この間の参議院選挙で、政権党である自民党が惨敗したので、目下自民党内を中心にして、石破総理は敗北の責任を取って早く総理の職を退けという要求が強くなっているようです。私が物心がついた時から、国政選挙は何度も観察しているので、今回のように政権党が大きく議席を減らすという結果になったことはめったにないし、ましてや、にもかかわらず、そのリーダーが責任を取って直ちに職を辞することなく、頑張ってもっとやるんだと言っているということは、前代未聞です。したがって、責任を取って総理の座を降りよと言うのは良くあることだし、ましてや、今回は当選された人も大変な逆風の中を当選したものと思いますし、多くの方が落選しているので、苦労した人、職を失った人の怒りはすさまじいものがあると思います。そういう時に、仮にその時のトップに責任がなくても、怒りはトップに向けられると思うし、今回の場合は、実際の問題の処理においても、トップに責任がないとは到底言えないでしょう。また、トップは責任を取るのが日本的美学かなと思います。私は2年前まで和歌山県知事でしたから、政府、政党の幹部の方々との仕事の上での関係がいっぱいありました。そういう方々とは、色々な経験をしましたので、それぞれの方の「立派さ」も「くせ」も分かるようになりましたし、純粋に政府の行政の遂行者として、向いている人も向いていないと私が思う人もいます。したがって、今繰り広げられている「政治劇」についての私の意見はありますが、この和歌山研究会のメッセージで語る話ではないと思いますので、控えます。そもそも政治と選挙には関与しないと公言してしまったものですから。
当たり前かもしれませんが、総理の顔はメディアによく登場します。ましてや、最近のように、選挙があったり、政局が風雲急を告げたりという時はなおさらです。石破総理の顔をそういうメディアでみていて、人相が悪くなったなあという思いがいたします。前々から顔に贅肉がついているような感じで、個人的感想としては二枚目とは言えないような思いがありましたが、お話はとても上手だし、大いに愛嬌もあって、「悪人面」とはとても言えないと思っていましたが、最近テレビに映る総理のお顔は悪人面のように思えます。独特の三白眼も、昔はご愛敬だったのに、最近は本当に悪いことをしている人の顔のように見えます。でも、本当に悪いことをしているというのではなくて、総理の職の重みと緊張感がこういう顔を作ってしまうのではないかというのが私の考えです。
むかし、佐藤栄作という総理がいました。長く力を持った人で、沖縄返還などのレールを引いた大物総理だったと思います。もともと顔立ちがよくて、世の中で、歌舞伎役者の市川團十郎さんになぞらえて「団十郎総理」と言われていました。しかし、総理在職中は、やはり結構厳しい目つきをしていて、佐藤総理にその大きな目でぎょろりとにらまれると怖かったのではないかと思います。その佐藤総理が、ちょうど私が通産省に入るころに後進に道を譲られ、総理の座を田中角栄さんに譲られました。(後任が田中総理というだけで、別に佐藤総理が後任を田中総理にされたわけではありません。)そうしますと、佐藤総理の顔つきがいっぺんに柔和になられて、本当に團十郎のようになってしまわれたのでした。もともと男前でいらっしゃった方ですが、髪を伸ばして昔の総髪のようにされて格好いいなあとミーハーのように思ったのを思い出します。
そして、今度は田中総理です。総理になる前は、今太閤ともてはやされて、はつらつとした元気いっぱいの二枚目で、明るい表情でしたが、総理に就任後は元気は元気でも明るさがなくなったように思いました。ましてロッキード事件の発覚で追い詰められてからはうんと顔つきが厳しいものに変わったような気がします。田中総理に関しては、やめてからもさぞや不愉快な思いをされているだろうなという境遇が続きましたから、明るく、柔和な表情はついに取り戻せなかったように思いますが。
このように、総理になると顔つきが厳しくなって、どちらかというと悪辣な表情になる、そして引退すると急に温和な、優しそうな、明るい、顔つきになる、というのが私の主張です。やはり総理の背負う責任感や一旦つかんだ権力を離さないように握りしめていたいという執着心は大変なものがあるのでしょう。
地方では知事や市町村長にも理論的には同じ現象が起きそうです。私も知事をしましたので、現職の時と辞めてからは顔つきが変わったでしょうか。私は少し変わっていたのか、知事の座に居続けることを目標にして仕事をするのはやめようと思っていましたが。でも、紀伊半島大水害の時や、コロナ対策の時や、和歌山にとっての大ホテルの再建を邪魔しようとした人たちを吹き飛ばした時は、おそらく私の顔は阿修羅のようになっていただろうなと苦笑を禁じえません。ただ、自分の顔はよくわかりませんから措くとして、他県の知事で現職時代と引退後で顔つきが顕著に変わった方は不幸にして知りません。あるいは、総理のようには緊張感を覚える仕事ではなかったからかもしれません。とすれば、それぞれの県民の皆さんに、もっと緊張感のある仕事をすべきであったかと反省をすべきなのかもしれません。