沖縄県辺野古沖高校生遭難事件と「教壇からの御宣託」
3月16日、沖縄県辺野古沖で、普段基地反対に使われていた抗議船が転覆し、乗っていた京都の女子高校生とその船の船長が溺死すると言う痛ましい事件が起きました。辺野古米軍基地は、普天間米軍海兵隊を移設するために、日本政府が海を埋め立てて拡張工事を行っていて、沖縄県の方や全国から集まった基地反対派の人々が反対運動を熱心に展開していて、日本中の耳目を集め、沖縄県のおそらく最大の政治的係争事になっています。海を埋め立てるに際しては、そこにあるサンゴ礁も当然棄損するわけですから、そのことも反対派の人々が問題視しているようです。反対派の人々は、単に反対と叫んでいるだけでなく、あちこちで座り込みなどをして工事を妨害するという挙に出ていて、抗議船を出して海からも工事を妨害することも行っているようです。
その抗議船が転覆して、乗っていた修学旅行中の大勢の高校生が海に投げ出され、そのうちの一人の女子高校生が、船長とともに亡くなったという事件です。まことに痛ましく、お気の毒な事件で、言葉が出ないのですが、亡くなった有為の若い命と亡くなった方々のご家族のことを思うと胸が締め付けられる思いです。
ただ、このニュースを聞いた時、私はなんで修学旅行に行った女子高校生がこのような船に乗って、辺野古基地の沖合からの視察に行ったのか、変だなあと思ったものでした。私は、普天間基地の海兵隊の辺野古移転に関して、ある程度の知識はありますし、自分なりの意見も持っていますが、大変難しい問題だと思いますし、それを今ここで語る気はありません。ただ、そういう難しい政治的係争の最前線によく修学旅行中の女子高校生が進んで出かけたなと思ったのです。よほど、政治的関心が強くて、よく勉強している子達なんだろうなと思ったのです。例えそうであっても、よく学校が学校行事としてそういうホットな政治的係争の最前線にまだ若い生徒さんを連れて行くなあと思ったのです。
そうしたら、その後の学校側の発表や亡くなった方の親御さんの発信などから、たくさんの事実が明らかになってまいりました。学校首脳もそのような政治的意図をもってこの見学を意識的に行っていたわけではないらしいということが分かり、少なくとも大多数の生徒達が基地建設反対に燃えてこの船に乗り込んだわけではなさそうだということも分かってきました。特に亡くなった生徒さんのご家族の話では、サンゴ礁を見るのが楽しみで参加したとの事でしたから、やはりそうだろうなと私は思った次第です。
しかし、そうであるならば、この問題は、「反論できない学生に教壇から自らの政治信条を押し付けるのは卑劣な行為だ」と100年以上も前からマックス・ウエーバーが言っていた問題につながります。大いに推測を交えて語りますが、この修学旅行を企画した先生は、おそらくなにがしかは基地反対運動に同調的で、それが正しいことを大事な生徒にも分からせてあげようという心理から、このような行事を旅行プランに組み込んだものと思われます。あるいはずっと毎年この行事が続いているとすれば、初めにこの行事を企画した教師がそう考え、その後の後継者の教師たちは前例踏襲をしていただけかもしれません。また、基地反対の座り込み運動に参加しましょうと言う反対運動の組織の作ったパンフレットが配られてもいたようですが、このことも、先生方ご自身の政治的意図が辺野古移転に対して反対であったことを物語っているように思います。
マックス・ウェーバーが活躍していた時代も、政治的には結構激しい対立がある時代で、しかも、その主導者が学者である場合が多かったので、政治的信条の違いで、大学のポストが左右されたり、多くの学者が自らの学生に教壇から自己の政治的主張の正当性を語っていた時代でした。それに大いに怒ったのがマックス・ウエーバーで、学問は自分の政治的信条などの「価値」から離れてなさなければならないと説き、教壇から自己の政治的信条を、反論も出来ないような立場にいる学生に説いて、教え込もうとするのは卑怯だと述べます。前者は「ヴェルトフライハイト」(直訳すると「価値自由」ですが、価値からの独立ぐらいの意味でしょうか。)、後者は、皮肉を込めて「教壇からの御宣託」(変な言葉ですが。)と言って非難しました。私は、別に学者でもありませんし、教師をした経験もありませんが、このことは、自分自身の過去の、その当時は深刻だった経験からも、とても共感を持っている言葉です。20世紀初頭のドイツ人学生はおそらく自分の意見を持っていた人が多かったと思いますが、それに比べると、先生などの権威が語ることを受け入れる性向がはるかに強い日本人の、しかも、まだ年若い高校生を、米軍基地の辺野古移転に対する反対意見に沿った修学旅行プログラムに誘うことはとても容易かったのではないかと思います。それだから余計、このような辺野古沖での抗議船乗船計画を考えた先生に対しては、私は賛同できません。
(2016年4月18日付けメッセージ「職業としての学問」参照)
学校や先生方に対する批判はすでに大分強くなっているし、今はネットなどで無名の立場を利用して、無責任に人を攻撃するという時代なので、今さら私がこのメッセージを書くことは、付和雷同とも解されかねないし、当事者への人身攻撃を助長しているように思って、少し躊躇したのですが、私があえてこのことを書いたのは、「価値からの独立」を心がけることと「教壇からの御託宣」を排することを、すべての人が心得なければならないと思うからであります。
日本人は特に同調圧力に弱いので、ある共同体で生活をしようとすると、そこでの「価値」にとても影響されます。特に目上の人からの影響にはなかなか逆らえません。とりわけ学問の世界は徒弟制的性格が強いので、先生と同じ考えでないと、学問を続けにくいという様な問題が起こりやすい世界です。考えと言うのは、政治的立場だけでなく、特定の制度やイシューに対する立場も含みます。こういうものが学問が目指す真実の追求と直接の関係になければ、指導的立場にいる人は「価値からの独立」を心がけてもらいたいと思います。また、「教壇からの御宣託」を目下の人達に吹き込むなどもってのほかです。学問の府で、私がひどいと思ったのは、大学の卒業式か入学式の場で、当時ホットなイシューであった特定機密保護法案について学生に自らの考えを吹き込んだ学長がいたことです。しかも、法案を一片でも見た人なら言いっこないような誤った知識を吹き込んだのです。真実を追求すべき大学で、その最高責任者が真実を確かめもしないで、このような吹き込みをすることは、大学人としていかがなものかと思います。(世の中がこの問題でワイワイと言っているので、知事の仕事と関係はないなと思いつつ、私は法案全部を読んでいましたので、そのことが分かりました。その件については2013年12月23日付けで「特定秘密保護法に思う」と言うメッセージを書きましたが、この和歌山研究会のメッセージのバックナンバーに乗っていますので、よかったらご参照を。当時私は、県庁のHPで出していた「知事メッセージ」と、後援会のHPで出していた「仁坂吉伸の思い」という二つのメッセージを出していまして、大体は同じものを双方から出していたのですが、このメッセージは、知事の仕事や県庁とは関係ないなと思ったので、後援会だけから発出した覚えがあります。)
このようなことは学問の世界に限りません。県庁などの行政庁だってあります。知事などのトップが特定の政治的意見を持っていた時に、異なる意見を持った職員を、不利に扱うようなことをしてはいけません。アメリカなどはそれを是認するような制度を持っているようですが、日本は「ヴェルトフライハイト」で行くべきです。会社だって同じです。よく「あの人は○○党らしいから注意せよ」と言いつけに来る人もいましたが、私はだからと言って排除するのはいけないと思って、こだわりなくやってきたつもりです。私は、少なくとも自分では、意識してそうあってはならぬと思って人を遇して来ました。
大学は学問的真実を追求するところ。初等中等教育の現場もやはり学問や普遍的な人の道を教えるところ。役所は組織を挙げてその任務に邁進するところ。会社は同じく全員が力を合わせて社業の発展を志すところでしょう。どうしても、組織のトップや指導的地位にいる人は、自分の指導下にいる人に対して、自分と同じ政治的立場に誘導するとか、それに沿った行動に誘うとか、自分の政治的主義主張を語るとかをしたくなるのでしょう。しかし、組織の目的と離れたことに対してはそのようなことは慎むべきでしょう。今回の事件で、問題を起こした学校や教師を攻撃するより、しなければならないのは、このことだと思います。