沖縄県のワシントン事務所

 2月13日付けの新聞に沖縄県議会が沖縄県のワシントン事務所に反対して、この経費を含む沖縄県の令和7年度予算を議決しないように求める動議を可決したという記事が載っていました。
 現在の沖縄県の玉城知事は沖縄県にある米軍の基地にとりわけ反対ですから、意見の違う日本政府に言っても米国政府にはその意見を届けてくれないだろうから、自前で事務所を作って、米国政府にアプローチしたり、米国のマスコミに訴えたりしたいと言うことだと思います。ただ、何でもずさんな会計処理など色々不祥事が発生して、こんな事務所は廃止してしまえと言う意見が強くなっている最中の出来事のようです。
 私は、国と国の外交に関することは個人の意見が違おうと政府に任せるべきであると思うのですが、玉城知事のような人は、何が何でも基地には反対なのだから、そんな悠長なことは言ってはいられない、どうしても自力で国際社会に訴えるのだと思っておられるのでしょう。その辺の判断は、大変政治的な問題ですから、ここではひとまず置くとして、私は別な角度からこの問題を論じてみたいと思います。

 それは、一般に自治体の海外事務所についてであります。各自治体はそれぞれが重要だと判断する主要国の主要都市に海外事務所を持っているところが多いと思います。そこには1名か2名の有能な職員が数年交替で派遣されていて、国によって異なると思いますが、1名から数名の現地人スタッフを雇っています。そこに派遣された方の大変なご努力には敬意を払わなければならないと私は思いますが、構造的に言って、こうした現地事務所が機能を果たすとは思われません。したがって、目的の如何を問わず、沖縄県のワシントン事務所もやはり無理があるのではないか、無理がたたるとどうしても手が回らなくなって不祥事が起きるのではないかと言うのが私の意見です。

 以下その根拠を申し上げます。
 私は通商産業省からジェトロのミラノセンターに1989年から1992年までほぼ3年間派遣されていました。ミラノセンターは通産省の19年も先輩の富永孝雄さんが徒手空拳ミラノに乗り込んでお作りになった事務所を母体として発展し、私が赴任したときは派遣人員5~6人、現地採用職員7人というジェトロにしては中ぐらいの海外事務所でした。所長は当時は既にジェトロのベテランの職員で、私は次長という肩書きで仕事をしていました。一応内部管理と、海外交流と、貿易や投資の促進と海外広報と言う担当でしたが、当時は、日本経済と日本の産業界の力がとても強く、その後ろにいる(と思われていた)通産省の評判も高かったので、イタリア中のいろいろな人からイタリアにいる通産省のエージェントと見なされて頼りにされ、いわばそれに乗っかって活動をしていました。しかし、だからといって、本来の職務もおろそかには出来ません。特に事務所の管理は結構大変で、外国人がどこかの国で事務所を構えると言うことはこんなに大変かと言うことをいつも実感していました。地元の自治体との細々した手続きや、入金や出金にまつわる銀行との折衝、事務所のオーナーとの交渉等々、さらにはそれらを巡ってジェトロ本部との折衝など様々な仕事がありした。それまでは、こういうロジスティックスをちゃんとやってくれる部署がある通産省という大きな組織の中で、政策いかにあるべきかだけに係わっていたらよかったのですが、海外事務所のような小さな出先に行くとそうは行きません。もっとも、私の場合は事務所の歴史も古く、過去の経緯を踏まえて私をサポートしてくれる現地採用職員がしっかりしていましたから、まだまだ楽だったと思いますが、もっと小さいオフィスになるともう大変です。今は廃止されてしまいましたが、当時イタリアにはジェトロ・ローマ事務所という派遣職員一名のオフィスがありました。当時はジェトロ屈指のイタリア語の使い手、安河内勢士さんという所長がおられたのですが、ローマに用事があり訪ねて行って見ていると、彼は一日の半分ぐらいは上記ロジ廻りの仕事をやっているわけです。銀行に小切手を持って行ってお金を下ろしに行くと言ったって、車で半日がかりですから、得意の語学を生かして様々な調査をするといったサブの仕事はなかなか出来ません。(実は安河内さんは、見かけによらず、大変精緻な仕事をする調査マンであると言うことは彼の過去の調査レポートを読めば明らかですが。)
 このように、海外事務所を置くとしたら、想像以上に、事務所を維持し続けることと、そこに派遣された人が生活していくことに大変な労力がいるし、ましてや言葉も、法制度も、社会慣習も違う外国でこれを成し遂げるのは想像を絶する困難が伴うのですが、このことは、こういうことを実際に経験した人でないとなかなか分からないと思います。

 次の大問題は、派遣された人が外国に行って果たして、日本で期待していたように働けるかということです。沖縄県の場合は少々違うのでしょうが、だいたい自治体が海外事務所を置くのは、産品の売り込みや観光客の誘致でしょう。しかし外国にぽんと放り出されて、そこで産品の売り込み先や観光客の誘致の業績を上げてこいと言われても、そんなことが簡単にできるものではありません。○○県ですと言ったって、そんなものは聞いた事もないぞいうことから始まるわけですから、話を進めるのは容易ではありません。まだ○○県ですと言っても、知事が会いに行きたいと言っているのですと言えば、少しはなんだ、それはと分かろうとしてくれるでしょうが、派遣された若手職員ではその人がいかに優秀でも先方に認めて貰うだけで大変です。私の場合は、先ほど言った無敵の日本産業の時代で、幻想も含めてオールマイティのMITIを背負ってのことでしたから随分楽でしたが、それでも自身が影響力を持ち得るようになったのは、ボッコーニ大学の人脈でイタリア社会の「ノーメンクラトゥーラ」の世界に足を踏み入れる幸運に恵まれたからでした。県庁の事務所一般としてはそうは行きません。ましてや、沖縄県が米軍の駐留を止めさせようという目的でワシントン事務所を作ったとしたら、その困難は以上の事情に倍加します。なぜなら、米国政府はそもそもそのグローバルな安全保障政策上沖縄の基地を必要としており、そうであるならば、それに反対している上、外交上の敬意を払う必要もない沖縄県の事務所などまともに相手にするとは思えないからであります。アメリカの産業界も、主要なマスコミも、沖縄の玉城知事のような勢力の方のセンチメントを理解するような地合にはないと思いますし、そうすれば、アメリカの2大政党のいずれもこの事務所を利用して、自らの何らかの目的を遂げようとは考えられないからであります。ひょっとして、唯一この事務所に着目する可能性がある者があるとしたら、アメリカまたは良好な日米関係に敵対する国のエージェントか、そこまで行かなくても国際機関などで自らの正義感だけで活動している人か、日本国内で玉城沖縄県政が正しくて政府は誤っていると批判したいタイプのジャーナリストぐらいかとしか思いつきません。

 三番目に申し上げると、この手の海外事務所の目的は、(少し意地悪が過ぎるかも知れませんが、言ってしまうと、)これこれを熱心にやっているのだという為政者の「やったふり」と、それぞれの県の要人が海外に出張するときのアテンド要員の二つではないかと思います。
 いずれも言ってみれば内向きの動機で、私はそんなことで、住民の税金を使って良いのかとずっと思っていました。自治体のトップが、産品や観光の売り出しに向かうぞと宣言し、そのために主要国の主要都市に海外事務所を作るぞと言うと、少し格好が良いのです。有権者は上記の私のような経験をしたことがありませんから、それはなかなか格好が良いな、良い知事だと人気が出るかも知れません。ただし、言葉も習慣も違う世界の主要国の人口何百万人という主要都市の中にぽつんと一人で放り出された職員に何が出来るか、想像してみたらよいと思います。例えば東京に一人事務所を作って県庁の若手を送り出すから、そこで政財界の要人に食い込み、投資案件でも物して来いといわれた人が何が出来るかということと引き比べてみれば分かってくるのではないでしょうか。外国ですからもっと大変でしょうが。かっこよく海外雄飛を宣言するトップのお飾りとして作られた海外事務所の要員として、海外に放り出された職員は気の毒です。
 また、私は、海外事務所の職員が、日本から出張してくる自治体の幹部や議会議員のアテンド要員として旅行エージェントみたいな仕事に没頭している姿をいっぱい目撃してきました。私が知っていたある自治体の派遣職員で、自分の仕事は親元から出張してくる幹部職員のアテンドであって、ジェトロの仕事などしなくてよいと出発前に言われてきたのだと言い放つ人もいました。客観的に言って、その自治体にとって大事なのは富の増進であって、そのためにはジェトロの組織と機能を活用してやれることはいっぱいあるのにと思っていましたし、仮に、すぐにその効果が出なくても、ジェトロの仕事を一生懸命やればその人がいずれ本体に帰ったときにそのノウハウを生かして国際活動に貢献できる人材になって行くのにと思っていましたが、そんなことは親元の自治体の幹部の知ったことではなかったのでしょう。もちろん視察と称する自治体の幹部や議員の海外旅行も今は批判の対象になっている時代ですから、私が経験した状況は随分様変わりしているかも知れません。しかし、100%ではなくても、国際化に対するトップのやったふりと身内に対するサービスが海外事務所の存在意義になっている部分もまだまだあると私は思います。したがって、私は新たに海外事務所を作るんだと言っている自治体の長は事情が分かっていない人だなあと思って、あまり評価しません。

 このような経験とやったふりなどするもんかという少しばかりの自負心を持って知事になった私ですから、当然和歌山県の海外事務所は一切置いていません。海外活動に冷淡かと言うと正反対です。海外事務所など置く代わりに、全世界にある大使館やジェトロ、JICA、JNTO。自治体国際化センターの機能を丸々頂くことにしました。それらの機関は曲がりなりにも国を代表し、長い間の実績や現地の要路とのよき関係も結んでいます。とりわけ、大使館は外交の窓口ですから、相手国がその立場を尊重するのは全人類の義務です。ジェトロやJICAやJNTOも長い間の実績によって多くの国で尊敬を勝ち得ています。「○○県!それは何だ?」というのとは違うのです。私は一生懸命努力してお願いに行って、その様な機関に和歌山県の若手職員を増員して預かって貰いました。上記のようなアテンド要員では決してなく、派遣先の機関の力を利用して和歌山県のためのプロモーションをしたり、必要な情報を集めたりすることを期待しています。しかし、それよりも、その若手が国際要員として一人前になるようにそういう立派な機関で働かせて貰い、語学能力を身につけるといった研修目的の方がむしろメインだと私は思っていました。これらに限らず、チャンスがあれば若手職員をどんどん海外に出して語学と国際業務のノウハウを学ばせました。姉妹県関係などで付き合いが深い海外の自治体などにも職員をどんどん出しました。国内でも、英語のドラフティングなどを日常的に行っている中央官庁にも職員を派遣して外国語能力の向上を図りました。なんやかやで、私の任期中に英語を駆使して一人で仕事が出来る人が100人、中国語は10人は養成しました。このような諸君は一人で海外にプロモーションや商談に行ってくれるようになりました。和歌山からネットなどで渡りをつけて、また有力な上記機関のアドバイスを受けて相手を見つけて出撃するわけですから、海外事務所など全くいりません。管理コストはただです。ちなみに外国語がそう得意でないベテラン職員も一人で海外活動です。外国語が出来なければ通訳を雇えばよいのです。通訳は現地で(内緒の方法で!)調達すれば第一級の人を雇えます。そういった形で皆素晴らしく活躍してくれました。主要国の中央政府の機関と友好協力関係をいくつも取り結べたのも、コロナの直前に観光の目的地として和歌山県がものすごい評価を受けるようになったのも、このような職員の頑張りのおかげです。こうして作った国際化要員は和歌山県の資産です。私の知事時代にそうであったように、新知事もこういう資産を大いに活用して世界に和歌山県の名を轟かして頂きたいと思いますが。

 以上のことから、政治的な目的はともかくとして、沖縄県のワシントン事務所は早く閉鎖するにしくはないと思います。

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