10月27日総選挙が行われました。何回かぶりに自公連立与党が過半数を割り込みました。私はもとより政党に所属したことはありませんし、知事を辞めてからは、自ら、選挙には自分は出ませんし、人の応援もしませんと公言してしまったのですが、国民の一人でありますので、今回の総選挙結果やその前に繋がる様々な政治プロセスには大いに関心があり、興味と憂慮を持って見ていました。そうすると、今回の政治プロセスに関してはどうも変だなあと思うこと、よく分からないなと思うことことばかりでした。
第1に、岸田総理が辞意を表明され、自民党で総裁選びが行われました。自民党と言っても国そのものとは別物ですから、どういうプロセスで総裁を選ぶかは自民党の組織の問題で、私のような部外者が口出しをする問題ではありません。しかし少なくとも当時の自民党は国会で単独過半数を持っていましたから、その総裁は、当然総理大臣という国の行政のトップになるのだから、国民は皆大いにそのプロセスも含めて関心があるところです。総裁選の経過で党に対する信認を増やすこともあるでしょうし、それを失わせることもあるでしょう。実際は、たくさんの方が総裁選に立候補されて、そのプロセスはゲームみたいに見えて、それなりに国民の劇場的関心を引きつけたと思います。むしろ私が問題にしたいのは、青山繁晴参議院議員がずっと前から総裁選に出るのだと多くの場で公言しているのに、新聞やテレビの伝統的メディアが黙殺したことです。それはひどいのではないかと私はこのメッセージにも書きました。たくさんの言い訳があるでしょうが、全部事実を持って否定されます。どうせ推薦人が集まらないだろうからという点に関しては、青山さんと同じように推薦人が集まらなかった他の候補もこういうメディアではどんどん顔写真入りで紹介されていました。立候補表明がネットなどで、オールドメディアではなかったからという点に関しては、未だ記者会見も開いていないのに取材によって候補者として紹介された候補者もいましたから、青山外しは理由になりません。参議院議員だからというのは憲法に反します。自民党員の方が衆議院議員の方がいいと思うかも知れませんが、それは第三者のメディアが判断すべきものではありません。
第2に、これは前からずっとそうですが、メディアでは次の総理に誰がいいですかと言うアンケートをよく行って発表していました。誰とは言えませんが、いつも上位に入っている人が何人かいます。私は職掌柄、この中のかなりの人と実際に仕事の上で接触がありました。その時の自分の経験で見ると、何でこの人が国民の人気が高いのかなと思う向きもありました。あの人は言うだけ番長でちっとも汗をかいて実行してくれないのになあとか、あの人は部下の人達に理不尽な行動をしているようだけれどそれでも国民には人気があるんだなあといった具合です。このような調査は、自民党支持者ないし自民党員を対象にしてだけでなく国民一般をも対象にして行っていて、双方の結果が公表されていました。私の記憶によると、両者にそう差はなかったように思います。ところが、自民党総裁選が始まると、こういうアンケート結果を反映していそうな自民党の地方票も随分風向きが変わりました。人気の高かったある候補はあまり票を取れなくて下位に沈んでしまいました。それではアンケートで次の総理大臣候補として人気が高かったのはいったい何だったのだろうかと、思うところもありました。
第3に、石破総理とアンケートなどで国民の人気があまりないと言われていた高市早苗さんが上位二人に選ばれ、石破総理が逆転勝利を収めるのですが、この決選投票はほとんど自民党国会議員の投票で決まるわけで、メディアや政治評論家がたくさんその背景を語っている一方、私はまるで知見もありませんので、申し述べることはありません。しかし問題はその後です。石破総理はもともと上記アンケート調査などで、人気が高かった人ですから、国会で首班指名を受けて組閣をして石破内閣が発足した当初は、メディアの報じる支持率もまずまず高かったと思います。石破総理にすれば、支持率の高い内に総選挙をして政権基盤を強くしておこうと考えたと思いますが、批判もありました。それは石破総理がじっくり国会でまず議論をすると総裁選挙の時に語っていたのに、いきなり選挙というのは何事かというものでしたが、一方まずは国民の皆さんに民意を問いたいのだということもわかりやすい大義名分のようにも聞こえます。政治資金規正法上の不記載を犯して、裏金議員というレッテルを貼られてしまった議員を公認しなかったり、比例復活の対象から外したりと思い切った行動に出まして、私なんどはえげつなく厳しいなあと思ったものでしたが、それも裏金議員として悪の権化のように言われている人を厳しく扱う方が選挙戦で有利だろうという考えであったと私は推測しました。それで選挙が始まったわけですが、あっという間に風向きが変わりました。選挙戦半ばで支持率20%台という報道がなされて、前に報じていたことと全く違うではないかと思いましたが、そこからこのような動きがどんどん加速して、あの結果となりました。選挙は国民のもっとも大事な政治的権利ですから、これが全てなのですが、あんなに国民の間で次の総理として人気が高いと言われた石破総理が本当に総理になった途端にあっという間に支持を失ってしまうと言うのはどういうことなのかと言うのが私が一番感じたことです。
私なりに考えますと、石破総理はいつも自民党の中で、党内野党のような立場でしたから、メディアからは少し同情的な扱いを受けていたようにも思います。メディアはどうも批判を持って自らを律することをその存在意義としているようです。権力にあるものに好意的な報道をする者は御用○○として蔑まれてきたように思います。そうして、今はこれが批判の対象だと思ったら、そればかり、しかも、ほとんどのメディアが皆同調的に報じます。私は批判は大事だと思いますが、大事なことは時の権力や有力者を批判することより、批判精神を大事にすることではないかと思います。したがって、批判精神からすると、メディアがこぞって時の権力を批判したり、その手法として、わかりやすすぎて問題もあるキャッチーな言葉で同じことを言いつのると言うことにも、ひょっとしたら批判精神を向けてもいいのではないかと思います。戦前の報道機関が皆軍国主義礼賛になり、国民を大いに煽っておいて、戦後になると今度は戦前のものは全て悪として、軍部や戦前からの政治家や官僚、勢力のあった財界人などを悪の権化のように叩く一方、自分たちが正義の味方のように振る舞ってきたのは、私から見ると、戦前と同じように、戦後も批判精神がない証拠ではないかと思います。平和は絶対に大事ですが、その達成のために抑止力の効果や防衛力の強化を主張する人を、軍国主義の手先であるかのように言って、分かり易いレッテルをつけて批判し続けるということは、考えてみれば軍国主義一点張りになった戦前の報道機関とある意味では一緒ではないかとすら思います。このようなメディアの主流の考えが、安倍総理や高市さんのような考えの方には、とにかく風あたりが強く、その反対の人や万年反主流派であった石破総理のような人には少し温かい報道態度で接すると言う現象を生み出したのではないかと思います。その極致が青山参議院議員の総裁選立候補の事実の不報道に繋がったのかも知れません。私はかつて、ジャーナリストの飯田浩司さんが書いた「「反権力」は正義ですか」と言う本を読んで感心した思い出がありますが、反権力が支配しているメディアの世界でこういうことを堂々と語る飯田さんこそ、ジャーナリストの批判精神の持ち主だと思いました。
今回の選挙の結果は、今まで時の権力に遠かった人が、権力には何でも反対したいメディアの影響力の元に、いつも好意的に報じられるがゆえに、次の総理として人気があったと考えたら、その人が権力を持った瞬間に好意的に報じてもらえなくなり、支持を失うことも理解できるような気がします。一方、メディアが裏金問題、裏金議員といったシングルイシューを問題視して、流し続けることは全く変わりません。国民はこのフレーズをずっと聞かされているわけですから、これら相乗効果で石破内閣は惨敗したということも理解できるかなと思うようになりました。
さらに言うと、私は、法律の義務に違反して政治資金規正法の報告義務を怠った議員を弁護する気はありませんが、物事の本質は政治資金報告書への不記載で、記載されなかったお金を水戸黄門の悪代官のように不正に使用したり、隠匿したりすれば国語的に行って裏金という表現にふさわしいが、不記載金を全て裏金と言う表現で表すのはちょっとおかしいような気がします。これなども、権力に対しては常に批判を持って望むというメディアのイナーシャの所以でしょうか。ただ、自分の乏しい経験からすれば、記載したからといってこれといった不自由はないのに、どうして記載しなかったのかなという疑問は残っています。
大ジャーナリストを自認する人の発言などを聞いていると、自分の望ましい権力構造や社会秩序を作ろうとして努力したといったことをよく耳にしますが、そういう人は政党人になって、その理想を実現したらいいのであって、メディアという一見中立的な砦に隠れて自己の意志を実現しようとするのはいかがなものかと思います。メディアの本分は真実を伝えることであって、自分たちのよいと思う秩序を実現するために世論を誘導することではありません。もちろん機械のような存在になれと言うのは無理で、メディアも自分たちの意見は言ってもいいと思いますが、そこは社説、論説の世界があるではありませんか。一般の報道にこと寄せて自分たちの理想に世論を誘導したり、自分たちが嫌いな、都合の悪い情報は報じないという自由はないと私は思います。日本は平和な島国に優しい国民があまり対立をしないで暮らしてきた国ですから、特に同調圧力は高いと思います。メディアもだいたい各社各記者同じことを言います。しかしその日本を守るためにも、皆でよってたかって、一つのことを叩いてある方向に国民を誘導することはそろそろやめにしたらどうかなあと私は思います。ただし、そのようなメディアの作ろうとする世論にただただ流されて行く人間になるかならないかは、結局は我々一人一人の批判精神にかかっているのでしょう。