島さんご夫婦の米寿お祝い会
9月16日に和歌山市のマリーナシティホテルで島さんご夫婦の米寿お祝い会がありました。お招きを頂いたので出席をさせて頂きましたが、とてもいい会だったと思います。島さんというのは和歌山の誇るエクセレントカンパニー島精機の島正博名誉会長のことで、島精機はホールガーメントと言う名の画期的な横編みメリヤス機械を和歌山で生産し、世界中のニットウエアーメーカーに出荷している機械メーカーですが、このホールガーメントというのは、糸から直接コンピュータ制御で最終製品のニットウエアーを作ることが出来る機械のことで、労働力を要する縫製工程が要りませんから、労働力に頼らなくても自由自在に繊維製品が作れるという意味で、繊維産業のパラダイムを抜本的に変えてしまうようなものすごい機械だと思います。島さんはそのホールガーメントの発明者であり、こればかりか、完全自動手袋編み機や、CG・CMなど多くの分野でたくさんの発明をし、おそらく史上もっとも多くの特許を取得した偉大な企業家であります。世の人は、島さんのことをその発明の才にちなんで、紀州のエジソンと呼んでいます。
私は、和歌山県が産んだ、もしくはゆかりの人で、天才は4人しかいないと思っています。偉大な人、頭がものすごくよい人はたくさんいますが、天才とは言えないと思うのは、松下幸之助さんにしても、浜口梧陵さんにしても、華岡青洲さんにしても、陸奥宗光さんにしても、おっしゃることが常人によく分かるからであります。しかし、天才の言うこと、なすことは常人には分かりません。この定義にしたがって、4人の天才とは、空海、南方熊楠、岡潔、そして島正博さんであります。
大体、横一列に編み針が走っている横編みニット機で、これまでのように平面的なニット生地が出来るのはよく分かるとして、いきなりセーターのような立体的なものがすとんと機械から出てくるというのは全く理解できません。島さんにどうしてあんなものが出来るのですかとお聞きすると、「セーターは手袋と一緒ですよ、この指がこの袖で・・・」などと教えてくれるのですが、そもそもその手袋が糸からいきなり出来てしまうのだってまったく分かりません。それから、島さんは何桁もの数字どうしをかけ算した答をいきなり頭からすらすらとおっしゃるのですが、私のように何段もの数字を足し算して最終の答を出す方法しか思いつかない人間にとっては、魔法としか思えません。そう言うとその計算の方法を懇切に教えて下さるのですが、必死に聞いて、原理を覚えたつもりになって、家に帰ってやり直してみると全く再現できないと言うことが再三でした。島さんは間違いなく天才です。
その天才島少年は、戦争で父上を亡くされて、残った家族を支えるため、想像を絶する苦労をされるのですが、天才の頭を使って様々な工夫をして、苦境を乗り越えていきます。しかも常に明るく、楽しく。そういう島さんですから、世事にはそう長けているとは言えず、多くの人に騙されたり、そこまで至らなくても頼られ、勢い利用されたりの人生であったと思います。その中で、島さんの常に傍らにあって、島さんが仕事ばかりで、家計や家庭を顧みない中で、立派に4人のお子さんを育てられ、島さんが「安請け合いしてくる」(失礼!和代さんのお言葉です。)社会事業を世の多くの人の無理解と困難と闘いながら、立派に支えてくれたのは、島さんがおっしゃる「おかあちゃん」こと島和代夫人であります。私も、島正博さんだけではなく、和代さんにも大いに御世話になりました。お二人に共通なのは、人に対する親切心と優しさです。ただ、和代さんには島さんにはない、あるいはわざと隠している、人の正邪を見分ける感覚があったように思います。成功してからの島さんご夫妻には色々な人がよってきます。利用しようという人もいるでしょう。一方、本当に心の友になる人もいるでしょう。そういう人達を和代さんはちゃんと見分けていたように思います。結構なれなれしい年下の人が「おかあさん」といってすり寄ってくるのを、「私はあなたの母親ではないわ」と言って、峻絶しておられるのを目にしたこともあります。そういう面は島正博さんにはありません。だから島正博さんがあるのは和代さんの献身のおかげです。その和代さんは2013年の5月にお亡くなりになっています。長年のご無理がたたって、だいぶ前から、病気と闘いながら、島正博さんを護り、家族を護りながら、多くの人に慕われて活躍しておられましたが、ついに病魔が島和代さんを、最愛の島正博さんから離してしまいました。未だご生前のころ、島ご夫妻とこちらも未だ元気であった私の妻と4人で会食をしたことがあります。その時に、昔々の島正博さんの、仕事ばかりで家庭を顧みなかった旧悪の限りを、笑い話とも本気とも付かない口調で語る和代さんの横で、その通り、その通り、誠に申し訳ないと一片の言い訳もしないで照れくさそうに神妙に聞いておられた島さんが本当に魅力的でした。島さんは、和代さんの病気が分かってからは、人が違ったように和代さんを大事にし、いつもお身体の事を気遣っていました。その愛情の深さたるや、これまた常人には考えられないほどのものでした。会食の後で、私は妻に「僕も随分勝手放題の生活をしてきて、○○ちゃん(ここに愛称が入ります。)に迷惑と苦労をかけたけれど、昔の島さんに比べれば大分ましだなあ。でも、病気が分かってからの島さんの和代さんを大事にするあの態度は僕なんか足元にも及ばないねえ」と言ったものです。
島さんは1937年のお生まれですから、今年は数えで88才で、米寿をお迎えになります。偉大な島さんのことですから、多くの友人や御世話になった人達が島さんの米寿のお祝い会をするというのは極めて当たり前です。しかし、今回のお祝いの会は、島正博さんと、ほぼ同年のお生まれの島和代さんのご夫婦お二人の米寿をお祝いする会という趣向でした。この趣向に私はこのお祝い会を企画した人の天才的ひらめきとお二人に対する類い希な愛情を感じました。その会合も実際に本当に素晴らしい、心温まるものでした。私はあまり感動したものですから、お開きの時、この会合の企画はどなたの作品ですかとお聞きして回りました。企画者は、ご夫妻の長女である梅田千景さんだそうであります。おそらくご夫妻の天才を引き継いでおられるのでしょう。
島正博さん和代さんご夫妻に私は一つだけ良いことをしました。本当にやってくれたのは、当時県庁にいて、主として東京事務所でその才能を遺憾なく発揮してくれた日根かがりさんですが、島和代さんの伝記を作ってくれました。それが2016年に中央公論新社から出版された「紀州のエジソンの女房」です。日根さんは出版社の手配から始まり、梶山寿子さんと言う名ストーリーテラーを見つけてくれました。島精機の方々を初め、取材に協力をしてくれた方がかくも大勢いらっしゃったということは、ひとえに島和代さんの人徳です。素晴らしい本だと思います。和代さんはもちろん、正博さんのことも、ご家族のことも愛情たっぷりに書かれています。島精機の発展のことも、大変なご苦労のことも大変感動的に書かれています。是非皆さんお読み下さい。日根さんは、あなたが作れと言うから作ったのですよと言いつつ、作者の梶山さんを紹介してくれましたが、ひょっとしたら、私の役割は、「島和代さんの伝記を作るのは良い事だねえ」と高く評価した程度かも知れません。
その本に余すところなく書かれている島さんご夫婦の素晴らしい人生を、島さんご夫婦の米寿をお祝いする会のおかげでまたまたありありと思い出しました。有り難うございました。