元SMAPのメンバーでちょっと前までTVのバラエティー番組で司会役などして売れっ子であった中居正広氏が女性にけしからんことをして、それをもみ消そうとしたとして指弾され、とうとう芸能界引退に追い込まれました。この問題はそれに留まらず、フジテレビの幹部がもみ消しに加担したとか、さらにそもそも中居氏に阿るために、社内の女性を紹介したり、けしからんことをすることを後押ししたとかの話になって、フジテレビは危急存亡の時を迎えています。私は、マスコミと芸能界はとても苦手で、特に芸能界の知り合いは本当に少ないのですが、それはおそらく私がその世界にあまり興味がないからであろうと思います。そうは言っても、話の真偽はともかく、若い女性がこの世界で売り出すためには、この世界で力のある人とけしからん関係を結ぶことを強要されることがあるのだという話をよく聞きますが、やはり、そういう面もあったのだということが分かりました。ましてや、天下の公器、大テレビ局がそれに加担しているということは、あってはいけないことだと思いました。元々あんまり興味のない世界のことなので、私は、この際膿を出して、これからはこんなことが起こらなくなるきっかけになるのではないかと思っていただけでしたが、最近のフィーバーを見るにつけ、またフジテレビからコマーシャルを出す企業がどんどん撤退したことを聞くにつけ、いささか思うことがありますので、ちょっと書いてみます。
まず第1に、この世は本当に『手のひら返し』だなあということです。私は元々中居氏は、どうしてこの人が人気があるのかなと思っていたぐらいですが、現に沢山の番組に登用されていたところを見ると、人気があり、マスコミの人々もその人気ゆえに彼とよき関係を築こうと大いに大事にしていたのだろうなと思います。だから女衒まがいのことをしてまで、テレビ局は中居氏に阿っていたのだろうと思うのですが、問題はそれからです。具体的な事実関係までは分からなくても、この世界に出入りしているマスコミの人達は、中居氏の周辺にこういう関係があるのではないかと言うことはうすうす分かっていたのではないかと思うのであります。ところが、これまでは、ほとんどの人はこの問題をレイズしたり、取材しようとはしていなかったのではないかと思います。人気者にはただひれ伏していたのではないか。ところが、週刊誌で書かれ、それに対する中居氏の対応があまりにもひどくて、多くの人々が中居氏はけしからんと騒ぎ出したので、中居氏を叩いてもリスクはないと分かってからは、まさに手のひら返しです。今度は中居氏やフジテレビに、まるで餌に群がる蟻のように一斉に攻撃に行くと言うのは、あまり褒められたことではないと私は思います。中国のことわざに「水中犬を撃て」というものがありますが、犬が水中に落ちておぼれかけていたら石を投げて攻撃せよと言うことで、弱っている人にはかさに掛かって襲いかかれと言うことを言っているのでしょう。さしずめ、今は中居氏やフジテレビは「水中犬」状態なのでしょう。私はこういう態度は大嫌いです。福沢諭吉は「やせ我慢の哲学」と言うことを唱えて、流れが出来た時そこに飽くなく便乗して利益を得ようとすることを戒めていますが、よってたかって水中犬になった中居氏やフジテレビを叩いている人達は、もう少しこういう「やせ我慢」をしたら良いのにと私は思います。本当にえらいのは、まだこんなに中居問題が大騒ぎにならないうちから、社会正義に則って、たとえ相手が人気者の中居氏だろうとも、マスコミ界に君臨するフジテレビであろうとも挑戦していくことではなかったかと思います。
第2に、そういう意味では、さすがに週刊文春は、真っ先にこの問題を世に問うたわけですから、かなりえらいと思うのでありますが、最近明るみに出たことで、それはいけないではないかと思うこともあります。フジテレビが多くの他のマスコミに叩かれた問題の一つが、フジテレビの幹部が中居氏が女性にけしからんことをするきっかけになった食事会をアレンジしたと言うことだったのですが、週刊文春がこのことを報じた記事が誤っていて、事件の当日の食事会のアレンジはフジテレビ幹部は関与していなかったそうなのであります。ところが、このことを、それがあれだけ問題になっていて、フジテレビ叩きの材料になっていることが分かるはずなのに、週刊文春が大々的に訂正をしたり、謝罪をしたりしなかったというのはいただけません。週刊文春も含めて多くのマスコミは、フジに「謝罪しろ、何でこういう過ちを起こしたのか社内で検証をしたのか」の大合唱だったのですから、当然、週刊文春にも同じことを要求しても良いはずですが、誰もそうはしません。おそらく、まだ週刊文春は攻撃しても怖くない「水中犬」になってはいないのでしょう。まだまだかかって行くのは怖い存在なのでしょう。週刊文春も、この重大な誤報がなぜ起きたのかを十分検証して、それを誤報に対する謝罪とともに、広く世に周知せしめれば、同じような誤報が起きることは少なくなるでしょうし、立派なメディアとしてもっと名声を勝ち得ただろうにと残念に思います。
第3に、フジテレビの社長などの会見は10時間以上に及んだと聞いていますし、上記の誤報情報に基づいてけんか腰の詰問もあったやに聞いています。確かに一回目のフジテレビ社長やHD社長の会見はあんまり感心したものではありませんでしたから、記者魂としては大いに事実を引き出したい、正義の気持ちをぶつけてみたいと思うのも頷けるのですが、やはり社会人としての節度に欠けるのもどうかなあと思いました。フジテレビの社長などはお年も記者諸君よりは上でしょうし、若い頃からマスコミ社会に身を投じた先輩であるわけですから、先輩と言っても誤りを正すことに躊躇する必要はないけれど、そこは一定の礼儀とか敬意はあっても良いのではないかと思うわけであります。惻隠の情無きは人にあらずと言うではありませんか。昔からあって、私が嫌いなものの一つに公開処刑があります。現在でもどの国とは言いませんが、実際に行われています。人の不幸を見物に行く、それも処刑される人が有名な人の方が面白いと言う心理は古来人間にあることは事実でしょうが、どうもあの10時間以上の記者会見は公開処刑だったのではないかと思うのであります。風や流れが出来ると我も我もと皆で人を叩きまくるというのはどうも嫌だなあと思います。
この発展形に、どこかの企業が失敗をしたときに、地元の自治体の長のところへ謝りに行く場面があります。その時に自治体の長が謝りに来ている企業のトップにことさらにえらそうに、厳しく対応をする姿がテレビなどで流れてくることがあります。企業の犯したその失敗は皆があってはいけないことと思っていることですから、マスコミを入れた公開の場で自治体の首長が傲然と怒ってみせるということは、その首長にとっては選挙民向けにはPRになることかも知れませんが、謝りに来た人にことさらに失礼な態度を取ることは私はいけないことだと思います。私は少なくともそのような場合にえらそうに接することなど絶対にしないと決めていました。(しなかったと思うのですが!)
第4に、それにしても、天下の大企業のフジテレビやその上のHDのトップの記者対応は下手であったし、そういうトップのおしゃべりはなんと下手だなあと思いました。フジテレビというと言論をもって身を立てているマスコミの大企業です。情報を集め、分析し、取材として人に接し、画面の向こうからそれを視聴者に届けてくれる会社です。もちろん、全員がアナウンサーではありませんから、容姿、身だしなみなどは問われないし、人によっては口下手の人だっているでしょう。しかし、テレビの向こうからとはいえ、言葉で視聴者に情報を伝えることに人生の多くの時間をかけてきた人が、あんなに人前でしゃべることがへたくそであるとは大いに意外でした。人は何を知りたいのか、真実は何で、大事なことは何で、誤って伝えられていることは何で、自分たちの立場はこうだと、多くの視聴者に分からせるようにしゃべれないものかと思いました。とりわけ、辞職するフジテレビの社長さんは、その後、有名なタレントが2名も、いい人だったと番組で不規則発言をするぐらいだから、良いところが沢山ある人だったのかも知れないのですが、少なくとも、あのようにぶっきらぼうの、書いたものの丸読みの、防衛本能丸出しの、国会答弁みたいな(表現が古いか!)ものの言い方ではそれは絶対に伝わりません。ちなみに、私は上記に述べたように、風や流れが出来ると皆がよってたかって「水中犬」叩きをする風潮を指摘しましたが、上記タレントさんはそれをものともせずに自分の考えを述べたと言う意味でとてもえらいと思います。偉いと言えば、事件が起こって世の中でフジテレビが火だるまになっているときに、フジテレビの報道番組はこのようなフジテレビの恥になることも無視せず、隠さず、ちゃんと普通に報道していました。けしからんことが一部に起こったことは事実だとは言え、フジテレビが報道機関の誇りを失っているわけではない、少なくとも失っていない人がいると言うことを示してくれました。この辺を斟酌して、(小さい声で言うと、)もうそろそろフジテレビだけをシングルアウトしたCM差し止めは勘弁してあげても良いのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、つい先日ミキハウスの創立55周年記念式典(実は木村社長の米寿のお祝いもかねていたそうです。)にお呼び頂いたので、和歌山県はミキハウスに色々本当に御世話になったのでお礼を申し上げるべく出席させて頂いたのですが、その際の式典の主人公の木村皓一社長のプレゼンの上手いこと、上手いこと。「55年間の会社の歩みを10分でしゃべります」と言われたのがその数倍にはなりましたが、その長さを感じさせない魅力的なプレゼンでした。おそらく木村社長が一代で今日のミキハウスを築かれたのは、もちろん飽くなき努力や先見の明や勇気ある意思決定があってのことでしょうが、この言葉の力もあったのだろうと思いました。同じ大企業のトップとはいえ、フジテレビの社長には失礼でありましたが、思わず心の中で対比してしまいました。
第5に、先に10時間にも及ぶつるし上げのような記者会見を批判しましたが、その原因となったのが、その前の記者会見の方法であったと言われています。出席者を絞ったり、映像を入れなかったり、時間をうんと短くしたりと大いに批判された方法でした。その反動で二回目があのようになったとも言われています。これも報道を業とするテレビ局がどうしてそんな稚拙なことをと思いましたが、何か疑念が生じたとき、当事者は、たいしたことはないものとして早く終わらしてしまいたくなるものですし、いささか嫌なことがあると隠したくなるものですが、人は隠されると余計何かあるなと思い、もっと知りたくなります。私も和歌山県知事などという職に就いていたものですから、常にこのような問題に直面します。ただ、全国至る所で同様な問題が起こるものですから、自分がいきなりこのような場面に遭遇する前に、類似の問題で学習する機会も沢山ありました。そこで得た結論は、世間で何か疑念が生じたら、進んで嫌と言うほど詳しく説明をして全部オープンにしてしまえと言うことであります。そして、出来るだけ自分が出て行って、自分の言葉でしゃべることであります。この考えで、私は身を処してきました。一例を挙げると、私が知事として登場するきっかけになった和歌山県の官製談合の真実も、和歌山県が過去こんな官製談合をやっていましたと包み隠さず文書で公開してしまいました。そうすると、もう誰もけしからんと攻撃に来ません。むしろちゃんと読んでくれているのかなと心配になったぐらいです。また、知事に就任した当時、全国で自治体の「隠し財産」、「埋蔵金」が問題になっていました。もっとまともに言うと、自治体は、一般会計以外に、特別会計や、各種基金、外郭団体の資産などにまだ沢山お金が眠っているというのです。大阪府知事の橋下さんはこういうのはけしからんので全部一般会計に還元して使ってしまえと言っていました。そこで、私は、このような特別会計、基金、外郭団体の資産などすべてを全部オープンにして、一つ一つ評価をし、「埋蔵金」は実際にかくかくあるが、それはしかじかの時が来たときのための用意なので、必要量は残しておくと言う説明文書を作り、その時公務員数の劇的なカットという形で策定した行財政改革プランとともに公開しましました。その最大のものは土地対策基金でしたが、いずれ和歌山県最大の不良資産、コスモパーク加太の整理の時が来るので、その際の出費に充当するためにおいておくのだと主張しました。私が知事を引退してから、後任の知事の下このコスモパーク加太の整理がついに始まりましたが、この「埋蔵金」のおかげで、和歌山県は財政のクラッシュを免れています。
問題になりそうな案件は進んで公表する、それが結果としてはフジテレビのように火だるまにならなくて済んだ方法であったと思います。ただ、それでも人には絶対に言えない、隠したい秘密もあるだろう、ともしも問われれば、その答は、そんなことは初めからやらなければ良いということだと私は思います。