リーダーよアホであれ

 タイトルは、経済産業省の先輩一柳良雄さんの評伝の表題です。
 一柳さんと昔から交友のあるジャーナリストの片山修さんがお書きになった本です。一柳さんは経済産業省(通産省)の私よりも6年先輩で、1998年退官をした後、多くの人が従う役所の就職あっせんを断って、中小企業ベンチャーの育成を志し、2年後(株)一柳アソシエイツを創立され、事業を軌道に乗せた異色の方です。異色と言えば、その経歴だけではなく、とにかく明るくて、人懐っこくて、まったく堅苦しいところはなく、おまけにすぐ下ネタを連発して、「ちょい悪おやじ」とか「パンツを脱ぐ男」とか言われるといった、世間一般で思われる官僚像から完全に離れた、異色中の異色の、人間的魅力に溢れた方であります。

 一柳さんには私はずいぶんお世話になりました。通産省に在職中からです。お世話になったというよりは、言葉は悪いのですが、かわいがってもらったというのがぴったりです。仕事でもご指導も頂いたのですが、ずいぶん遊んでいただいた記憶があります。色々と連れ回していただいて、立派な方にもご紹介くださり、遊びのさなかに、ともすれば跳ね返る私をいさめて下さったりで、感謝の気持ちでいっぱいであります。一柳さんもそうですが、立派な通産省の先輩は、当時は「よく学び、よく遊べ」ならぬ「よく仕事し、よく遊べ」という風潮でした。カチカチと仕事をするだけではなく、スマートに遊び、その中で多くの人脈を築いている人が英雄のように思える時代でした。私も、一柳さんのほかにも、そういう先輩が身近にいらっしゃったので、大いにあこがれたものですが、性偏狭にして、真面目一徹の私にはとても真似が出来ません。残念な気持ちもありましたが、無理に真似をするのもどうかと思いなおして、「石部の金吉」路線で行くことにいたしました。しかし、今でもそういう先輩は素晴らしいと心の中で尊敬しています。そういう時代でした。
 ところが、時代が急に変わりました。大蔵省の不祥事などをきっかけに、仕事もよくできる一方、大いに遊んでいた官僚が世の中から指弾されるようになりました。遊ぶこともできなかった私などは蚊帳の外でしたが、「英雄」の一人一柳さんは大いに逆風を受けました。私から見るとそんなに遊び好きとは思われない人が、「英雄」たちの仲間入りをするためにあえて無理やり遊びを演じて見せた結果、この時代の変化で損をしたケースも知っています。その中で、一柳さんは、私などは大いに意外でしたが、早期に退官され、その後、天下りを良しとせず、独自に事業をされているということをお聞きし、さらに、その事業がどんどん軌道に乗って、現在の一柳アソシエイツに至っていることにつけても、一柳さんは本当の「英雄」だったんだと思います。

 私は、退官後、日本貿易会でほんの少しお世話になった後、和歌山県知事になりまして、何とか和歌山県の勢いを取り戻そうと県勢の全般にわたり、新しい試みをどんどん進めました。その一つが「プレミア和歌山」です。和歌山県の企業は中小企業が多く、なかなかのものを作ったり、サービスしたりしているのですが、いかんせん企業規模が小さいので、販売、営業に掛ける資源が足りません。ましてや日本だけではなくて、市場は世界を相手にしなければ生きていけない時代になっているのですから、ここは県がまとめて、和歌山企業の販売促進を買って出ようと考えて始めたのが、プレミア和歌山です。識者からなる委員会による厳正な審査によって、その製品の品質も、販売体制も、企業体質も良い上に、和歌山らしい特色を持った商品、サービスを選び出して、それらに、私が考えに考えてひねり出した「プレミア和歌山」と言うレッテルをつけて、まとめて売り出していこうという試みです。私は、このプロジェクトが成功するのもしないのも、審査をしてくれる委員会の委員長次第だと考えました。知名度が高く、人望も人脈もある上に、中小企業を売り出してやろうという情熱を持った人でなければならないと思い、名称と同じぐらい考えに考えて白羽の矢を立てたのが一柳さんです。一柳さんは、「そら、もうからんなあ」と、彼一流の諧謔を述べながら、かわいい後輩のために委員長職を引き受けて下さいました。このプレミア和歌山は、和歌山の中小企業にとって選出されることが大変な目標になり、結果として、その経営改善や販売促進を進めることになりました。それも、初代一柳委員長、二代残間理恵子委員長始め熱心に審査に取り組んで下さった審査委員の方々のおかげです。また、残間さんのご友人で世間の知名度が極めて高い方々のご協力のおかげです。残念ながら、この大いに成功したプレミア和歌山の制度は、私が引退した後、「政治家としては別の新しいものを作りたい。」と思った次の知事によって廃止されてしまいましたが、多くの中小企業の方々の心に経営を前に進めて行こうというマインドを植え付けることに大いに役立ったと信じています。それは一柳さんの存在なしにはあり得なかったことだと思います。

 また、一柳さんは、一柳アソシエイツの看板事業となっている「一流塾」を始められました。毎年一回これぞと思う企業家を集めて、その人がさらに大成し、世に羽ばたけるように、きわめてインテンシブな教育をされています。実は和歌山県でも、若手経営者やこれから起業をして経営を始めようとする若者を集めて、経営に関する知識、ノウハウ(知識編と言います)と先輩経営者の生きざまを体で学んでもらう(心がけ編と言います。)「和歌山塾」を少し遅れてではありますが始めました。実は、私が知事になった時からこの構想は真っ先に心に抱いていたのですが、近隣で、他の地方公共団体の首長が自らの政治勢力を作るために、何とか塾と言うのを作るというのが流行っていたものですから、そういううたかたの存在と混同されては片腹痛しと考えて、しばらくの間、そういった「塾」が消えてなくなるまで待っていたものでした。さてそろそろと考えた私が最も着目していたのが、尊敬する一柳さんがやっておられる「一流塾」でありました。そこで、私は一柳さんにお願いして、上京した時、特別に一流塾の講義を傍聴させてもらいました。生徒である企業家の方たちも緊張感があって素晴らしいし、講師陣も素晴らしい方々が、一柳さんの人徳でしょうか、協力参加しておられて、これはすごいと思いました。おまけに、一柳さんがご自身も舞台回しに熱弁を振るわれて、これは生徒さんが伸びるなあと思いました。私も知事職の時ですから、聴講できたのは一日だけでしたが、お聞きした授業の中では、ミスミの三枝匡さんの話にとりわけ心を揺すぶられました。冒頭の一柳さんの評伝「リーダーよ、アホであれ」にはこの一流塾のことが、一柳さんの思いも、三枝さんの名講義も、卒塾者さんたちの素晴らしい軌跡もたっぷりと載っています。和歌山県の和歌山塾は、もちろん一流塾とはコンセプトもいささか違うのですが、国づくり、地域づくりのためには人材を育てなければいけないという一柳さんの思いは十分に継承させてもらったつもりです。中には、和歌山塾を卒業した若手経営者の卵がその後一流塾に入ってもっと鍛えてもらった例もありましたし、私もお勧めした覚えもあります。ただ、この和歌山塾も、プレミア和歌山と同じ理由で廃止されてしまったことは和歌山県のために残念だと、塾生OBである多くの若手経営者に聞きました。

 そういう一柳さんのお創りになった一柳アソシエイツの25周年記念パーティが9月25日に東京のホテルでありました。私もご招待を頂いたので、参加をさせていただきましたが、素晴らしいパーティであったと思います。参加者はみんな一柳さんの人柄にほれて、と言うより、あの下ネタ連発の人懐っこい人柄を愛して集まった方々であったと思います。創立当時から応援をしてこられたミキハウスの木村社長をはじめ、沢山の方々がとても心に刺さるスピーチをされました。抽選の結果同席になった私のテーブルの方々も、みんな年齢も肩書も違う方々でしたが、一柳さんって面白いという共通の気持ちで集まった方々であると思いました。
 でも、私は知っています。一柳さんがああ見えて、ものすごくまじめで、努力家で、詰まっている人であるということを。それを下ネタや人懐っこい笑顔や冗談でうまく包んで、人を魅了している人であることを。通産省の頃、実は「一柳さんの檄詰め」と言うのが下の人々の共通の認識であったのですが、その檄詰めの結果を一柳さんはうまく使って、立派な成果に結びつけておられました。でも、本当に驚いたのは私のテーブルにお座りの年配の女性経営者も全国チェーンでビジネス展開をしておられる男性経営者も、「そうなんですよ、ああ見えても一柳さんは本当はものすごく細かいことまで分かっていながら、あの独特のパーソナリティーでそれを包んでいるんですよ。」と、ちゃんと分かっておられることでした。ものすごく賢い人が、人一倍勉強をして、よくよく詰めまくって、その上で、冒頭の本のタイトルで言えばアホをやっている、それが一柳さんであると思います。・・・どうかこんなことを言っても怒られませんように。

 そんなことを思っている時に、思い出したことがあります。私は中学一年生の時に担任の先生から「馬鹿になれ」とおそわりました。今は亡き種田先生と言う方ですが、和歌山大学附属中学校の一年の時の担任の数学の先生です。私をとてもかわいがってくれたうえ、そのことに今でも感謝していますが、勉強の方法を教えてくださいました。ここでは述べませんが、私の性格や能力から見て最も自分に合った勉強方法を教えていただいたと今でも感謝しています。その先生の教えが「馬鹿になれ」です。その教えは常に私の頭にあるのですが、実は今でもその教えを会得したような気がしません。ずっと分からなくています。「馬鹿になる」と言うのはどういうことなのだろうとずっと考えています。どうも、馬鹿になれていないような気がします。でも、ひょっとしたら、一柳さんの「アホであれ」と同じなのかもしれないなと、パーティーから帰り、冒頭の本を読みながらそう思いました。そして、一柳さんこそ「アホである」ことを実践している人なのだろうなあと思いました。

 皆さん、この一柳良雄さんの評伝、「リーダーよ、アホであれ」(片山修著 東洋経済新報社)を是非お読み下さい。