最近お知り合いにならせていただいた方に、越純一郎さんという方がいます。年齢は私よりは少し下でして、日本興業銀行にお勤めで、海外勤務も長い方ですが、最近ではご自身の会社も興しつつ、社会貢献活動に大変熱心に取り組んでおられます。私が昔いたブルネイの専門家をご紹介した縁で親しくさせていただいています。その彼から、日本人は立派な国民であると思うが、かつて外国に被った恩義をすぐに忘れるのが欠点だし、それを覚えてくれている国だということが相手国に分かってもらえれば、さらに日本の声価も高まると思うのだが、どうもすぐに忘れることで損をしている、外交もこういうことをソフトパワーとしてうまく使おうというセンスがないのは、少し残念だ、と言われた後、特に1985年に起きたテヘラン空港に取り残された日本人をトルコ航空機が救出してくれたことを多くの日本人が忘れているのはとても残念だというお話をお伺いしました。私も、全く同感ですので、すっかり意気投合して、彼が行おうとしていたトルコ航空機による邦人救出を顕彰する献花式の実現に、ほんのわずかだけ関わりました。私がしたことなど無きに等しく、実現した献花式には私は出席も出来ていないのですが、義理堅い越さんが逐一報告して下さったので、越さんの立派なお仕事について、さらには、トルコと日本の関係、とりわけ1890年に起こった和歌山県串本の紀伊大島沖で遭難したトルコ海軍のエルトゥールル号事件から始まる日本とトルコの友好関係について書きたいと思います。
1890年、折しも日本を公式訪問中のオスマントルコ帝国の軍艦エルトゥールル号が帰途和歌山県串本の紀伊大島沖で嵐に巻き込まれ座礁沈没します。オスマントルコは、その随分前は一時ウイーンを囲み、ヨーロッパを席巻するかという勢いでしたが、1890年当時は国勢が衰え、ヨーロッパの列強に囲まれて気息奄々な状態でした。そこで、折から東の新興国日本が小松宮様の使節団を派遣したことへの返礼という大義名分で、虎の子の(しかしかなり旧式の)軍艦エルトゥールル号にこれも虎の子の海軍士官学校の生徒500人余を乗せて日本に公式使節団を送ったのです。東と西の帝国が同盟してヨーロッパ列強に対抗しようという意図があったと思いますが、同盟条約は日本がしり込みしてかないませんでしたが、東京では日本政府に大いに歓待されて帰途に就いたわけです。その時船中にコレラが発生したりして、出発が遅れ、出発したのは魔の台風シーズンになっていました。案の定大変な台風と遭遇して、船は大島の岩礁にぶつかって座礁沈没し、乗組員のうち500人余が命を失くしました。その時命がけで生存者を救出し、貧しい寒村に蓄えてあったありったけの食料を提供し、船員の濡れた体を温めて命を救ったのは、大島の樫野漁村の名もなき村人たちでありました。その後この報が入るや、日本政府も皇室も大変真心を込めて死者を弔い、69人の生存者を大切に扱って、軍艦でトルコまで送り届けています。このことを知ったトルコの人々の悲しみと絶望はいかばかりであったでしょう。当時の状況は先述の通りで、エルトゥールル号はトルコの希望の星だったのです。日本に例えてみれば、先の大戦の時の戦艦大和か、日露戦争の時の戦艦三笠が、海軍士官学校の俊才を載せて沈んでしまったというような感じであったのではないかと思います。と同時に、トルコの人たちは、その中で示された日本人の親切心と人道的な振る舞いに感激しました。その後の日露戦争で、トルコにとって目の上のたん瘤であったロシアを日本がやっつけてくれたということも大きかったと思いますが、トルコ政府はこのエルトゥールル号事件のことをその後100年以上にわたって教科書に書き続けるという驚くべきことをやってくれました。そのおかげで、すべてのトルコ人にとって、日本は立派な国だ、恩人だという意識が定着することになったのです。その意識は、1985年イランイラク戦争のさなか、突如行われたフセイン・イラク大統領によるイラン上空を飛行する航空機の無差別撃墜宣言によって起こった日本人のテヘラン空港における孤立に際して吹き出します。それは、『あの恩人の日本人』を助けようというトルコ国民の思いから行われたトルコ航空機による邦人救出劇に結び付きます。実はイランから脱出を試みたのは日本人だけではありません。しかし、他国の人達はすぐにその国の空軍機によって救出されました。日本は当時の法制度によって自衛隊機による救出ができず、航空会社もそれらの職員組合の申し合わせでテヘランに行くことを拒否しました。だから取り残されたのは、近隣国の人たちを除くと日本人だけだったのであります。何たるひどい国かと思いますが、その日本人を救ってくれたのがトルコ航空機だったのです。言い換えればトルコ人の心の中のエルトゥールル号事件の思い出だったのです。エルトゥールル号事件とテヘラン空港事件、この二つの話は2015年に作られた映画『海難1890』という田中光敏監督の映画によく描かれています。(当時の伊藤忠商事イスタンブールの森永さんのトルコ首相への働きかけが描かれていないのが残念ですが。)この話は、安倍首相の思い出とともにかつてこの和歌山研究会のメッセージに詳しく書きました(プロジェクトⅩより-その2 ボスフォルス海峡海底トンネル 2024年12月21日)から省略しますが、その時も思いましたが、今度は日本の番だ、そのためには1985年にテヘラン空港でトルコ人に受けた恩義を日本人は永久に忘れてはいけないと私は思います。
ところが越さんに言わせると、ほとんどの日本人がこのことを忘れている。日本における日トルコ友好を目的とする組織も、あまりこのことをアピールすることに積極的ではない。外務省も、こういうことにはそう熱心ではない。日本が恩義を忘れない国だとアピールすることがどれだけ日本に対する好感度と日本の外交力を高めるかは計り知れないのに、こんな状態では日本に対する信頼と好感もゆらいでしまう。越さんはそう嘆いて、トルコ航空機によるテヘラン空港邦人救出事件から、40年を迎える記念の今年、ぜひ事件の顕彰のイベントを日本でやりたいというのでありました。まったく賛成でありましたので、越さんにささやかなアドバイスをしました。国際社会での経験や知識も豊富な越さんではありますが、大変謙虚な方で、いろいろな方面で行動を起こすことを遠慮されることもありました。そこで厚かましい私が背中を押すようなことを申し上げたのが役に立ったと、越さんは感謝をしてくれています。しかし実際、越さんの行動は素晴らしく、このために『「トルコからの翼」40周年顕彰有志の会』という特別な団体を作り、外務省の元駐トルコ大使の宮島昭夫大使に主催団体の会長になってもらい、外務省の大先輩の苅田吉夫大使、在日トルコ大使館、下関市など多くの機関の協力を取り付けて、3月19日イスタンブールと姉妹都市関係にある下関市のオスハン・スヨルジュ記念園で立派な献花式が執り行われました。スヨルジュさんは、テヘランに飛んできてくれたトルコ航空機の機長さんです。『あなたも主催団体の幹部メンバーに』とのご要請もあったのですが、私は和歌山県は引退の身だからと辞退させてもらい、現在の知事になってもらうのが良いのではとアドバイスして、和歌山県知事が主催団体の副会長になってくれました。
献花式の模様は、多くの内外メディアでも報道され、これを見た人はもちろん、日本とトルコの友情に改めて思いを致すでしょうし、外務省などが今後の外交の場でこのことをうまくお使いになれば、日本とトルコの友好関係の増進に必ず役に立つと思います。越さんたちはこの献花式の模様をネットで公開していますから、詳細はそちらを見てください。
トルコ航空機によるテヘラン空港邦人救出事件は、日本人が感謝しなければならない話の一つですが、世界の国々の中にたくさんの同様な実例があると思います。和歌山県でも、戦後まもなくのころ、紀伊水道で嵐の中、火災を起こした徳島県の漁船の乗員を助けようと海に飛び込み、自らも力尽きたデンマークのマースク社の貨物船のクヌッセン機関長の話がありまして、地元の日高町、美浜町をはじめ和歌山県の心優しい人たちが今でも毎年クヌッセン機関長の栄誉を讃えて慰霊祭を行っています。私も、知事在任中に一度、デンマークのクヌッセン機関長の故郷を訪ね、遺族とともにお墓にお参りしてきました。このことは、在日デンマーク大使館やデンマーク外務省もよく認識してくれていて、時々駐日デンマーク大使が慰霊祭に出席のために和歌山を訪問してくれて交歓に努めていました。でも、もっと多くの実例が存在すると思われるのは、逆に日本人が相手国や相手国の人々のために尽くした事例です。トルコの場合はエルトゥールル号事件でありますし、ほかにも台湾でダムを造って農業生産を飛躍的に向上させた八田与一さんの話、リトアニアでユダヤ人に日本行きのビザを発行し続けた杉原千畝領事の話などたくさんのものがあります。最近ではアフガニスタンで灌漑施設を作ろうとしている最中に非業の死を遂げた中村哲医師の話など枚挙に暇がありません。これ等ほど有名で特徴的ではないとしても、企業戦士として外地に赴任して、任国に産業の芽を植え、任国の人に慕われている数多くの人々、そんな多くの人々の数限りない献身と努力が、日本のソフトパワーとして、その後の経済活動や外交や様々な対外関係に強力に作用していることを我々はもっと理解しなければいけないと思います。一番知らないのは我々日本人。外国の人に同胞の業績を言上げして自慢するのは問題なしとはしませんが、相手国の人も知っていて、それ故に日本を尊敬し、日本人に親しみを持っていることを、肝心の日本人が知らなければ、これ等の持つソフトパワーを利用することは永久にできません。
越さんは、この点でも意識が高く、『日本人が知るべき親日の歴史』という小冊子を作っておられます。過去の日本人が外国人に対してなした、私も知らない心温まる立派な行いを集めておられます。私はこれを見せてもらった時、まさにこれだ!と思いました。外交の場でも、民間同士の交流の場でも、我々がこれらの事実を知っていて、相手が知っていて感謝をしてくれるときは静かに微笑み、相手が知らなかった時には傲岸に聞こえないように細心の注意を払いつつ相手にこれ等の事実をインプットする、その際日本人とはこういう人たちなのですよと静かに付け加えれば、効果は満点でしょう。日本人はそういうことに素晴らしい心と能力をもっています。経済力で影響力を行使するという技がだんだん使えなくなる中で、このような話は日本の大きなソフトパワーとなって行くでしょう。
越さんの上記の冊子をもっとずっと大きくしたような、こういう事例を集めたデータベースを、外務省かその関連団体が作って、内外の人が誰でも見られるようになっていれば、ある国に赴任したり、その国と大事な交渉事がある日本人が、これを参照して知識の一端に加えておけば、それこそソフトなパワーとして役に立つことは必定だと思います。また、日本に興味のある外国人が参照してくれれば、日本という国のイメージアップにどれだけ役に立つかわかりません。そう思って、私は外務省にこういうデータベースはありますかと聞いてみました。答えは、国ごとの情報の一環として、その国との外交関係を所管するそれぞれの課にはあるかもしれないが、統合してデータベースになっているものはないし、ましてや外務省の外の人が利用できるようなものはないというのが外務省の見解でした。私がこのことを調査してもらった人は大変心ある人で、私が説くこの手のソフトパワーについては理解するので、一度越さんを紹介してください、外務省の中で関係の深そうな人を連れていきますと言ってくれていたのですが、多忙が理由でしょうか、いつしか沙汰止みになってしまいました。
私は、少ししか外交官をしたことがないのに偉そうなことを言うのは気が引けるのですが、その前の経済産業省における対外政策における経験も含めて思うことは、外交や通商政策は、今現に従事している人の努力だけでなく、これまでの経緯や歴史、民間の方の活動も含めて日本や日本人が相手の国に対してどう関わってきたかの総合力で成果の出るものだということです。
したがって、日本人がその国にどう貢献したか、尊敬を勝ち得ているようなことは何か、逆に相手国や相手の国の人が日本や日本人にどんな素晴らしいことをしてくれたかということに対する情報発信をもっと彼我の国民に発信すべきであると思います。そのためには、そういう情報の入ったデーターベースを作成して内外に広く問えばよいと思います。それは、ひょっとしたら、タコ壺型、または縦割り型の思考方式に陥っている人が万一外務省や日本政府にいたとしても、それを参照するだけで、そのような弊害から免れる手段にもなるでしょう。越さんのたった一人の努力は、本来日本政府全体で取り組むべき仕事に敢然と挑戦しているものと言えると思います。