12月18日スペースワン株式会社が、串本にある同社のロケット射場スペースポート紀伊から小型ロケット「カイロス」の打ち上げを行いました。カイロスロケットは順調に上空に舞い上がったように見えましたが、上空で軌道が乱れ始め、まもなく運行を中止して、爆破に至りました。打ち上げ失敗の原因については、スペースワンは「燃焼ガスを噴出するノズルに異常が起き、飛行経路を逸脱したもの」と発表しました。このため、打ち上げ3分7秒後に爆破して、飛行を中断させたようです。カイロスは、先回に続いて今回も打ち上げの目的を達することは出来ず、衛星を周回軌道に乗せることに失敗しました。これまでの関係者の皆さんのご苦労を知るものとしては断腸の思いです。
これまで、この事業の企画、射場候補地探し、密かな土地買収と関係者への根回し、会社設立と様々な経営資源の調達、射場建設、PR、地域との共感の醸成、ユーザー探し、コロナによる様々な障害の発生など、様々な苦難を乗り越えてこられて、ようやく2024年3月9日に打ち上げが決まり、様々な準備が整い、大勢の観衆が集まって打ち上げを待っていたら、なんと警戒水域に船が滞留していたという理由で打ち上げが延期され、3月13日に第1回の打ち上げが行われました。ところが、関係者が固唾をのんで見守る中、カイロスは点火され、空に浮かんだと思った直後一瞬にして大爆発を起こしてしまいました。残念。打ち上げ失敗です。早速スペースワンや関係機関の技術陣が点検に入ったところ、異常を感知した時に自爆を誘導するセンサーが敏感すぎて、燃料を最新鋭のものに変えた結果起こった作動のずれで自爆装置が点火してしまったとのことでした。仮に何らかの異常があったまま飛行を続けると、より上空で事故が起こって影響が広範囲に及ぶものですから、異常があったらロケットがまだ低い位置にあるうちに爆破してしまうのだそうですが、今回は本当は問題がなかった作動の差異を異常と感知してこうなってしまったようでした。でも、こうして原因が早く分かったので、その後の対応も早く、今回の打ち上げに繋がったようです。聞くところによれば、このような新しい型のロケットの打ち上げは、その第1回目は失敗していることが多いようで、世界的には「よくある話」だそうです。そして今回の2回目の打ち上げは前回の失敗の知見を生かして無事打ち上がったかに見えましたが、3分ほど経過した時点でこのような残念な結果になりました。
ここまで頑張ってこられた豊田社長をはじめスペースワン株式会社の関係者の方々に心からねぎらいの言葉を申し上げたいと思います。このカイロスは、もちろん事業体としてのスペースワンのビジネスがかかっているわけですが、過疎で苦しむ紀伊半島南部の地域振興にとっても大きなエポックになるものですし、最先端技術で世界に先駆けて新しい領域に参入すると言う意味で日本にとっても大きな意味のあるものですし、さらに言えば、未だ世界にほんの少ししかない、小型ロケットによる沢山の小型衛星の打ち上げと言うビジネスの誕生を目のあたりにしているという意味で、人類にとっても意義のある瞬間に我々は立ち合っていると言えると思います。それだけに、このプロジェクトにいささかなりとも関わった私にとっても、地元の和歌山の方々にとっても、日本の宇宙産業に携わる人々にとっても、そして、スペースワンのユーザーとして、小型衛星で新しい事業を展開しようとしている世界中の企業家にとっても、今回の失敗は大変な痛手でした。しかし、一番大変なのは豊田社長をはじめスペースワンの関係者の皆さんであると思います。ただそのスペースワンの豊田社長がすぐに記者会見に立たれ、「今回の打ち上げは失敗ではない。将来の成功のためのステップであり、今回の教訓を生かして、もっと高い技術を確立して、打ち上げを成功させる。」という趣旨の発言をしておられますので、それを心から期待したいと思います。
その成否を論ずる前に、私がこのように興奮気味に意義を述べていることに、それほどご理解を賜れない方も多いと思いますので、割合早期からこのプロジェクトの応援団として関わっていた私が理解しているこのカイロスの打ち上げの意義と、ここに至るまでの「プロジェクトX」的な経緯話をしてみたいと思います。実は、そのことは、2024年1月にも和歌山研究会のメッセージで語っているのですが、それをコピペもしながら、あらためて語りたいと思います。
振り返ってみると、今から6、7年前、当時キヤノン本社の役員をされていた豊田正和さんと、担当のキャノン電子の阿部耕三さんが密かにお訪ね下さり、小型ロケットの射場を探しているのだが、それを串本町の荒船海岸に作りたいというお話しがありました。詳しくお聞きすればするほどわくわくするような素晴らしい話で、私は一二もなく直ちに賛同し、全力を挙げて支援をすると申し上げました。
案件は小型ロケットの射場なのですが、実は世界的視野で見ると、ロケットもさることながら、技術の進歩による衛星の小型化こそがより本質的なことだと言うことが分かりました。これにより、沢山の衛星を宇宙空間に配置して、様々なビジネスにつなげるチャンスが生じます。多種多様な地球観測がそうですし、科学的な研究がそうですし、通信放送分野での新機軸がそうですし、それをうまく使うことによって地球上の様々な物の制御が可能にもなります。中には、人工流れ星を打ち上げて何らかの記念のイベントに供するといったものもありました。もちろん国の安全保障の面でも新しい展開が予想されるでしょう。今までは衛星が大きくて重いので、それを打ち上げるロケットも巨大なものが必要で、そうすると射場も広大な敷地のものが必要になります。また、当然1基あたりのコストもかかりますから、沢山の衛星を打ち上げるということは難しくなります。そのため、今我々が目にしているような、世界中でその大部分が国営である大射場と巨大ロケットの組み合わせとなるわけですが、衛星が小型化できるならば、小型ロケットで沢山の衛星をタイムリーに打ち上げるというビジネスモデルが出来るはずだと言うわけです。ご説明をお聞きするまで私も知りませんでしたが、この動きはどんどん進んでいて、既に米国系の打ち上げ会社が稼働に入っていると言うことですし、イーロン・マスク氏のスペースXは、万の単位の衛星を宇宙空間に配置して、衛星インターネットアクセスを提供する構想を発表しています。こうなると、小型衛星の打ち上げ需要は爆発的に伸びるでしょうが、今の打ち上げキャパでは到底追いつかないので、世界的に射場ビジネスが発展すると言うことです。もし串本のプロジェクトが順調に実現したら、これは世界2番目の実用プロジェクトになり、日本のみならず、世界中の小型衛星打ち上げ需要に応じることが可能になります。現状はJAXAなどの大型ロケットに小型衛星をいくつも一緒に積み込んで打ち上げてもらっているようですが、大型ロケットの打ち上げがそういつもあるわけではないので、ビジネス機会を考えると、タイミングが遅れて商売にならないと言う欠点があるとのことです。また、ロケットは南に向けて打ち上げるので、射場としては赤道にまっすぐに向いている地形がよく、南に海が広がっていることが理想的で(北に射場があると事故が起きたときはロケットが射場の南の方にある陸地に落ちてしまいます。)、かつ、ロケットや衛星を効率よく運搬できるような交通の便も重要な要素になるが、スペースポート紀伊は、島ではなくて太平洋に突き出た紀伊半島の先端にあり、重要な製造拠点である東海地方とも陸上輸送で直結しているので、最高の立地点だと言うことでした。小型ロケット打ち上げの構想を胸に抱いて、阿部さんは全国の候補地を全部行脚して、出した結論が串本の荒船海岸だったと言うことでした。そこで、経済産業省のOBの知事なら、射場建設に伴う機微が分かってもらえるのではいかと考えて、和歌山県にこのプロジェクトの支援をしてもらおうと相談に来たというのがその時の豊田さんのお言葉でした。
その後私はいつも言っていたのですが、このプロジェクトは、世界経済が変わってしまうような大変動の現場に居合わせているという大変意義深いもので、先に申しましたように、私は直ちに「乗った」のですが、同時にその場で直ちに射場完成までのプロセスを想像して、これは容易ならざることですねと豊田さん達に申し上げました。
まず、このプロジェクトは、民間のプロジェクトであるので、公共事業なら使える手段が使えません。実はこの土地は私が昆虫採集のために訪れたことがある土地なのですが、土地所有者の誰かが予定地の土地を売らないと言ったら、いわゆる強制収用が出来ないのですからもう終わりです。もっといやらしいのは、このプロジェクトを聞きつけて、金儲けを企んだ誰かが土地を買って法外な値段をふっかけてきたら、事業になりません。また、地元の公共団体はもちろん、住民の賛成がないとなかなか進みません。特に海を望む地なので、地元の漁業者との調整もうまくしなければならないと言うことは、これまで多くの官や民の立地案件で我々が経験してきたことです。したがって、密かに事業を進めなければなりません。純粋にビジネスに関することは、ビジネス当事者であるキヤノングループに任せるとして、このような様々な困難を乗り切るためには県の支援、しかも密かな支援が欠かせません。したがって、その場で、この件は県庁の中でも私と商工観光労働部長と担当課長の3人だけの秘密事項として、情報の開示は慎重に少しずつ必要に応じて行なうことにしました。私は一般には県民には何でも言ってしまうという行政手法を採ってきましたが、これだけは徹底的に秘密裏に話を進めました。県民の皆さんには申し訳ありませんでしたが、事の次第をご理解頂ければ、秘密にしていたことをお許しいただけるでしょう。以来ほぼ2年間の準備で、会社と県の二人三脚で、地権者に土地も譲って頂き、漁協をはじめ関係者の賛同を得られ、プロジェクトの発表にこぎ着けた時は、我ながらほっとしました。事業会社スペースワンの社長として、豊田社長に引き継がれるまで心血を注がれた太田信一郎前社長や、プロジェクトの権化阿部さんも同じ思いでいらっしゃったでしょう。もちろん地元の串本町、那智勝浦町も、町長さんはじめ全力投球で応援です。スペースワンの方々は、キヤノン電子をはじめとする出資者の構成を決め、資金手当を決め、射場建設をどんどん進められました。そして、射場の愛称も「スペースポート紀伊」と、ロケットの愛称も「カイロス」と決まり、県は、スペースワンとともに、毎年の様に東京大学高須賀教授をはじめ日本のロケットに関する学界、産業界のオールスターキャストをお呼びして串本でシンポジウムを行ない、さらに串本古座高校には宇宙探究コースを作り、このプロジェクトの成功に向けたあらゆる努力を重ねてきたのです。もうカイロスの打ち上げは指呼の間に見えていました。
ところが、2020年初めから世界を襲ったコロナ禍は、先述のように、このカイロスの打ち上げを困難にしてしまい、とうとうこの3月まで時間が流れていきました。その間、我々地元はただ一日千秋の思いで待つだけでしたが、豊田社長をはじめスペースワンの会社関係者の皆さんは、それこそ筆舌に尽くし難いご苦労を重ねられて、今年3月の打ち上げにこぎ着けられ、おまけに第一号の打ち上げ失敗で一層の苦難の経験をされたことと思います。しかも、先回の失敗を糧として改良された今回の2号機も前回の失敗の部分はクリアーされていましたが、新たな問題が生じて、またもや打ち上げ失敗です。まだまだ苦難の道は続きます。
しかし、成功の女神は、失敗を栄養として進み続ける者にのみほほえみます。今回の失敗で我々技術の門外漢にはうかがい知れない沢山の知見がスペースワンには蓄積されたことと思います。豊田社長も挑戦は続くと明言しておられました。今回得られた沢山の知見を精緻に分析され、沢山の改良を施され、遙かに精度の高いカイロスが登場することを待ちたいと思います。和歌山県の担当者も政府のその任にある者も支援は続けると確言しています。何時になるか分かりませんが、近い将来カイロスが無事打ち上がり、小型衛星を宇宙に届け、皆で喜び合える日が来ることを確信しています。外からは計り知れない困難を抱えながらではありましょうが、どうかスペースワンの関係者には、頑張ってこのプロジェクトを成功にまで持って行って欲しいと願います。プロジェクト発足から苦労に苦労を重ねてここまで来られたあの日々のことを考えれば、これからの苦闘も乗り越えられないはずがないと思います。
私は近い将来カイロスは無事に打ち上がり、皆の夢を載せて小型衛星を宇宙に届けてくれるだろうと確信しています。しかし、こういう時でもあえて申し上げますが、カイロスは、一つ打ち上げればいいというものではありません。このビジネスは打ち上げの成功を重ねるごとに評価が高まることと思います。そうすれば、この小型衛星ビジネスの将来性は先述の通りですから、これからは急速にカイロスの打ち上げ需要が高まり、今の射場がフル稼働しても追いつかなくなって来ます。いずれ第二、第三の射場が必要になってくると思います。私からは、和歌山県知事に在職中に、スペースワンには、次なる射場候補は沢山ありますのでご検討をと既に申し上げてあります。これが実現したら、射場のみならず、いずれ様々な関連機能がこの地に集積し、そのような関連機能を担う高度の専門性を持つ人々がこの地に集まり、雇用が増え、この地は生まれ変わります。逆に言うと、仮にこのスペースポート紀伊がこの射場1基に終わってしまい、よりスケールの大きい射場が他所に出来たならば、スペースポート紀伊の成功は、先駆者の努力を刻む記念碑というだけになってしまうでしょう。「初め和歌山、今はなし」です。
これからも、和歌山県は、ユーザーたる世界の産業界の動向を見誤ることなく、スペースワンの方々とも意思の疎通を欠かすことなく、経済産業省や学会の方とも大いに交わって次なる手を打ち、必死で環境整備に努力して、串本を中心とするこの一帯を名実ともにロケット王国にしていく夢を実現してほしいものだと思います。このプロジェクトがまさに発足したとき、会社と一体になり、それこそ実際に地元対策で密かに汗をかいた和歌山県の職員の隠れた努力のひそみにならって、知事以下県庁一丸となって、かつ、官民一体となって、頑張ってもらいたいと思います。そうすれば、かつて和歌山県に沢山あったような「初め和歌山、今はなし」にはならないはずであります。