岸本周平和歌山県知事のご逝去を悼む
和歌山県知事の岸本周平さんが4月15日に亡くなられました。4月14日に公舎に迎えに行った随行秘書が倒れておられるのを発見して、すぐさま緊急入院をして、懸命の治療をして下さったと思いますが、翌日亡くなられたという発表がありました。病名は敗血症ショックだそうで、免疫機能が落ちている時に細菌その他の感染があると死に至ることもある病気だそうです。聞けば、12日の大阪関西万博の開会式は体調不良で欠席であったけれど、13日の関西広域連合の関西館のオープニングには出られ、お神輿を担いでおられたそうです。きっと激務の無理がたたったのでしょう。まことにお気の毒です。心からご冥福をお祈りします。
岸本知事は、和歌山の桐蔭高校の6学年下の後輩で、東大法学部から大蔵省に入省し、割と早期に退職してから、民間企業を経て和歌山一区から衆議院議員に立候補し、最初の落選後、5回連続当選をした後、私の引退を受けた2022年の知事選挙で当選をされ、熱心に知事の仕事に取り組んでおられたと思います。それもわずか2年余りで、岸本知事は志半ばで倒れ、我々とは幽明を異にしてしまわれました。ご本人も無念でしょうが、和歌山はもちろん、広く世に岸本さんの熱心な支持者や友人知己がおられましたから、その方々の落胆はいかばかりかと思います。とりわけ、直接はちらっとしかお目にかかったことはありませんが、賢妻のNHKの飯田香織さんとは、とてもお似合いの仲の良さそうなご夫婦でしたから、そのご心中察するにお気の毒で堪りません。心からお悔やみ申し上げます。
考えてみると、岸本さんは議員時代に一時お体を壊されたかなと思う時がありました。すっかり痩せて、声が出なくなって、心配する私にダイエットですよとおっしゃっていました。その中で選挙をお迎えでしたので、ちょうど私が友人に声が出なくなったらこれをなめろと言ってもらったのどの薬が手元にあったので大量にお届けしたりしました。そのせいか少しは声も出るようになり、最近では少し太られたようで、体調は良くなったのかなと思っていた矢先でした。私はあまり政治的人間ではなく、選挙応援に関しては、選挙で借りた恩は選挙で返す(行政ではすいませんが返しません。)という主義でしたから、民主党や国民民主党で立候補している岸本さんには応援はしていません。それでも、すいませんねという私に対して、分かっていますから気にしないで下さいと言ってくれていました。知事選挙の時も、全く中立で誰の応援もしませんでしたが、知事職の引継ぎは、差し出がましくならないように気を付けながら、最大限入念に行いました。私が就任したのは前知事が逮捕された後ですから何も引き継ぎがなく、暗中模索のような知事職のスタートで、いささか大変でしたから、新知事にいささかでもお役に立てばという思いからです。そのため、和歌山県政策集、資料集に加えて、仕掛の案件を説明した懸案集、さらには私の失敗の記録も作り、人には言えない人事上の情報もこっそりご本人だけに提供しておきました。私が岸本さんに何か申し上げたのはこの就任前に行った引継ぎの時までで、ご就任後は一切口出しはしていません。岸本知事がこれらの情報をどう使うかは100%岸本さんにかかっています。私の見るところあまり参考にされなかったのではないかと思います。思いますに、岸本さんは、私とは違って政治家を自任しておられましたから、前とは違う独自色を打ち出したかったのではないかと思います。ご就任後、私の時代の看板政策がどんどん否定されて、新しいものが打ち出されました。理屈で考えるとあれあれと思うこともありましたが、私は一切批判をすることはありませんでした。私のところには、色々批判するご意見をお持ちの方々からどっさりと文句が寄せられまして、同調を求められるのですが、自分で知事を辞めておいて後任者の治世をあれこれ言うのは卑怯だと思っていましたから、同調したことはありません。「岸本知事は賢い人だから、それに政治家だから、有権者に嫌われることは、私と違って慎重に避けるでしょう。だから、あなたのような有力者なら、文句があったら直接知事におっしゃったら効果があると思いますよ。それに、和歌山は岸本知事しかほかに選択肢はないのですから。」といつも言っていました。
その唯一の選択肢岸本知事が亡くなってしまいました。最近色々と和歌山をめぐってはあまり芳しくない状況がありました。政治的争いもあります。インフラの延伸も、これは岸本県政の方針でしたが、やや停滞しています。経済的にも少しまた勢いが減退しているような雰囲気もありました。人脈も豊富で賢明な岸本知事に大いに頑張ってもらって、また、県勢を取り戻してほしいと皆が思っていたまさにその時の悲劇です。和歌山県はどうなってしまうのか、県民皆が思っておられると思います。私の所へもまた知事に戻ってきてくれというお電話がいっぱい来ました。すべて、それはだめです、勘弁して下さいと申し上げています。私が引退した時、それを決めた理由の一つ一つはもっと悪くなっています。今またもう一度というぐらいなら引退はしていません。それに、人材輩出県である和歌山県の実力からすると、若くて有為な人材がたくさんいらっしゃるはずです。そういう方を押し立てて、皆が力を合わせて、岸本さん亡き後の和歌山県政を盛り立てていってほしいと思います。そういう方から、アドバイスを求められたら経験値だけはいっぱい貯まっていますから、協力は惜しみません。こうして和歌山県再建の道筋をつけること、それが志半ばで倒れられた岸本さんに対するせめてものはなむけではないでしょうか。
この追悼文を書いているちょうど今頃岸本さんのご葬儀が行われているころだと思います。家庭の事情でご葬儀にも行けませんでした。岸本さんどうぞお許しください。岸本さんの知事としての生き方、そして、その人となりは、永遠に歴史に残るものと思います。あの笑顔を思い出しながらこの追悼文を書いています。