原丈人さんの用語です。ある時にネットかテレビか忘れましたが、原さんがインタビューに応じていて実に心に刺さることをおっしゃっていたので、その時紹介されていた原さんの著作である「公益資本主義」という本を早速買って読みました。やはり心に刺さりましたので、もう一つの著作である「富めるものだけの資本主義に反旗を翻す」という対談集も読みました。これ等の本から得た情報ですが、原さんという人はなかなかすごい人のようです。
原さんは年齢は私よりも少し下で大阪生まれの方ですが、おじいさまはコクヨの創業者の黒田善太郎さん、父上はそのお嬢さんと結婚してコクヨの技術陣を引っ張った原信太郎さんで、大手前高校から慶応大学法学部に進まれ・・・と書くと、名門の家庭に生まれた育ちの良い坊ちゃんという感がありますが(事実その通りであるのですが)、その半生はえらく面白く、波乱万丈です。流れに身を任せず、無茶苦茶自己主張しながら生きてこられたようですが、なぜかどこへ行っても大成功してしまうのは人徳というものでしょうか。大体、黒田善太郎さんも原信太郎さんも大変ユニークかつ立派な人のようで、お二人とも利益を丸どりするのではなく、前者は取引先とまさに「三方よし」の関係にこだわった方のようだし、後者は従業員を大事にする「三方よし」に大いにこだわって頑固に自己主張してそれを実現してきた人のようです。おまけに、原善太郎さんはずっと長い間鉄道模型を手作りで作り続け、その膨大な作品は、横浜で博物館になっていて、原さんが管理しているそうです。
ご先祖も主義主張のしっかりした、ある意味ユニークな立派な人だと思いますが、原さんも子供の頃からその片鱗を覗かせます。坊主頭が嫌で、そうしなくても済むある中学にわざわざ進学したのに、それを学校から強制されて、最後まで抵抗します(私がそれまで進学しようと受験勉強をしていた某有名高校に行くのをやめて地元の桐蔭高校に行くことにした3つの理由の1つは丸坊主にしなければならなかったからで、大いに共感しましたが、そんなことはここでは何の意味もありませんね!)。それも威風堂々と。また、それぞれの国の国民が自国を呼ぶ呼び方と違う呼び方を日本でするのは不合理だと思って、それぞれの自国語での呼び方を勉強して、それを答案に書いて、先生に注意されてもこだわり抜きます。(いちいち私も共感を持つのですが、それもここでは何の意味もありませんね。)高校の時に大病をして、長く病に伏さねばならなかった時、原さんはドイツ語を勉強し、社会主義を勉強し、難解で難しいという定評のある本をどんどん読みます(陸奥宗光が東北の刑務所に入れられた時ベンサムの経済学の本を持ち込んで翻訳をしたという話に通じますね。)。その後、大学に入ってから、原さんは、広く海外を「放浪」(私の感想です。)します。ものすごいのは、中米の遺跡の発掘に熱中し、この考古学にずっとこだわり続けていたということです。しばらくこの事業に没頭してから、スタンフォード大学に入りますが、その目的は考古学に投じる資金を稼ぐためだったそうで、びっくりです。そのため、スタンフォード大学のビジネススクールに入りますが、興味の赴くまま工学部へ。おそらくその方面の才能もすごかったのでしょう、ノーベル賞受賞の大先生に生化学の弟子になれと言われたそうです。その時才能のある友人と始めた光ファイバーディスプレイの会社が大当たりになりますが、その思想を生かして、ベンチャーキャピタルの重要性に着目してその会社を興し、これまた成功をしてしまいます。まるで漫画の主人公のようにどんどん地平線が開けていくのですが、いかなる時でも、祖父や父の心の持ちようを忘れずに、「三方よし」を貫かれている人のようです。それが思想的には「公益資本主義」につながります。現在、原さんは、世界有数のベンチャーキャピタリストを経て、様々な経済活動を主宰するとともに、アライアンス・フォーラム財団を組織して経営や経済に関する啓蒙活動にも従事しています。
「公益資本主義」という言葉は、原さん自身が述べているように、どうも誤解を生みそうな概念です。言葉の語感と原さんの言わんとすることがぴったりと一致しないような気がします。公益資本主義の「公益」という語感からは、公共の目的に奉仕する資本主義かと思ってしまうのですが、違うと思います。今人口に膾炙しているSDGs17項目を、我が社は追究していますと言ったテレビコマーシャルが結構ありますから、あんなものかと思われるかもしれませんが、違うと思います。
原さんの公益資本主義は、株主資本主義の反対概念だと私は理解しています。株主資本主義が金融資本の手にかかると、もっと透徹した金融の、あるいはITの手法を使って、あっという間にあらゆることが動員され、ある種の株主とある種の経営者だけが得をする金融資本主義が形成され、原さんが反対する形の資本主義が登場してしまいます。この趨勢に原さんは反旗を翻しているのです。
原さんが反対する形の資本主義という言い方をしましたが、学界でも経済界でも、資本主義に関する考え方の主流は、明らかに株主資本主義であります。そして、現実には金融工学と言った高度の手法を駆使して、大儲けをしているような経済主体が存在しています。金融資本主義です。会社の所有者は法律的にも実質も株主ですから、株主資本主義で何が悪いかと言われそうですし、私がまだ通産省(経済産業省)にいた時からずっと続いてきた経済構造改革の一つの主眼は、この株主資本主義を極限まで純化させることであったように思います。会社制度の改正もそうだし、会計制度や労働法制の改正もそのような流れの中で行われたと思います。では、その前はどうであったかというと、日本の資本主義制度は結構特異なものであったと思います。昔からの慣行や商道徳を生かした独特の会社制度が、戦後の経済発展の結果生じた労働力不足の確保の手段としても、その労働者がわがことのように会社に献身することにも親和力があり、日本の高度成長の原動力の一つであったと思います。日本の資本主義は、教科書に書いてある株主のものという、純粋な株主資本主義ではなく、もっと共同体的な、疑似家族的なものであったと思います。会社は「一家」であって、そこで働く人は資本家であれ、経営者であれ、中間管理職であれ、新入社員であれ、本社のホワイトカラーであれ、工場、現場のエッセンシャルワーカーであれ、会社のために皆同じ気持ちをもって過ごしていたように思います。それが原因で高度経済成長が出来たのか、たまたまこういう構造を残しながら高度経済成長が出来てしまったのか、良くは分かりませんが、少なくとも外国からは、このような特異な構造はいろいろな局面で日本の閉鎖性を表すものだから解体をしてしまえと言う意見が強く出されたことは、その現場にいた私としては実感としてもよくわかります。おまけにこういう特色を有する日本の経済が行き詰まり、低成長に陥りました。この現状を打破せねばと考えた日本人の中にも、経済合理性や効率性を考えたら、この日本的な資本主義は壊して、アメリカのような株主資本主義を導入しなければならないという人たちが出てきて、あっという間に主流派になりました。その中で、会社の中にある様々な資産をすべて株主のために動員するのが正しいのだという意見が強く湧いてきました。こうして、こういう「経済構造改革」の結果、株主の利益を極限まで追求するような具体的な制度改革がどんどん実行されました。株主は、会社が利益を出してくれて、会社の価値が高まり、配当をどんどん稼げればいいわけですから、株価は高くないといけないし、利益を出すためにはコストをどんどん下げなければならないので、従業員を沢山雇って高給を払うというのはもってのほかだし、リスクのある研究開発などに投資をしたりするのも避けるべきだし、遊休資産を持ったまま使わないということは最悪なので売ってしまったほうがいいと言った考えになります。この中で、株式を買い集めて多数派の株主の声として、遊休資産を持ったまま動こうとしない経営者に株主に利益をもたらすような経営に変えさせようとしたのが、通産省の私の後輩の村上世彰さんが率いた村上ファンドなどのアクティビスとだと思います。どういうセンチメントでそうなるのかは知りませんが、派手に動く村上ファンドなどに対しては、メディアは攻撃的でしたが、その元にあった経済構造改革とその結果出来つつあった株主資本主義や金融資本主義には、メディアは拍手喝采だったように思います。遅れた日本の経済構造をアメリに代表されるようなグローバルスタンダードに沿ったものにするものだと、ほとんどすべてのメディアが肯定的だった記憶があります。これに原さんは真っ向から挑戦しているのです。
原さんに言わせると、昔からの日本の会社制度では、株主はもちろん大事な存在だが、会社の中で働く色々な形の従業員も大事だし、取引相手も、さらにはお客様も皆大事な主体だ(原さんはこれらを「社中」と称しようとしているようですが、余計練れた言葉とはおもえません。坂本龍馬の亀山社中などというのがありましたが。)。だからこれらすべてがよくなるような経営をしていかなければならない。みんなの利益ということだから、公益資本主義なのだ。ところが株主の利益だけを追求すればいいのだという資本主義が蔓延ってしまった。だから今一度公益資本主義を取り戻さねばならないと主張します。
そして、現在の経営に関する主要な評価手法はROE(自己資本利益率)であるが、これに頼って経営を考えるのは間違いだと原さんは言います。会社の声価を高め、株価を上げようとすれば、ROEを上げればよいわけですが、ROEは当期利益を自己資本で割ったものだから、経営者がまっとうに努力して利益を上げればいいのだが、自己資本を減らしてもROEは上がるのだから、ROEを上げたい経営者は資本を減らすことに狂奔する。そのため、遊休資産の土地などを売ってしまうことぐらいならいいとしても、従業員の数を減らして人件費を削減したり、研究開発に投資するお金を削ってしまったりしがちになる。そんなことがどんどん蔓延ったら、従業員はますます疲弊するし、将来の成長の種を作ろうとすることもできなくなる。会社の利益だけは伸びても、従業員は疲弊して、結果として、社会全体の消費は伸びないし、投資も伸びないから、経済の不調がずっと続くし、研究開発投資などにより、次の時代の成長の種を作っていくことも期待できなくなる。これでは日本の破滅ではないかと言っておられるのです。
私はとても原さんの説に心が動かされます。私は会社組織というものは、経営者などトップだけで成り立っているものではなくて、生産活動の現場で、それぞれの持ち場持ち場において、小さい改革努力を積み重ねながら働いているすべての構成員の働きによっているという意見です。それが今までの自分の職業生活の中で得た実感です。ましてや、トップに圧力をかけて、経営指標をよくするために、会社の資本の方を削減せよと言っている機関投資家が幅を利かせている社会は評価できません。
私の実家は中小企業の経営者であったのですが、私は子供の頃から、社長も工員さんも皆同じ船に乗っている仲間という雰囲気の中で育ちました。役人として、知事として企業を見てきた時の実感も同じです。機関投資家から派遣された人が財務諸表を見て経費の切りつめを声高に要求している姿が良いとは決しても思えません。会社経営はかなり長期的視野に立って行うもので、そのために有能な従業員は大事にしないといけないし、先行投資は怠ってはいけない。そしてそういう経営をやっていく上では、次に時代が変わろうとする時に乾坤一擲大きな先行投資をし、リスクマネーを張るためには、ある程度の良い意味での遊休資産も持っていなければいけないのではないかとずっと思っていました。経営にはどこかにアローワンスが必要だというものです。ただ、この考えは経済学的に証明した人もいないので、どうもクマさん八つぁんの議論の域を出ず、エコノミストを自認する日銀などに進んだ学友などにいつもやり込められていました。村上さんが今の村上ファンドを作るので通産省をやめたいと言ってきた時も、「君の事業は必ず成功すると思うけれど、好き嫌いで言うと嫌いだ。」と言ったことを思い出します。(村上さんは別に嫌いではありません。そのことはこのメッセージの別の回に書きました。)
しかし、理論的に証明はできなくても、ROE的世界で経営を突き詰めていくことが日本にとって良くないような気がするのはぬぐえません。経営が正しいかどうかは、当期の利益と資本の扱いだけではなくて、経営の目標と時間軸をどこに設定したかで答えが違ってくるような気がします。短期的には非効率な経営だという評価を貰っても、長期的スパンで考えたらそれが正解だという経営もこれからは必要になってくるかもしれません。だって、様々なことが不確実な時代ではありませんか。明日の時代を読まないで会社の未来のための資産を今日の株主利益のためだけに処分してしまうのはもったいないような気がします。
原さんの公益資本主義に賛成します。それとともに、その正当性を理論的、実証的に証明して見せてくれる研究者が現れることを期待します。