この夏の人事で検事総長に畝本直美さんが就任されました。検事さんと言うとちょっと強面のイメージがあって、そのトップに女性が就任というのですから、いささかびっくりしましたが、これまでの経歴をお聞きすると、かなり前から、今日が嘱望されていて、なるべき方がなったという感じがいたします。女性初というのがすぐニュースになるのですが、検事総長でも女性がなる時代ですから、これからは段々とそういう「女性初」というニュースがなくなっていくのではないかと思います。日本社会の女性活躍もそういう段階に達したかと、喜ばしい限りです。
日本では、男性が外に出て職業生活をして生計費を稼いできて、女性は家を守るという考え方が支配的でしたから、それに抗って職業について頑張ろうとした女性は男性よりも余計に苦労をしてきたことでしょうし、多くの差別や迫害に遭ったことと思います。その中で、立派な業績を上げた女性の方々には男性以上に尊敬の念を持ちます。このように人ごとのように言っている私も、女性を「女のくせに」とか「どうせ女だから」とか、蔑視するような思いを抱いたことは1回もありませんが、過去の職責において女性を男性と同じように扱わなかったこともあり、自責の念を持って過去を振り返ることもあります。NHKの今回の朝ドラはそのような環境下で頑張った女性の苦労が描かれていて、心から共感を持って視ています。
畝本さんには私はお会いしたことはありませんが、霞ヶ関に勤めていた時に、何人かの大変立派な女性官僚にお目にかかりましたし、民間の方々の中にもこの人はすごいなあと思う方がたくさんいました。今もそういう方を尊敬の念を持って思い出しますし、立派な人だなあという思いを持ちつつお付き合いを続けている方がたくさんいます。
和歌山県庁でも状況は同じでした。昔は、どうやら和歌山県庁では女性を男性と同じような職につけて遇しようという考え方がなかったのではないかと想像します。少なくとも知事になってからは、私は自分でどうすればベストの布陣が組めるかを真面目に考えて自分で人事をしていましたから、女性でも、男性でも一番適役だという人を任命するように努めていました。女性だから下に見るというようなことがあっては絶対にいけないということです。そういう雰囲気を理解してくれたためか、優秀な女性がどんどん県庁を受けてくれるようになり、そういう人をきちんと雇えるように採用制度を作りましたから、私自身は具体的な採用にはタッチしませんでしたが、人事委員会や人事課の皆さんが、制度の意味を良く理解してくれて、公正な採用試験をやってくれたため、多くの女性職員が入庁するようになりました。特にいわゆる文系、事務系の一般行政職に関しては採用者の半数以上が女性という年が出現しました。私はその後の処遇で男女差別はないように目を光らせていましたし、私が知事を引退してからもそうしているはずですから、もう少し経つと管理職も職員トップの部長クラスもどんどん女性が増えて、私の予想では、採用者の男女比率に近い幹部の男女比率が形成されてくるのではないかと思います。
しかし、私が人事を行っていた時の和歌山県庁のトップクラスの幹部には、女性はほんのわずかしかいませんでした。そもそも女性職員が少ない上に幹部職員というともっと少ないという状態でした。その結果、マスコミやこの問題で世の識者と言われる人からは批判を受けました。私が、世の中の「風」である「女性登用」をアピールしたい人であったら、おそらくもっと多くの女性幹部をわざと任命していたはずでしょうが、私はそうはしませんでした。私もそうできないかなあと考えることもありました。でも、県庁の人事は、どうしたら組織として県民のためになる仕事が出来るかということが全てであると思っていましたから、その時に幹部登用適齢期になっていた女性の中で、男性と互して活躍できそうな人がそう多くは見つからなかったのです。私は結果としての辻褄を無理矢理合わせるやり方は良くないと思っています。英語ではアファーマティブアクションと言うと思いますが、これがアメリカのジョンソン政権の時代に流行っていた時から、私はこれが嫌いです。一番有名になったのは「強制バス通学」ですが、これは黒人の白人に対する平等を達成するため、白人が多く住む学区の小学校に黒人が多く住む近くの学区の子ども達を一定の割合だけバスでわざわざ通わせ、逆にその地区の白人の子ども達を黒人が多く住む学区の小学校に通わせるというものです。こうして、結果として、白人と黒人が一緒に教育を受けるようにしようという試みです。平等ということは大事な目標ですが、そのための方法としては、機会の平等と結果の平等があると思います。強制バス通学は結果の平等を性急に求めた方法で、私は、どこへ住みたいかという家庭の選好や、近くの学校に通えば便利という子どもの便宜を無視するこのような方法は間違っているのではないかと今も思っています。私は、決して女性蔑視論者ではありませんし、女性が活躍できるように、様々な工夫をすべきであると思います。しかし、その方法は、男女が平等に自己実現が出来るように、選択の自由を保障し、その機会を均等、平等にするのが筋であって、無理矢理に男女平等の数合わせをしてみせることではないと思います。そういう結果としての数合わせをすることは、マスコミやこの方面の識者の方々には、人気があることですが、私は、そうやって数合わせされた人の個人としての尊厳が守られているのだろうかと思うのであります。有力なポストに任じられた女性が、自分の実力が評価されたのではなく、自分は女性だから本当はその実力はないのに数あわせのために任命されたのかと思ってしまうようなことをしてはいけないと思うのです。
そういうわけですから、私はそういう数合わせを一切拒否していました。ということは、和歌山県で幹部に登用された女性の職員は、本当に実力があったからだと思って欲しいと思います。そして実際にも、そういう本当に実力がある人は結構いて、現在も大幹部として活躍してくれています。そのような人の実力はどうして付いたかというと、多くの場合、若い時から活躍の機会を与えられたことによる苦労と経験によると私は思っています。逆に、昔から、女性職員が男性職員のようにそういう「切った張った」のポストに就けてもらえなかった結果、埋もれたままになっている恐れもあります。そこで、私は少しだけアファーマティブアクションをいたしまして、そういう埋もれている人がいないか探し出す工夫を、時々の人事課長と一緒にいたしました。「この人はひょっとすると、もっと「切った張った」のポストに就けるとブレイクするのではないか、そうしたら、将来は県庁の大幹部になってもらえるではないか。」と考えました。誰がということは口が裂けても言いませんが、和歌山県庁にはそうやってどんどん活躍をするようになった女性がたくさんいます。私は、職業生活は「氏より育ち」だと思います。女性だからといって、昔の人事当局が女性向けのポストだと勝手に決めたポストにばかり配属されたら、経験が偏り、幹部にまで昇進させるべき女性が育ちません。私がアファーマティブアクションはするまいと考えて、数合わせ的な登用をしなかった人の何人かは、もしも若い頃からもっと鍛えられていたら、十分幹部として県庁を背負ってくれた人になっていたのではないかと思います。
このように私が考えたり、行動したりしている間にも、世の流れを俯瞰すれば、時代は女性活躍の方にどんどん進んで来たと思います。この流れは、人の自己実現という面でも、経済全体の労働需給の趨勢からしても不可避であろうかと思います。ただ、そのような考えについて行けない無理解な人や職場の雰囲気がそれを阻害する可能性もまだまだありそうです。そこで、最近のはやりのナッジ理論のように、組織ぐるみで、女性活躍をそっと後押ししてあげるような仕掛けが必要だと考えました。そう私は思って、女性活躍推進企業同盟運動を提唱しました。職場の雰囲気が女性活躍を助長するように変わるためには、やはり企業や組織のトップがその気になって、男女差別はしてはいけないという法令遵守を心懸けるだけではなく、もう一段経営者、組織トップの覚悟を明らかにしていかなければなりません。かつそのことを何らかの声明や決まりのような形にして、それを積極的に発信しなければいけません。そういうアクションを取った企業を同盟者として迎えるのです。そう考えて、和歌山の企業や公共組織のトップを説得し回って、同盟者を増やしていきました。これは、同じ時期に始めたもう一つの同盟である、「結婚・子育て応援企業同盟」とともに、多くの参加者を得て、和歌山の職場環境をいささか変えることが出来たと自負しています。ただ、単に作っただけではすぐに風化しますから、私も含めて県庁をあげて、この運動に勢いが付くように工夫と努力をし続けました。例えば、同盟企業の中で、もっとも活躍が顕著である企業を互選して顕彰すると言った試みもいたしました。ただ、こういうことは、それでも形骸化の危険は常にあるので、知事のような人がいつも声高らかにその意義を唱え、色んなイベントを設けて活性化に努めなければならないのは言うまでもありません。
もう一つ、和歌山県庁で、女性活躍に関して意外な経験をしたことがあります。それは結婚をして辞める女性職員が意外に多いということでした。結婚しても、仕事を続ければいいし、産休も目一杯取ればいいし、その間は回りの同僚が出来るだけカバーして、その代わり、その人が復帰した後、周囲に子育ての職員がいたら、今度はその人がカバーしてあげればいいというのが私の考えですが、結婚をするので辞めるという女性職員が思いの外いたことが意外でした。私が見つけたケース以外に、もっとたくさんの方が、今でもその理由で県庁を辞めているのではないでしょうか。私が経験した一例ですが、ある時私のホームドクターの女性歯科医が、「自分の息子の医者が県庁の女性職員と結婚をするのだが、結婚を機に県庁を辞めると言っている。私も職業を持ちながら子どもを育てたので、お嫁さんもそうしたらいいと思うけれど、お嫁さんになる人が辞めるというのは県庁が辞めさせようと圧力をかけているせいではないか。」と言うので、調べてみると、話は逆でした。周囲は退職を慰留したのだが、本人が「専業主婦が昔から理想だったのでいい結婚が出来たのでどうしても辞める」と言っているということでした。もう一つの例は、県庁から国の研修プログラムで大学院に派遣された女性職員が、他県から派遣された男性職員と恋に落ちて、結婚をするので県庁を辞めて相手の家庭に入るという話でありました。この時は県庁の私の部下が、「選ばれて研修に派遣されたのに県庁を辞めるとはけしからん。結婚をやめるように説得します。」と言うので、「馬鹿者、県庁の都合よりずっと大事な人の恋路を邪魔してはいけない。結婚しても相手の県庁の職員として働けるよう相手の県に頼んだらいいではないか」と考えて、その職員に提案してみたのですが、彼女からは、またしても「専業主婦が夢だった」と言われてしまったのです。一部の若い女性には、どうもそういう傾向は根強くあるようで、それはそれで尊重をしなければならないと思います。しかし、ひょっとすると、そう思うに至ったのが、今までの県庁の女性の扱いを見ていて、やはり女性はちゃんと処遇してくれないから、このまま県庁にいても仕方がないと、その人々が思ったからだとしたら、大変申し訳ないことだと思います。
最後に一つだけ言いたいことがあります。それはいわゆる専業主婦のような人に対しても敬意を失ってはいけないと言うことです。女性も職業を持って世の中で活躍をするということはとても素晴らしいことで、それを阻害するような制度や風潮を取り除いていくということはこれからも我々がやらなければならないことであると私は思います。しかし、それはあくまでも女性の活躍の機会均等を保証するものであるべきで、もっと平たく言うと働きたいと思う女性がそれを阻害されたり、男性よりも不利に扱われることがないようにすると言うことで、女性は必ず、職業を持って働かなければならないと言うことではないということです。昔は、時代がなせる術かも知れませんが、夫に協力して、家庭を守り、子どもを育てるという人生を選択した女性がいっぱいいましたし、これからもかなりの人がそういう選択をするかも知れません。しかし、今はどうも、そういう人を「後れた人」と考える向きがあるように思います。それには私は断固反対です。いわゆる専業主婦として働くと言うことは、それが押しつけられたものでない限りは、夫婦間の分業と考えるべきで、そのような選択をした人を「後れた人」とレッテル張りをすることは間違いだと私は思います。一例を挙げると、男女共同参画の観点から見ると奈良県がもっとも後れた県だとよく言われます。奈良県は職業に就いていない女性が一番多い県だからだそうです。和歌山県もそれに近い比率で職業につていない女性が多いので、後れた県の一つと言うことになるのでしょう。私は、それは間違いだと思います。本当に後れた県は女性の就労を邪魔している県であるとか、女性の昇進を阻害するような制度や慣習や職場環境を持っている県だと考えるべきで、単に専業主婦比率が高いからと言って、その地域を「後れた」地域という呼ぶことは全く不当だと私は思います。考えてみれば、奈良県は、比較的裕福な大阪通勤世帯が多く、その中で、稼ぎを持ち帰る夫と分業して妻が家庭を守ると言う家庭が多いから上記の構造になっているのだと私は思うのですが、もしそれが正しければ、それを後れたなどとレッテルを貼る権利は誰にもないのではないでしょうか。職業を持っていない、専業主婦は世の中にいっぱいいるし、若い世代でも一定比率いると思いますが、そういうレッテル張りはこのような大勢の女性方を侮辱するものではないでしょうか。世の中にたくさんいる専業主婦の方々がよく怒らないなと思います。この問題が言われるようになった数年前、私は関西広域連合の会合で、以上のような持論を展開したのですが、いつもは私以上に一言居士であった当時の奈良県の荒井知事がこれは問題だと言われなかったのは私には不思議でした。私の家庭も、家内は外でほとんど働いたことがなく、ずっと家庭で私を支え続けてくれ、子育てを主として担ってくれたのですが、こういうことを口に出すのはいかがとは思うものの、優しさや感性のみならず知力においても私を遙かに凌駕するところが多い自慢の妻を、「後れた人」などとは断固として言ってもらいたくないと言うことを、こっそり小さい声で申し添えます。