私は小さい子供の頃からずっと昆虫少年です。70才を過ぎたおじさんが少年とは何だと言われそうですが、いくつになっても昆虫に憧れた少年の頃の精神を失わない人間と言うことで、昆虫少年という表現がぴったりな感じがします。逆にいい年をして、昆虫にうつつを抜かしている我が身を自虐的に表している表現でもあります。
マイフェアーレディーという映画を見ていますと、教養人のヒギンス教授の家には蝶の標本箱が壁に掛けられているのが見て取れましたが、昆虫を初めとする博物学は紳士淑女の趣味として、まずヨーロッパを風靡しました。NHKの朝ドラで有名になった植物学の牧野富太郎さんの時代から段々と日本でも博物学は盛んになり、戦後のちょうど我々の時代には、今では考えられないほどの昆虫少年などが大勢輩出しました。その多くは、アマチュアの愛好家です。蝶に限って言うと、ごくわずか大学に学者の研究者がいましたが、日本の蝶界発展と世界の分類学や生態学、さらには生物地理学などへの貢献はアマチュアの方々の活動なしには語れないと思います。私もずっと蝶などの昆虫に親しんでいますが、最近この世界の学会誌などを見ていますと、同世代のアマチュア愛好家のレベルは驚くべきものがあります。しかも、こういう昆虫少年は、自ら採集に出向いて、実地に自然や環境に親しんでいますから、環境保全などに対する知識も相当なものがあります。環境を守らなければ、もうあの虫たちは採れないのですから、人一倍環境保全の意識も高く、どうすれば環境を守って、虫たちが命をつなげるかに対して、並々ならぬ鋭い知識を持っています。ところが、環境を守る行政は、こういう昆虫少年のような人々がいないのか、どうも頭でっかちで、それは違うのではないかと思うような環境保全や種の保存の規制が横行しているような気がします。昆虫などはものすごく沢山の卵を産みますから、その種の生息環境が保全されている限り、そう簡単に種の存続が脅かされるわけではありません。しかし、開発や気候変動などの影響もあって、生息環境は脅かされ続いています。そうすると、種の存続も危なくなって、絶滅危惧種や絶滅種などが現れてくるのです。それは、とてもいけないことで、生物多様性の観点からも、種の保存のために何らかの規制を導入するという流れになるのです。しかし、多くの場合、行政には種の保存のためにその生息環境を守ろうという試みは稀有でありまして、ただ採集を禁止しようという規制ばかりだというのが私の正直な感想です。この辺も抜本的に変えていって貰いたいというのが私の正直な願いでありますが、衰退がある局面まで進んだ時には、種の保存のために採集を制限しなければならないということは否定できません。最近における「絶滅の恐れのある希少野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)による採集等の規制は、各論に及ぶと色々と批判はあるのですが、やむを得ないものもあると私は思います。あまりにも個体が減ってしまうと、今までのような自由な採集を許すと、採集の圧力でその種の絶滅にとどめを刺す恐れもあるからです。この法律は、採集を禁止するとともに、採集された個体の譲渡譲受を禁止しています。これはそうしないと、禁を犯して密漁してきた標本の売買を見逃してしまうからで、生きている個体の保護を阻害されてしまうからです。法に違反して採集した個体の標本も規制対象なのですよと明らかにすることによって、生きている個体の保護も目指そうと言うことだと思います。
しかし、この規制によって大変な問題が生じています。現在の希少種も、ずっと昔から稀少であったとは限りません。昔はその種が生きていた環境も今とは違っていて、その中には今は稀少になって絶滅の恐れがあるという評価をされている種でも、それこそあふれるほど多くいて、その時代の昆虫少年がその産地に行けばいくらでも採集できたというものが沢山あります。一例を挙げると、種の保存法で最近規制されるようになったゴマシジミという蝶がいますが、私が大学生の頃には中央線沿線の雑木林には結構いて、晩夏の頃にはその青い翅を輝かせてくれました。(ちなみにこの蝶は産地によって、随分と色調翅形が異なるので、今回希少種指定された中部地方産といっても、単一の亜種名でくくるのは全くもっておかしいのですが、環境省の希少種指定ではそうなっています。)しかし、生息地が宅地、畑、別荘地になり、一方で雑木林が利用されなくなったため、木々が生長しすぎて明るい下草環境がなくなり、この蝶の食草のワレモコウが沢山生えている明るい草地がなくなってしまったのです。このため、この蝶は衰退の坂道を転がり始め、さらには稀少になったが故に採集者が押しかけ、その採集圧でとどめを刺されそうになっているものと思います。したがって、絶滅の恐れが出てきた中部地方のゴマシジミを採集禁止にするというのは私は反対はいたしません。(本当はもう少し限定的に種指定をすべきであるとは思いますが。)しかし、現在の法の運用のように、ゴマシジミならば、昨日違法に採集したものの標本であっても、50年前に違法でも何でもなく採集されたものの標本であっても等しく規制の対象にされるのは、まったくおかしなことだと思います。でも、環境省の法律の運用はそうなっているので、昔昆虫少年、今昆虫老年の標本箱にある中部地方産のゴマシジミの標本は大変困ったことになっているのです。売買はもちろん、ただで友達に差し上げても御用となるのであります。唯一御用を免れるには大学や博物館に寄贈するしかないのでありますが、博物館のキャパはとても小さいのに、昔採集した標本はいっぱいあるので、なかなか引き取ってはもらえないのです。そして、もっと困ったことは、昆虫少年にも老いは忍び寄り、何時しか、その命も消えてしまうことであります。ちょうど、日本が高度経済成長をしていた時、昆虫少年も爆発的に増え、アマチュアによる日本の昆虫研究の水準が世界に冠たるものになったということを言いましたが、その担い手であって、少年の頃から採集に情熱を持ち続け、今や希少種も含め歴史的価値を持つ多くの採集標本を持っているかつての昆虫少年達が亡くなっていくのであります。その遺品である昆虫標本も次の世代の愛好家に譲り渡されれば、まだ消滅を免れますが、いまの法の運用を続けて行けば、貴重かも知れない昆虫標本は故人とともに灰になって行くしかないのであります。これはいけません。一日も早く法の運用を変えて、適法に取得された標本は、譲渡譲受など処分の自由を叶えなければなりません。
種の保存法の運用で、規制以前の時期に適法に採取された標本を規制の対象とすることは、経済学的に考えても問題がありますし、法律的に考えてもそもそも間違っていたのではないかと思います。
まず経済学的にでありますが、法の趣旨は絶滅の恐れのある希少動植物の種の保存ですが、採集者が何故採りたくなるかと言うと、その種が希少種であるからであります。どこにでもいる普通種は採集をしようという気持ちにはなれません。生きている動植物の採取は法律的に駄目でも、やはり自分のコレクションにその種の標本を入れたいと思う人も多いと思います。この時、もし、標本が市場にいっぱい出回っていたら、まあこの種は採集は禁止なのだから標本を購入するだけで我慢しようと思う人が沢山いるでしょう。ところが、もし、過去の採集品も流通は一切まかりならんということになると、やはり自分のコレクションにこの種を入れたい人は、違法採取、すなわち密猟をしてまでと言う気になるかも知れません。さらにはそういう人に売るためにプロの密猟者が現れるかも知れません。供給を絞るから、その種の標本は稀少になり、そうすると価格が高くなり、密猟をしてまで市場に標本を供給をしようというインセンティブが高まるのです。と言うことは種の保存と言うことを考えると、法目的に真逆の行為を当局はやってきたということになります。
法律的にはどうでしょう。規制を担当している人達の初歩的な欠陥は、条文に書いてあるかどうかだけにこだわることです。法律と言っても法律の条文に全部書いてあるわけでもないし、法律の委任を受けた政省令、告示公示などに全部書いてあるわけでもなく、またそれらの行政庁の行為が全部正しいとも限りません。それでは正しいことは何だというと、法律が出来た趣旨に照らし合わせて解釈して、法目的に沿って運用することであります。古い法律や大きな枠組みを決めている法律では、その法目的を踏まえて行政庁が様々な規程を作って法律の運営をしていますし、条文に規程があってもその解釈は法目的に照らして行うのがまっとうな行政です。さらには、その行政庁の行為は訴訟の対象となって、司法の解釈に委ねられます。その司法も、条文にそういう言葉や表現があると言うだけで、法目的にそぐわない行政庁の行為を正しいとはまさか認めてはくれません。したがって、過去の適法な時代に採取された標本を、今絶滅の危機に瀕している種の保存のために作られた法律で取引規制をするという行為は、もし訴訟でも起こればあっという間に違法(または違憲)と言われてしまうでしょう。
私は、昆虫少年だし、今昆虫老年が抱えている昔の標本の取り扱い問題の切実な実態も分かるし、今までの役人としての職業生活から、環境省の運用が法律的にも間違っていると言う実感もあるし、経済学的にちょっと考えて見る素養もあるので、この事態は是非改善をして貰おうと今まで努力をしてきました。このため、熱心に環境省と議論を続けている蝶仲間を励ましたり、日本を代表するような大学者に紹介をして貰って環境省の担当の方々と直接議論をしたこともあります。ただ、今もそうですが、私はこれまでもこういうことにかまってはいられないほど多忙で、議論はして問題は指摘しても、それを叶えられるまで追究し続けることが出来ませんでした。2年ほど前には、直接環境省の幹部の方に随分時間をとって頂いてかなり突っ込んだ議論もいたしました。その時はおそらく、現在の運用は問題があると言うことは分かって頂けたのではないかと思いました。ただ、どうしても、条文に定めがないからと言う理由で、現行法の下で運用を変えて、過去の適法に取得された動植物の標本の譲渡譲受を認めるという勇気が持てないということだったように思います。次回法律が改正された際にはその旨を書いて、何らかの方法で自由に取引が出来るようにするから待って欲しいとのご意向でした。実は条文など変えなくても、法規制の適用前に取得された希少動植物の標本や死体の一部を適法に流通させると言うことは前例があるのです。日本は1980年にワシントン条約に加入しました。世界的な希少種の輸出入を規制しようという条約です。日本におけるその条約の実施法は外為法とその下の貿易管理令で、実は私は通産省の輸入課長としてこの規制の担当課長だったのですが、私が着任する前ですが、当時の政府は、条約に入り、規制を始める前に、この条約の適用前から取得されている標本等を認定して法規制の対象ではないと言う確認を大々的に行いました。もちろん法律にそういう条文などありません。そういうことをよく知っているものですから、私は法律など変えなくても、実施規則を作って法目的に合った運用をすることは出来るよ、何なら原案を書いて差し上げましょうかとまで言ったのですが、環境省の方々の勇気ある行動を引き出すまでには至りませんでした。そして待つこと2年、このままだとこの問題は何時までも解決しないなあ、そう言っているうちにも、昆虫老年の命が尽きて、今は稀少になってしまった種の貴重な標本が捨てられてしまい、この世から消滅するなあと思って、ささやかな行動を起こしました。
私は2年ちょっと前まで、知事でしたが、この問題には何の権限もありません。その前は経済産業省の役人でしたが、この問題は環境省の問題であり、権限外の役所のしかもただのOBの言うことなど何の権威もありません。そこで、国政の第一線にいらっしゃる方の力を借りることにしました。いきさつは省略しますが、道理を分かり、正義を叶えるために、動いて下さった方がいらっしゃいました。国会でこの問題を環境大臣に質問して下さり、大臣の歴史的な答弁を引き出して下さった、参議院議員の加田裕之さん、加田さんにこのことを頼んで下さった世耕弘成衆議院議員、そしてこれを温かく見守って下さった青山繁晴参議院環境委員長、そして、立派な答弁で世界を変えようとして下さった浅尾慶一郎環境大臣。これらの方々には心から御礼を申し上げます。すべての昆虫少年、そしてすべての昆虫老年はこれらの方々への恩義を忘れてはいけません。さらに元役人として言うと、大臣がここまで答弁をして下さったと言うことは、それを支える環境省の現在の自然保護局の方々の理解と協力のおかげです。環境省の方々にも御礼を申し上げたいと思います。
その2025年3月13日参議院の環境委員会で行われた歴史的な答弁は次の通りです。参議院のホームページからインターネット放送を聴取し、私の文責で要約をしてみました。正確なやりとりは官報などに頼りたいと思います。
加田議員は大略次のように質問されました。
『種の保存法の対象野生動植物の数が近年増加していることに伴い、かつて豊富に存在していた対象種の標本の扱いが問題となる。現行の厳しい規制ではこれらの標本の譲渡譲受が規制され、学術研究等以外には譲り渡せず、個人間の譲り渡しは実質的に禁止されている。ところが博物館なども容量が限られているため、これらの標本はどこにも譲り渡すことが出来ず、廃棄せざるを得ない。このように貴重な標本が廃棄せざるを得なくなるというのは種の保存という法の精神に逆行している。特に昆虫の世界は専門の研究者のみならず、標本を保持している愛好家の努力も大きい。重要なことは今生きている個体を捕獲や取引から守ることによる種の保存であって、今生きている個体の保護に直接的脅威とはならない、法規制前に取得された学術的にも価値のあるような標本は、それを後世に引き継ぐためにも、信頼のおける個人間の取引を柔軟に認めても良いのではないかと思うがいかがか。』
それに対して浅尾大臣は次のように答弁されました。
『国内希少野生動物種の標本の譲り渡しは、違法に採集された個体の標本を売買することを防止する観点から規制しているが、特に個人間の標本の譲り渡しは、規制後の違法採集に係る標本なのか、規制前の標本なのかの区別が難しいと言う課題があるので、慎重に対応しているところだ。しかし、規制前に得られた標本も学術的に貴重なものがあり、学術研究機関の収容能力が逼迫する中、個人間も含めこれを適切に引き継いで行くことは生物多様性の保全という観点からも意義のあることだ。このため、こういった標本に関して、関連学会の学術的観点を確認する等一定の条件のもとで種の保全に資するものとして譲り渡しが出来るように速やかに検討を進めて参りたいと考える。』
この国会答弁で、積年の課題が一気に霧が晴れていくように感じました。これから、この素晴らしい大臣答弁を踏まえて、実施体制が固まっていくと思います。したがって、実際に世の中が変わって行くには今しばらくの時間が掛かるかも知れません。しかし、大勢の昆虫老年が命が尽きていくことを考えると、一刻も早く実施体制を確立し、法の運用を変えて貰いたいと思います。しかし、それでも、この大臣答弁は、昆虫老年にとって、大変な朗報でした。頑張って下さった関係者の方々に心から感謝を申し上げます。そう言えば、『もうすぐ春ですね』。虫たちも飛び始めるでしょう。