和歌山の新しい資産

 11月から12月にかけて、和歌山に新しい投資案件が実現し、これによって新しい資産が登場します。誠に喜ばしいことであります。私は経済や社会の運営を考えると投資がとても大事だと思っていまして、知事の仕事の上でも、投資を増やす、投資に結びつくような施策をするという方針でやってきました。今うまくいっていると思っても、次の時代にその成果が花開く投資を軽んじると、今ある資産は時代遅れになり、くたびれてきて、やがてその地域は衰退します。この反対は、露骨な言葉で言うとばらまきで、もっとスマートに言うと給付とか、配分とか言うことになります。民主主義の世界では、選挙、投票がすべてを決めるわけですから、候補者が選挙の時に皆さんにお金を差し上げますと言うことは、有権者にとても魅力的に映り、方や将来のために投資が大事ですよと候補者が言ったって実感がわきませんから、魅力がないと思われてしまうのが困ったことです。この心理を巧みについたのが、2009年選挙の時の民主党で、農業者には所得保障(ただし後で分かったことは米農家にだけ有利になっていました。)、若い子育て所帯には子ども手当、高速道路料金引き下げ・一律料金等々、うまく有権者の心につけ込んでいるなあと思う選挙戦略で歴史的大勝を得ました。選挙に勝つことだけを考えればその戦術を考えた人は天才的です。しかし、当然財源もないわけですから、政権に就いた途端事業仕分けという切捨てが起こり、地方創生のために私が戦略の中心に据えていた地方における競争的技術開発助成や、農業の基盤整備のための投資助成、地方創生の条件となる地方幹線道路整備、防災のための公共投資などは見る影もなくぶった切られてしまいました。しかも一度そういう制度改正がなされてしまうと、反対党が政権を取っても、給付のうまみを味わった有権者からそのうまみを取り上げるリスクに耐えられないのでしょうか、なかなか制度が元に戻りません。和歌山のようなこれから地元有力企業を糾合して技術開発で産業起しをしようとしていた所はつらいものがありました。しかし、こういうつらさにも耐えて新しい投資案件を探し出して、和歌山に誘致しようと言う努力を、私以上に県庁の諸君がやり続けてくれたのでした。串本の小型ロケット射場がそうですし、南紀白浜空港の民営化と専用国際ターミナル建設がそうですし、紀の川市のパナソニックの新車載電池工場がそうですし・・と皆よく頑張りました。エネオスの撤退はショックでしたが、サフ燃料と水素への展望で新しい投資も期待できるようになってきています。地元の民間の企業でも新工場増設や新設備導入を実現した企業が結構あります。しかし、コロナでこういう積極的な動きは大いに水を差されました。IRのように和歌山復興の切り札と考えたプロジェクトが県議会で否決されてしまいました。(このときに否決に投じた方の多くは、IRは賛成だが、県の推進するプロジェクトよりもっと実現する見込みが高い案件があるという考えでしたから、和歌山のために早くその方向で話を進めてほしいものです。でないと、あの時に嘘を言ったか、間違ったかと言うことが立証されてしまいます。)
 ただ、ここへ来て過去からずっと努力してきたことが次々に実り始めています。以下のように、それは関係者の心血を注いだ努力の結果です。

⑴ コスモパークへ加太へのデータセンター立地

 これは和歌山県にとって大変な快挙です。商工観光部の貴志局長が率いる企業立地グループがずっと努力をしてくれたおかげです。このコスモパーク加太は和歌山県にとっての最大の負の遺産でした。バブルの頃関西空港の建設に伴って大量の土砂が必要になったので、和歌山県は和泉山脈の加太の近くの広大な土地から土砂を供給することにしました。ここまでは、需要のある話ですから問題はないのですが、土砂の取得を民間に開放することなく、県直轄の土地開発公社で行なったために、随分効率が悪く赤字がたまってしまいました。しかし、世の中はバブルの時代ですから、土地開発公社は紀陽銀行や農業協同組合から多額の借金をして、土砂の取得を行ない、関空に供給しました。当時の目論見は、土を取った跡地は広大なスペースが出来るので、ここをアミューズメント施設や工場用地として売れば赤字はあっという間に解消だと言うことだったようです。私の嫌いな官の商活動です。公務員はビジネスなど出来るわけがないと思っているからです。案の定バブルがはじけて、この目論見が実現不能になりました。公社は借金の返済が出来ませんから、早晩倒産ですが、そうすると和歌山の経済の中枢の紀陽銀行も農協も危ないと言うことになります。そこで私の前の政権の時、多くの人が知恵を絞って、平成十五年に、公社が特定調停の申し立てを行ない、裁判所から「調停に代わる決定」というものを出してもらいました。これにより、金融機関はかなり債権の放棄をし、公社は毎年返済をし、県はその債務に関し、当時のお金で265億円の債務保証をするというものです。公社は、土地が売れませんから収入がありませんので、公社の債務返済に必要なお金は県から毎年財政支援をしてきました。この負担も大変なものですが、もっと困ることは、公社が有する土地の簿価は時価と大いに食い違うので、公社が土地を売ったら、直ちに土地の売却代金と簿価の差が顕在化して公社が倒産するから、県が多額の債務保証を実行しなければならない、と言う理由で、公社は土地は貸すが、売らない、と言う方針を決めていたことです。そうすると、土地所有を求める投資者はここに投資が出来ないわけですから、土地の利用が進まず、したがって、そこから雇用が発生することはありません。県の財政を維持するために、雇用と和歌山の発展を犠牲にするという政策だったのです。これは間違っています。本末転倒です。そこで、私は、これは和歌山の発展のためには大間違いなので、方針転換をすると宣言をして、土地はどんどん売る、それで売れて公社が先述のメカニズムで倒産したら、県は債務保証をすると言うことにしました。この決定は無茶苦茶のように聞こえるかもしれませんが、成算はちゃんとありました。和歌山県は当時どの地方公共団体も同じでしたが、小泉・竹中改革の結果、財政がピンチでしたので、徹底的な行革の検討をしていました。その当時有名になった言葉に「埋蔵金」というものがあって、各団体が基金とか特別会計に余計な貯金をためているから、これを取り崩して一般会計に充当すればよいという考えがありました。和歌山県も徹底的に調べました。(その結果は平成20年3月に公表した「新行政改革推進プラン」に隅から隅まで発表していますから、誰でも分かるのですが、こんな「埋蔵金」まで全部公表しているのは和歌山県だけだと思います。しかし、隠していると思うと活動家グループやマスコミが問題視しますが、公表してしまうと何の議論も出なくなります。おそらく読んでいないのでしょう。)その調査・検討の結果、大物「埋蔵金」はまさにあって、それが土地開発基金の178億円余でした。そこで、コスモパーク加太の土地がめでたく売れたら、公社を一気につぶして、この基金を取り崩して債務保証に当てる、残金は80億円余あるけれど、通常の財政調整基金などでやりくりすることは出来るだろうと言うのが私の作戦でした。そのため、上記の新行政改革推進プランにもこのことは露骨に書きまして、県民の皆さんに分かってもらえるようにしたのです。
 しかし、そう意思決定をした頃から急に日本経済が停滞の時期になりました。地方への大型投資案件がシャープの堺への進出あたりから皆無になってしまい、小さめの投資はコスモパーク加太でも少しずつありましたが、大きな投資はなく、ここに至っているのです。その間、私も県庁の諸君も、色々チャンスがありそうと思ったら、水面下で相当な誘致活動をしていました。私のルートで、アメリカやフランスの案件が可能性がありそうだと突き止めて働きかけもしましたが、和歌山県に対してだけではなく、日本に対する投資がそもそも実現することはありませんでした。怪しげな海外の投資家が、何社も紹介者を介して訪ねてきましたが、いずれも県にお金を出させて自分はその土俵の上で相撲を取りたいという話ばかりでなかなかうまくいきませんでした。
 また、県はどの県でも外部監査というチェックを受けているのですが、ある年その対象が「特別会計や基金の取り扱い」になりました。その監査結果を持ってこられた会計士さんが、定説の通り、土地開発基金を取り崩して一般会計に入れるべきだと仰るので、私は、「私はこれまで外部監査の結果は全部忠実に励行しているのですが、これは出来ません。なぜならば」と、新行政改革推進プランを示しながら説明したところ、会計士さんは「ごもっとも、言うことはありません」と言ってお帰りになりました。
 もう少し言うと私は、就任前に決められていたこの「調停に代わる決定」を気に入ってはいませんでした。おそらく、紀陽銀行と農協という和歌山の経済の中枢を守るために、多くの人が知恵を絞られたことと思いますので、十分敬意は払わなければなりませんが、その時全日本で何が起こっていたかというと、竹中金融担当大臣による金融機関整理再建の大手術の真っ盛りでした。現に紀陽銀行も資本注入を受けて、経営の中枢にいた方は退かれましたが、片山新頭取など後に残った方々が必死で立て直しに邁進した結果、いまは新生紀陽銀行として立派に栄えています。どうせ資本注入を受けるのなら、さらに300から400億円ぐらい余計に注入してもらっておけば、注入額返済はもう少しかかったかもしれないが、紀陽銀行にとっては同じことだったのではないか、和歌山のことだけを見ていた人ならともかく、中央政府から来た当時の知事のように、日本全体の動きを掴みうる立場にあった人ならそう考えてもよかったのではないか、私はそう思いました。そうすれば和歌山県にはあの巨大な不良資産はなくて、あの土地が利用でき、それを使ってもっと経済活力が日本にあった時に和歌山県が投資誘致に打って出られたのにと私は思ったのでした。そのことを言うと、当時の県庁の大幹部が、彼が未だ中堅の頃、まさにそう考えて幹部や知事にもそう進言した所、「当時の知事に「お前は冷たいやつだ」と一蹴されてしまったのですよ。」と言っていました。
 とはいえ、時間がどんどん経ち、前述の「調停に代わる措置」の期限が2024年2月で切れてしまいます。そうすると、公社がすぐに借金を返すか、それが出来なかったら公社が倒産して県が債務保証を実行するかが迫られます。和歌山県としては、この問題を次の時代にどういうスキームで対応していくか大変難しい舵取りを求められると言う状況です。その少し前、これから検討という時期に私は知事を辞めましたので、この舵取りは新しい岸本知事と県庁の諸君に任されることになりました。ご苦労をかけます。

 そんなコスモパーク加太についに光が射し、巨大IT企業のデータセンターがコスモパークに立地することになりまして、この間発表があったばかりです。長い間苦労に苦労を重ねて、つらい目にも会いながら頑張った県庁の担当職員に我々は感謝をすべきでしょう。「調停に代わる措置」の期限切れに伴う新たな措置の検討と、ついに決まった新しい投資案件の交通整理をうまくやっていくという難しい仕事が待っていますが、和歌山県はきっとうまくやってくれるだろうと期待しています。今回は、過去の不良資産をただ塩漬けにして、首をすくめて県財政の破綻だけを避けるという、なんとも希望のない方策ではなく、和歌山にレベルの高い働き手が勤務するようになり、データ集積の拠点として和歌山がクローズアップされる状況なのですから。

⑵ 太地町に新たな鯨の研究施設誕生

 これも最近発表がなされました。太地町は鯨の街です。古くは古式捕鯨の街として長い歴史を誇り、近年では近代的捕鯨の基地としても栄えました。捕鯨産業がいろいろな理由で衰退したときも、小型鯨類の追い込み漁で何とか地域の生計を立ててきたのです。ところが近年は世界的に鯨漁に対する風当たりがきつく、それで生きている太地の人達に、大変な攻撃や嫌がらせをする人達が海外から大挙して太地に押しかけ、太地の人達は本当に不愉快な目に遭いました。私も大いに腹が立ちました。とりわけ、一部の日本人が、外国人がやめろと言っているのだから、日本の評判に係わるから鯨漁はやめよ、鯨やイルカを食べなくっても日本人は食には困らないだろうという人がいることです。確かに食糧難の時代でもないから、鯨がなくても日本人は飢え死にすることはないでしょう。しかし、需要が現にあるわけで、その需要に応えて鯨を捕って生計を立てている人のことはどうしてくれるのでしょう。年間何億円かの売り上げを保証してやるとでも言うのでしょうか。もちろん反社会的な行為で儲けてはいけませんが、ずっと昔から正当な職業として認められ、国内法制はもちろん、国際的にも捕ることを禁じられてもいない鯨漁を、外国人が反対するから肩身が狭いからやめよなどとよくも言えたものだなあと私は思います。とうとう不合理に耐えかねて日本は脱退しましたが、国際捕鯨条約も、元々は鯨を捕ることを前提に、捕りすぎて地球全体で鯨資源を枯渇させないように、稀少鯨種の捕獲制限を国際的に約束しようというものですから、鯨はほ乳類なのでとにかく殺すなと言う条約ではありません。ほ乳類だからというのであれば、他の肉食タンパク源はどうなるのだと思うし、今捕鯨に反対している主要国が、わずか150年前鯨類に対して何をしていたかを考えただけで、とんでもないことだと私は思います。それを、テロリストまがいのことをして、反捕鯨を心情にしている西欧人のお金持ちにアピールして資金稼ぎをしている人々や、それに無批判に乗っかって、外国人の目が怖いといって捕鯨をやめよという日本人や、毎日漁師さんの活動をドローンで撮っては、何かあるとネットに流して反捕鯨感情を煽る人など、私は知事をしていて腹が立つことばかりでした。そこで、こんな理不尽に耐えながら懸命に生きている太地の人に報いるために、私は追い込み漁の期間中、太地町周辺に警察官を増員して常駐してもらい、海上保安庁に頼んで海からの破壊活動を防止してもらうことにしました。反捕鯨の思想は変えられなくても、破壊活動や業務妨害のような違法行為は許さないと言うわけです。これで随分効果があったと思います。外国の反捕鯨団体のビジネスは違法行為を派手に働いてその情報を拡散し、それで資金を集めると言うことですから。そのリーダーの言葉は印象的です。「太地で活動するのは割に合わないから、もう来るのはやめた。」

 このように、苦労して捕鯨を続けながら、そして理不尽な攻撃と戦いながらも、太地町の三軒町長はずっと前から捕鯨以外の鯨と生きる道を模索しておられました。それは遠浅の森浦湾を網で締め切って、鯨がそこでいつも泳いでいるようにして、訪れた観光客がいつでも鯨と戯れたり泳げる場を作ることであり、太地を日本の鯨研究の中心にすることであります。和歌山県も全面的に応援していました。その後者がついに実現するというニュースが流れました。主な主体は財団法人日本鯨類研究所で、この一部を太地に持ってきてもらって、周囲にいっぱい鯨がいる環境で鯨の研究をしてもらう、そのために、日本鯨類研究所といえどもそんなに資金が潤沢であるわけはないので、和歌山県の支援を得て太地町が国際鯨類施設と言う建物を建て、ここに日本鯨類研究所を誘致すると言う構想です。この方式は私が知事の時に、那智勝浦町に国土交通省の大規模土砂災害研究センターを誘致し、和歌山市に総務省統計局の統計データ利活用センターを誘致したときに編み出した手法で、建物は用意するから研究者は来て下さいというのと同じです。この施設は来年4月に供用が開始され、世界の鯨研究者が太地町を訪れ、ここで研究交流が生まれ、太地は鯨研究の世界の中心としてさらに発展することは間違いないことだと思います。

⑶ 南紀白浜空港に韓国からチャーター便の到来決定

 このニュースも本当に喜ばしいことと思っています。数年前から南紀白浜空港は民営化しました。それも関空のようなコンセッションで。とはいえ、当時南紀白浜空港は赤字空港でした。そのため、県はその赤字を補填するため毎年3億数千万円を補助していました。通常のコンセッションは、収益性はあるが建設投資が多額であったために、バランスシートが思い切った経営を許さないという施設を、民間企業に経営権を売って、その民間企業は毎年の収益を手中にして、長期的に利益を上げるというビジネスモデルですが、そもそも毎年営業赤字を出している施設を買おうという人はいません。しかし、ちょいと発想を変えて赤字補填の補助金は今後も一定額出してもよいと言う前提で、しかし経営効率を上げて補助金の額を少なくしてみせるというコンセッション契約は成り立つのではないかと言うのが私の発想でした。もちろんより重要なことは、経営権を入手することによって、どのくらい空港を発展させるかと言う知恵の競争をさせてみようと言うことでした。当時も今も空港がどれほど多くのエアラインを集められるかが空港ビジネスの根幹ですが、とりわけ外国からのチャーター便をどれほど集める能力があるかが重要な点です。その時チャーター便のエアラインは、通常、ナショナルフラッグカンパニーなどではなくて、小さな会社が多いわけですから、いくら県庁の職員が優秀であるとは言え、そういう会社にセールスに行く能力があるかは疑問でした。そこは餅は餅屋の専門的なノウハウを持つ民間ビジネスに任せるにしくはないと言うわけです。かくて行なった和歌山版コンセッションは、冨山和彦氏が率いる経営共創基盤機構が落札してくれて、俊英岡田社長を送り込んでくれました。そして、彼のリーダーシップで、数々の空港内外のイノベーションが行なわれ、おかげで、コロナ禍のもとにあっても、南紀白浜空港は1回も赤字にならなかった全国唯一の空港として知られるようになりました。しかし、未だ実現していないのは外国からの多くのチャーター便の実現と言うことになります。もちろんコロナが外国からのインバウンドに決定的な打撃を与えたからですが、まさにこれからの課題でありました。
 ただし、国際便ビジネスには不可欠の要素があります。第一に、国内便ターミナルと国際便ターミナルは分けないといけないと言うことです。国際便の旅客の通関や検疫にはそれなりの装置と人員が要ります。また、例えば通関前の旅客は国内客と混じらないように隔離が必要です。それまでの南紀白浜空港はターミナルは一つですから、国際便が実現すると、国内、国際の旅客を分ける大変複雑なオペレーションが必要でした。そこでもたつくと、旅客を待たせることになりますが、そうなると、空港の評判、ひいては観光地の評判に響きます。したがって、国際チャーター便を指向するのであれば、国際便専用ターミナルは必須なのです。したがって、私はまず国際便専用ターミナルは必ず作ると宣言して、腹をくくりました。さらに、一般に空港の国際便ビジネスは滑走路使用料で値引きをして、空港で儲けるということだそうなので、いくら商才のある民間事業者といえども、使いにくい国際便ターミナルをあてがわれてはうまくいくはずがありません。そこで和歌山県は、コンセッション契約のオファーを出すときに、国際便ターミナルの概要についての希望を一緒に提案してよろしいと言うことにしたのです。したがって、今出来ている国際便ターミナルはコンセッション契約当事者である経営共創基盤機構の考えに基づいて作られたもので、コロナさえなければ、岡田社長以下の空港スタッフがここを根城にして大いにビジネスを展開するはずのものでした。でも、コロナで止まってしまったのでした。

 しかし、ついにコロナもあけました。空港の人員も、県庁の港湾空港局のメンバーも花田局長を筆頭に必死で営業を展開中です。その成果がついに韓国からのチャーター便本決まりというニュースです。ここでも、和歌山県の職員が大活躍です。我々はその労苦に深く感謝しないといけないでしょう。この韓国チャーター便に触発されて、もっと多くの近隣国から多くのチャーター便が到来し、その客が、素晴らしい和歌山の観光資源をたっぷり味わって、その素晴らしさを世界に発信してくれれば、さらに多くの外国チャーター便が到来し、そしてさらには近隣国との定期便の発足も夢ではなくなるでしょう。私の頃がそうであったように、知事以下和歌山県庁全員の一層の努力が求められます。

 この話はさらに続編があります。この流れから和歌山県にゆかりの出来た経営共創基盤機構が、那智勝浦町の老舗巨大ホテル、ホテル浦島を買って経営にてこ入れをしてくれることになったのです。創業の祖浦木清十郎氏がお作りになったものすごいホテル、ホテル浦島も後継者問題で苦難の道を歩んでいましたが、これでようやくまた新しい投資で新しい企業に生まれかわる道が出来ました。熊野は蘇りの地ですから。有り難いことだと思います。

 以上最近のニュースから、和歌山において新規投資がなされ、新しい産業が産まれつつあることを、県庁の諸君と一緒に頑張った日々を回想しながら、喜びの気持ちで書きました。