このところ行政の長とか芸能界の人気者とかが不祥事を起こし、引責辞任に追い込まれることが多く目につきます。パワハラもあったし、学歴詐称というのも大騒ぎになったし、セクハラも目につきます。そういうのが露見しますと、たいていは、マスコミが寄ってたかって叩き、そういう事件を起こした人の一挙手一投足を追いかけて、レポーターが「責任をどう取るんですか」とか、「辞職するんですか」とか言葉を投げかけているところを映像で報じるというケースが多いようです。報じられる方も報じる方もあまりいい風景ではないと私は思います。そのうちに当事者が記者会見に及び、多少の説明をした後、「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げるという場面が繰り返し報じられます。
こういうのは、どうもあまりいい気分がしません。したがって、あまり見ないようにしていますが、見ないようにしようと、チャンネルを変えてもどのチャンネルでも同じ記者会見の場面が報じられています。えらい人、有名人の非行はえらいニュース価値があるのだなあと感心しています。
もちろん私も、あの人は何をしたんだろうとか、興味がないことはないので、一応報道をフォローするのですが、例えばセクハラについて言えば、セクハラの対象になった被害者がいるわけで、この人たちの今後を考えたら、我々が知ってはいけないことが沢山あると思います。したがって、「へー、そんなことがあったのか」というところで、私は興味を持つのをやめています。大新聞やテレビ局はそういうところは少し弁えているようで、そんなに詳しい事件の追及はしないようです。一方、ネットなどでは沢山の情報が飛び交い、そんなことをワイワイ言って何がうれしいかと眉をひそめていますが、ひょっとしたらその中にはとんでもない虚報が混じっているかもしれません。
こういうところを考えると、どうも日本人は、有名人を引きずりおろして喜ぶ癖があるなあと思ってしまいます。不祥事が明るみに出る前は、とりわけ芸能人の場合など、逆に大変な人気者で、なんであんな人がもてはやされるのだろうと思うようなことが多かった記憶がありますが、不祥事が明るみに出たとたんに手のひら返しで、大変な悪逆非道の大悪人といった扱いです。昔古代ローマでは罪人の公開処刑というのがよくありました。中には罪人を埋めておいて普通の市民が石をぶつけたり、首をのこぎりで少しずつ引いたりして死に至らしめるというひどい話があったのです。日本でも、これほどひどくはなくても、獄門磔は公開です。今はこんなことはないようですが、有名人が不祥事を起こして叩かれている報道がかくも視聴者の興味を買っているところに、昔のような残酷な仕打ちに通じるような人の心があるように思います
考えてみると、我々はこういう不祥事を起こした人たちをいったい何をもって評価していたのだろうかと思います。芸能人は面白かったり、芸が上手かったり、かっこよかったらいいのであって、不祥事など起こすはずがない聖人君子だと思ってテレビを見ている人はどのくらいいるのでしょう。政治家や行政の長は、いい政策をきちんと実行してくれたらいいのであって、これまた、そのほかの局面で一片の誤りもないような道徳性を期待する必要もないように思います。人気の芸能人がマスコミの世界で幅を利かせて、結構羽目を外していろんな武勇伝を残しているなどということは昔からよく聞く話で、そこで生きていく若い女子アナウンサーや女優の卵さんなどは結構大変だろうなーと思っていましたが、不祥事が明るみに出て言われていることは、エデンの園のような汚れなき世界をこの芸能人が汚したのはけしからんといった調子で、少し違和感があります。
それに特に政治家や行政のトップが、この不祥事以外に、どんな貢献をそれぞれの分野でしているのか、あるいはそういう本来の分野でもいわく付きの、無能な人物であったのかというようなことが語られることはあまりありません。政治家や行政の長のような人の評価のより大きな分野は、本来の政治や行政における働きのいかんではないのかと、(あまり多数派ではないと思いつつ)私は思っています。
それなのに、なぜ不祥事の追及ばかりに熱中するのかについては、うがった見方をすると、本来の政治や行政の世界は結構理解し、説明するのがむつかしい世界であって、報道する側もよくよく勉強しなければならないのに対して、不祥事、スキャンダルの世界は話がごくごく単純で、そんなに勉強しなくても、たいていの人が取材し、報道できるという事情があるからなのではないかと思います。我々の生活に直接影響をを及ぼすのは、本来の政治、行政の世界なのにねと同時に思います。
私が徹底的に指弾すべきだと思う点は、被害を受ける人が逆らえないような状況でセクハラやパワハラを受けたというケースです。
加害者のほうが権力を持っているか、本当に権力を持っている人が加害者の人気、利害関係などを考慮して、被害者に圧力をかけたので、被害者が抵抗が出来なくなってしまったというケースです。某有名人がテレビ局のアナウンサーに対して起こしたけしからん行為はまさにこのケースのようで、こういうのは大いに指弾されるべきだと思います。しかし、見ていると、ボコボコ叩かれて、地位も収入も失ったのは人気者の芸能人で、その蛮行を「幇助」したテレビ局の内部の上司たちが同じような目にあっているかというと、こちらは結構甘いなあと感じることもありました。
政治家も行政のトップも芸能人も、みんな個性があるので、石部金吉派もちょい悪おやじ派もいるわけですから、不祥事が明るみに出た時だけ、その人を聖人君子のモラルで指弾するのはどうかと思います。ただし、地位を利用して、蛮行を行ったり、それを分かっていて幇助したりすることは明らかに卑怯者の所業ですから、報道機関もそれだけは許さないという態度で、加害者をたたかれたらよろしいのではないかと私は思います。それとウソをつくのはいけません。ばれた時は10倍返しだぞという態度で臨むのが記者会見をする方にもそれを報じる方にも望まれるのではないでしょうか。
最近もっともびっくりしたのは福井県知事の杉本さんがセクハラ系の不祥事で辞任すると発表されたことでした。この人ならやりそうだなと思うような人も、特に芸能人などには多いのですが、あの杉本さんがと思って驚きました。私も知事としての同僚でしたし、福井県は関西広域連合のオブザーバー構成員でしたので、一緒に仕事をすることも多く、私より年下ですが、どこから見ても立派な知事だなあと思って接していました。特に北陸新幹線の建設促進の案件では福井県知事と関西広域連合長は一緒に仕事をすることが多く、杉本知事の手腕にはいつも感服していました。そのほかの産品の売り出しなどの戦略に関しても、なかなかのものだなあと思うことがあり、県民の方からの人気も高そうで、よそから見ていては分からないことが多いかもしれませんが、このような不祥事で杉本知事を失うというのは福井県にとっても損失ではないかと思います。いったい彼が何をしたのかは、知る由もありませんが、彼が記者会見をして、陳謝し、知事辞任まで発表するぐらいですから、明らかに不祥事があったことは事実でしょう。しかし、それが先ほど申し上げたような「優越的な地位を利用しての卑怯な行為」であれば、徹底的にたたくべきではあろうと思う一方、単純な過ちであるとすれば、事実を公表して、謝って、大いに反省しながら今まで以上に立派な県政を続けられるということにならなかったのかなあと実は思っています。
過ちを犯した有力者をみんなが寄ってたかって叩くという今の世の習いはどうかと思います。
私は幸い知事時代にこのような目にあったことはありません。部下のセクハラを処分したり、パワハラを譴責したり、不正行為を働いた職員を処分したりしたことはありましたが。ただ、自分ではセクハラはまずやりっこないなあと思っていますが、これも、セクハラか否かは相手の人がどう思うかによって決まるそうで、そんな気は毛頭なくてもセクハラに該当してしまう恐れもあります。そういう知識はこれまでの研修等の知識から弁えていましたから、注意はしていましたが、と言っても生来のうっかりものですから、大丈夫だったかとやれやれという気持ちです。一方、パワハラは、結構怒ったりするので、危ない、危ないといつも心配していました。怒ってしまった後は当該職員は大丈夫かといつも気にしてフォローはしていましたが。さらに、行政の長にとって、気を付けなければいけないことは公私混同です。贈収賄のようなことは論外ですが、24時間が公務でもある行政の長にとっては、どこまでが公で、どこまでが私か結構難しいものがあります。そういう時周りにいる部下がよく注意してくれました。とてもありがたかったと思います。それは公ではなくて私だからやめた方がいいのではという諫言に対し、でもこれはこういう理屈だからと結構論争したこともあります。でも、そういう直言居士を私は煙たがったことも、遠ざけたこともありません。また、自分の行動は一切隠しませんでした。部下は私が何をしているかを完璧に知っています。だから遠慮なく言ってくれたのだと思います。すべて和歌山県庁という組織といささかは上司を守るために行ってくれるのですから。そう思ってずっと感謝しています。
しかし、どう気を使っていても、本人も周囲も間違うことはあります。よこしまな気持ちがあったり、暴力的な言動を常としていたり、執拗に誰かをいじめたり、うそをついたり、自己の個人的利益を追求したり、権力を笠に着て自らの欲望に身を任せたりといった道徳に反する行為は許されるものではありませんが、水中犬に石をぶつけるように、過ちを犯した人を追いかけ回すのはそろそろやめにしたらどうでしょうか。反省して、同じような過ちを二度と起こさないで、本来のいい仕事にもっと励むチャンスはさし上げたらいいのにと思っています。