竹中半兵衛の「完璧なり」
竹中半兵衛という有名な戦国武将がいます。豊臣秀吉の軍師となってその天下取りのために大変な功績をあげた人でもあります。もともとは美濃の国の土豪ですが、時の美濃の領主であった斎藤龍興に愛想を尽かして、難攻不落と言われた稲葉山城(現在の岐阜城)を少人数で攻略して、占拠してしまいます。その後どういうわけか、自分たちは撤退して、元の領主の斎藤龍興に城を返還するようですが、その後自分の領地に逼塞している時に、その名声を聞きつけた秀吉が何度も通って、自分の配下にすることに成功したということは、昔からよく聞いた話であります。もともと体が弱かったのか、無理がたたったのか、肺病、今で言う結核になって若死にをしてしまい、秀吉の軍師の地位は黒田官兵衛に引き継がれることになります。この辺までは、日本人ならほとんどの人が知っているお話であります。
この竹中半兵衛に関して大変面白いお話を読みました。今村翔吾さんという作家がいて、「幸村を討て」とか、なかなか面白い小説を書いている人ですが、最近今村さんが書いた「戦国武将伝」という文庫本を買いました。東日本編と西日本編の2分冊になっていますが、それぞれ二十数人の戦国武将のエピソードが書かれています。結構人情話が多くて、なかなか好感の持てる話ばかりなのですが、その中に竹中半兵衛について書かれた「完璧なり」というタイトルのお話があります。なにぶん小説なので史実かどうかは全く分かりませんが、いい話なので感心して読みました。
竹中半兵衛は天才的な軍略家でして、前半生は自らが大将となって、後半生は秀吉の軍師として、数々の戦を勝利に導いた人ですが、生涯をかけた希望は、味方に一人の戦死者を出すことなく戦に勝利をするということだったというのです。圧倒的な勝利で秀吉の華々しい戦功を支えてきたのですが、なかなか一人の戦死者も出さないという完璧な成果は出せませんでした。だんだんと体が弱るに従って、何としても命が尽きるまでの間にこの完璧な勝利を実現したいものだと思っていたのですが、ついにそれが成就します。秀吉の中国攻めに参加し、三木城を攻めますが、計略を以て敵を城内からおびき出して、それを完膚なきまでに撃破するのですが、その時に竹中半兵衛が自ら率いる部隊も、秀吉の本隊の部隊も、黒田官兵衛の部隊も、一人も戦死者を出さないという結果となりました。それが分かった時に、竹中半兵衛が叫んだ言葉が「完璧なり」と言うことでした。竹中半兵衛は、当時すでに病気が進み、この完璧な戦勝の直後に命が燃え尽きてしまいますが、その前に完璧な戦ができたと言うことを誇りにして、この世を去ったと書かれています。
この話を読んで私が思ったのは、大災害が起きた時のことであります。2011年和歌山県は、巨大な台風12号が四国から紀伊水道に停滞し、その台風によって巻き込まれた水蒸気が大雨になって約4日間降り続きました。その結果、和歌山県をはじめ紀伊半島南部は大変な水害に見舞われました。後に紀伊半島大水害と名付けられた災害です。私は当時和歌山県知事ですから、県の災害対策の司令官です。あらかじめ決められた災害対策に加えて、とっさに思い付いた対策も含めて、人命救助、応急復旧、本格復旧、そして復興と休む暇もなく手を打って、復旧復興のスピードにおいて類を見ない速さだと褒められました。自分で言うのも変ですが、確かに、あのような未曾有の危機をうまく乗り切ったものだと心の中では思っています。ただし、いつになっても忘れられないのは、この大水害で61人の死者行方不明者を出してしまったことです。自然災害の発生は防げません。いつかどこかで起こります。しかし、起こった時に、なんとか人の命だけは助けたいといつも思っています。命が助かりさえすれば、現代の制度では、国をはじめ多くの人達が復旧復興を助けてくれて、時として、災害で破壊されたインフラなどは、元よりももっと強靭な形で再建されることも多くあることであります。もちろん、復旧復興に時間がかかりすぎると、被災地域の人々の心が折れてしまって、最終的には立派な施設が完成したとしても、人々がよそに移ってしまうということもありますが、それを除くと、地域はいずれ再興されるわけです。しかし、亡くなった方は、その再興を見ることはできません。だから、何としても生き延びないといけないわけであります。和歌山県は、後から考えると、60年に一度大変な大水害に見舞われています。明治22年の大水害では、大斎原にあった本宮大社が流れてしまうなど、熊野川沿いに大変な被害が生じました。昭和28年の大水害の時には、有田川と日高川の両流域が湖のようになってしまって、大変な被害が生じました。死者行方不明者は、それぞれ1200人超、1000人超であります。それに比べると、平成の紀伊半島大水害の際の61人の死者行方不明者というのは少ないように思います。これは、過去の災害の結果を踏まえて、インフラが大いに強靭化されていたことが大きかったと思います。しかし、61人の死者行方不明者を出してしまったということも事実であります。私は、復旧事業が軌道に乗り始めた頃に、犠牲になった方々のお弔いに参りました。犠牲者のお宅を訪問し、ご家族にお悔やみを言い、霊前に手を合わせて参りました。ご家族の方の悲しみはいかばかりであったろうと思いますが、私にはずいぶん好意的に接してくださったと思います。しかし、私の心はそれでいいというわけではありません。もし一人の死者も出さないであの災害を乗り切ることが出来ていれば、私の心は晴れやかだったのではないかと思いますが、61人の死者行方不明者を出してしまったという事実の前にはそうはいきません。あの方々はもはや戻っては来ません。このことは、お悔やみに伺ってご家族にお会いし、ご霊前にぬかずいた時の記憶とともに忘れることができません。災害対策は絶対に死者ゼロを目指すべきであります。
ところが、いつも思うことですが、地震津波の被害想定がさまざまな機関からさまざまなタイミングで発表されますが、例えば南海トラフの巨大地震が発生したときは、和歌山県は9万人の犠牲者が出るということが言われています。しかしその時、私が極めて違和感を持つのは、9万人もの犠牲者が出るということが淡々と発表され、淡々と報道されるだけで、絶対にこれをゼロにしてやるぞと言う気持ちを持ち、そのための対策を一生懸命に作り上げていくべきだということは、強調もされず、報道もされないということです。私は、61人の死者行方不明者を出しただけで、胸が潰れるのに、9万人が犠牲になりますと言われて、ああそうですかなどとは絶対に言えません。
このような被害想定は対策を講じなかった時の数値だと考えます。対策のよろしきを得たら、この被害想定はきっとうんと少なくなるはずです。それも何人ならいいというものではないと思います。私は、和歌山県は死者ゼロを達成してやるぞと考えて、そのためにはありとあらゆる政策を講じ、工夫をし、人々の意識を高め、制度をつくり、施設を改良してやろう、私はそう思って頑張ってきました。しかし、世の中はどうでしょうか。被害想定というと、何万人何十万人の人々が亡くなると言われても、その深刻さがなぜか忘れられて、単に数字だけが淡々と一人歩きをしているような気がしてなりません。自分の大切な人が亡くなったらどれほど悲しいかを想像すると、被害想定で計算をすると、何万人の人が死ぬと言うようなことを発表して、ああそうですかと言っている世の中は、好きではありません。被害想定は、大事な情報ではありますが、対策の前提条件であるはずの被害想定を、研究発表のように何万人死にますと公表しておしまいにするということが許されていいわけがありません。それぞれの地域の責任のある人たちは、この前提に立ち向かって、自分たちの施策の充実を図り、何万人はおろか一人たりとも死なせないぞと思い続けるべきであります。そのつもりで、「完璧な」災害対策を用意しておくべきでしょう。実際の災害発生時に、この対策が功を奏し、その地域で死者ゼロを達成して、「完璧なり」と言う自治体の首長の出現を待ちます。
今村翔吾さんの小説を読んで触発されてそう思いました。