ちょっと前から話題の、北村滋さんの「外事警察秘録」を読みました。現代史に残る様々な出来事に外事警察の一員として、また大幹部として係わった北村さんの経験が語られていて大変興味を持って読ませて頂きました。その中で、私自身の経験も含めてもっとも印象的だったのは、第12章「特定秘密保護法案に職を賭した」でした。2013年当時、この法案は大変な社会のホットイシューで、当時の野党の人達はこれは治安維持法の焼き直しで、日本が戦前のような軍国主義の国家に戻ってしまうと大反対で、マスコミも反対の大合唱であったと思います。私は自分自身の国家公務員としての経験から、国家機密を盗もうとするスパイを処罰する法律もないような国は信じられないし、盗まれた方の公務員が処罰されて、盗もうとした外部関係者がお咎めなしなんてとんでもない国だと思っていましたので、文句なしに賛成でした。しかし、あのときの状況は、おそらく法律の中身を読んでもない人が憶測と被害者意識ないしは被害妄想で反対と唱えたら、本当にそうか、ほんまかいなと調べてみる人がいなくなるという、私に言わせると日本社会最大の欠点が露呈した事案だったと思います。とりわけジャーナリズムの責任はとても大きく、戦前の大本営発表に乗ってしまった反省で、今度は政府のやろうとすることはすべて悪で、国民をだまそうとしていて、戦前の軍国主義への反動に繋がると決めつけてしまうという傾向のもっともよく表れた一例だったと思います。考えてみると、ほんまかいなという自制と検証なしに特定の情報に寄りかかるのは戦前も戦後も同じだと私には見えてきますが。そんな中で、内閣情報官として、この法制の必要性を誰よりも認識し、勇気を持って法の制定を安倍総理に進言し、法案作成に取り組んだ北村さんはえらいと思うし、世の中で反対意見が反政府の大きな動きに繋がることも分かりながら、この法案を担いだ安倍総理もえらいと私は思います。北村さんは、本の中で、北村さんは、「法案が成立せず、廃案となった場合には、内閣情報官の職を辞すると決め」ていたと書いてありました。北村さんがこのような覚悟を決めなければいけなかったあの時の状況は何だったのだろうと私は思います。そして、そんな中でも、関係者の献身的な努力によって法案は成立しました。そして10年、その後の日本の社会で、この法案によって、どこで、あのときに言っていたような言論封殺が起こったでしょう。この法案によって、どこで、戦前のような軍国主義が復活したでしょう。少なくとも私はそのような事実はもちろん、そうなったという意見も聞いた事はありません。あれだけ反対した人達に、私は聞いて見たい、どのような根拠であなたは法案にあんなに反対したのですか。そして、それが正しければ、法が制定された今、あなたが恐れていたような不都合な事実がいっぱい現出しているはずなのに、どこにそのような事実があるのですかと。時は移り、風は変わり、あれほど反対が起きたのは何だったのか、それが間違っていたことは事実によって証明され、そして、人々は口をつぐみ、反対したことさえ忘れる。そして、自分は間違っていたという反省を述べ、謝罪をする人は一人もいない。
最近の世の中の動きを見ていると、私はこういうことばかりのような気がします。懸念を表明する人はいてもいいと思いますが、少なくともそういう人は事実を持って、その懸念の根拠を説明しなければなりません。しかし、反対と声高に唱える人やジャーナリズムは、おそらく、その反対の根拠となる事実を把握すらしていないのではないか、この特定秘密保護法案で言えば、法案の条文すら見たことがない人ばかりではないかと私は思いました。私は当時県知事で、和歌山県の人々を幸せにするための行政の責任者という立場からは、本件は自らの責任領域を超えていましたので、それほど公的に発言はしませんでしたが、一個の日本人として、法案の条文ぐらいは見る責任があると思っていました。そして、その結果として、世の中で反対と唱えている人達のどこにその正当性があるのかと大いに疑問を持っていました。でもそんなことなどお構いなしに、一度作られた反対の風はどんどんと広がり、この法案のどこにそんな危険がありますかなどと言う意見を言うような人を、軍国主義者とか右翼反動とか言って、弾圧をすると言うのが通例です。そして時が過ぎて、そのような反対の意見が杞憂であったことが事実を持って証明されてみると、そんなことを言ったことなど忘れたように誰も彼も黙ってしまうというのが通例です。
でも、あのとき、さすがに、私も知事の仕事と関係が薄いからといって黙っておけなくなって、メッセージをホームページに書きました。その時、県庁のホームページに載せるのは県政と遠いのではばかって、後援会のホームページにのみ載せました。その時の状況がよく分かってもらえると思いましたので、このメッセージを以下再掲します。2013年12月23日のものです。
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先般県議会で高田由一議員が質問に入る前に次のような発言をされたので、ビックリしました。
『先日、国会では特定秘密保護法が国民の反対や不安を押し切って強行採決されました。特定秘密は我が国の安全保障にとって著しく支障を与える恐れがあるなど広範かつ曖昧な要件で政府が指定し、何が秘密かも秘密です。
私たちもこの県議会でオスプレイの訓練の問題などを取り上げましたが、特定秘密とされれば質問することや答弁することもできなくなるのではないでしょうか。
議会制民主主義の根本が脅かされます。特定秘密保護法の成立に強い抗議の意思を表明するものであります。』
さすがに、議場からは、『特定秘密とされれば質問することや答弁することもできなくなるのではないでしょうか』という下りで他の議員から「そんなことあるかい!」というヤジが飛びましたが、日本の多くの方々がこのような議論が自然に口に出てくるような理解をしているという事が私は気になります。
マスコミの報道を見ていますと、本当にそのように、大変な秘密主義を政府が新たにとるようで、民主主義に対する警察国家、独裁国家の挑戦のように思えてくるのですが、「ほんまにそうかいな」という事を少し勉強してみました。
その結果、次のようなことが分かりました。
1. まずこの法律で何らかの行動が制約されるのは、特定秘密を指定したり、保護したり、解除したりしなければならない官庁とその職員、防衛産業や分析企業のように特定秘密を国から提供を受けて取り扱う企業とその従業員、それに秘密を盗み出そうとする人だけですから、上記以外の人が特定秘密になっている事であろうとなかろうと、どんな議論をしても関係はありません。だから和歌山県議会でどんな議論をしても何の影響も受けません。
2. 特定秘密とは、この法律の別表に載っている防衛、外交、特定有害活動及びテロリズムの防止の4分野に限られていて、しかも、その中味がかなり限定的に列挙されています。ちなみに、その全文を巻末に付けておきます。したがって、私が前にいた経済産業省が取り扱っている経済情報などは関係ありませんし、まあ、せいぜい安全保障貿易管理とか武器技術又は防衛産業関係ぐらいかなあと思います。
それが、一部の新聞などでは、国民生活の隅々まで秘密にされて国民が被害を受けるような例(忘れてしまいましたが)を上げて反対の雰囲気を煽っていましたが、どこからそういう話が出てくるのでしょうか。私は、マスコミの報道で、この限定列挙が報じられているのを見たことがありません。
3. もともと公務員は、様々な秘密に接します。このため、公務員法で守秘義務がかかっていまして、これを漏らすと処罰されたりして、大変な不利益を被るのです。しかし、何が秘密で何が秘密でないのかということは結構判断が難しく、あんまり客観的なルールや統一的な手続きがないので、担当の官僚が自分たちの判断で、取扱注意とか「秘」とか「極秘」とかの扱いを決めているのです。最近は各省でもう少し統一的に扱いを決めようとしていますが、やはり、それぞれの役所限りです。したがって、限定4項目ではありますが、今回の法による手続きの方が、より手続きが厳格化、定型化されている結果、世に言われる官僚によるところの勝手な情報隠しから遠いことになると私には思われるのです。しかし、これまた、報道は官僚による情報隠しになるぞの一点張りです。
4. 実は、今回の法で決定的にこれまでと違う所は不正な行為で公務員から情報を盗もうと思った者を罰しようとしている所です。法第二十四条は次のように書いています。
第二十四条 外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。
3 前二項の規定は、刑法その他の罰則の適用を妨げない。
漏らした公務員は、公務員法で元々罰せられるのですが、今までは、漏らさせた人にはお咎めがありませんでした。すなわち日本は、スパイには天国のような国だったのです。私は、他はどうでもよいのですが、この点だけは、この法が絶対に必要な理由だと思います。それでも思想信条の自由な民主主義の国日本らしく、スパイと言えども、公務員の正義感に訴えたり、自国の思想や立場を訴えて同情に至らせて特定秘密を盗んだ者は無罪放免です。国家の安全保障という観点からは少しルーズすぎるかもしれません。
多分この点は、報道の自由、取材の自由という観点から、報道機関や評論家のような人が問題視したのでしょう。しかし、いくら、真実を報道するためとは言え、法律にあるような不正な方法で情報を入手して良いのでしょうか。しかも国家の安全保障に係る限定された秘密を。実は、報道サイドからの批判を防じるためでしょうか、本法案は国会審議の過程で修正されています。不正な方法で特定秘密を取得したら加罰という事だけでよいのに、わざわざ『外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、』という限定をつけているのです。すなわち、外国のスパイとお金儲け目的とテロ以外は、どんな不正な情報入手をしても罰を受けないという事になってしまったのです。私はこれもやり過ぎだと思います。例え、真実を国民に報道するという大義目的があろうとも、法に書かれているような不正な手段を弄して情報を入手していいのでしょうか。
昔毎日新聞N記者事件というのがありました。私は報道をしたいという記者の情熱は批判しませんが、もし、始めから利用する目的でこの記者が外務省女性職員に近づいたとしたら、その行為は報道の自由という大義名分では消せない許せないことだと思います。(ただ、この記者と女性職員との関係がどういうものであったかの真実は色々と見方があるようです。)
私の理解は大筋以上のようなものですが、長い間役人をやっていて、法案作成もいくつかやらせてもらった私からすると、この法はちょっと変だなと思うところもあります。
それは、以上述べた加罰の限定のかけ過ぎに加え、次のような点です。
① この法律の大事なところは、前述のように第24条のスパイ等への処罰規定であるとすれば、本則に何も規範を述べないで、いきなり罰則の章でそれが出てくるという事は、あんまりエレガントとは言えません。本則で不正な事をして盗んではいけません、また、その前提として特定秘密は漏らしてはいけませんと書くべきではないでしょうか。こういう正々堂々の意思表明が、国民にこの法律を正しく理解してもらえることにつながると私は思います。あるいは、法律的にはエレガントではないかもしれませんが、公務員法の加罰を前提にして情報を盗みに行った人だけを加罰とするという単純な法律でもよかったという気がします。
② 法律では、特定秘密を取り扱う公務員と提供を受ける企業の従業員へのいわゆる「身体検査」が長々と書かれていますが、私は日本の公務員については怪しいと思う職員は、特定秘密を取り扱うような職に就けなければよいし、現にそうなっていると思うので、不要だと思います。余計な検査のための様式行為が増えるだけだと思うからです。想像ですが、こういう条項は多分米国の受け売りではないでしょうか。米国は、上級の公務員はほとんど政治任命のいわば臨時雇いですし、下の方の公務員もあまり終身雇用的ではないので、怪しい人をチェックするにはいちいち厳格な身体検査がいると思うのですが、一旦何かあるとすべてを失う我が国の公務員の場合は必要ないと思います。一方、特定秘密を受託で受け取る民間企業の従業員については、その都度対象者が変わるのだからひょっとすると一部必要かもしれませんが、もう少し簡素な手続きでよいのではないかという気がします。
③ また、この法律の説明資料などに、米国などから情報をもらう時にこの法律が必要なんだとやたらと強調している所が気に入りません。日本は日本なんですから、日本のために安全保障情報が盗まれること自体がいけないのです。
以上のような問題はあると思いますが、私はやはりスパイをやっつける法律はいるのではないかという点を阻却するような問題とは思えません。
本件に関する限り、私の感じからすると、その報道ぶりとそれによって生じていると言われている「世論」は少しオーバーではないかと思います。
重ねて言いますが、私のざっとした記憶では、マスコミの報道で、秘密が限定4項目に限られるという事と、今までとうんとちがう事はスパイや不正情報盗人を処罰できるようになった事だという事と、それも外国スパイとお金儲けとテロの目的で不正な方法で入手するに限るという事の3点を報じた記事、ニュースは見たことがありません。
だから、高田議員のような発言が出てくるのではないでしょうか。先の戦争の頃我々は、新聞報道などで「大本営発表」を流され、人心を軍国主義、戦争礼讃に向かわされました。今また我々は別の角度からの「大本営発表」にさらされてはいないでしょうか。そういう時には「ほんまかいな」と言って大勢とは別の意見をつべこべ言ったりする人は、迫害されるのですが、でも、日本国民すべてがいつも「ほんまかいな」という気持ちでいる事が大事だと私は思います。
本問題は県政とは直接関係ない事ですので、県の行政メディアで流すのははばかられますが、後援会はメンバーの方々と何でも意思疎通を図るものですから載せさせていただきました。
【別表】(第三条、第五条―第九条関係)
一 防衛に関する事項
イ 自衛隊の運用又はこれに関する見積もり若しくは計画若しくは研究
ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ 防衛力の整備に関する見積もり若しくは計画又は研究
ホ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物(船舶を含む)の種類又は数量
ヘ 防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法
ト 防衛の用に供する暗号
チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階の ものの仕様、性能又は使用方法
リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法
ヌ 防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途
二 外交に関する事項
イ 安全保障に関する外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容
ロ 安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出若しくは輸入の禁止その他の措置又 はその方針
ハ 安全保障に関し収集した条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報 その他の重要な情報
ニ ハに掲げる情報の収集整理又はその能力
ホ 外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号
三 特定有害活動の防止に関する事項
イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止(特定有害活動の防止)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ 特定有害活動の防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ 特定有害活動の防止の用に供する暗号
四 テロリズムの防止に関する事項
イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(テロリズムの防止)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ テロリズムの防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ テロリズムの防止の用に供する暗号 —–
このように法案をちゃんと読んでいれば、少なくとも、反対論者が力説していたような、そしてマスコミに流れていたような危険性は考えられないというのが論理的な帰結です。そして、法制定から10年が経過して、その論理的帰結が誤ってはいなかったことが証明されています。逆に言うと、反対、反対と声高に唱えていた人が間違っていたことが証明されています。私はこれまで、反対を唱えたリーダーである当時の野党の政治家やジャーナリズムをやり玉に挙げて論を進めてきました。しかし、最近、もう一つの罪深い事例を発見しました。それは教師が教壇またはそれに匹敵するような所から、このようなきちんと事実を持って確かめられていない説を学生に吹き込むと言うことです。学生はいくら優秀な者でも、教師に比べれば、知識において劣るし、何よりもその立場からは、教師の言を理解し、受け入れなければならない特別な権力関係の下にあります。その立場を利用して、学生に自らの政治信条を教壇から説くことは卑怯であり、慎まなければならないとは、マックス・ウエーバーがつとに力説していることですが、その当時、(具体名を挙げるのはさすがに本人に気の毒なのでよしますが)、某大学の某学長が、こともあろうに、晴れの卒業式に全卒業生を前に、この法案の危険性を説いたのでした。その内容は、大略、何が秘密かも知らされていない特定秘密保護法は、戦前の治安維持法と同じだから、学生の学ぶ権利の侵害になる、学びの自由への抑圧になると説いて、この法案に抗するのが自分の義務だとおっしゃったのでした。私は、この人も法案を読んだことはないなと思いました。法案を読んでいればそういう結論は出てこないからであります。しかし、もしそうであれば、教壇で自己の心情を特別な関係にある学生に吐露するのは卑怯だというマックス・ウエーバーの非難に加えて、学問の世界に生きて、学問に仕えるのが使命の大学教授が、非難する対象をよく理解もしないで、すなわち批判する法案の中身も確かめもせず、しかも、真理を追究すべき学問の府の最高の晴れ舞台で、そのような発言をするのは学者の名に悖るではないかと言う点で、もっともいけないことだったのではないかと思います。