ムッソリーニの戦争
私は今から35年ぐらい前にイタリアのミラノにジェトロミラノセンターの職員として赴任をしていました。それ以来イタリアについてはいろいろと勉強してきたつもりです。
イタリアは、日独伊枢軸三国同盟の一員で、第二次世界大戦を日本、ドイツとともに戦った国であります。しかし1943年連合軍に降伏し、それ以来連合国の一員となって日独と対峙しました。一般の日本人やドイツ人からすると、イタリアは裏切り者であるように考えるのですが、イタリアからするとまた違った絵が描けてきます。連合国に降伏する前のイタリアは、ムッソリーニのファシストの時代です。ファシストですからイメージはよくありません。しかし、これも見方をちょっと変えると別の絵が描けてきます。私が学生時代から尊敬している平川祐弘先生は語学の天才で、イタリア語もよくおできになるので、イタリア人が誰もが知っているマンゾーニの「いいなずけ」を翻訳しておられます。とてもいい本ですから私も購入をして読みましたが、その中に出版社が作ったPR用の小さな冊子がありました。そこに平川先生自身がお書きになった文章があって、平川先生のお父上が言っておられたことが書かれてありました。イタリアは昔も今もあまりきちきちとした国ではありませんから、色々なことが時刻表通りということはそう期待できませんが、ムッソリーニの時代になって初めて、列車が時刻表通りに動き始め、郵便が正しく配達される時代になったとのことでした。経済もまずまずだったし、伝統的に軍隊は弱いと言われていたのに、エチオピアに侵攻し勝利を収めてしまいましたから、初期のムッソリーニ政権はイタリア人の支持も厚く、諸外国からもまあまあ尊敬されている国だったと思います。ところが、ムッソリーニがヒットラーに魅了されてから時代が暗転して行きます。イタリアはスペインの内乱に介入するし、ヒットラーのドイツとともに周辺諸国との戦争に突入して行きます。第二次世界大戦であります。イタリア人は大変優秀な国民ですけれども、どうも戦争で勝ったことはほとんどないような気がします。ムッソリーニは、エチオピアでの戦勝に意を強くして、北アフリカに進出し、さらにはバルカンからギリシャに進出しようとします。そしてそれらそこの土着の政権にこっぴどく負けるわけです。ヒットラーのドイツからすれば、ソ連や英仏と全力で戦わなければいけないわけですから、ムッソリーニの余計な作戦で戦線が拡大し過ぎて兵站が伸びたというのはとても困ったことだったと思いますが、同盟国イタリアが負けてしまってはどうしようもないので、北アフリカにもギリシャにも精鋭のドイツ軍を派遣して、イタリアの失地を回復致します。また南からの連合国軍の反転攻勢が予想されることから、イタリア各地にも多くのドイツ軍を派遣し、ドイツ軍の協力のもと、ムッソリーニのイタリアが連合国軍の進行を食い止める手筈を整えていたわけであります。ところが、1943年7月イタリアでクーデターが起こり、ムッソリーニの追放とその後の処刑があり、イタリア国王はローマを脱出して、アドリア海側のバーリに、バトリオ元帥を首班とする政権ができます。バトリオ政権は連合軍に降伏しただけでなくて、連合国軍としてドイツなど枢軸国と戦うことを選択するわけです。そこで大問題になるのは、ムッソリーニのイタリアに協力するためにイタリア全土に派遣されていたドイツ軍であります。連合国側になったイタリアのほうからすると、祖国が敵国ドイツに占領されているわけで、そこからパルチザンによるイタリア解放戦争が始まります。ドイツ側から見れば、助けに行ったイタリアで敵国の占領軍扱いされているわけですから、いい面の皮ですが、あのいつも戦争に弱かったイタリアのパルチザン兵士は、祖国を解放するために大変勇敢に戦い、シチリアから上陸してきた連合国軍の助けも借りながらでしょうが、ドイツ軍をイタリアから追い出したのです。イタリア人はこの祖国解放にたいへん誇りを持っています。最後は連合国側ですから、戦勝国です。日本人からすると、さっさと連合国軍に降参して寝返ってしまっただけではないかと思うのですが、イタリア人にそういうことを言うととても怒ります。「我々は自力で祖国を解放し、自力で民主主義国イタリアを作ったのだ。そのため多大の犠牲を払ったのだ。それに引き換え日本人は何だ。今は民主主義国だといっているけれど、それはアメリカに与えられた民主主義ではないか。」と心の中で思っているのです。事実、ドイツ軍を追い出すためにパルチザンになって戦って亡くなった人や民間人として犠牲になった人(1943年以前の連合国軍の爆撃等により命を落とした人も含む。)の数は30万人にも上ります。ムッソリーニのイタリア軍として戦死したイタリア軍兵士が30万人前後ですから、イタリア人が祖国を解放したパルチザン活動を誇りに思うのも理解できるところです。ミラノの街のいたるところに、この時に亡くなったイタリア人のパルチザンの人達の名前が刻まれたレリーフが建物の壁に埋められています。これがイタリア人の誇りです。それでは、イタリア人がムッソリーニのイタリア軍として戦った時にあれほど弱かったのに、パルチザンになって祖国を解放した時にはあれほど勇敢であったのはなぜかというと、イタリア人は、あれは「ムッソリーニの戦争」なのだ、なぜそういうものに命をかけなければいけないかと思う人が大半だったと言うのです。ムッソリーニはヒットラーに魅了され、ヒットラーに良いところを見せようとして、アフリカに手を出し、ギリシャに手を出したというのです。(ドイツは望んでもいないし、むしろやめるようにアドバイスしていたのですが。)「あれはムッソリーニが勝手に始めた戦争だ、祖国イタリアには何の益もない戦争だ」というのが当時のイタリア人の心の中にあったことのようです。それに対して愛する祖国を解放する為の戦いについては、「自分たちの戦争」だというのです。
人は大義のために生きるところがあります。戦争のような命をかける場合も同じです。「ムッソリーニの戦争」で命を失くすのは馬鹿馬鹿しいけれど、祖国の解放のためにはかけがえのない命をかけても構わないということだったのだろうと思います。
4年前ロシア軍がウクライナに侵入し、ウクライナの政権を打破して、ウクライナを親ロシアの国に作り変えようとしましたが、ウクライナ、ロシアとも、多大の犠牲を払いつつ、この目論見は成功してはいません。
一方、最近はアメリカが、敵対する国に対して一方的に攻撃を仕掛け、その国の政権の転覆を図ろうとしています。
ベネズエラでは、麻薬を野放しにし、中国、ロシアとの接近を隠さなかった、独裁者のマドゥロ大統領を拉致することに成功して、アメリカで裁判を受けさせるということになっています。これは驚いたことに成功して、ロドリゲス副大統領が暫定大統領に就任して、親米的な政策を取ろうとしているように見えます。
またごく最近では、核開発をやめようとしないイランに対して、イスラエルとともに空軍力で攻撃を仕掛けイランの最高指導者ハメネイ氏を爆殺するという挙に訴えました。米国は圧倒的な空軍力ですから、戦闘そのものでは米軍の勝利だと思いますけれども、イラン側も屈伏することなく、残された兵器でホルムズ海峡の封鎖をしたり、周辺国の米軍基地及び主要都市を攻撃したりしています。したがって、米国の目論見が成就するかどうかは怪しいように思います。
現代の戦争は、強いほうが必ず勝つというものでもなくなってきているように思います。強い国が核兵器でもぶっ放せば相手の国を殲滅することはできるかもしれませんが、そのあとの戦後処理や世界の他の国々との関係を考えると、そうそうに使える手ではありません。第二次大戦までのように海軍兵力ががっぷり四つに組んで海戦で死力を尽くしたり、戦略爆撃で相手の主要都市を焦土と化したり、大量の地上軍が投入されて大規模な地上戦が展開されたりするがごとき手はなかなか使えません。核兵器を使ったら、戦後処理までを考えたら、それを使って勝った方の国もなかなか大変なことになってしまいます。したがって、戦略を考える時は、相手の国のリーダーが力で国民を抑えている独裁者で、国民は力を恐れて従っているものの、進んで独裁者のために戦おうというものはそうそういないという場合と、同じく独裁者が君臨しているように見えても、国民の支持が極めて高くて、その独裁者を排除したら同じような独裁者が次々と現れて国民の戦意は衰えないという場合とがあるということを考えないといけないと思います。ベネズエラの場合に米軍の作戦が成功しているとすれば、おそらくマドゥロ大統領が本当は国民の支持がそれほど高くなくて、マドゥロか、マドゥロが拠っていた体制のために命を捨てても戦おうという人がほとんどいなかったということではないかと思います。
一方、ウクライナが圧倒的な力の差のあるロシアに屈服しないのは、ロシアに対する戦争が「ゼレンスキーの戦争」ではなくて、ウクライナ国民のための戦争であるとほとんどの人が思っているからではないかと思います。
イランの場合も、どう考えても、長い間の宗教国家の伝統やとりわけ教育がイラン国民に染み付いていて、ハメネイ師を排除しても国民の宗教に対する帰依や外国特に祖国を攻撃している国に対する敵意が多数の国民の心の中にあるように思えて、米国の戦略が容易く結実するとは思えない気がします。
要は、戦争に巻き込まれたか、巻き込まれようとしている国の国民が、その戦争のことを独裁者の戦争、すなわち独裁者が勝手に起こした戦争と思っているのか、自分たちの祖国を守るための戦争だと思ってるのかの違いではないかと思います。
アメリカやロシアは極めて強力なインテリジェンス機関をもっていて、この手の分析は侵攻を起こすずっと前から綿密に行っていたはずだと思うのですが、実際はプーチンやトランプといったこれまた独裁的なトップがこうと決めたら、そんな分析など吹き飛んでしまうのでしょうか。それとも情報機関自体が読みを誤っているのでしょうか。世界中で戦争が勃発している今日、昔読んで覚えた「ムッソリーニの戦争」という言葉を思い出し、それとともにイタリア人が誇りにしているパルチザンによる祖国解放戦争を思い出して、この文章を限りない心配の気持ちとともに書いています。