私の和歌山県知事時代には、著名人で、和歌山県の恩人とでも言えるほど和歌山県のために貢献して下さった方々がいます。そのうちの何割かは、私自身が前々から存じ上げていて、ご相談申し上げた結果、特別なことを引き受けて下さった方々ですが、中には、和歌山県の抱えた問題を部内で相談していた時、それならばこの方にお願いしましょうかと、職員が提案をしてくれて、私がお願いに行って、お付き合いが始まったという方々もいました。私もそうですが、職員も、それぞれの職業生活の中で、そういう著名人とお知り合いになり、肝胆相照らす仲になったというお知り合いをそれぞれ持っている場合があります。ただ、そういう仲になる機会は大変少ないし、その付き合いを生かして、また別の何かをお願いするという機会はもっと少ないと思います。私はそういう機会にすぐ飛びつくので、職員のこういう人脈を生かすことが割合多かったと思います。そうして一回何かの仕事でお世話になると、また、その方の別の専門分野の知見や人間関係から、別の面でもお世話になることが出来たということが多かった記憶があります。
今から考えてよかったなあと思うのは、私が、問題を抱えたら、あるいは何かやりたいと思ったら、職員によく相談して、その意見をけっこう聞いていたということです。そうでなければ、もともと職員が持っている素晴らしい人脈は、その職員と、著名人との間の個人的な関係に留まってしまい、和歌山県のためにその方にご貢献いただくということはなかったかもしれません。思いつくままにそのいくつかを紹介します。
今でも、私が誇りに思っている行政の一つに、和歌山県景観条例があります。街を栄えさせようと思うと、その町の景観が大事です。その町が景観上美しくないと、その町に住んだり、人々が進出しようとする気にはならないからです。私は若いころ、ミラノに住んでいて、ヨーロッパの人々がいかに街の景観に力を入れているかを知っていました。街の景観を守るためには、多少の非効率やコスト高も我慢するという彼らの考えが、長い目で見て、結局はその町の発展を助けているという事実に、結構感動した思いがありました。一方、日本では、このようなセンスは希薄です。日本だけでなくてアジアの国々に共通かもしれません。皆好き放題な場所で開発をして、好き放題なデザインで建物を建て、あとからあとから参入が続いている時には、新陳代謝もあって、問題が隠されるのですが、発展が止まった途端に、街中に廃墟が林立と言った事態になるわけです。特に和歌山にはその傾向があると、就任早々の知事であった私は考えていました。もう一つ、和歌山県がその認定を勝ち取った世界遺産「紀伊半島の霊場と参詣道」に関しても、懸念を持っていました。当時和歌山県では、この世界遺産認定を誇りにし、大いに盛り上がっていましたが、そうなると、これを利用してお金儲けをしようとする人が出てきます。観光振興などになるわけですから、それ自体悪いことではないのですが、張り切り過ぎた人が、世界遺産を棄損してしまうと、根っこからダメになります。「霊場」の方はそのような開発行為を許さない体制が出来ていると思いましたが、「参詣道」、例えば熊野古道に、張り切って、「カフェ・ブルボン」と言う名のショッキングピンクの建物を作る人が出てきたら、せっかくの昔ながらの熊野古道の雰囲気が壊れてしまいます。こういう困った開発は止めないと、結局は観光振興の足も引っ張ってしまいます。観光振興は、まず観光資源の保全からです。そこで、県庁の部内で、それを解決する手段として、景観条例を作ろうではないかと提案してみました。そうしたら、我が意を得たりと共感してくれたのが、当時県土整備部建築局長であった、松本兼一さんであります。自分が昔関連の仕事をしていた時、知遇を得た東京大学の西村幸夫先生に検討会の座長をお願いしましょうと言うのです。かくて、西村先生は、景観条例検討委員会を率いて、立派な景観条例の原案を作って下さったのであります。私は、すぐにこれを実際の条例案として県議会に提出し、ごく短期間で非常に具体的で実効力のある景観条例を和歌山県は持つことが出来ました。一般の地域では、たしか高さ13m以上の大きな建物について景観との調和を守ってもらうことになりますが、熊野古道など特別に景観の保全を図らなければならない特別な地域においては、小さな建物でも、周りの景観を乱すことのないような建物の形状や色味が要求されることになったのです。これで、これから長い時間がかかるかも知れませんが、和歌山県が条例運用をきちんとやって行けば、いずれ落ち着いた街が出来ることになり、熊野古道にその雰囲気を壊すような建物は建てられぬようになったのです。西村先生は、これまで自分が提言したものが棚ざらしにされたことが多かったのに対し、和歌山県はきちんと実行しようとしていると、気に入って下さり、その後は何かにつけ、お知恵を拝借できるようになりました。景観条例はその一歩でありますが、西村先生の人脈で、今度は世界遺産の関係の制度拡張の道が開けたのです。西村先生はユネスコ世界遺産に関する学術的アドバイスをするICOMOSの重要メンバーで、おかげで、そのメンバーの方々を和歌山にお呼びしてシンポジウムを開いたりすることが出来るようになりました。その流れの中で、後年、世界遺産「紀伊半島の霊場と参詣道」を形成する道で、初めの認定時に世界遺産に認定されていなかった部分が世界遺産として追加認定され、世界遺産が大幅に拡張されるという慶事を祝うことが出来たのであります。それも、恩人西村先生を和歌山県に紹介してくれた松本兼一さんがいたればこその流れです。
今話題のレアアースの探査でも、同じく国民の大関心事である南海トラフの巨大地震の解明のためにも、その超深度掘削で世界の先端を行っている深海探査船「ちきゅう」の母港が和歌山県新宮港になっていた時期があります。このきっかけは、のちに県庁企画部長からテレビ和歌山の社長会長として辣腕を振るった柏原康文さんの知事室への駆け込みから始まります。柏原さんは、担当課長として、未来のエネルギーとして有望なもののひとつ、メタンハイドレードの和歌山沖における探査開発に熱心に取り組んでいたのですが、その取り組みの中から、「ちきゅう」の存在にも着目するようになり、その母港の決定が近く行われると言ことを聞きこんで、これを和歌山県に引っ張ってくることを思いついたのでした。それが、知事!何とかなりませんかと、駆け込んできた理由です。紀伊半島は太平洋に突き出した半島ですから、南海トラフの巨大地震により最も甚大な被害を受けることが予想されるのですが、そのための深海底の調査を「地球」は目指しているのだから、南海トラフに最も近い新宮港を是非母港にという訳です。母港化によって、固定資産税など多くのお金が地元に落ちるし、関連のビジネスも振興できるし、地元の子供たちへも教育上大いに刺激になるに違いないと、熱心に訴える柏原さんに突き動かされて、私はそれより30年も前の科学技術庁出向時に知己を得た、「ちきゅう」の監督に今当たっている昔の仲間を頼って誘致活動を行いました。さいわい理解してくれる人が多く、この目論見は成功し、新宮は母港に指定され、「ちきゅう」を運行する海洋研究開発機構JAMSTECの方々の知遇も得ることが出来るようになりました。特に平朝彦理事長には、その後、和歌山県は大変お世話になりました。地球の新宮港寄港時には、乗組員を動員して、地元の子供たちに海洋の知識を実地に授けるような教育をして下さったし、JAMSTECにその後研修のために県の職員を派遣することを許していただきましたが、その職員が頑張ったおかげで、JAMSTECと和歌山県で、海底に敷設された地震感知センサー網DO-NETの地震感知データをもとに、南海トラフで巨大地震が起こった時、どこまで津波が押し寄せるかと言うことが分かるシステムを作ってしまうに至ったのです。このシステムは、長い間、全国でも和歌山県のみで、現在和歌山県の各地100か所の津波到着浸水予測が出来るようになっています。また、平さんや東専務理事などJAMSTECの有識者は、ジオの世界の権威ですから、和歌山県県が目指していた世界ジオパーク認定獲得運動においても大いに力になってくれました。それもあの柏原さんの駆け込みから始まっています。
さらに、と言うか、そもそもと言うか、柏原さんたちが「ちきゅう」に関心を持つ前の、メタンハイドレードへの関心はどうして始まったかと言うと、これも、柏原さんたちのチームに桒将倫さんと言う若者がいて、この桒さんの青山繁晴・千春ご夫婦との交流から始まっているのです。この内容は、過去何度も述べましたので、省略しますが、おかげさまで、青山さんご夫婦が和歌山県のために尽くしてくださるきっかけになり、そこから、和歌山県は大いに裨益したと思います。メタンハイドレードの賦存状況については、青山千春博士の発見した表層型メタンハイドレードの探査法を利用して、うんと安い費用で、和歌山県の漁業探査船を使って調べ、相当な知見の蓄積に至っています。本格的に開発が始まったら、この基礎資料が必ず生きて、和歌山県がその採取基地になって、地域の雇用になるとの予測の元での事業です。(残念ながら、私の引退後、この事業は廃止されてしまいますが。)また、ご主人の青山繁晴さん(現在は衆議院議員)は、若手産業人の人材養成や高校生など青少年の教育のため、忙しい中を何度も和歌山に足を運んでいただいて、聴衆の心が動かされるような熱弁をふるってくださいました。そういう意味で、平さんも、青山ご夫妻も和歌山の恩人ですが、その元は、和歌山県の青年職員桒さんとその上司であった柏原さんの熱い思いから始まっているのです。
最後に述べたいのは、荒俣宏さんです。帝都物語の作者でもあり、博物学から始まって、自然科学、人文科学、歴史など知の巨人でもある荒俣さんにも、和歌山県はずいぶんお世話になりました。和歌山県知事になる前は、私は、その存在自体はよく存じ上げていましたが、実際にお会いしたことはありませんでした。その荒俣さんを、南方熊楠記念館の名誉館長にぜひお迎えしたいと言ってきたのは、そのちょっと前、県庁を退職してから南方熊楠記念館の館長を務めるようになった、谷脇幹雄さんです。南方熊楠は、特に粘菌の研究者としても名高い在野の博物学者ですが、和歌山市の造り酒屋の長男に生まれながら、世界を股にかけ活躍し、特に大英博物館で大いに認められた、それこそ知の巨人ですが、破天荒な行動でも、その博覧強記の知識からも、無茶苦茶魅力的な人で、和歌山の生んだ天才の一人だということには異論がないと思います。谷脇さんは、館長になるや猛烈に南方熊楠について勉強し、その縁で、同じく南方熊楠を大変評価、敬愛している荒俣さんの知遇を得たようです。荒俣さんの名誉館長就任は私も大賛成で、早速お願いに行ったのですが、そこからさまざまな面で、和歌山県は荒俣さんにおせわになりました。荒俣さんの御活躍によって、世の南方熊楠ブームはさらに火が付いたと思いますし、交友範囲の広い荒俣さんのルートで和歌山県を売り出す様々な試みが動き出したと思います。これも、谷脇さんと言う勉強熱心な元職員の知事室への駆け込みからどんどん広がったのです。
この世の中は人間同士のなにがしかの繋がりによって形成されています。私もやはりそうですが、県庁職員も皆なにがしかの交友関係があり、人脈を持っています。和歌山県が元気に発展していくためには、私だけではなくて、全職員がなにがしか持っている人的ネットワークを県庁の行政のため、いや、和歌山県の発展のために使えるかどうかにかかっているように思います。