10月4日恵和株式会社の75周年記念式典が大阪の帝国ホテルでありましたが、ご招待を頂いたので、出席をさせていただいて、来賓の祝辞を述べさせていただきました。
恵和は根っからの和歌山企業ではありませんが、古くから和歌山に進出して主たる製品である光学シートの主力工場を置いていただいていました。さらに、私が知事になった後では、県による造成後売れなくて困っていた御坊第2工業団地にもう一つ大きな最新鋭工場を作って下さり、これをきっかけにして、この工業団地がほぼ完売と言うところまで行くに至っていますから、恵和はいわば和歌山の恩人のような企業だと私は思っています。こういう企業ですから、私は何度も工場に足を運び、現在の会長である長村恵弌社長のご高説を良く伺いました。内容は刺激的で、私も勇気づけられるような気持ちになりました。
最近、その長村会長から何度かお誘いを受け、久しぶりに旧交を温めたのですが、いつも新しいことを考えておられて、それをお聞きするとともに、多少のアドバイスも出来たかなと思います。そして、会社の75周年記念式典で来賓祝辞をと言うお話しを頂いたので、大事な式典で失礼なことを申し上げてはいけないし、長村会長のことだから、きっと色んな趣向を凝らしていらっしゃるだろうから、ありきたりのことを言うと、しらけさせるだろうと、いつも以上に考えて、祝辞を述べさせていただきました。私が知っている恵和の歴史も少し触れていますので、以下まずはその祝辞を披露させていただきます。
「
恵和株式会社75周年祝辞
恵和株式会社創立75周年誠におめでとうございます。
ご紹介頂きました前和歌山県知事の仁坂でございます。一昨年の12月まで16年間知事をさせて頂きましたが、その立場からは、恵和株式会社は和歌山にとっては恩人とも言うべく会社ですから、ただのお祝いではなく、心から感謝を申し伝えなければいけない存在です。有り難うございました。また、今は会長になられた長村恵弌前社長からは様々な刺激的で有意義ななお話しをお聞きして、大変感動をいたしました。これまた有り難うございます。
恵和株式会社は、資本金39億円、売上高200億円に達しようかという東証プライムに上場しているエクセレントカンパニーでありますが、様々な包装紙を製造販売する会社を先代の長村秀太郎さんが創業されてから、その紙に様々なラミネートを施す製品に進まれ、さらにはそこから様々な光学シートを開発提供して、電子産業や環境産業の発展に貢献してこられた会社であります。さらにはさらに進んで、地球の絆創膏事業という面白いネーミングの建築物の耐用年数の延長のためのシートを開発された、まさにどんどん進化され、シーティング、コーティング、ラミネーティングの総合メーカーとして進化し続けている会社であります。和歌山県には、主力製造拠点をいくつも作って頂き、僭越な表現をお許し願えれば、もっとも成長の見込まれる「和歌山企業」であります。これまでのご貢献を深く感謝申し上げます。
私は和歌山県の発展のためには人々が希望を持って働ける場がもっと必要で、そのためには、既存企業の成長と、新しい血である優良企業の誘致が是非とも必要だと思っていましたが、出身が経済産業省でありますので、知事就任直後から、まずは企業の実情視察のため企業廻りを熱心に行っていました。その中で、従来から印南町で事業を展開され、整備以来閑古鳥が鳴いていた御坊第2工業団地に工場を増設して頂けるのではないかと思っていました恵和株式会社を訪問いたしました。
その際長村社長自ら会社の概要や今後の事業展開を語って頂きましたが、そのスケールの大きなビジョンに感動しました。当時恵和の光学シートはパソコンやスマホのバックライト用に使われて大成長を遂げていましたが、長村社長の語るところによれば、それら製品の表面シートでもそれまでの日本を代表するある物の名を冠した二大メーカーに取って代わるのだ、その意味で日本を征服するのだとおっしゃるのです。さらにその先には世界市場が待っています。私はすっかり感動して、和歌山県庁内で恵和の日本征服作戦だと皆に語っていました。
それから、最近は地球の絆創膏です。
およそ我々の周りの多くの資材は高機能のシートにくるまれて格段に機能性を高め、省エネ性能や耐久性を向上させています。その最先端に恵和があるというのが、恵和の皆さんだけでなく、私の喜びでもあります。
恵和75年の軌跡を振り返る時、私がいつも思い出す言葉があります。と言ってもテレビコマーシャルで、イチローさんが言っていた「変わらなきゃも変わらなきゃ」という言葉です。その前は「変わらなきゃ」でした。変化の激しいこの世の中で、企業は自らも変化を遂げていかなければ生きてはいけません。しかし、一回それに成功しても、そこに安住してしまえば、すぐに試練が参ります。変わっても、また変わって、永久に変わり続けなければならないのです。長村社長、現会長のお話をお聞きする度に私は恵和こそが「変わらなきゃも変わらなきゃ」を身をもって実践してきた会社だと思います。
ただ、その中で、恵和も何度も試練に見舞われてきたそうであります。先の「日本征服作戦」もうまく行く直前にリーマンショックに見舞われました。長村会長は、その時はあなたのおかげで経済産業省の立地奨励金を受ける事が出来て、それをリバレッジにして危機を脱したのですよと言って下さるのですが、私は特に恵和のために何か特別なことをした記憶はありません。私が、県庁内で、和歌山の産業のためになることなら和歌山県の制度でなくても獲得に全力を挙げて支援せよと言い続けてきたのと、恵和の「日本征服作戦」と言いまくっていたので、その大事な恵和のためにと、和歌山県の職員が必死で後押しをしてくれた結果ではないかと思います。
これからも恵和の前には大いに試練はおありでしょう。しかし、長村会長が唱え続ける夢いっぱいの経営理念があり、それに共感する熱心で優秀な従業員の献身があり、それに共鳴する外部のちょっぴりの支援があれば、乗り越えられない試練はないと私は思います。
長村会長には、私が知事時代に和歌山の若いアントレプレナーを養成するために始めた「わかやま塾」で講師としてお話しをいただいたことがあります。その時の第一声が、教養あふれる長村会長らしく、十八史略の「創業守成」でした。曰く「創業は易く、守成は難し」と言うことです。創業は確かに大変であったが、守勢の方が簡単だと思っていい加減な経営をしていると会社はつぶれてしまう。守勢の時も創業の時と同じ熱い思いを持たなければ経営はうまくいかないものである。そのお言葉を聞いた若者はきっと心中期するところがあったと思います。和歌山県では、このプロジェクトは最近廃止されて、長村会長のような方が熱く語る機会を和歌山の次世代の人達が聞けなくなったのは残念なことですが、恵和は違います。長村会長は熱く理念を語り継がれるでしょうし、足利正夫社長以下の後の続く優秀な方々も燃えておられます。恵和は今後も「変わらなきゃも変わらなきゃ」で、永遠に進化し続けることと信じます。恵和の今後ますますのご発展をお祈りいたします。
」
式典は、多くの会社や団体の周年行事によくあるように、多くの来賓が通り一遍の祝意を述べたうえで、会社の首脳が会社の来し方を述懐し、将来についての抱負を述べると言ったものとは一風変わっていまして、社員全員による会社のこれからのあり方に関する研究発表会と言った趣のものでして、私に取ってはとても新鮮でした。その中心がAKI活動であります。AKIとは、All Keiwa Innovationの略で、発案者の長村会長が式典でお話になったところによれば、社員一人一人が経営に係わっているという実感を持たせるための試みで、それによって、他社が真似の出来ない組織文化を創るんだ、それが企業の競争力に繋がるんだというものでした。半年を単位として、全社的に提案によって経営改善のテーマを決めて、そのテーマに近い部署の人のみならず様々な部署から人が集まってチ-ムを作り、様々な議論を経て、経営改善の方策を提言するというものです。チームのメンバーは、元々の自分の仕事はきちんとこなしながら、他の分野の経営の改善方法も検討して、全社的に提言すると言うもので、まずそのコンセプトに感心しました。式典では何十とあるAKIチームの中で、四つのチームが検討結果の報告を行いました。チームの名称は、面白がってつけているようなものまであるので、内容でご紹介すると、(1)これから恵和が世界展開をしていくときに注意すべき戦略は何か、(2)ラミネート製品の期待される新規分野とそのための製品戦略は、(3)お客様が納品に際してあらためて検品をしないですむように、お客様の必要とする検品内容をビルトインした出荷検査体制を組む方法、(4)ロボットを使って人の労働代替をするために、製造部門のみならず全社的制御統制システムをどのように設計展開するか、と言ったこれからの恵和の経営方針の根幹をなすようなすごいものでした。それをシニアポストの人から入社したてみたいな若い人までチームの代表がとうとうとしゃべって、それをまた、評者が評価するわけです。私は大変感動しました。式典のほとんどの時間はこのAKI活動の具体的な発表会で、こんな周年式典は見たことがないと思いました。こうやって、全社的なモティヴェーションを高めて、かつその成果を次の時代の経営に生かして行こうという恵和の将来は明るいのではないかと思いました。
このAKI活動は、トヨタのカンバン方式や多くの日本企業でその存在が世界で高く評価された「カイゼン」運動などよりももっとレベルの高い、それだけに難しい活動だと思います。
AKI活動に参加する人は同時に元々の自分の仕事がありますから、いわばダブルミッションを持っている存在なのですが、私が知事の時代の和歌山県も、このダブルミッションで、県内企業との関係を密接にしようとしていました。私の出身の通産省ではかつて、物資、サービス別の縦割り業所管局と行政手段を持っている横割り政策所管局との協力と調整で仕事をしていました。縦割り局の方は業界の方々とよく話をして、問題をつかみ取ってきて、それを横割り局と相談して政策手段を発動して解決するというものです。今はその機能は昔ほどは強くないと思いますが、私はよく出来た制度だと思っていました。ところが、県庁の組織は全て政策手段別に構成されています。全部横割りなのです。職員はその手段を抱えて、利用希望があればその適用を考えるというものです。そうすると、どうしても受け身になります。県内の成長セクターを掘り出していこうなどと言うことはその仕事のやり方ではなかなか出てきません。その政策手段が必要だと分かったときは手遅れであったり、それを使って貰ったら地域の発展になるのにと言う企業に使って貰えずに、何かというと役所に頼るだけというマインドの企業だけが欲しい欲しいと言いに来ると言う事態になりかねません。そこで、私は通産省の業所管局のような機能をする、産業別、企業別担当者制度を作りました。県庁にはそう人はいませんから、皆何らかの本務を持ったダブルミッションです。また、これとは別に職員の提案によって、部署横断的な人が集まって特定のテーマを検討提案するプロジェクトチームというのを作りました。
これらはダブルミッションという点では共通ですが、いずれも恵和のAKIに比べると成果は今一つかも知れません。
恵和のAKIのような制度でなかなか難しい側面は、私は、三つあると思います。
一つは、改革の対象である部局がAKIのチームとは別にあると言うことです。そういう部局も大変な努力を重ねながら経験を積み重ね、工夫に工夫を重ねて自ら改善を行い、それを良き伝統として守ってきているわけです。それを他部局の、しかも若造がやってきてえらそうに改善方法を提案したら、担当部局のベテラン達はいい顔をしないのが通例でしょう。そういう人達にも会社のためこういう改革の検討は必要なんだから協力してくれと説得し、納得して貰うのはトップの仕事です。
私はもともと通産省・経済産業省の出身で、そこでは誰の所管かに拘らず何が一番良いかを自由に議論しようと言う文化が支配的でしたが、他の省庁の文化は全く違います。自分たちの領域は独立で神聖である、人の所管のことに口出しをするなと言う雰囲気が支配的で、平気で口出しをする通産省流はインベーダーと言われて相当嫌われていました。そんな中で、私は国土庁や経済企画庁に何度も出向し、しかも官房総務課または企画課と言う調整取り纏めの部署に配属され、おまけに、私の時に、多部局にまたがる、組織にとって何十年ぶりの大仕事が舞い込んできたので、皆をまとめるのが大変でした。独立を主張する他省庁出身者からすると、そもそも官房総務課のような取り纏め、調整、チェックをするような所は要らない、仕事は勝手にちゃんとやるのだからと言う考えになるのですが、ただでさえ縦割り行政の弊害が言われている上に、仕事の領域が複雑化し、部局間の協力が必要になって来ている現代では、このような小さな「独立自尊」が誤りであるというのは明らかでしょう。政府でもこのような中、内閣の調整機能が強化されていますが、和歌山県庁でも知事室に政策審議室を置いて各部の行政の進捗管理と調整を私に成り代わって優秀な職員にやって貰いました。県庁全体の仕事の成果をあげるためには、それぞれの部局で勝手に責任を持ってやっていてくださいでは済まない時代に来ているからです。和歌山県ではなぜか最近この組織が解体されてしまったようですが、そうすると、どうしても必要な総合調整はトップである知事一人が抱えなければいけなくなって、忙しくて大変なことになります。これは到底持たないと、知事もそれを放棄すると組織は瓦解します。
恵和のAKIの場合、ダブルミッションを持ったチームの面々が対象となる部局にインベードしていくわけですから、そこにいるベテランの人に納得して貰うためにはどうしてもトップの働きが必須です。
第2に、こういうプロジェクトを始めると、やってるふりをする人が出てきます。現場に切れ込んで、そこにいる自信たっぷりな人達と徹底的に話し合って、企業のこれからを約束するような、切ると血が出るような議論をするのではなくて、口触りの良い改善ごっこを、見てくれの良いレポートにまとめただけという作業をする人が必ず出てきます。改革ごっこの名人はどの組織にもいるのです。よく自治体が陥る「何とか計画の大コンサル会社への丸投げ病」などもそうですが、そういう大コンサルの作る耳障りの良い内容空疎なレポートを貰っても組織の強化にはなりません。恐ろしいのは、組織の上層部に、こういう一流ブランドのレポートに対する安易な依存心があったり、部下におもねるあまり、やったふりの検討ごっこをする若手を「えらい。良くやった。」とおだてるような人がいることです。したがって、この場合でもトップの態度は本質的に重要です。チームの活動には常に目を光らせて、遠慮会釈なく問題点は指摘して、ライオンが可愛い我が子を谷底に突き落とすがごとき激詰めをしなければなりません。
そして、第3に、こうやって出来た改善案を、実行することなく野ざらしにしてはいけないと言うことです。頑固な現場のベテランでさえ納得したようなすぐれた改革案を放置するような組織は、猛烈なスピードで世の中が動いている現代の世では生き残れません。そして、ここでも、こういう改革案をきちんと実行していくような経営が出来るかどうかは、ひとえに経営トップにかかっているというのは誰が見ても一目瞭然でしょう。
そういう思いから、私は恵和株式会社75周年記念式典の際たまたまお隣に座っていらっしゃった長村会長に、上記3点について色々質問をしてみました。その結果分かったのは、AKI活動言い出しっぺの会長ご自身がテーマ選定から、時々の進捗チェック、最終の報告に対する激詰めと、最終評価まで徹底的に取り組んでおられると言うことでした。そこまで徹底的に詰めて出来た結論ならば、しかも経営トップの会長が激詰めをして納得した後であれば、そのAKI報告が具体的な経営改善の形で実装されないわけはありますまい。この素晴らしい恵和のAKI活動の最後の1ピースはやはり会長のリーダーシップでした。そして、そのような全員参加型の経営改善活動の中で、苦労を重ね、実績を上げてきた若手の中から足利社長のような立派な後継者が育っていますし、今後も続々と育っていくことでしょう。
このように、頼まれ仕事で、来賓祝辞を申し上げるために出かけた恵和株式会社75周年記念式典でしたが、私はまた、新しい感動的な試みに出会えました。