和歌山県は紀州徳川家の本拠地です。時代劇などを見ているとなかなか勢いがあって、天下に名をとどろかせている感がありますが、現在の和歌山にはその名残がほんの少ししかありません。和歌山城は素晴らしい形状の天下の名城だと思いますが、残念ながら空襲で全焼してしまいまして、現在のものは戦後再建されたものです。しかも、当時の和歌山県の経済力はなかなかのものだったので、戦後いち早く再建されたのですが、燃えてしまったという記憶があったもので、コンクリート造りです。もとのお城は国宝に指定されるのもとても早かったのですが、コンクリート造りでは再指定もままなりません。紀州徳川家も色々な事情で記念の品々を手放していますから、名古屋の徳川美術館のようなものは期待できません。それでも、市民の間では文化芸術に親しむ気風は相当なもので、私が「習い事文化」と名付けているものが盛んなところだったと思います。明治以来、何度か経済力が強かった時代もあり、その時代に財を成した家庭がこの文化の担い手になっていたようです。その中から、音楽や美術や文学の世界では、すぐれた逸材が現れて名を挙げた人も大勢います。
しかし、私は今一つ文化の中心になるものが不足しているなあとかねがね残念に思っていました。そんな中10年前に縁があって、紀州徳川家先々代の徳川頼貞さんが心血を注いで集められた南葵音楽文庫の寄託を読売交響楽団から頂くことに成功して、ここに紀州徳川家ゆかりの記念物が和歌山に里帰りしたのです。
今年は、その南葵音楽文庫の和歌山への寄託10年、来年はその前身である南葵音楽図書館創立100年に当たる年なので、和歌山の市民の有志やゆかりの音楽家、それに行政が協力して、沢山の記念イベントが和歌山、東京はじめ各地で繰り広げられています。
9月14日にその流れをくむイベントの一つ「和歌山国際文化フォーラム2025」が和歌山市であり、主催者から招待していただいたのですが、最近は家内の世話であまり東京を離れられないのでごめんなさいと申し上げたところ、それでは記念パンフレットに載せるので、寄託時の経緯や思いを文字にせよと言う命令を受け、一文を提出しましたので、そのうち、南葵音楽文庫に関するところだけ以下に転載させていただきます。
『南葵音楽文庫を和歌山に誘致出来て本当に良かったと思います。和歌山は紀州55万石の本拠地で、それが私たちの誇りの一つなのですが、名古屋などと違って、そのことを留める記念物が和歌山市の養翠園などを除けばとても少ないのを私はいつも残念に思っていました。私は、和歌山に現にいる人だけでなく、何らかのゆかりのある人は、国内、国外にかかわらず大事にしようと思って、国内外の県人会などには出来るだけ顔を出し、その地で懸命に生きておられる方々を称えてきましたし、チャンスがあれば在りし日の和歌山の遺構も保存していこうと思って行政を続けてきました。危うく廃棄されそうになっていた、現存する唯一の江戸時代の武家屋敷の一部として長屋門を保存したのもその一つですが、名古屋東海地方で活躍されている和歌山県人を称えるために出席した東海県人会で大変魅力的な話をお聞きしました。お話しくださったのは、主として名古屋を中心に活躍されている読売新聞の天野誠一さんなのですが、天野さんによれば、「明治大正から戦前にかけて活躍された紀州徳川家の徳川頼貞侯爵の残された南紀音楽文庫が数奇な運命を経て現在読売交響楽団の所有になっているのだが、これは、侯爵がヨーロッパを外遊中に精力的に収集された近代音楽の貴重な資料であって、日本の近代音楽の夜明けを象徴するものだ。しかし、読売交響楽団ではその性格上この貴重な資料を近代音楽の研究に生かすことはできない。だから、紀州徳川家の本拠たる和歌山県で寄託を受けて、きちんと保存し、音楽史研究の用に供し、県民の方にもそれを見ていただいたらどうだろうか。」と言うことでした。私はすぐに飛びつきました。今の和歌山にあまり残っていない紀州徳川家の栄光を物語るものがあれば、そしてそれが日本全体の近代音楽誕生の嚆矢とも言えるものであれば、和歌山にとってこれほど名誉なことはないではないかと。そのあとの話は省略しますが、何せ大読売新聞ですから、実現までは大変でした。読売グループは、読売交響楽団の和歌山公演など大変なご厚意をお示しくださった一方で、今は亡き渡辺恒雄主筆のお許しももらうなど、大変な手続きを踏んだうえで、2016年南紀音楽文庫が和歌山にやってきました。何せ膨大なもので、ベートーベンの自筆楽譜などもある貴重なものですから、文化財的保護を擁するものは和歌山県立博物館、一般の閲覧に供したり、研究者が頻繁にひも解く必要のあるものは和歌山県立図書館にと分けて保存することにしました。また、美山良夫慶応大学名誉教授をはじめすぐれた研究スタッフもご参加いただいて、研究紀要を世に問い、市民の皆様にも広く公開されています。南葵音楽文庫の文化的意義は美山先生などによって大いに語られていますから、そちらにお任せすることにしますが、このように、南葵音楽文庫を寄託していただいた当初の目的が、その後の関係者のご努力で見事に花開いていると思います。これこそ、県民歌の一節に「文化を添えて」とうたっている和歌山県と和歌山県民の誇りだと思います。』
また、多くのイベントのうち、「南葵音楽図書館100年コンサート」が、10月2日及び3日に東京上野の旧東京音楽学校奏楽堂で行われましたので、思い切って体調のすぐれない家内を連れて参加させていただきました。お誘いいただいたのは、和歌山でもご活躍のピアニストの宮下直子さんですが、宮下さんの先生で、前東京芸術大学学長のバイオリニスト澤和樹さんはじめ、素晴らしい専門家の方々もご出演になり素敵なものでありました。この音楽堂は東京芸大ゆかりのとても格調の高い建物ですが、元々徳川頼貞さんがイギリスから取り寄せ、南葵楽堂に収められていたパイプオルガンが舞台の正面を飾っています。その日のコンサートではこのパイプオルガンの曲が大きな役割を演じていて、ものすごい迫力でした。また、南葵音楽文庫普及会の岩橋さんや、長谷川学芸員からとても格調の高い、かつ分かりやすい南紀音楽文庫や演奏される楽曲やその作曲家につぃての解説があり、素晴らしいものでした。我達は、家内の体調の問題で前半だけで失礼をしてしまって申し訳なかったのですが、それでも行かせていただいた甲斐があったと思いました。
澤先生、宮下さん、南紀音楽文庫の研究をご指導いただいている慶応大学名誉教授の美山良夫先生はじめ、この南葵音楽文庫・南葵100年の集いを企画し、盛り上げて下さっている和歌山県の市民の皆さんや協賛されている企業の方々に心から感謝を申し上げたいと思います。パイプオルガンの勇壮な音色に心を揺さぶられながら思いました。