テレビなど多方面で活躍している寺島実郎さんが先般和歌山にお越しになりました。和歌山県経営者協会の御招待でその総会で講演をしに来られたのですが、経営者協会の竹田純久会長が三井物産時代寺島さんと割と近い所で働いておられ、お互いに尊敬する先輩後輩だった関係で実現したと理解しています。
寺島さんとは私も少なからず御縁がありまして、私が日本貿易会の専務理事として仕事を始めた時、商社各社の業界活動を取りまとめる「業務担当」という窓口の三井物産のトップが寺島さんでありまして、当時常務でいらっしゃったと記憶しています。もとより大変な知識人として有名な方で、何冊も素晴らしい本を書いておられる方でありましたが、新米の専務理事を大いに指導して下さり、商社活動の方向をリードして下さったと思っています。
実は私はわずか1月で知事選に出るということになり、貿易会を辞職することになり、商社の方々に大変なご迷惑をかけたのですが、そんな事になるとはつゆ思わず、張り切って仕事をしていましたので、その間やった多くの仕事が、1月とは思えないほどたくさん思い出されます。
私が知事になりましてしばらくして、民主党による政権交代がありまして、和歌山県に関しては、同党の「コンクリートから人へ」のキャンペーンでもみくちゃになり、和歌山発展の阻害要因であった高速道路の整備がまたまた大いに遅れ、日本一混んでいる片側一車線の高速道路なのに、その複線化(四車化)を進めるためにせっかく付いていた750億円の予算を取り上げられてしまいました。しかし、その民主党の政権もさすがにこれはまずかったかなと思ったのか、大畠章宏大臣の頃から政策の再検討が進み、国交省に「高速道路のあり方検討有識者委員会」が出来たのです。その座長に任じられたのが寺島実郎さんでありまして、私は先述のように知遇を得ているので、御説明に何度か上がり、委員会でプレゼンテーションをする機会も与えて下さいました。そして、立派な議論がなされた結果、アンチ公共事業一辺倒の政策変更を促す委員会報告が出来たのです。民主党政権の最後の1年ぐらいは、あの「コンクリートから人へ」騒ぎが何だったのかというような政策転換が行われましたが、それも寺島実郎さんをはじめ委員会のメンバーの良識がターニングポイントであったと思います。
その時何度か九段にある寺島文庫を訪問させていただきましたが、寺島さんがお読みになった古今東西の名著がぎっしりと整理されていて、圧倒される思いでありました。私も本を読むことは好きで、特に寺島さんのお書きになるものの材料となる歴史やその中で活躍する立派な人々の事跡、過去から現在につながる経済の動きとその裏側にある制度や人々の営み、文化などに大いに興味を持つ者でありますが、寺島さんの読書とそれに伴う該博な知識にはあこがれに似た感銘を受けます。
その寺島さんがせっかく和歌山に来たのだから、仁坂知事と寺島さんの番組「寺島実郎の未来先見塾」(BS11 毎週金曜日よる10時から)で対談をやろうとのお誘いがありました。6月3日放送でしたが、寺島さんが中身のある立派なお話でリードして下さるので、なかなか楽しい対談番組となりました。(対談内容はこちらをご覧下さい。)
その際、2冊の本を下さいました。新潮文庫で「若き日本の肖像」と「二十世紀と格闘した先人たち」で、寺島さんが、この世界が21世紀を迎えるに当たって、さらにその100年前20世紀を迎える時、明治の先人は、圧倒的なヨーロッパ文化の中で何を考え、日本人としてどう生きていこうとしたか、そしてまた、米国に赴いてどう生きていったか、さらに、アジアの偉人が日本と欧米の狭間の中で何を考えて生きていったかという本であります。寺島さんにもそのとき申し上げたのですが、これらは私の最も好きなテーマの本で、大いに楽しんで読ませていただきました。(その時まで読んでいなかったのは問題ですが)、と言っても、当時は今よりももっと忙しく、読むことのできるのは、移動の車中だけで、ずいぶん時間がかかってしまったのですが、本当に立派な本であると思います。
2冊の本には、まだまだ国力も弱く、欧米に追い付くのに必死の日本を背負って、ともすれば圧倒的な欧米諸国の中で押しつぶされそうになりながら、自らを強く律し、祖国のためにそれぞれの立場で努力した日本人のエリートの姿が痛いように描かれています。とても私なんぞが紹介する資格がないので皆さん読んでいただきたいと思います。
また、国のありかたをめぐって、欧米の植民地化をかろうじて免れて、本来ならアジアの独立と自立の旗手になるべき日本が、遅れてきた帝国主義国として、権益拡大に突っ走って挫折する姿が印象的に描かれています。必死で頑張った過去の成功体験が、次には傲慢を呼び、世界の新しい流れに目を開くことなく、過去のモデルのままいわば定向進化を遂げてしまったのが、我々の過去の悲劇の要因であったということが繰り返し説かれています。中でも、孫文が1924年、死去の4ヶ月前神戸で行った「大アジア主義」の講演の末尾の言葉は重いと思いました。
「あなたがた日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質も持っています。日本がこれからのち、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城となるのか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっているのです。」
日本は、戦争に負けて叩きつぶされ、その結果戦前のモデルをすべてを清算して、別のモデルで突っ走ってきたのですが、寺島さんが心配するようにそれが来たるべき新たな悲劇の端緒にもなりかねないと考えると、思わず慄然とするものがあります。米国に安全保障を依存しつつ、平和一辺倒の外交を追求し、経済的復興と発展に専心してきた日本ですが、ちょうど今から30年前頃、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれ、国内的にはバブル経済華やかなりし頃、私は諸外国との貿易摩擦を円滑化する仕事に従事しながら、外国において、成功したが故に傲慢になった日本人ビジネスマンの姿をしばしば嫌というほど見せつけられたこともありました。
日本は、米国の安全保障の力の下で、平和と繁栄を享受してきたのですが、寺島さんは、このモデルでさえ、絶対のものではなく、中国の台頭という新たな現実の中で日本もクレバーな舵取りが求められるとされています。自虐史観は排しなければならないが、一方傲慢な日本至上主義に陥らないようにしないといけないという言葉はその通りだと思います。
世界観において、寺島さんと私は少し政治外交的立場は違うかなと思うところもありますが、寺島さんのおっしゃっていることは、事実として、日本人誰もが忘れてはならないことであると思います。ただし、寺島さんの心配するような事態に日本を追い込まないためには、日本人一人一人が、1900年を迎えた時に欧米に立ち向かったこの2冊の本の登場人物のように、類稀な努力と洞察力を持って、刻々と変わる国際情勢の中で正しい進路を見出していかねばならぬという重い課題を背負っているのだと思います。しかし、確かに重いけれど、寺島さんの本を読めば、重さに耐えることもまた楽しいことだという勇気を持つことができるようにも思います。
また、和歌山県人として付け加えますと、この2冊で繰り返し論述され、評価されている夏目漱石が1911年(明治44年)和歌山市で行ったいわゆる和歌山演説「現代日本の開化」が、漱石の人生という意味でも、近代日本の進路という点でも、大変重要なものであるという下りに接し、大いにうれしくなりました。私は漱石が和歌山に来て講演をしたことは知っていましたが、その講演が日本史的にかくも重要なものであるということを知りませんでしたし、講演の前に訪れた和歌浦の奠供山に当時あったエレベーターを漱石がさんざん悪口を言っているのを知っているものですから、他の和歌山の人たちのように漱石が来た来たといって喜ぶ心境にはなりませんでした。
しかし、寺島さんの本でもって、漱石の和歌山講演の意義を再認識し、漱石の来和を喜ぶ気になりました。また、考えてみますと、漱石がけなしたあのエレベーターについては、私もその事実を知った時、「なんと愚かな。せっかくの天下の名勝和歌浦の景観が台無しではないか。文明の利器の導入もその持つ意味や心を理解して行わなければならないものを。」と感じたのですが、漱石もそう思って批判をしたのなら、和歌山人をけなしたものではなく、当時日本にはびこっていた軽薄な欧化主義を批判したものということになるなと理解することにしました。と同時に、我々が同じような浮ついた行動に軽々しく乗っていることはないか、大いに自戒を迫られているのだと思いました。そして、和歌山県は、その漱石が歴史的名講演をした会場であり、また、最古の現存する和風建築の議事堂である、和歌山県議会旧議事堂を再建し、岩出市の根来寺近くで4月1日より公開していますことをいささかの誇りとともに申し上げます。