2月14日日高町阿尾において、クヌッセン機関長救命艇保管庫が新装オープンになりました。県道拡幅に伴って近くに移動したものです。昭和32年2月10日紀伊水道の美浜町沖で火災を起こした徳島県の機帆船の乗組員を救助するため、折から通りかかったデンマーク船エレンマースク号の機関長であったヨハネス・クヌッセン氏が嵐の海に飛び込み、もう少しという所で力尽きて、落命しました。氏の遺体と救命艇が翌朝日高町に流れ着きました。美浜町と日高町の方々は、この立派な行為を悼んで、美浜町に顕彰碑を、そして日高町に供養塔と救命艇の保管庫を作って、ずっとその遺徳を讃えています。供養塔には、近くの田杭地区の方々が毎日のようにデンマーク国花のキンセンカを手向けてお参りをして下さっているのです。また、二階俊博衆議院議員はじめ有志の方々がクヌッセン氏の生家を訪問したりして、段々とこの義挙は日本とデンマーク両国の友好の絆となりつつあります。
私はクヌッセン氏の偉業は本当に立派なことだと思いますが、それをいつまでも忘れないで讃え続ける両町の方々もとても立派だと思います。ちょうどエルトゥールル号の悲劇の時の串本町民が立派であるとともに、教科書に載せ続けてずっとこれを讃えるトルコの国民も立派であるのと同じです。
やがて2002年になり、日韓ワールドカップサッカーの時、デンマーク・ナショナルチームは和歌山をキャンプ地に選んでくれました。その意思決定の背景に、同朋クヌッセン氏の偉業を忘れない和歌山という地への好意があったのではないかと私は推測しています。そしてまた今度は、このキャンプがきっかけになって、和歌山市を中心に、「和歌山ローリガンズ」というデンマークを応援するサッカー愛好会が出来、それがまた新たな日本・デンマークの友好関係を強化しつつあるのです。私もこのような「恩を忘れない」和歌山県民の1人として、この夏県民の皆さんとクヌッセン氏の故郷に慰霊に行ってみようかと思っています。