プロジェクトXより-その2 ボスフォラス海峡海底トンネル

 前回はNHKのとてもよい番組であるプロジェクトXに、珍しくこれはどうかと思う番組があったので噛みつきましたが、今回紹介するのはいつものように感激するいい番組で、少し前に放送されたトルコ・イスタンブールのボスポラス海峡に海底トンネルを作る話です。ただ単にいい話だったというだけでなく、私が和歌山県知事として、資金集めに奔走した映画「海難1890」の成功の裏にあった背景に気づかされた番組であったので、ひときわ印象深い番組でした。
 ストーリーは、万年車の大渋滞で苦しんでいる巨大都市イスタンブールの救世主として、イスタンブールをアジア側とヨーロッパ側に分けるボスポラス海峡に海底トンネルを作って地下鉄を通し、通勤、通学客をさばいて車の渋滞を緩和させようとする大変なプロジェクトを成功にこぎ着けた大成建設の方々のお話しです。なぜ大変かというと、ここは地盤が劣悪で、トンネルを掘削するのがとても難しく、そこで考えられたプレキャストのトンネルブロックを海底に敷設していく工法もボスポラス海峡の海流が速いために工事に難航を極めるという物語です。数十メートルもあるトンネルの外構を数十メートルの海底でつなぎ合わせていくのですから、話は容易ではありません。しかも速くて不規則に動く潮流の中でです。それを成功させた大成建設のプロジェクトマネージャー、現場の指揮官、設計者、トルコ側でチームのメンバーとして頑張ったトルコ人スタッフなど、大規模な建設工事にはつきものの多彩な人々が登場する、感動的なお話しでした。日本の建設会社の技術の高さと、日本人の頑張りとチームワークと、リーダーがいざというときには自分が一身に責任を取るという姿が描かれていて、とても好感が持てました。その好感は毎日渋滞に苦しめられているイスタンブールの人にとってはなおさらであったと思われ、そのことが番組でもよく描かれていました。そのことを示す名文句がイスタンブールのタクシー運転手から発せられていました。「日本人工事関係者は皆熱い男なんだよ。だから応援したくなるんだ。」

 ちょうどその頃、2010年6月に和歌山県串本町の紀伊大島の樫野崎で、1890年に和歌山県串本町紀伊大島の沿岸で嵐のために遭難したオスマントルコ軍艦エルトゥールル号にまつわる慰霊祭が行われていました。この行事は5年に一度、皇室はじめ内外の貴顕を迎えて開催されることになっているのですが、この年は遭難120年目を迎える年に当たるので、皇室からは今は亡き三笠宮寛仁親王殿下及び同彬子女王殿下がお見えになり、トルコからも政府や関係地域を代表する多くの方々が出席され、厳かな慰霊祭が行われました。トルコからは歴史的に有名な宮廷音楽隊が派遣され、儀式が華やかになりました。また、新潟のテーマパークで野ざらしになっていたトルコ建国の父ケマル・アタチェルクの巨大な銅像が樫野崎に移設され、その除幕式も行われました。
 そしてまさにその時、このエルトゥールル号の事件をテーマにした映画の構想が、田嶋勝正串本町長とその学生時代からの友人田中光敏監督から私に示されたのです。この映画を撮るには数億円からのお金が要るので、トルコ側にも半分出して貰うとしても、日本側でこの巨額の資金をどうやって集めたらいいか、是非協力して欲しいというお話だったのです。また、内容としては、エルトゥールル号の事件とその95年後イラン・イラク戦争の最中テヘラン空港で起こったトルコ航空機による邦人救出劇の双方を描きたいということだったので、これは日本とトルコの両国が歴史に残した最高に美しい物語だから、両国の一層の友好親善に役立つだろうし、世界中の人々に両国の素晴らしい国民性をアピールする材料にもなると、私はすぐにこの構想に飛びつきました。ただ、巨額の資金をどうやって集めるかが大問題です。そこで私は、日本の経済界の代表としてこの慰霊祭に参加しておられたトヨタの張富士夫会長に早速このことをお話をして相談しました。張会長もよく話を聞いて下さって直ちにその意義を理解され、「分かりました。トヨタは協力しましょう。トヨタで1億円、トルコと関係が深いA社は同額は出すでしょうからさらに1億円、後は少しずつ皆さんに出していただければ、日本側の3億円は何とか集まるでしょう。」と言われました。あらら!これは思いの外うまく行ったぞと私も思い、田嶋町長も田中監督も大喜びでした。
 こうして滑り出したエルトゥールル号事件の映画制作ですが、その後の展開は茨の道でした。この年の10月、私はエルトゥールル号事件120年の記念儀式をトルコで行うために田嶋串本町長らと一緒にイスタンブールやメルシン市を訪問しました。その時、その前の2008年に訪日された際串本まで足を運んでくれたギル大統領がイスタンブールで大統領別邸に我々を招いてくれて、本件は大賛成だ、制作費の半分はトルコ政府が出すと明言してくれました。ところが問題は日本側です。日本では映画制作のような事業に政府が丸抱えで費用を拠出するという仕組みにはなっていません。あくまでも民間の出資を仰いでビジネスとして行うということです。ところが2010年というと、2008年に起こったリーマンショックの影響が日本経済に本格的に及んできた年でした。トヨタももちろん、ほとんどの企業が大幅な減益に陥り、いくら日本のためとはいえ、ぽんと1億円出資などという芸当が到底出来なくなった年でした。それでも、張会長は出資をすると言った約束は守ると1億円は無理だが500万円を出すとコミットしてくれました。でもそのレベルのお金では到底足りませんし、トヨタ以外の各社の状況は推して知るべしでありました。一方この話を聞きつけた、善意にあふれる志高き人々は大いに盛り上がり、映画制作のために募金運動をするというのです。そのリーダーは、私の小学校以来の親友島村不二夫君であります。実際島村君達は行動に移し、募金活動を始めました。しかし、このような立派な篤志家と言えども個人が出す少しずつの寄付では到底必要額には達しません。私は、この映画をビジネスとして成功させないかと、折に触れてそういったことに近いビジネスをしている人を探しては説得に行きました。しかし、ある程度なら好意で寄付はしてもいいとは言いながら、この映画の製作を丸々引き受けて採算を合わそうという人はいませんでした。金策は尽きたかに見えたのです。
 それでも私は、アヒルの水かきと言いますか、何か機会があれば藁にもすがる思いで努力は重ねていました。かねて仕事で何回かお付き合いをし、よく存じ上げている横井裕さんが今度トルコに大使で赴任するので、トルコと縁の深い和歌山県から是非色々教えて欲しいと言われたので、最近の懸案の一つとして、エルトゥールル号事件とテヘラン空港事件を内容とする映画の制作が資金手当が付かず暗礁に乗り上げていることをお話ししました。私も自分が大使の時代にはそうだったのですが、外交上プラスになることなら、何でも動員して相手国の国民の心に訴えて、相手国と日本の親善を図ろうとすることが基本だと思うのですが、外務省の方がすべてそうとは限りません。前々から存在していたことより自分の代に新しく何かを付け加えることに頑張りたいと考える人もいます。現に私はある時期の駐トルコ大使に、「トルコというと何でもエルトゥールル号と皆言うのですが、私は別のことで日本とトルコの石杖を作りたい。」と言われて、まさにエルトゥールル号にゆかりの和歌山県知事に対してよく言うなあと思ったことがあったのですが、横井大使はそういう人ではありません。このエルトゥールル号とテヘラン事件という美しい話を両国の架け橋としてどんどん売り出すことに大賛成だと言って下さっていました。しかし、実現はほど遠く、2010年から2013年という年はこの映画に関しては苦節の年だったのであります。

 ところが、2013年10月、その時テレビを見ていた私はびっくり仰天、思わず椅子から飛び上がってしまいました。2013年10月、安倍総理が多くの財界の重鎮を引き連れてトルコを訪問して、エルドワン首相(当時。以下同じ。)と、エルトゥールル号事件とテヘラン空港事件の双方をテーマにした映画の日土共同制作をするという合意に達し、その旨を共同記者会見で発表したのです。安倍総理がトルコを訪問されることは一般的なニュースなどで存じ上げていたのですが、それなら、この機会にエルトゥールル号の話をお耳に入れておいて、あわよくばエルトゥールル号の映画を作る話に一役買っていただこうなどという知恵は、お恥ずかしながら当時の私にはありませんでした。総理外遊の時などは、外務省が中心になって首脳会談の内容などを諸官庁と相談しながら原案の形に整理して、総理にご進講申し上げて決めていくのですが、もちろん和歌山県など地方公共団体に意見具申の機会を与えられることはありません。したがって、和歌山県が映画の話を総理のお耳に入れたのではありません。おそらく当時官房副長官として総理外遊に随行していた世耕弘成参議院議員がインプットして下さったのだと推測していますが、合わせて、本件にとても熱心な横井裕駐トルコ大使も働いてくれたのかなと思いました。このように、両首脳が笑顔でこんな日土合作映画を作るんだと発表されたと言うことは、この美しい物語に安倍総理が共感を持って下さったことは間違いないし、トルコ側からも何らかの提案、働きかけがあったからに相違ないと思っていました。ギル大統領はじめトルコ側に言いまくっておいてよかったとも思いました。さらに良い事は、安倍総理はトルコに関係の深い経済界のトップを大勢引き連れてトルコを訪問しており、聞くところによると、その財界の方々は、本件合作映画に大変な盛り上がりを見せていたという話です。世はようやくリーマンショックから立ち直りを見せ始め、企業の業績は随分と改善されていました。その企業、特にトルコに関係の深い企業のトップが、日土合作映画に、両総理の前で大いに賛意を示したと言うことは、一度しぼんでしまった映画制作費用を集めるチャンスが再来したと言うことだと私は思いました。そこで、早速翌日から行動を開始しました。こういう話は「鉄は熱いうちに打て」です。でないと熱は冷めてしまいます。両総理の前で賛意を示した企業トップにすぐにその賛意をちゃんとした形にして頂かないと、あっという間に機運は失われます。そこで、私も一枚噛んで、と言うより前面に出て資金集め行脚を行うことにしました。まず、安倍総理がお決めになったことを実行しないと困るのは安倍総理官邸です。こういう時にはだいたい外務省は自分では動きません。そこで、世耕官房副長官に一肌脱いでもらい、資金集めに参加して頂きました。次は、トルコに総理とともに行かれて映画の合作制作に賛意を表明した財界人の方々ですが、その代表として、当時経団連のトルコ委員会委員長であってこの度の訪土メンバーの代表格であったIHIの釜会長を訪問して、一緒に資金集めに回って下さいとお願いしました。釜会長からはもちろん両総理の合意を実現するのは大事なことで、合作映画の資金集めも協力するが、経団連からは経団連トルコ委員長の肩書きで動かないようにと言うお達しが来ているので、皆を集めてお願いをすることは出来ない、個別にお願いすることにしようとのことでした。私は、国益であり、経済界の利益にもなる話なのに何のための経団連かとも思いましたが、じっと我慢の子で、かくして、世耕副長官、釜会長、仁坂の3人組で、トルコ訪問の企業トップをご訪問して、映画製作のための資金集めをすることになりました。実際は世耕副長官は1,2度を除いて代理の秘書、釜会長は名代としてIHIの幹部を派遣して下さり、私と3人で企業参りをいたしました。その頃私は上京をしたときは他の仕事もしながら、一日に何人もの企業のトップを回っていました。だいたいの企業の方は総理への義理もあり、出資に応じて下さるのですが、日本側だけで何億というお金を積み上げるのは政府に出して頂く5000万円や和歌山県からの補助金1000万円を足してもそう容易ではなく、結構な額の出資を各企業に仰ぎました。そして、ここで皮肉な問題が発生したのです。それは張会長のご厚意がかえってお金集めの障害になるという出来事でした。財界にもこういう時は秩序観があって、日本のトップ企業トヨタがこれくらい出すのなら我が社はその半分というような暗黙の了解があるのです。そのトヨタが、あのリーマンショックで経営状態が最悪の時に無理をして出していただいた500万円ですから、他の企業はトヨタさんを越えられないと、コミットして下さっていた1000万円を値切ってくるところが現れたのでした。まあ、それでもなにがしかのまとまった出資金は確保できました。そうこうしているうちに、東映が制作と配給を引き受けるということになりました。これは、あの2010年のエルトゥールル号事件慰霊祭の時の田中監督の提案が日の目を見ることが確定した瞬間でした。東映が乗り出すことが分かってからは、これ以上出資金をつのっても東映の採算をよくするだけだと思って、上記3人組のお金集め行脚は中止にしましたが、その後、この映画の制作がどんどん進み、素晴らしいものが出来上がったのは周知の通りです。2015年11月、出来上がったこの素晴らしい映画「海難1890」はイスタンブールのユルドゥス宮殿で特別上映され、この映画の最大のサポーターである安倍総理とエルドアン大統領が並んでこの映画を鑑賞されました。横井大使の秀逸なシナリオライティングが伺えます。そして12月待ちに待った一般公開の初日、和歌山では県民文化会館の大ホールをいっぱいにして、「海難1890」が上映されました。私も泣くまい、泣くまいと思っていたのに何度滂沱の涙になったことでしょう。ここで付言しますと、私のすぐ近くの席には、亡き夫の遺影を掲げて同じく涙に暮れている今は亡き畏友、あの島村不二夫君の夫人みどりさんの姿がありました。島村君は私の小学校一年生の時からの親友で、正義と倫理と人情に厚く、先述のエルトゥールル号事件の映画を作るために募金活動を主導した張本人で、映画の撮影時には病躯を押してエクストラで参加をし、映画の完成まであと少しという時期に映画を鑑賞することを願いつつこの世を去った男です。
 とまれ、この素晴らしい映画「海難1890」は、この世に生まれました。産みの親はなんと言っても安倍総理とエルドアン首相です。でもなぜ、あの時上手い具合に安倍総理がトルコを、しかも財界人を多数引き連れて訪問し、さらにはイスタンブールでエルドアン首相はもちろんイスタンブールの市民の大歓迎を受けたのか、実は私はこの話はうまく出来すぎているなあと思いつつ、そのからくりを最近まで知りませんでした。プロジェクトXの「ボスポラス海峡に海底トンネルを架けよ」を見るまでは。
 安倍総理は、私に取っては青天の霹靂であった日土合作映画の制作の発表をエルドアン首相としたとき、2011年に完成していたボスポラス海底トンネルを通る地下鉄道の開業式典・開通式典に出席するためにイスタンブールを訪問していたのです。この鉄道にかけるイスタンブール市民の期待と感謝は大変なものがあり、ただでさえ、エルトゥールル号事件などで高い日本への好感がこの鉄道の開通で最高潮に達したちょうどその時、安倍総理がイスタンブールを訪問されたわけで、両国の善意と親近感が最高に高まっていたからこそ、あのように劇的に、映画の制作がとんとん拍子に合意され、両首脳のあふれんばかりの笑顔の中で共同発表されたのだと私は今理解が行きました。今回のプロジェクトXは、私にとって、今まで少し疑問に思っていた、何であんなにすんなりエルトゥールル号の映画の制作のことが合意されたのかについての迷妄を取り払ってくれました。

 ボスポラス海峡海底トンネルの成功は、それ自体歴史に残る快挙だし、日本トルコ友好の架け橋になっています。しかし、それに留まらず、エルトゥールル号事件とテヘラン空港事件という日本トルコ友好の大事件を描く映画の制作にもよい影響を与えてくれたと思います。日本人が一つ頑張ればその影響はその場に留まらず、別の局面でも良い影響を日本と後世の日本人に与えてくれるでしょう。我々日本人もまた、外国で授かった恩義は忘れてはなりますまい。テヘラン事件がその最たるものです。でももう忘れている日本人、元々知らない人が日本にいっぱいいるのでしょう。トルコが1890年に示された和歌山の串本の紀伊大島の貧しい人々の真心と親切を何時までも忘れないようにするため、そのことをずっと教科書に書き続けて子供達に教えているように、我々も、外国に被ったいいことを(悪いこともそうかも知れませんが)忘れないように記録し、語り続ける必要があるでしょう。これらすべてを教えてくれたプロジェクトXはやはり素晴らしい番組です。もっと、もっといい番組をお作り下さい。NHK万歳。