新型コロナウイルス感染症対策

 私の知事4期めの仕事で、一番世の注目を集めた仕事はコロナ対策であったかと思います。県民の命にも県の経済にも大変な影響力がある案件だったものですから、私もその都度その都度ベストな政策は何かと必死で考えて、しゃにむに実行してまいりましたが、自分で言うのも変ですが、和歌山県の対策は素晴らしかったとよく人に言われます。最近は家内のこともあり、東京にいる時間もある程度ありますが、その東京で私としては、あんまりよく知らない人から、「和歌山県のコロナ対策は立派でした。和歌山県民だったら安心だったのに。」ということをよく言われます。熱心に取り組んだ結果、政府やそのアドバイザーの専門家の見解や指令が気に食わない、というより間違っていると思われることが多く、よく噛みつきました。その噛みつきの場の中心が県庁のホームページの知事メッセージで、その時々の状況に応じて、「やむにやまれぬ大和魂」で様々な話題を書き連ねました。その数は3年間で92回にも及びました。

 コロナ対策も、初めは、コロナの毒性もきつかったけれど、得体の知れない病気ということで、人々の恐れが強い中で、コロナをどう抑え込んで、人の命を救うかというのがテーマだったと思います。和歌山県では、欧米にない感染症法と保健所の機能を100%発揮させる工夫をし、済生会有田病院の病院クラスターをシャットアウトして以来、感染を抑えながら、全国で唯一となった全員入院の堅持を貫きました。口で言うのは簡単ですが、保健所と病院の機能をマヒさせないために、多くの工夫をして、頑張ろうとしたのです。
 その後、オミクロン株の感染力の強さに、全員入院は不可能という所に追い込まれましたが、幸い毒性が少し弱まったようで、保健所と県等の機能を生かして命を守ることに全力をあげました。このあたりで感染の抑制にどのくらい力を入れるか、一方そのために悪影響を受けている経済や生活をどう守るかという問題がクローズアップされました。同時に、あまり有効な保健所の強化策を打てていなかった県を中心に、もう県行政と保健所は責任を持てないので、それを軽減すべきだという声もあがりました。それをすることによって、経済への打撃も少なくなるという意見もありました。このように保健医療行政の撤退が議論される中で、人々の行動への制約は政府も中々踏み切れず、いつまでも結構強い制約が奨励されました。これに対して和歌山県では感染を抑制しなければ、いくら健康な人への毒性が弱いとはいえ感染が拡大し、そうすると体力の弱い病弱者やお年寄りに感染するリスクが高まるので、死者も増えてしまうし、仕事がきついからといって県民を守るための任務を負っている県庁が仕事から撤退してしまったら、県民に申し訳ないではないかというのが私の考えでした。そこで考えたのが経済政策論の基本的定理である政策割当の理論です。感染の予防、抑圧のためには保健医療行政が必死で頑張り、一方県民の暮らしとか経済にはあまり制約を設けないという基本的枠組み(和歌山モデル)を提唱し、それを忠実に実行しました。しかし、これによって和歌山県のこの分野の司令官野尻孝子技監以下の健康推進課の諸君や各保健所、コロナ病院の現場は大変な努力を強いられ、これを命じ続けている私はいつも心の中で彼らに頭を下げていました。
 ただ、変容してきたこの病気(感染力は益々強くなり、毒性は徐々に弱くなってきた)の現実を前に、経済を早く立て直したい各国の当局は、次々とコロナ対策の制限緩和に向かいつつあります。日本でも岸田総理がついに5月8日をもって、感染症法上のコロナ対策を今までの2類相当というものから5類相当に変えようと発表しました。
5類相当ということは通常のインフルエンザなどと同じようになるということで、これまで陽性者の隔離などを保健所が権限で行っていたものができなくなり、また、ワクチンや治療費も何も措置しなければ通常の医療費と同じく有料となるということであります。また、当然行動の制約は、命令される根拠もなくなります。
私は、この方針変更は、ことここに至ればやむをえないもの、妥当なものと思います。当然感染者は増えるでしょうが、だからといって、陽性者に多大の制約を課し、また人々の行動の制約を続けるのは理論的にも現実的にも難しいと考えるからであります。また、この3年間、休みもほとんど取らず、ずっと県民の命を守るために働き続けてくれた県の保健医療行政に携わる人の肩の荷もおろすことができます。
 では、これまでの必死で頑張ってきた和歌山県のコロナ対策は無駄であったかというと、決してそうではありません。最近全数把握の強制がなくなってからは、色々な工夫で把握に努めている和歌山県のような県とそうでない県とはコロナの発症者数の比較は中々難しく、和歌山県などは結構高めに出ている可能性もありますが、それでもまあまあの数で留まっているし、病院がパンクする危機は何度もあったけれど、野尻技監の努力や病院の協力で何とか回避できたし、人口当たりの死者数の少なさも日本一では決してないけれど、大阪の隣の県としては、うんと低い所におさえて、多くの命を何とか救えたと思います。

 でも、これからは別の局面に移ります。では、その別の局面が万々歳かというと少なくとも次のような問題が生ずる恐れがあります。
 その一つめは、感染者を抑え込むことができなくなり、当然感染者が増えるということですから、特に病弱な人とお年寄りに激甚な影響が及ぶことをどう防ぐかという問題です。今までは社会全体の感染者を下げて、そういう体の弱い人々への感染侵入の確率を下げようとしていましたが、それができなくなる時に、特に体の弱い人の命を守るため、そういう人への感染の持ち込みをどう防ぐかという問題が残ります。
 その二つめは、県の行政による入院調整が期待できなくなるので、感染が増えた時、軽症の人も大病院へ殺到し、混乱の中で、体の弱い人で、しかも重症な人の入院をどう確保するかという病院機能の維持の問題であります。
 その三つめは、おそらくコロナが今以上に増える一方で、今までのような行政による交通整理ができない中で、コロナも検査診断し、とりあえずの処方をしてくれるクリニックや病院をどう確保するか、という問題であります。この点について、保健所が頑張るのを放棄したいという人々が、「コロナを2類相当にして保健所がコントロールするから病院やクリニックがコロナを診ないので、5類にすれば、すべての機関が診てくれるようになる。」というキャンペーンを張っていましたが、それは事実と異なります。コロナは扱いが難しく、医師等が感染すると、あっという間に医療機関の機能が失われるので、できれば遠ざかりたいというのが、普通の医療機関の論理で、それを、しっかりと機能している県の保健医療行政は、一生懸命説得して、コロナでも一次的に診てくれる機関を増やしていたのです。

 私が考えた問題は以上の3点が大きいと思いますが、まだまだもっとあるでしょう。これから5月8日までの間に、政府も個々の問題について大いに検討して対策を講じて行くと思いますが、是非頑張っていただきたいと思います。
その中で、私が思いますことは、

 第一に、第一義的にコロナか否か発見し、とりあえずの対症療法を加えてくれる医療機関をうんと増やす工夫(説得とインセンティブ)をすること。

 第二に、権限はなくなっても、何らかの手段で県当局又は保健所等に患者情報が入り、病院がパンクしそうな時に、病院の協力を得て交通整理ができるような対策を考えておくこと。

 第三に、非コロナで特に体の弱い患者を抱えている病院や高齢者福祉施設などで、外部の感染を内部に持ち込まないような有効な手を打つことを考えておくこと。

ということであります。3年間コロナと闘いつつ、和歌山方式で政策割当をして、感染を抑制しつつ生活と経済を守ってきた経験者なるが故の私の思いです。