風評被害

 東日本大震災からの復興の足を引っ張っているのが福島第1原子力発電所の事故です。その他の地震津波の被害はもうこれ以上被害が生じることはないのですから、さあ力を合わせて復興だということになるのですが、原発だけは、まだコントロールが完全というわけではなく、コントロールに失敗したらもっと無茶苦茶になるというリスクがあるのが何としても心を重くします。それに、地震津波による被害をそう受けていない地域も放射線の影響を考えて大規模に避難をしているものだから、その地域では復興はおろか、遺体の捜索やがれきの撤去といった復旧すら十分にできません。住民の方々の悲しみや怒りを考えるといたたまれない気持ちです。

 しかし、東京電力の現場作業員さん達をはじめ、多くの人々の働きによって、先ほど述べた、被害が爆発的に拡大するというリスクは一日一日と減りつつあると言ってよいと思います。懸命の努力が奏功することを祈るばかりです。

 それにしても気になるのは、いわゆる「風評被害」の問題です。私も昔は多少原子力を担当し、それも、科学技術庁(今の内閣府)に出向して原子力ないし放射線災害防止、すなわち、何か起こったときの避難やら防護やらを担当していましたので、多少の知識はあります。それからすれば、日本の放射線障害防止の水準はものすごく高いので、原発周辺はともかく、近隣県あたりの放射能などは健康上全く問題にならないと思います。

 しかし、今日本や世界で起こっていることは、放射能とそれに汚染されているかもしれない産品に対する大変な排除です。これを「風評被害」と言います。安全基準の何百分の1、何千分の1のあたりで値が少しふれたぐらいでこのような排除をする必要もないし、まして、そのようにふれる恐れがあると勝手に思い込んで、まったく値が正常なのに、これを排除しようとするようなことは間違いです。残念なことに、このような風評被害は日本でも世界でも拡がっています。
 情報公開と自己保身の風潮の中では、政府の官僚などは、絶対安全の水準であっても、普段からの変化を強調したくなり、さらに念のため例えば赤ちゃんや妊婦には気をつけて下さいなどと言いたくなり、それを大々的に報道するマスコミの作用とあいまってこのような風評被害は拡大していくのです。

 困ったことに、この流れは外国にも拡がっています。せっかく日本の農業、水産業の再生のために輸出を振興しようという気運がようやく出てきた中で、このような日本産品排除は大変な困ったことで、日本の復興にとって大打撃です。諸外国では、さらに、このような風潮を加速させるように、政府が公権力を行使して、日本産品の輸入を理不尽に止めています。EUあたりから始まったこのような放射能を理由とした輸入制限は、全世界に伝染しています。

 例えばEUの輸入規制は、日本産品のうち、福島県はもちろん周辺12県の産品は全部止めるので、それ以外の県の産品は、その県で作られたという原産地証明を県当局のような公的機関が出せ、そうすれば入関させてやるというものでした。
 それに接した農林水産省は何をしたか。当県も含む各県に、これら12県の産品でないという証明書を出すようにという指導をしてきたのです。相手がやっている規制が正当なものならばこれは正しい指導です。しかし、不当なものであるならば、このような理不尽なことをしかけてきた外国と戦うということが、日本国民の負託を受けた日本政府の仕事ではないでしょうか。
 今、諸外国の政府が行っている規制は明らかに理不尽です。国際貿易のルールはWTOによって定まっていますが、その中の衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)の第二条2によれば「加盟国は、衛生植物検疫措置を、人、動物又は植物の生命又は健康を保護するために必要な限度においてのみ適用すること、科学的な原則に基づいてとること及び、第五条7に規定する場合を除くほか、十分な科学的証拠なしに維持しないこと確保する。」となっています。国際基準の何千分の1、世界一厳しい日本の安全基準でも何百分の1の線量でどうして、安全でない若しくは安全を脅かされるおそれがあるということを科学的に説明できるのでしょう。
 WTOでは、国際的なもめごとが起こった時、それを裁く裁判制度に似た紛争解決制度が決められています。このような国際法に背く理不尽な規制を行ったような国には、日本政府は毅然として、このような国際ルールに基づく対応を行うべきです。そして、口では日本を助けるとか何とか言いつつ、実は、このような災害に苦しんでいる日本を理不尽にいためつけている国を糾弾し、それを国際世論に訴えていくべきでしょう。それが、日頃から農林水産省や外務省の役人や大臣を我々が税金で養っている理由でしょう。ところが、政府は、外国にはニコニコ、ヘーコラしているばかりで日本国民のためにちっとも戦ってくれないのです。いったいどこの国の政府だと言いたくなります。

 私は和歌山県知事です。和歌山県の人々の利益を守るのが私の仕事ですから、以上のような事を悲憤慷慨しつつも、和歌山の産品の原産地証明を行う措置はとりました。当県民はそれでよい。しかし、これによって我が日本の同胞を裏切っているようでとても心苦しいのです。12県の中には山梨県なども入っています。桃については山梨県と和歌山県はライバルです。しかし、こういう理不尽な輸入規制によって、和歌山県産品が山梨県産品にとって替わっても、ちっともうれしくはありません。
このような政府の無策ないし弱腰により、EUに始まった輸入規制はまたたく間に世界に拡がりました。このような批判を和歌山県からマスコミなどに吠えていても、どうも不十分です。この際堂々と政府に申し入れるべきだということで4月14日農林水産省の篠原副大臣を訪ねました(鹿野大臣に申し込んだのですが)。その後政府も少しは外国に働きかけているようですが、報道で見る限りあまりにも生ぬるい。例えば、日中韓の貿易大臣会合で、この問題を提起した海江田経済産業大臣に対して、中韓の貿易大臣は「我々は科学的根拠に基づいてやっている。」と述べ、それを海江田大臣は受け入れて、にこにこと握手までする始末です。本来なら「どこが科学的根拠だ、言ってみぃ。」と迫るべきだったのです。

 このように世界中に拡がった日本いじめの現象を我々は「風評被害」と呼んでいます。考えてみるとそのように呼ぶことがそもそもの間違いなのです。一般の民衆が合理的か否かを問わず無秩序に拡がってしまった考えに影響されることを風評と呼び、その被害を風評被害と言うのです。国家が公権力に基づいて行う規制によって受ける日本の被害は風評被害ではないのです。風評による被害なら、ある程度はやむを得ないところもあります。一般の民衆の気持ちはコントロールできないからです。しかし国家の行った公権力の行使は断じてそんなものではありません。やむを得ないなどと思ってよい余地は少しもありません。風評被害などというレッテルを貼ってしまったことも、日本と日本人を守らない政府を甘やかす一端になっているのではないでしょうか。