「普請中の国日本」。戦後の日本を表す最もふさわしい言葉の一つだと思います。この言葉を知ったのは、森鴎外の同名の小説からです。原作の時代設定は明治の末日露戦争が終わった後のころですが、私がこの言葉がぴったりだと思ったのは、1992年イタリアのミラノ勤務から帰ってきた時でした。ヨーロッパの国はみんなそうですが、皆町の伝統を大事にしていて、石造りの数階建ての建物が続く街並みは都市計画法と建築基準法で厳重に守られていて、外観は変更を加えてはいけないということになっていました。新しくできるのは建物の中身だけで、内装だけを大規模に改装しているビルがたくさんありました。建物を建てられる区域も厳格に規制されていて、旧市街地の外には農場が広がっていて、ミラノのような発展している町は少し離れたところに学校や病院、ショッピングセンターなどもひとわたりそろったニュータウンを独立して作るのです。そういうわけで、改装を除くと、ミラノは「普請中」ではありません。石造りだからねという人もいるかもしれませんが、ミラノの旧市街は第二次世界大戦の爆撃で瓦礫の山となっています。その瓦礫を一か所に積み上げて丘の公園を作り、町はそっくり元通りに再建したのです。そういう町から3年ぶりに帰ってきた私にとって、日本はまさに「普請中」でした。世はバブルの余韻がまだ残っているころで、東京はどこでも周りの景観など全く考慮していないとしか思えないような色とデザインがとりどりのビルがバンバン建っていました。
時代が経って、日本経済も一頃の勢いを失っていますが、東京の「普請中」は時々の中断を挟みつつもずっと続いているように思います。主としてブルネイに3年間、和歌山に16年間住んでいた身には、東京の変貌ぶりは大変なもので、スマホのガイドがなければ、とても一人で街中に出かけられないほどです。もっとも、中国や韓国、香港も東南アジアの国々の都市も、その変わりようはもっとすごくて、いつ行ってもその変貌の早さに圧倒される思いでしたが。
東京の普請はまだまだ続いているようで、都心のビル需要は少し下がり気味かと思っていたら最近はまた回復しているようですし、私の東京の家がある郊外でも、今ものすごい普請ラッシュです。ごく近所でも、私の家の両隣で古い家を壊して、新しい建物を建てたりしています。ほかにも近くで10指に上る同様の普請が行われています。この1年ぐらい古い建物を壊す重機の音に家が揺れっぱなしですが、それはお互い様だからしようがありません。新しい家が建って、住人が増え、特に新しい家の住人は若い人が多いので、小さい子供さんもいて、なかなかほほえましくなることもあります。古い家の住人はそれを処分して、よそに移り、中には有料老人ホームか介護サービス付きマンションに入る人もいて、よかったのではないかと思います。しかし、このような普請は、昔から住んでいる庭のある少し広い家を壊して、元の一軒分の地面にぎりぎりいっぱいたくさんの住宅を詰め込んだようなものばかりで、町から緑が消えて町の魅力がなくなっていくなあと思うところもあります。とにかく地価と建設費が上がっていますから、若い人が仮に借金をしても住まいを手に入れるためには、このような土地の細分化はどうしても必要なのでしょう。そういうところを念頭に不動産デベロッパーがミニ開発をどんどんやっています。その結果需要側の経済的な限界がどんどんクリアーされて、その限界ゆえに頭打ちになったかもしれない地価はどんどん上がります。今住んでいる人は売って儲ける必要はない上に、固定資産税が上がって困ることになるでしょうし、相続の時はただでさえ高い相続税の重荷が子孫にずしんとかかってきます。長い時間が経つと、今は土地が広い分だけいろいろな利用が考えられるのですが、狭くて建て込んでいる土地だと次の利用も制限されます。緑や遊休地がどんどん減って、かつてあった東京の魅力もだんだんとなくなるような気がします。実は東京は、江戸幕府のおひざ元であったという特殊事情で、明治の初めは、大名屋敷と寺社がものすごく大きな割合を占めていて、おまけに武蔵野丘陵に出来上がった町であることも与って、世界でも類を見ない緑の多い田園都市だったのです。それが、東京が一極集中が非難される中でもその魅力を失わず、人を引き付け、逆に一極集中をサポートしてしまった理由かもしれません。
しかし、こうやって「普請中」を続けていけば、いずれ東京も小さい家並が延々と続く殺風景な街になってしまうかもしれません。今古い家を手放す人はお金が入るからいいかもしれないし、新しく住まいを手に入れることが出来た若い人たちはいいかもしれませんし、デベロッパーは大儲けでしょうが、世代が変わるほど年月が経ったときはどうでしょう。東京は今は十分すぎるほど栄え、全国から人を集めているのですから、東京都の将来を考える政治行政の任にある方は、そろそろ人口増につながる開発を抑制する方向に舵を切るべきだと思います。しかし、実際に起きていることは、決められている建ぺい率を防火資材を使っているという名目で甘くして、さらに敷地にぎっしりと建物を建てられるようにしたことでした。デベロッパーを除けば、今の住民のほとんどの人にとっては、これ以上多くの人を東京に詰め込まないほうが、論理的に考えて得になることだと思いますが、おそらくほとんどの住民の方はその論理が意識されないのではないでしょうか。今のこの時に住宅が手に入るかどうかだけが関心の方が多いのではないかと思います。
また、東京一極集中に対する制約は、このように郊外のミニ開発で宅地供給を増やすことで乗り越えられて行っています。それをしなかったら、東京で仕事をしようと考える人やそういう人を地方から雇ってきて事業をしようと思っている企業は、住む家の手当てが経済的に不可能になるので、東京への人口集中に歯止めがかかるはずなのです。
一方、地方はどうでしょうか。若者が東京や大都市に流出したら、住宅と土地の需要が減っていきます。ひょっとしたら、東京などの住宅の供給制約で、若者が都会に行くにはコストがかかりすぎて、流出に歯止めがかかったかもしれないものが、東京などのミニ開発という「普請」で供給が増えて歯止めになりません。そうすると、地方では、大都会への流出が止まったらその地で起こるはずだった住宅建設が進まず、「普請」のない街になってしまいます。おまけに、増えない労働需要を反映した増えない住宅需要の中で、高度成長期に培われた緩すぎる都市計画の中で大きくなりすぎた土地の供給のために、昔は賑やかだった旧市街地は廃墟のようになっています。
このような地方の市街地をもう一度「普請中」にしてやろうと、知事時代の私は八方手を尽くしてみました。その後出来た空き家法の前身のような条例を作って、旧市街地で廃墟になった空き家の片付けに手を付けたこともあります。これ以上の都市の外延的拡大で土地需給が緩むのを防ぐために、農地転用など都市計画の運用の厳格化も刺激してみました。労働需要を増やすためには、働く場所を増やさないといけませんので、産業政策と企業立地の促進を頑張りました。またそのためには、交通の便や学校、医療など、産業活動を行うための地域の条件をよくする必要がありますから、全国的にびりに近い水準であった高速道路網と地域幹線と都市主要道路の整備に一生懸命取り組みました。(後世の人は私のことを道路ばかり作りたがる土建知事だと言うだろうねと苦笑しながら。)それでも足りない労働需要を一挙に増やしてやろうと、IRにも取り組みました。残念ながら、色々な思惑があってこれは県議会で否決され、高速道路も県の負担金拠出が大変だと次の知事の時代に建設がトーンダウンされてしまいました。(中期的には県財政が破綻しないように特別の方法を編み出して、それを考慮の上進めていたのですが。)
同じような事情は全国の地方にはどこでも存在する問題であろうと思います。
一方では「普請中の国」をもうこの辺で抑制したほうが良い東京など大都市と、一方では「普請中の国」になり得るようなエネルギーが貯まらない地方と。これらの解決のために、将来を考えた結構思い切った政策がいると思います。