今年のお正月に飛び込んできた最もびっくりするニュースは、米軍のベネズエラ急襲とマドゥロ大統領の拘束、米国への連行であります。最近はそうではないことがいっぱい起こりますが、私のような世代が生きてきた世界は、世界には国際法というものがあって、一応皆守っているか、守っているようなふりをしている世界でした。特に日本のような民主主義国家は、それを遵守することを当然の前提で行動していたし、それを守らない国家に対しては「法の支配」を守るように仲間を語らって要求し、場合によっては仲間と組んで経済制裁など何らかの制裁を課すということをしてきました。また、軍による侵略など実力行使をして領土を奪ったり、係争地を一方的に我がものにしてしまうことは、力による現状変更だとして、日本などはやはり仲間を語らって非難し、時に制裁などに訴えることをしていました。最近までは、日本のお仲間には大抵米国がいて、西側先進国がいましたから、世界の対立軸は、西側の民主主義を信奉する資本主義国、対民主主義を認めない独裁国家で主として社会主義国という形で、後者はよく権威主義的国家という名で呼ばれていました。(私は変な言葉だと思っていますが。)
 当然ロシアによるウクライナ侵攻は主権国家への侵攻ですから、法の支配への挑戦だし、典型的な力による現状変更と言うべきでしょう。当然、世界中のほとんどの国が、これを非難したし、親ロシアの立場を崩すと危ない国は、非難は避けつつも早くやめてくれないかなあという気分でいたように見えました。もちろんごくわずかな国、北朝鮮などはロシアに協力して、派兵までしています。また、南シナ海にたくさんある小さな島や岩礁は、中国と東南アジア諸国との領土的係争地でしたが、ちょっと前、中国が軍事力を背景に、片端から領有の実効支配をしてしまいまして、その後は港や飛行場を建設して軍事基地化をしてしまいました。オバマさんと言う優しそうな大統領がいたアメリカが手を出さないだろうと見切った中国の電光石火の行動でした。こうなってしまっては、中国という強国と戦争でもしない限りもう覆水盆に返りませんから、日本やASEAN諸国が、力による現状変更はよろしくないと遠くの方で言っていても事態は一切動きません。
平和が大好きで、正義の味方の日本にとっては、なかなか現状を変えることはできないが、「法による支配」と「力による現状変更反対」は大変自分たちにとって大変快く主張できる原理であったと思います。また、日本だけではなく西側自由陣営の共通の行動哲学でもあったと思います。もちろんアメリカもです。

 ところがそのアメリカが、1月2日に何と主権国家のベネズエラに軍事侵攻をして、その大統領を拘束してアメリカに連行してしまいました。これは国際法違反であることは明らかでしょう。アメリカは、当初この拘束の理由を麻薬をアメリカに持ち込んでアメリカ人を害した罪によりと発表していましたから、麻薬取引は自国民が被害にあっている限り、どの国でそれを仕掛けようと、被害発生国の犯罪として処断できるという法律論が広く認められている所なので、それもありかなという考えもありうるかもしれません。しかしその場合でも刑事訴訟手続きに関しては、領土的主権を有する国がその執行を認めなければ明らかに国際法秩序に反することは誰も異論がないのではないでしょうか。したがって、一国の大統領を軍事力を使って国から連れ出すということは、正当化することはできません。ましてや、すぐにトランプ大統領が発表したところによれば、米国はベネズエラの石油をコントロールして、その利益をベネズエラ国民にもより多くもたらすが、米国の利益も追求すると言ってしまいましたから、麻薬犯罪に関する法的正当性など、どこかに吹き飛んでしまいます。その昔、ベネズエラで操業していた米国石油企業が時のベネズエラ政府に接収されて損害を被ったので、これを取り返すのだとも言われていましたが、その元の行為は行政の不当な行為であり、その損害を返せということは私法の領域であって、これを取り戻すために他国を侵犯するというのは、少なくとも「法の支配」の領域を逸脱しています。

 これは本稿の論旨からははずれますが、米軍の行動はまたあざやかな!と愕然としました。思い返すと、カーター政権の時代に、テヘランで、本来治外法権であるはずの米国大使館が革命勢力に占拠され、外交官としてその安全が国際法上守られているはずの大使館員が拘束されるという事件が起きました。これなど、今回のマドゥロ大統領より、国際法的に見た時の犯罪性はずっと高いと思います。そこで、米軍は直接行動に訴え、ヘリコプター部隊がイラン領空を侵犯して、大使館員の救出に向かいました。結果は見事に失敗。砂漠の砂嵐でヘリコプターの何機かが墜落し、人質救出作戦は惨憺たる結果になりました。それに比べると今回の軍事行動は何たるあざやかさかと少々その方面にも関心がある私には思えました。爆撃するだけならそう難しくないし、大々的に地上部隊が侵攻するのなら、その犠牲はともかくやれないことはないと思いますが、少数の部隊がピンポイントで相手国のおそらくもっとも堅固に防御されている施設に突入し、そこを制圧し、その中にいた国家元首をあっという間に拉致してしまうなどどうしてそんなことが出来るのであろうと私は思いました。私が思うくらいですから、各国のインテリジェンスや軍事機関はびっくりしたと思いますが、世界中の独裁者はぞっとしたことでありましょう。

 かくて、日本とともに協調して「法の支配」と「力による現状変更への反対」を唱えてくれていた米国が、自分でやってしまいました。これは日本の外交当局にとっても大変なショックであろうと思います。世の中はきれいごとでは済まないことが沢山あるのですから、こういう事態が起こることはある意味当然と言えば当然であります。しかし、これまでのようにきれいごとが、多くの同盟国でも一応は通った時代とは明らかに違う局面に世界秩序が変わってしまった中で、日本はどう生きていったらいいのか、とても難しく、大変な時代になってしまったということは確かでしょう。

 また余談になりますが、今回の米軍侵攻をニュースで見て、はるか昔の出来事を思い出しました。その一つは、レーガン大統領の時代1983年に米軍がグレナダに侵攻したことです。少し前にこのカリブの島国でクーデターが起こり、強圧的独裁者の行為によって、在米留学生の安全が確保できないからという理由であったかと思いますが、周囲の国々、すなわち東カリブ諸国機構(OECS)の要請を受けて、OECSとの共同軍事オペレーションとして侵攻が行われています。当時私は米国との貿易摩擦対策に従事していて、中曽根首相の登場とともに、米国の空気が変わってやれやれと思っていましたが、中曽根首相と蜜月であったレーガン大統領がいきなり他国に攻め込んだのを見てぞっとした覚えがあります。どうも米国とはそういう国のようだと今更ながら思います。ただ、この時は、今回と違って、OECSという周りも固めていて、仲間も作ってから実力行使をしたという違いがあります。
 さらに言えば、この後しばらくしてから、米国は同じようなことをパナマに対してもやっています。1989年12月にジョージH.W.ブッシュ大統領の率いる米国が、麻薬を米国に輸出する元締めだとして、パナマの時の支配者ノリエガ将軍を逮捕するためだと称して、パナマに軍事侵攻をしました。そして、ノリエガ将軍を拘束して米国に連行しました。確かノリエガ将軍は、米国で裁判にかけられ、今も刑に服しているのではないでしょうか。ノリエガ将軍は、元は米国の協力者として、麻薬取り締まりに当たり、米国の麻薬取締局から感謝状を貰ったこともある人だとどこかに書いてありましたが。このケースなど、今回のベネズエラとそっくりです。違うところは、ベネズエラの石油に対して、パナマはパナマ運河の水運が米国にとっての重大な利害だったのでしょうが。

 ロシアはウクライナに侵攻し、イスラエルはガザに侵攻し、イランを空爆するし、米国も追随するし、中国は係争地を力ずくでわがものにして軍事基地を作るし、我々日本人が好きな平和と話し合いなど通用しない世界がどんどん広がっています。西側自由陣営はそれに対して、「法の支配」と「力による現状変更に反対」で結束していたと思ったら、その盟主のはずの米国が自ら力による現状変更をし、法の支配など知るもんかという態度で、これまた、日本人が好きな大義名分など主張できなくなってきました。そう言えば、トランプ関税も、WTO、ガットという米国も締約国に名を連ねている国際条約など知るもんかという態度です。法の支配など米国が真っ先に壊しています。さらに心配なことは、トランプさんが率いる米国はこれまで築き上げてきた友好国との同盟関係をほとんど考慮していないように見えることです。その極端な例は、トランプさんがデンマークの自治領であるグリーンランドを米国が保有すべきだと主張していることです。確かに、安全保障的に考えると、グリーンランドがロシアや中国の影響下に入ったら、米国は北から大変な軍事的脅威を感じるだろうし、その資源を中露に支配されたら国際秩序が変わってしまいかねないとは思いますが、同じNATOの参加国の領土をよこせなどということは想像を絶します。

 日本は、法の支配、力による現状変更反対、さらには、米国との強固な同盟関係を基礎に国の存立を図ってきました。本当は、以前から、そんなきれいごとで生きていけるかなあ、いざことが起こったら本当に米国は日本を助けてくれるのだろうか、米国の利害だけで行動して、日本など見捨ててしまうのではないかという疑いを、よほどきれいごとの好きな人を除くと、日本人の多くは感じていたと思うのですが、それが本当に現実に心配になってきました。
 本当にこれからは国の舵取り、特に対外的な関係構築は難しいなあと思います。安全保障の観点から言うと、日本が攻められない国になるためには、核の抑止力を持っていなければならないのではないかと、おそらく多くの人が感じ始めていると思います。最近そういう検討もしなければならないと個人的には思うと、オフレコで語った政府関係者の発言が報道上の約束を破って新聞に報じられて、問題になりましたが、触らぬ神には祟りなしでは済まない時代になったような気がします。しかし、日本人は言霊信仰の国の民ですからそういうことを言うことを嫌います。私も実はそうですが、そうとばかりは言っていられないとも思います。でも、同時に、核を自前で持つことに対しては、上記のセンチメント以上に、懸念があります。それは日本人の同質性を重んじる性質です。日本人は、何か不都合が起こった時に大多数の人々が同じ方向に向かって走り出し、核使用についても歯止めがかかりにくい国民なのではないかと思うからです。私の好きな「へそ曲がり」な人が現れて、流れに抗して、危険性を指摘し、多くの人も、それにまずは耳を傾けてみるという、これまでになかった成熟した行動パターンが定着してくるといいけれど、と私は思います。しかし、世の中の流れは、ネット社会の進展とともに、全く逆の方向に進んでいて、ある感情がネットを通じてあっという間に大多数の人の感情になってしまうことがよく起こっています。そういう時に、感情だけならば、そのうち消えてまた別の方向に世の中が走り出すこともありますが、決定的な手段を持っていては、その流れの中でその手段を行使してしまえばどうなるでしょう。解がないのは申し訳ありませんが、随分難しい世界になってきました。