匂いを忌避するようになるとのことです。また、これは子の世代、孫の世代にも受け継がれると言うものすごい研究を成し遂げたと言うことでした。8月に京都で開催された国際昆虫学会にパネル発表をしたそうで、英語表示のディスプレイもかなりの部分自分で作ったというから驚きです。しかも、子や孫の世代にもと言うところに私はびっくりしてしまいました。これが正しいとすると、かつての生物遺伝学の大命題であった「後天形質は遺伝しない」に真っ向から反するではないか、これは、生物学のパラダイムを変えるような大発見かも知れないぞと私は思いました。もっともこの点は、70過ぎの昆虫少年である私の不勉強で、最近は学問的にも大いにチャレンジされているそうです。どうしてこのような少年が現れたのかがテレビで語られていましたが、最初はお母さんが庭に植えたレモンの木にアゲハがたくさん卵を産みに来たのを観察したことからどんどん興味がわいていったとのことです。やはり第一歩は自然そのものをよく見ることからということをあらためて思いました。

 私は読書人ですし、結構交友関係も広いのですが、世の中で活躍している知識人や、なかなか素敵だなあと思う友人に、驚くほど元昆虫少年が多いことに気づかされます。とても枚挙に暇がありませんので、一部の人だけあげて、他の人はあげ損なったら失礼に当たるので、あげませんが、立派な人のちょっとした伝記などを眺めると、少年の頃は昆虫採集に明け暮れていたとかよく出てきますし、今でも仕事の話はそっちのけで昆虫を語る大人がいかに多いかを、皆さんもちょっと気を付けてみているとおわかりになるのではないでしょうか。私も、半分は面白がってですが、半分は本気で、昆虫採集をする子供は頭が良くなると唱えています。牽強付会的理由は次の通りです。

 ①文化、文明は違いを明らかにしていくことから発生します。そこから概念も区分され、社会のシステムも複雑化していきます。昆虫採集は違いを分かる営みです。私のような蛾は嫌いという人は、蛾は区分なく蛾一本ですが、蝶は翅の模様の微妙な違いで種が分化していることまで、徹底的に追究します。少年が粗末な網で裏庭で蝶を捕まえて、あれこれはさっき捕まえた蝶と翅の形や色が微妙に違うぞと感じることから、何で違うんだと考えはじめ、そこから、その子供の思考力が発達し、文化と文明が始まるのです。したがって、昆虫採集をしなかった子供はこの意味での頭脳の発達に後れを取ります。勉強熱心な子供が教科書や図鑑の解説で、この違いを学習したとしても、知識は身につくかも知れないが、それは教えられた知識で、自分で発見しているわけではありません。したがって、自分で考える能力の発達に不安が生じます。

 ②自然、環境に関する謙虚さが身につきます。自然がいっぱい、環境に優しいと言うキャッチコピーは嫌と言うほど流れていますが、その理解は上滑りになってはいないでしょうか。昆虫採集のフィールドは自然です。我々の周りの環境です。そこへ出かけて、どうしたらあこがれの蝶が採れるかを、必死で考えるのです。そのためには、その昆虫の習性を勉強し、食餌植物や吸蜜源に関する知識もマスターし、その日の天候や昆虫の発生時期を考え、しかもそれらを自然環境の中で理解することなしには良い成果も得られません。本当の自然、本当の環境を知っていなければならないのです。そういう昆虫少年の見地からすると、環境を議論する人がいかに本当の環境に関する知識と経験がないかと時々思わせることがあります。そういう「環境派」の知識の由来は教科書であり、文献です。ひどい場合はマスコミの論調です。レベルの高いところで言うと、国際的権威の丸写しです。後で両省庁始まって以来の歴史的協調体制を構築して、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律の規制対象に人間への悪影響だけでなく、環境への悪影響を加える改正を成し遂げたので、言いにくいのですが、当初この改正を主張する環境省の同僚に、環境への規制適用と言っても、その環境とはなんなんだい、どうやって規制するんだいと聞くと、OECDのリコメンドにしたがって、その推奨する計算式でやるんだとしか言えない状態でした。それでは日本の法律のクライアントである日本国民に説明できないじゃないかと随分議論して、日本の環境に関する法体系や適正な規制水準に関する相場感なども調べて、環境省と経済産業省の間で地に足の付いた解を見つけました。でもこの例のような自然行政、環境行政がいかに多いことか、その時、その当局者も、それを批判する人も、昆虫少年でなければ、自然や環境に関する本当の知識なしに上滑りの議論を繰り返す恐れがあるでしょう。
 さらにこの脈絡で付言すれば、昆虫少年で野山を走り回っていたからこそ、その野山の変貌も実感できるわけで、この実感こそが、自然保護運動の原点だと私は思います。ところが昆虫少年をオミットした陣容で行われる自然保護行政は、例えば稀少昆虫の保護で言えば、昆虫の生態に関する本当の知識がないから生息環境を守ることなど一顧だにせず、いきなり採集禁止のような規制に訴えるものが圧倒的に多いのです。本当は昆虫の場合成虫を少しぐらい採ったって、生息環境さえ守られていればその種が絶滅に追い込まれるようなことは滅多にないのですが。

 ③昆虫少年は根を詰めて勉強するようになる。どうしたら、目当ての昆虫をゲットできるか、昆虫少年は必死で勉強をします。昆虫の生態はもとより、その食べ物になる植物についても、どんな形態で、どんな分布で、どんな生態か等々必死で調べます。家の周りにはいない昆虫を採ろうとしたら、遠隔の採集地の地理も調べないと行けませんし、目的地へ行く交通機関、外国の場合はその国の状況など、たくさんの知識が要ります。採集品は展翅、展脚など精緻な作業が要りますし、ラベルをつけて、標本箱の所定の位置に傷つけないように収納しなければなりません。ものすごい根気の要る仕事です。勉強にすぐ厭きてしまうような子供は昆虫少年になれません。
 このような根を詰めて一つのことに打ち込む能力はその少年がこれから経験するありとあらゆることの基礎を形成してくれることでしょう。

 ④昆虫少年は研究の世界の入り口に立っています。前に述べたように、昆虫採集をしようと思ったら、その昆虫の生態はもちろん、自然環境その他あらゆる知識を自分で考えて身につけなければなりません。そのプロセスでどうしてそうなるんだと言った新しい疑問が次々にわいて来ますし、観察によって思いもかけない新発見が有るかもしれません。このようなことは、科学の研究の第一歩です。こうやって培った、なぜどうしてを追究する訓練は、昆虫や生物学の世界以外でも、およそあらゆる世界で役に立つことでしょう。

 ところがこのような昆虫少年が高齢化とともに順に亡くなっていき、今や絶滅危惧種になりつつあります。他の世界でありますと、それ相応に若手が育ち、世代交代が進むのみですが、昆虫少年に関してみれば、若手がなかなか育ってはいないのです。その理由はいくつかあると思いますが、昆虫採集は虫の命を奪うので残酷だから、止めさせようという教育が大きかったと思います。私の子供の頃は別に宿題ではなかったけれど、夏休みの自由研究に昆虫採集をする子供が結構いました。私など、他の子の採集品の中に自分の未採集品があったりすると、来年はゲットしてやるぞと言う気持ちがわき、どうすればそれが可能か一生懸命に考えて知識のワンダーワールドが広がったものです。確かに、命を絶つことはいいことではありませんが、そのことで自然や環境に関する知識が広がれば、命の大事さと、環境を守ることが大事だという気持ちが自然と心の中に広がります。虫を採りたいと思う人こそその虫が絶滅してしまうことを悲しむ人はいますまい。逆に、虫も殺さぬ優しい子供に育った人ほど危ういところがあります。一頃、東京のコンクリートジャングルに育った子供が、マンションのエレベーターにアリが出たと言って、一匹残らず踏みにじっている姿がテレビで報じられたことがあります。おそらく昆虫少年に育った子なら、ふむふむ、これは何という種類のアリかな、どこに巣があるのかなと言ってよく観察したに違いありません。社会はもっと大らかな気持ちで昆虫を採りたい子には採らせ、集めて調べたい子にはそうさせ、夏休みに自由研究に出品したい子がいるならば、その努力の結果を褒めて上げるべきではありませんか。昆虫少年の一部の人は今は採集から生態写真撮影に転じている人がいます。彼らの技量もどんどん上がり、素晴らしいものがあります。実は私は、昆虫採集より昆虫撮影の方が100倍難しいと思っています。採集なら大きな網を持っていますから、ネットインしてしまえばいいのですが、撮影はそうも行きません。特に蝶などは羽があるのですぐ飛んで行ってしまいます。そうでなくても思い描いたアングルで撮影をするのは本当に難しいと思います。そういう写真家の昆虫少年を私は尊敬します。でも、そういう写真家昆虫少年でもまずは今目の前にいるこの蝶は何という蝶か分かっていることが必要です。したがって、今は写真家であっても昔は採集をし、標本にして、きちんと同定をしていたという人がほとんどでしょう。
 次の問題は指導者です。昔、私が本当の子供の昆虫少年であった時には、各地の高校や中学には、大学の研究者も顔負けの専門家がいました。和歌山県で言うと、後藤伸さん、吉田元重さん、南敏行さん、と言った方々です。こういう専門家はだしの人がなぜか高校の理科の先生であったりして、昆虫少年の指導者であり、あこがれの人でした。なくなった後藤伸さんなどは、南方熊楠もどきの言動でも有名でしたが、カメムシの専門家として全国的にも令名が高く、自然に対する広範な知識の持ち主でした。教えていた田辺高校ではおよそ受験指導などはお上手ではなかったと思いますが、カメムシで全国的な学者だと言うことだけで秀才の多い田辺高校の生徒にも尊敬されていたのではないかと私は推測します。
 ところが、最近はこのようなとんでもない、一芸に秀でた教員が大変少なくなってしまいました。教員採用試験があまりにも難しくなりすぎて、昔のように虫にうつつを抜かしていて、専門分野の大学の教授になり損なったので、高校の先生にでもなるかと言うのが実現不可能になり、おまけに、仮に採用されたとしても昨今の教育委員会による勤務状況のチェックが厳しくて、昔のように、長い夏休みには自分の専門分野の昆虫採集と研究のために海外遠征をするなどと言うことは夢のまた夢になっているのです。教育に情熱を持たず、自らの政治信条を教壇の上から抵抗力のない生徒に吹き込むことを最大の人生目標にしているような人には大いに教育委員会もチェックのメスを入れて貰いたいと私は思いますが、教員にやたらとレポートや報告を書かせ、長い休みを与えると世間の目がうるさいのでやたらと学校という物理的空間に先生を縛り付ければよしとするような教育行政は明らかに間違っていると私は思いました。

 昔本当の昆虫少年であった、今は各方面で尊敬されているような人材を輩出するために、和歌山県は何度も試行錯誤を繰り返しながら、次のような改革を行いました。昆虫少年再生作戦です。
 第1に、昔いたような立派な専門知識を持って、生徒のあこがれと範となりうるような教員を養成するために、未だ大学教員として就職が出来ていない立派なオーバードクターを大学の先生の協力を得て高校の先生としてリクルートすることにしました。そのためにはマニアックすぎる教員採用試験のバイパスも作りました。
 第2に、文部科学省のルールが許す限り、現場の先生方の形式的締め付けを緩めるように努力しました。つまらない教員会議より、生徒と接する時間を増やす方がずっといいのです。たとえそれが先生引率の昆虫採集遠征であったとしても。
 第3に、私達が本当の少年であった頃に、実際にあった、自由研究の発表の場を意識して作りました。昔は、博物館や地方紙の主宰する展示発表会があったりしたのですが、そういうものが期待できない今日であれば、県が主宰して、発表の場を作ってしまおうと考えて、「和歌山県ネイチャーアウォード」の制度を作りました。審査委員長には、中央環境審議会の会長をおつとめになった東京大学名誉教授、元国連大学学長の武内和彦先生にお願いしました。私もこれが出来た年から私が知事を引退する年まで毎年参加しましたが、私が子供の頃のようなただの昆虫採集品の展示というものは少なくて、自然をよく観察して、きらりと光る目でそれを切り取ったようなすぐれた研究作品が目に付きました。
 第4に、この自然史の分野で大人も子供も研究と交流の拠点となるべき県の自然博物館の強化を図りました。水産物を展示する、ただの見世物小屋としか思えなかったそれまでの自然博物館を徐々に改革強化していきました。仲間内で安易に行っていた学芸員の採用をフィールドごとにバランスの取れたものにして、そこで必要とされる専門家のスペックを決めて、外部の評価委員も決めて、採用とその後の評価を厳しく行うことにしました。館長には、それまでの、特に専門知識という点では見るべきものがない事務職を当てていたのを改めて、高名な学者に来ていただくことにしました。(この辺は県の他の博物館でも同様です。)
 かくて、このまま10年も推移すれば、和歌山にもテレビで見た長井君のような立派な昆虫少年が陸続と表れるはずでした。しかし、制度は運用する人の情熱次第です。ましてやいかなる制度も情熱を持って運用するとなると大変な労力が要ります。その労力が面倒になって、制度が崩壊したり廃れていったりする嫌いはないでしょうか。

 このような昆虫少年養成の試みは各地で進んでいます。私が東京で最近参加させていただいているグループ多摩虫の方々は特に熱心です。福田会長はじめ皆さんが熱心な小中学生をどんどん会の活動に引っ張ってきています。時々例会にそういう子供達が出席していますが、皆なかなか立派な「曲者」という顔をしています。考えてみれば私も中学生か高校生の頃に日本鱗翅学会の大阪の支部例会に顔を出して、この世界の重鎮の方々の中で緊張していた覚えがあります。先に述べた杠さんのような方も、特に有望な若手の育成に取り組んでおられます。北海道昆虫同好会は特に熱心に若手の発掘に取り組んでおられるそうです。まだまだ、私の時代の今は老年になりつつある昆虫少年の数には及ばないけれど、質的には立派な若者が昆虫少年の衣鉢を継いで、未来の博物学、環境科学の世界を率いて行って頂きたいと思います。