まだ間に合う-藤崎大使の言葉

 最近藤崎一郎元駐米大使の、「まだ間に合う 元駐米大使の置き土産」という本を読みました。少し前に産経新聞で回顧録を連載しておられて、そのお考えに私は随分共感するところが多かったのですが、その中で本書についても触れられていたので早速購入して読ませていただきました。講談社現代新書から出ている新書版で、次世代へのアドバイスとしてお書きになっている本なので、大変読み易い本だと思います。ただし、藤崎大使(以下藤崎さんとお呼びすることをお許し下さい。)の多彩な人生がいっぱい詰まっている立派な内容で、とても教えられるところ、共感させられるところが多い本でした。一言で言うと、ご自身の失敗を隠さない率直さと、立派な人生を歩まれたご自身なりの適度な自負と、後進への大いなる愛情にあふれた好著だと思いました。
 その内容は、三つに分かれていて、これから社会に出ようとする主として学生さんに、どういうことを考えて、勉強をし、職業選択をすべきかを説く第一部。職業生活の中で、何を考え、どう行動すべきかを説く第二部。とりわけここでは、公務員や外交官の職業に就いた人には首肯したくなる内容が満載だと思いました。そして、国際社会に出て行くことがますます増えていく日本人にとって、一般の方も国際交渉を業とするプロの方も、どのようなことを心しなければならないかを語る第3部。経済産業省の役人として、絶えず外国を意識しながら職業生活を送り、一時は外交の場にもちょっとだけ立たせていただいた私にとっては、本当に共感できる内容でした。
 そして、これら3つを通しての共通のメッセージが「まだ間に合う」です。藤崎さんにとっての後進が、これからこの本を読んで沢山のことを感得し、実践してくれれば、きっとその人は実りの多い人生を送ることが出来、その結果として、その人が属する組織や地域や国が栄えることになるに違いないという気持ちがあふれる本でした。人生に悩み、もう取り返しがつかないと思っている多くの人に、「まだ間に合う」という言葉はとても深いものがあると私は思います。しかも、あの高名な藤崎さんですらこういう失敗もし、つらい思いもしたのだからと思えば、多くの後進にとって、これからの人生はまだ間に合うものだと言うことが説得力を持つのではないでしょうか。同様に、国際社会にどう向き合っていくかについて、多くの悩みと不安を持っている方々が大変多いと思いますが、そういう方々にも、本書は多くの知識と教訓を与えてくれるものだと思います。

 私は初めに、この本は、ご自身の失敗を隠さない率直さと、立派な人生を歩まれたご自身なりの適度な自負と、後進への大いなる愛情にあふれた好著だと思いましたと言いました。
 藤崎さんは、大変率直にご自身が犯された失敗話を具体的に語っておられます。しかしその失敗はその場限りで終わるのではなく、この本の至る所に語られていますが、藤崎さんの力になって、後に外交上の多くの問題の解決に役立ち、後進の外交官や他省の官僚の仕事の支えになっています。なぜこれが出来ていくのか。私は、もちろん失敗を糧にして行かれる藤崎さんのご自身の意欲と能力にもよると思いますが、もう一つは藤崎さんが国のために頑張ってこられた過程で起きた失敗だったからではないかとも思います。先に私は「適度の自負」と申し上げました。こういうアイロニカルな表現をしましたのは、偉ぶることのないご性格からなのですが、自分だけのためにした失敗より、国のためにと思って頑張った際の向こう傷の失敗とでは、その人の血となり肉となる度合いがずっと大きいと私は思います。藤崎さんは勿論ですが、私が霞ヶ関で暮らしていたときの官僚の人々は、ほとんどの人が国のためと信じて頑張っていました。中にはその所属する組織の利益が出すぎる人々や、ごくわずかですが、自らの利害で行動を決する人もいたでしょうが、おおかたは国の利益をどう実現するかが行動原理の基本にあったと思います。テレビドラマなど見ていますと、自己の利益やせいぜい組織の論理で正義に反することを平気でやる悪徳官僚が、しかも組織の上層部にいっぱいいるように描かれていますが、決してそんなことはありません。私もそうやって頑張ってきた官僚生活でしたが、藤崎さんと違って、性来の粗忽者ですからもっと失敗をいっぱいやっています。分かり易くしてやろうと思って、時の国会の大対立案件であった日韓大陸棚石油天然ガス共同開発協定に関する国会提出資料を「改良」したところ、「改竄」だと大騒ぎになって国会を止めてしまったり、可燃性天然ガスの漢字の間違いを発見できなくて国会に提出してしまい、訂正手続きに悪戦苦闘したり、と山のように失敗もしました。しかし、それらは、おそらく私の「資産」となって、後年幹部職員になった時、部下の失敗をカバーしたり、後に和歌山県知事になったとき、困っている部下の救援投手としてマウンドに上がったり、と大いに役に立ちました。昔、大失敗をしてこれは辞表かなと思っている私を助けてくれた上、「たいしたことはないよ。こんなもの。」と笑い飛ばしてくれた当時の大幹部の姿が、後年の私の行動モデルになっています。

 そういう大先輩は通産省、経済産業省にも沢山おられましたが、外務省にももちろんおられました。藤崎さんも何人かの先輩のエピソードを、尊敬の気持ちを持って書かれていますが、一部私が存じ上げない方を除いて、私も存じ上げ、心から尊敬申し上げている人がどんどん出てきてすっかり嬉しくなりました。和歌山にルーツを持つ岡崎久彦さんは、私は名著「戦略的思考とは何か」以来仰ぎ見る存在でしたが、和歌山県知事になってから、知遇を得てすっかり御世話になりました。岡崎さんは、陸奥宗光の従兄弟で政友会の領袖もされた岡崎邦輔さんのお孫さんで、お祖父さんの邦輔さんとの和歌山の邸宅での思い出などをお聞かせ下さいましたし、和歌山県が熱心に取り組んでいた陸奥宗光などの和歌山の偉人の顕彰事業にも大いにご指導いただきました。それにしても、「陸奥宗光とその時代」など有名な外交官とその時代シリーズ等の多くの著作を、大使として大活躍しながらお書きになったとはいったいどういう人だと思いました。あらゆる教養にあふれ、揺るがぬ世界観を持った「知の巨人」そのものであった方だと思います。
 もう一人、斎藤邦彦さん。外務次官、駐米大使を歴任されたすぐれた外交官ですが、私は日韓大陸棚協定の時の条約課長として、御薫陶を受けました。詳しくは申しませんが、斎藤さんがその時教えて下さった「Self Execution」の法理については頭をかち割られるような新鮮なショックでした。斎藤さんは、ものすごく頭のいい方という印象を受けましたが、決して強引に物事を進めるのではなく、その時も穏やかに話を収めてくれました。(無茶苦茶余談ですが、斎藤さんはお若い頃確かコガネムシを中心とする昆虫少年であったというお話しをその時お伺いしたような気がします。)
 さらにもう一人は藤崎萬里さんで、藤崎さんのお父様です。私は右も左も分からないごく若い事務官の時、藤崎大使が団長として率いる国連海洋法条約交渉団の一員として、国連で行う条約交渉に参加を許され,大陸棚の石油開発の担当で、大陸棚やEEZの定義や境界画定の交渉に連なりました。藤崎大使はその代表として、いつも物静かに大局を見ておられました。この時私より少し上の年齢の外務省の俊才が色んな担当として何人も参加しておられましたが、長い間一緒に仕事をして知遇を得たこれらの方々に、その後、知事になってからも含め随分と助けていただきました。また、おかげで、海洋に関する法秩序に少しは明るくなって、これもまた、和歌山県の行政を担当するようになっても役に立ちました。

 そして、「後進への大いなる愛情」。藤崎さんは、退官後、上智大学の教授として若者を育てられ、さらにある私立中学・高等学校の理事長としても若い人の教育に熱心に携わっておられます。ご自身がそうであったように、身を律しつつ国のために尽くしてくれる若い世代を世に送り出したいというお気持ちからであろうと思います。そのお気持ちがこの本の中にほとぼしっていると思います。そのためにはご自身の失敗談も、人の生き方に対する率直なアドバイスも、国家や社会のあり方についてのお考えも隠すことなく、日本のこれからを託す若者に話されているのだと思います。この本を読んで感化された人がこれからの人生を直していったらいいのです。だから、この本のタイトルは「まだ間に合う」なのです。

 私は、この本を読んでそうだそうだと思うところがいっぱいありました。全く同感というところが沢山あって、その中には、今の世の中で支配的な考えとして広く受け入れられているものに対する批判もありました。同感のあまり、それをいちいちご紹介をしたいという気持ちも本当はあるのですが、下手なご紹介をして、藤崎さんの真意を一つでも間違って伝えては一大事ですので、いたしません。皆さん、この本を是非お読み下さいとだけ申し上げておくことにとどめます。