最近クマさんによる人的被害が沢山報じられています。私は昔から昆虫少年で自然派ですから、いろいろ経験もあって、思うこともあるので、つらつら申し上げます。
私が知事になった2006年頃はまだ、クマさんを含む鳥獣の世界は保護の世界でした。和歌山県にはあまりクマはいず、主としてシカ、イノシシ、サルの3種の動物が農産物被害をもたらすとして、農業関係者からはかなり切実な懸念が上がっていました。しかし、鳥獣の世界は保護の世界ですから、例えば、シカで言うと、狩猟時期は冬場のほんの一時期に限定されていたし、メスは獲ってはいけないなどの規制がありました。当時の法体系は、環境省がつかさどる鳥獣保護法のもとに、各県が若干の裁量を有して保護のための規制をしているという状況でした。しかし、この法律が出来た時に比べると、当時でも鳥獣の数はずっと増えていたし、一方銃猟を行う人の数は、ハンターの高齢化と殺生を厭う世の風潮によりどんどん減って鳥獣被害を食い止められなくなっていました。ただでさえそうなのに、鳥獣を保護することに熱心な鳥獣保護法下の法規制により、鳥獣害を食い止めるための手足は縛られ、農業者は泣き、被害額は莫大なものになるという状況でした。
そこで、私は、こういう状況を世の中に大いにアピールするとともに、許される範囲内で、鳥獣保護から狩猟、有害鳥獣駆除の方向にかじを取りました。初めは規制緩和だけでしたが、先述のように狩猟や有害鳥獣駆除をしてくれるべき人材が払底してきているし、当時の有害鳥獣駆除の報奨金では駆除をするコストが賄えないということも分かってきたので、これを市町村分は県が口出しをするのはいけませんから、県分だけ大幅に引き上げました。それでも、シカもイノシシもサルもいっぱいいます。私は時々夜の林道を通って夜間採集に行っていたのですが、林道上や山間部の集落にはシカがいっぱい。沢山の赤い目が車のライトに光っています。時々はオスのシカが立派な角をおしたてて車に威嚇してくることもありました。一度はイノシシに追いかけられそうになって、肝をつぶしました。
また、私が真っ先に手を付けたのは、駆除した鳥獣の肉をおいしくいただくということです。お猿さんはどうも食べる気がしないのですが、シカとイノシシは、お命を頂戴するのだから、ジビエとして有り難くいただくことにしようではないかと提唱して、そのためのキャンペーンをしたり、ジビエ肉を料理として出してくれるお店を募り、またジビエ月間を和歌山で行ったりしました。この運動は今でも続いています。和歌山県民は実は牛肉消費量で全国一位(県庁所在地のデータ)なのですが、ジビエは気持ち悪いと言って食べない人が多いのです。詳しい統計は忘れましたが、駆除された鳥獣のうち、その肉が食に供されている割合は確か5%ぐらいだったと思います。ヨーロッパに行くとジビエが珍重されて、秋の風物詩となっていて、昔いただいたデュッセルドルフの近郊のお城レストランのシカのソテーは今でも忘れられないほどおいしかったし、シカ肉は脂身が少なくてヘルシーだと思います。大体、いつも太りすぎに注意しているスタイル抜群のタレントさんなどが、テレビで牛肉の霜降りを「おいしいー」と言ってがばがば食べているのを見て違和感を感じる私からすれば、牛肉よりシカ肉のほうがずっとおいしいのにと思う次第です。また、イノシシは豚よりも脂身までおいしいと思います。考えてみれば、ドングリを食べているのですから、イベリコ豚と同じで、当然と言えば当然です。
面白い話があります。就任早々県下の各地で多くの方々からお話をお伺いしていた時です。白浜町の日置川と言うところは、体験観光で農家民泊のネットワークを作って、東京周辺の子供たちの体験修学旅行を誘致して盛り上がっている実に立派なところなのですが、ある方が、私にこうお聞きになりました。「知事さん。修学旅行の生徒さんにイノシシ肉をお出しするのは失礼かなあ?裏山にいるようなものを出してもいいんかなあ?」。私は、「全く問題ないですよ。むしろ喜ばれると思います。東京の都会っ子は牛肉など食べなれているから、イノシシ肉を食べたというといい思い出になると思いますよ。」
ただ、どうもこういう考えは必ずしも和歌山県民の間ではまだまだ浸透していないような気がします。さらに、ジビエを供するには、食肉加工と流通のネットワークがいります。牛肉や豚肉はこれが出来ているから便利に私たちの口に入るのです。鳥獣は殺してから速やかに食肉加工をしないと臭くなります。そこで、県下の川筋の道のどこかに一つは食肉加工施設を作り、流通業者にジビエの販売ルートを作ってもらうようにお願いを始めました。ただし、そう簡単にはいかにもので、私の評価は道半ばだったと思います。
ただ、段々と鳥獣害対策が国の本腰を入れるところとなり、鳥獣は保護一点張りから、管理をして、人との共生を図るという考えに変わりました。法律も「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」が主流になり、国も和歌山県が手を付けていたもろもろの対策をもっと大々的に展開してくれるようになっています。ただ、それでも、全国的に鳥獣害は拡大の一途で、特にシカは増えに増えて、昔はその姿を見るとうれしかった地域でも日常的に姿が見られるようになっています。姿は相変わらずかわいいのですが、鳥獣害に悩む農業者は大変ですし、最近では野草、下草を食い尽くすので、それに依存していた昆虫たちが生息環境を奪われて各地で絶滅の危機に瀕しています。
そして、クマさんです。これは強いので、山では会いたくない相手です。和歌山県は数が大変少ないのでまだ実際に会ったことはありません。でも、木の幹にクマがひっかいたかと思われる傷を見つけたりするとぞっとします。長野県や山梨県ではもっと多いらしく、八ヶ岳の環状道路にある仙人小屋と言うところで、仙人が獲ってきたクマの焼き肉を食べたこともありますが、油だらけでそう感動はしませんでした。今まででも、山に行くときはクマに会うといけないからと用心して、鈴をつけたりしていましたが、昔から、特に北海道ではクマの数も多いし、住んでいるのが本州のツキノワグマではなくてずっと大きいヒグマだから危ないと言われていました。私が役所に入ってすぐ日高山脈で大学生がヒグマに襲われて亡くなるという事件があり、ぞっとしたものでした。しかし、最近までは、クマさんが住んでいる森の中に入り、食料などで争ったり、驚かさなければ、クマは進んで人間に危害を加えることはないと言われていました。ところが、今年の出来事を見ていると、随分違うようです。今まで人がクマに襲われたのはネマガリタケを取りに行って襲われたという感じでしたが、最近ではクマが人家、集落にどんどん進出してきて、果樹はもちろん、ひよこや犬を襲ったり、ごみをあさったりするようです。特に、集落に近い畑で仕事をしていた数人の方がクマに襲われてお亡くなりになったというニュースは衝撃的でした。これは今までの常識とは違うなと思いました。いったいどうしたのでしょう。今年は特に山のドングリが不作だったので、冬眠に備えて栄養をつけなければならないクマが人里にどんどん降りてきたためだと言われています。でも、例えばブナの実が不作の年はほかにもありましたが、こんなことはありませんでした。また、人が餌付けをしたためにおいしい人間の食べ物が食べたくなって人里に侵入してきたのだともいわれています。それにしては全国的に被害が出ています。クマの数が増えすぎて生息範囲を広げているのだという人もいます。クマの食性が植物食からシカなどの動物食に変わったのだという人もいました。ハンターの人が減ったし、めったに銃猟に行かないので、クマが人間を怖がらなくなったのだという人もいます。
いずれも正しいと思います。思い当たることは、山にドングリが少ない上にあんなにシカがいっぱいいたら、クマもシカを襲うようになるだろうなあと言うことです。シカが増えたのは、私見ですが、キツネが減ったからではないかと疑っています。和歌山で山に行ってもタヌキやアナグマはいっぱい見るけれどキツネには会ったことがありません。そう言うと、そんなことはないとその道の専門家は言っていましたが。これが正しければ、自然の摂理で、クマがシカを食べ、シカの増えすぎを救ってくれるかもしれないのですが、もしクマの性質が変わって肉食になり、シカだけでなく進んで人を襲うようになったらこれはえらいことだと思います。およそ野や山には恐ろしくて行けなくなってしまいそうです。
ちょっと極端なことを言いましたが、少なくとも、ここ当分町近くのクマの管理駆除は必要であると思います。政府もいち早くクマ対策に閣僚会議を設置して本腰を入れて取り組むという話だからこれに大いに期待したいと思います。
そういう流れで語っていると、死者が何人か出ている今は鳴りを潜めているようですが、とにかくクマが可愛そう、対策を講じてクマを殺すなんてとんでもない悪行だと言って、攻撃をしてくる人々がいます。全国的組織を作っているらしく、和歌山県で前述のように鳥獣保護の水準を下げて、さらにはその数を少なくするように舵をいち早く切った時、沢山の抗議の声が和歌山県庁に届きました。私は職員がブロックしてくれたのでしつこく言い募られるような不愉快な思いはしなかったのですが、職員は苦労したようです。また、そういった団体の機関紙がいっぱい送ってこられ、当初メールにはたくさんの抗議が来ました。動物をいじめる悪人めという訳です。動物も大事だが、農産物被害に泣いている農業者のことはどうでもいいのでしょうか。報道では秋田県の前知事がそういう目に(おそらくもっと激しく)あったのでしょう、そういう人には「クマを送る」と言われたということが話題になっていましたが、私は気持ちがよく分かりました。
私は今のような状況になっていない今から20年近く前に、山でこれはまずいなと思うことを目撃しました。昆虫採集で山に行った時に、栗の人工林があって、そこにクマに上げようという訳でしょうか、ちょうどいい高さの台が設置してあって、その上に柿などの果物が置いてありました。おそらく、山でおなかをすかしているであろうクマさんに食べて貰って、人里に降りてこないようにしようという考えだと思いましたが、クマの食事量からするとそんなことをしても意味はないし、そこでおいしい里の柿の味を覚えれば、その味を求めてかえって里に降りてくるのではないかと私は思いました。そう言えば、その場所には、おそらくクマさんの食料というつもりでかなりの数の栗が植えられていましたが、みんな人間が栽培している里栗で、付近に自生している野生の山栗とは違っていました。この栗を食べて味を覚えたクマさんはやはり里に下りてくるかもしれません。その後、食台の上の果物は消え、おそらくこういった運動をしていた人たちはこの場所の存在すら忘れてしまったのではないかと私は思いますが、里栗の林は残っていて麓のおいしい栗の味をクマさんに教え続けています。
同じく私が和歌山県知事になったすぐのころ、NHK和歌山放送局のローカル番組で面白いことが起こりました。当時和歌山放送局は和歌山の自然を様々な角度から特集をしていて、ある日の特集が山でのクマの食糧確保でした。NHKは山の中でクマさんに餌をあげている奇特な人たちの運動を取り上げていました。それも肯定的に。ところが、専門家として呼ばれたその日のゲストがこの行為を真っ向から断罪しました。こういうことをすると、クマは里の人間の世界の味を覚えてしまうので、かなり遠いところまでその味を求めて人里に降りて来る。絶対にこういう餌付けみたいなことをしてはいけないと言ったのです。私はその通りだと思いましたが、おそらくこの番組を企画したスタッフは真っ青でしょう。私も経験がありますが、テレビ局の考えに迎合しない人は二度と呼んでもらえないようなのですが、この人はその後どうなったのでしょう。私はそうだそうだ、よく言ったと思ったのですが、何の準備もなく見たテレビでしたから、この正しいことを迎合しないで発言した立派な専門家の名前は未だに知りません。
最後に少し面白いお話を。ある年、有田川町のある集落でクマが罠にかかりました。こういう時は和歌山県ではいきなり殺処分などしないで、唐辛子を吹き付けたうえで、山奥に放すのですが、一週間ほどしたらまた同じクマがかかりましたという報告がありました。また、同じように山奥に放す方針だと言います。ここで私はあれれと思いました。私はこの集落から近いある林道沿いによく昆虫採集に出かけるのですが、その辺でクマを放しているのではないかと疑ったのです。この林道は比較的車が通りやすく、かついい採集地であることから明らかなように原生林が残っている「山奥」なのです。たまの休みのたまたま私が出かけている時にクマを放されてはたまったものではないですから、どこへ放しているのか教えて頂戴と言ってみました。そうしたら、どこへ放したかは秘密ですから言えませんとにべもなく断られました。そこで、事情を話して、自分が行く直前に放されていたら危険だから、絶対に人には言わないからこっそり教えてくれよと頼みましたら教えてくれました。そうしたら私の想像した通りの林道で、しかも私がここかなあと思っていた、一番のポイントにしている所とぴったりの地点でした。こういう経緯でいつもこっそり教えてくれていますから、幸いクマさんと鉢合わせたことはありません。そのクマさんはその後もう一回同じ里に現れて罠にかかりました。どうしても戻ってくるなと考えた当局はとうとうこのクマさんを殺処分にしました。可愛そうなことです。このクマさんが里に現れるに至った原因は正確にはもちろん分かりませんが、味を覚えるに至ったきっかけがあるはずです。その時私はあの栗林と餌台を思い出しました。
自然は大変偉大です。良く見極めないまま人間の善意でちょっかいを加えようとするととんでもないことが起こる可能性もあります。可愛そう、助けてあげようという善意が却ってクマさんの命を縮めている時もあるでしょう。よほど自然をよく勉強しなければいけないと思います。今の事態の引き金のどこかは自然や動物の生態をよく理解しないで善意の人が行った行為によるものだったかもしれません。クマの命を何としても奪うな、とあちこちで叫んでいる人たちはまず昆虫採集をして自然の勉強をすべきです。(もちろん冗談です。すいません。)しかし昨今のクマをめぐる状況はこれまでとは違う、とんでもないことになったという思いを禁じえません。昆虫採集などにはもう行けなくなるかもしれません。
しかし、どういう時でも自然や動物の生態をクールに理解してから、それに沿った行動をし、対策を講じるべきです。