6月23日和歌山県で再びコロナ陽性者が発見されました。大阪でこのところ何人かが感染をしている何軒かのナイトクラブとは別の接客業の友人と大阪市で会食した20代の方で、その従業員の方が感染をしていることが分かり、その濃厚接触者であるとの連絡が大阪市からあったので、さっそく調べたところ陽性が確認されたのです。その方は一時高熱があったが解熱したので、勤務をしたり、遊びに出かけたりとしていたようです。その方のご家族などの濃厚接触者を検査したり、行動履歴調査をしたりしているところです。
和歌山県では5月12日に最後の感染者が見つかってから41日間新しい感染者がなく、既存の感染者も全て退院をし、かつ2週間の経過観察期間も全ての方が終了している状態にありましたので、久々の出来事でした。関西では、東京と違って、感染が抑え込まれていて良かったのですが、ここに来て、大阪のミナミのナイトクラブでいくつか感染が発生して少し心配しました。今回の和歌山県の感染は大阪からの持ち込みですが、大阪府や大阪市がよく頑張ってくれているお陰でしょうか、ミナミの感染もここ2~3日新規感染者がいないというように落ち着いているように見え、このまま推移してくれることを祈りたいと思います。
今回の新規感染の発表の記者会見に私は自らは出ませんでした。これは、6月18日のぶら下がり会見の時に予告したとおりです。すなわち「今後も感染者は出ると思います。世界的には感染が収まっているとはとても言えない状況ですから、和歌山県で発生しないはずはありません。でも、コロナ拡大防止策は、保健医療行政の頑張りと国民、県民の行動抑制、営業自粛の和、足し算ですから、県でこれまで頑張ってきた保健医療行政が踏ん張って、感染者が出てもちゃんとお世話し、拡大をしないように、検査、調査をして、他に拡がらないように囲い込みをしますから、県民は、安全には気をつけつつではありますが、生活や経済の立て直しや健康や学力の維持に頑張って下さいということです。それに、あの済生会有田病院の頃より、保健医療行政の力は格段に上がって、体制が強力になっていますので、少し感染者が出ても、破綻することはまずありません。万一我々が失敗して手を付けられなくなったら、また、県民の皆さんにお詫びしつつ自粛の協力をお願いせざるを得なくなるかも知れませんが、そうならないように頑張ります。そうでなくて、いつまでも自粛一本やりでやっていては県民生活も県経済もむちゃくちゃになってしまいます。ですから、一人ひとりの陽性者発生に知事が一つひとつ記者会見に出たら一大事という印象が強く出過ぎて、県民の皆様の心を過大に萎縮させてしまう恐れがあるので会見に出ないことにします。また初め、自分で記者会見をした理由の一つである、どんな情報を公開し、どんな情報は公開できないかについても、十分経験を積んで相場観が出来たので、職員でも迷うことなく発言できると思います。」と申し上げました。その線でしばらくはいきたいと思います。怠けているわけではありませんで、詳細に説明を聞き、部内で必要な指示は出しています。
このまま、感染の拡大がないことを祈りますが、保健医療部局は迅速に、すべきことをやってくれています。県民の皆さんへのお願いは、
『移行期間中における県民の皆様へのお願い(第10弾)』(和歌山県HP該当ページ)の通りです。安全な生活、安全な外出、安全な営業でお願いします。
最近、新聞紙面などでは、これまでの政府の感染症対策の分析、反省という内容の記事が目に付きます。
その論点の1つに、政府の専門家会議の方々が、色々とああすべき、こうしないと大変と踏み込んだ発言をしたが、それが良かったかという点があります。心は、専門家が権限もないのにしゃしゃり出て、言い過ぎたのではないかという事です。
私は、これに対しては、そんなことはない、言って良かった、人間は信念に従って、言うべきだと思うことはどんどん発言したら良いと言いたいと思っています。
それに対する批判は、それによって、政府要人の意思決定が曲げられたのではないかということだと思いますが、私は、そのように曲げられたとしたら、悪いのは100%影響を受けて曲げてしまった政府要人だと思います。責任はトップがとるべきで、部下は、どんどん進言し、時には外に発言しても良い、それを全部聞き、考慮に入れた上で、総合的に判断を下すのはトップの役割なのだから、というのが理由であります。私も今は知事ですが、昔は官僚をしていました。その際、組織のトップは大臣で、最後は大臣が決めたらいいが、その材料として、遠慮なく進言、提案をするのが官僚の役割だと思って、ずっと仕事をしてきました。一番悪いのは、大臣などトップの顔色をうかがって気に入るようなことだけを進言することで、忖度が悪いのはこの理由です。従って、今回のコロナ対策についても、すべての責任は政府要人にあるのであって、専門家の発言や行動にあるわけではありません。トップたる者、いくら専門家が進言したことでも、本当にそうなのかとよく詰めて、仮にそうだとしても、それを採用した時別の大変な副作用が起こりはしないかという事など、総合的に判断しなければいけません。専門家の言うことを、丸々信じて、それ以外に解がないようにしか考えられない人は、余り褒められたトップではありません。今は県政に関する限り、私がトップですから、何でもどんどん言えよと提案を奨励し、それでも遠慮しているなと思うときは無理矢理言うように議論に運び、一方、言われた事は、私も部下に忖度をしないで、それはこれこれの欠点ありと遠慮なく叩かしていただいています。でも最後は、相対的、総合的に一番にいい解を決定して、その代わり、責任をとるのが知事の仕事です。
6月24日の朝日新聞に、この趣旨からでしょうか、専門家会議の座長の脇田隆字さんと、副座長の尾身茂さんの談話が載っていました。拝見すると、お二人ともこういうことを言っておられます。「ただ一番大きいのは、各地の保健所や厚生労働省のクラスター対策班などの頑張りで、早期から感染者を追跡して流行の「芽」を抑えられたことだと思う。例えば北海道の大きな病院がないような地域でも、初期の流行で発症者をちゃんと見つけられた。欧米は気づいた時にはかなり感染が拡がっていたのでしょう。」(脇田)。「1月ごろから感染者の追跡調査をし、多くの人に感染を広げないよう、保健所の人たちが地道な努力をした。これらが大きいと思います。欧米に比べて感染者も死亡者も少ないというデータに表れています。」(尾身)。
私はようやく政府の専門家の方々も、欧米と比べて日本は感染症法があり、感染者の隔離権限を持つ保健所がある、それが感染拡大の防波堤になっているという事実を口にするようになったかという感慨にふけりました。先に述べたように、私は専門家はいくら発言してもよいと思っています。しかし、それと発言したこと、外に言わないでも政府要人に進言したことが正しかったか否かの検証と反省はきっちりやるべきだということは別のことであります。
私の見るところ、政府の専門家は、日本独特の感染症法と保健所の意義を正当に評価してこなかったのではないでしょうか、感染症対策としては、次々と広がる感染者の拡大から病院崩壊、特に重症者への医療崩壊しか念頭になかったのではありませんか。だからあのイタリアやニューヨークの医療現場で起こったことをそっくり日本に起こるだろうと想定して、そうなっては大変だから風邪等の症状のある人も4日間は病院に行かないで自宅に留まれとか、今80%人との接触を絶たなければ感染と死者はこんなに膨大な量となるとばかり言っていたのではありませんか。
また、クラスター発生については重要視したけれど、その前の1人1人の感染症患者の行動履歴調査も地道にやり、早期検査、早期隔離を一生懸命やってきた地方の保健当局をまっとうに評価したことがありましたか。また、大都市で、この保健所の機能がパンクしたことによって感染の流行が激化したということを評価せず、国民の自粛協力によって感染者が減少してきてその機能に余裕が出てきた時に、大都市の保健医療行政の箍(たが)をしめなおせと提言したことがありましたか。
このようなことをこそ、検証して、反省してこそ、次からは本当に素晴らしいことを世に問うことができるのではないかと私は思います。専門家がんばれ。