アレクサンドロスと継戦能力

 塩野七生さんのギリシャ人の物語の文庫版第4巻はアレクサンドロスの物語で、塩野七生さんによれば、オリジナルの著作はこれにて打ち止めと言う叙述がありました。残念です。同じく巻末にそういうわけだから、今まで書いたすべての作品を一覧にするとの叙述があり、それを見ると、全部読んでいたことを発見してびっくりしました。私がイタリアに昔いたこともあって大いに愛読していたのですが、もうそれがかなわぬと思うと残念ですが、塩野さんは最後の著作であるからして大好きなアレクサンドロスをテーマに選んだのだろうと言う思いもあります。
 アレクサンドロスは21才で征服戦争に出て、33才でなくなるまで、戦争に勝ち続け、ずっとギリシャ世界を圧迫続けてきたアケメネス朝ペルシャを滅ぼし、東はインダス川のほとりから、北は中央アジアの山岳国家、西はエジプトにかけての、のちのヘレニズム世界といわれる大王国を創ります。
 その戦い方は、父王フィリッポスが創った重装歩兵ファランクスに加え、騎兵を中心とした「機動部隊」を縦横に操って、自分たちに数倍する戦力の敵を次々に屠っていきます。その特色は、塩野さんによれば、①自らが「ダイヤの切っ先」となって真っ先に突っ込む、②スピードの重視、③必要なところでは後方地域などの地歩を固める、④日頃からの将兵とのコミュニケーション、訓練、⑤兵站の重視、⑥勝者の寛容、征服した地の統治機構に繰り込む、国際結婚の奨励などの同化政策があげられますが、これらはすべて現代の戦争はおろか、行政や企業経営でも大事な要素であると思います。

 この内、今回は兵站の重視という点について述べたいと思います。アレクサンドロスのような名将のもとには一騎当千の将兵がいて、これが心酔している王のために、命令一下一糸乱れぬ奮戦をするのですが、そのためにはいつも将兵に腹一杯食べさせることが出来る食糧や弓矢などの消耗品の補給路を確保することが絶対必要で、アレクサンドロスはこれを忘れなかったと言うのです。また、連戦連勝で兵員の損耗も少なかった割には兵員の人的補充にも大変熱心に取り組んでいます。腹が減っては戦が出来ぬとよく言いますが、このような兵站の重視は、将兵にとっては、腹が減らないこと以上に自軍と指揮官に対する信頼感に繋がるものだろうと私は思います。

 旧日本軍もこの兵站という点に問題があったと言うことは、インパール作戦やガダルカナル、それに私がいたボルネオ島の戦いでも極めて顕著ですが、朝鮮出兵の様子などを見てもどうも昔から兵站の軽視は日本人の特色のような気がします。これは戦争には限りません。日本人は勤勉で、献身的ですから、事をなすときに、ついこの日本人の美点に甘えて兵站を忘れる傾向があるような気がします。私が知事をしていた和歌山県でも、職員は皆士気が高くよく働いてくれます。下手をするとつい残業時間がかさんでしまって、これは良くありません。一番ものすごいことになるのは、大災害がおそってきたり、コロナが流行をしたりと、危機を迎え、組織も職員も使命感でぱんぱんになるときです。

 紀伊半島大水害が和歌山県を襲った2011年、危機管理局や県土整備部を中心に県庁は対策に燃えました。救える命を一人でも助けよう、一日も早く寸断されている道路を開通させよう、避難住民の暮らしを一日でも早く改善しよう・・・多くの職員がものすごく働きました。私も初めのうち日に2回行なっていた災害対策本部の会合が終り、記者会見が済むと、必死で頑張っている職員を激励に回っていました。中にはもう2日もうちに帰っていない、徹夜で仕事をしていてほとんど睡眠を取っていないと言う職員がごろごろいました。皆この未曾有の災害から県民を助けるのだとものすごく張り切っているわけです。本当に頭が下がります。しかし、私のような司令官が考えなければいけないのは、継戦能力であって、この立派な職員に引き続き全力を挙げて頑張ってくれと言うことではありません。頑張れなど言われなくても頑張るこの立派な職員も生物的限界を超えると仕事を続けることが出来なくなります。疲労が一定程度積み重なると、戦い続けるだけの体力と正常な思考力がなくなり、県民のために頑張ろうとしても戦えなくなります。職員を皆少しは寝かせているかと現場指揮官に聞くと、若手以上に張り切って使命感に燃えている指揮官は、あまりその意味が分からないようで、怪訝な顔をしています。これはいかんと緊急に命令を発して、大至急3人をひと組とするチームを作らせ、この内2人は働いて、一人は何があってもうちに帰って寝かせろ、そして起きたら出勤して、次に別の人が寝るためにうちに帰ることにせよと言うことにしました。こうしておけば、順番に二人が仕事をしているわけですから、このチームが何を続けているかという情報が途切れることはないし、短期間であれば過労で倒れる人もいないだろうと言うわけです。このような大きな災害対策はすぐには片付かない仕事だから、長い目で見てそれをきちんと仕上げるためには組織全体の継戦能力が失われては困るわけですから、大事な要員が倒れて組織全体が機能しなくなるのは困るのです。こういうきつい命令を下したのですが、張り切る現場指揮官がそれをどれほど忠実に励行してくれたかはいささか疑わしいのですが、とにかく甚大な人的犠牲もなく紀伊半島大水害対策は全国的にも驚かれたようなスピードで収束を迎えることが出来ました。和歌山県ではこの後も何度も様々な危機に見舞われましたが、この時の経験を生かして、緊急時には臨時に3人ひと組チームを作って職員の睡眠を確保するというオペレーションを行なっていました。もっともこのオペレーションはあくまで緊急時の異例の措置で、これが常態化して良いわけはありません。長い目で見たら、多くの場合一生懸命働いて提示に帰れるというのが正しいあり方です。

 ともあれ、私がとっさにあのような命令を発したのは、そのかなり前、通産省の国会対策の現場でこの交代制を思いついて実施していたからです。最近はマスコミでも盛んに報じられるので、国民が多く知るようになりましたが、中央官庁の国会対策の作業は過酷です。大体、質問のある前日の夕方から夜にかけて、主として野党の議員から質問が入手出来ます。そうすると担当部局で答弁(案)を作って必要部数印刷をして、内閣や省庁の官房などに届けるのです。答弁を書くのは大体課長補佐クラス、それを上の人がクリアーして、原案が出来たら後は印刷、届けなどは、大体各局の総務課の責任者の筆頭課長補佐とその下の若手の仕事になります。質問はなかなか入手出来ませんし、答弁案の作成も難航することも多いので、総務課の印刷、揃えなどの作業始まる時間は既に午前様になっています。そこから作業ですから、完成は翌朝、それも明け方どころか、答弁案の大臣への説明が始まるぎりぎりの時間になることもあります。そうすると、朝からは別の仕事がありますので、これを担当していた職員は寝る間がありません。これでは持ちません。当時は私の下に国会担当の二人の若手職員がいました。一人は上級職採用、もう一人は一般職採用です。二人とも、これからどんどん専門的で責任も重い仕事をすることになるのですが、そのために仕事の流れなどを総務課で身をもって経験しているのです。放っておくと二人とも明け方まで必死で働いてくれます。それでは長くは持ちませんから、私は、一人は未だ電車のある時間には強制的に帰して、その代わり、翌朝は朝皆が出勤して普通の仕事が始まる頃には出勤して、朝まで働いてくれたもう一人と交代し、交代してもらった一人は帰ってゆっくり寝て、夜国会対策がスタートする頃にまた、戦線に復帰すると言う方法を思いついたのです。私自身については、この状況の中で、大体見通しが付いたなと思うタイミングで帰らしてもらって、朝の大臣への説明のあたりから非常事態に備えていました。通商産業省は通常残業省といわれ、皆遅くまで仕事をしていましたが、当時は、自分らは日本を背負っているのだと勝手に思い込み、いやいや残業をしていると言った感じがなく、いきがっていましたので、割合遅くまで役所にいることは平気でした。しかし、そういういきがりは大変危ないものだと言うことをまもなく発見するのです。以上の発明も以下の大変な経験の教訓から生まれました。

 若手の課長補佐の頃、私は第1回四極貿易大臣会合と安倍晋太郎通産大臣のワシントン訪問の下支え役として、米国に出張しました。今では事態は改善されていて、こういう大事な会合の場合、大臣、幹部職員のほかに課長補佐以下の職員がどっさり付いていきますから、一人にかかる負担は軽減されているのですが、当時は課長補佐以下の職員は私だけ、後は現地の通産省勢、主として私より先輩の職員が応援に来てくれると言う体制でした。勢い何から何まで全部一人で下働きをしなければなりません。その結果、3日間完全に徹夜しました。そうしたら、このミッションが終って私がニューヨークに辿り着いた時、話してもろれつが回らなくなり、現地で世話をしてくれた先輩から本省に「仁坂発狂説」が流れ、多くの方に心配をおかけしました。その後私は時の通商産業審議官のお供をして、ユーロッパで比較的楽な自動車協議に参加して十分休養を取って元気に役所に戻ったところ、真っ先に会った先輩が「おい!仁坂、お前大丈夫か?!」と聞いて下さって、びっくりした覚えがあります。 したがって、人間はどんな時でも生物的限界は超えられないのですから、長い戦いを想定したら、一番大事な人間を消耗させてしまうわけにはいきません。休ませる、交代をさせる、など様々な工夫によって、継戦能力を維持しなければなりません。これが私が考える人的な意味での兵站です。

 しかし、行政における兵站にはもう一つ重要な要素があります。それは機械装備、機器などによって、人間が力任せに頑張らなくて良い環境を創ることです。私が嫌いなのは、組織のトップが職務環境の整備をすることもなく、やたらと頑張れと職員に発破をかけることです。根性を入れれば出来ると尻をたたくのは最も嫌いです。「スポ根」行政は大嫌いです。忙しくなった時、人間を増員することは今の行政の局面ではほとんど期待できませんから、人の労働生産性を上げるためには、機械化、重装備、執務環境を良くすることしかありません。したがって、私はこれだけはけちけちしないで、懸案を抱えている部局には設備投資をどんどん行ないました。幸い、景気浮揚や、コロナ対策、地方創生と何かといっては政府が何にでも使えるお金をくれました。何にでも使えるのですから、ばらまきに使ったり、給付に回したりも出来るのですが、私はどんどん設備投資、職務の重装備化のために使いました。コロナで言うと、病院の設備改善に助成をどんどんしましたし、県庁部局、保健所、研究所、病院などにPCRなどの検査設備をどんどん配りました。そうやって人間の力に頼らないところを拡大していかなければ、必死で働いてくれている職員や病院関係者に申し訳が立ちません。友は裏切ってはいけないのです。これがもう一つの兵站であると私は思っていました。

 このように戦争でも、ビジネスでも行政でも、兵站をしっかり整えることによる継戦能力の充実がいつの時代でも必要です。戦いはほとんどの場合ずっと続くものですから、司令官がこの配慮を怠った組織はいずれ衰えていくものと思います。