動機付け

 ある時、公共交通機関の分野で、経営不振になっていた企業を買い取って、見事に経営を立て直した企業の関係者に話を聞く機会がありました。ずいぶん前にお聞きした時は、「見える化」をするのが前提と言うことをお聞きしました。儲かっている区間、どこがコスト増の要因か、乗員がどういう行動をしているかなどが分かってくると、経営改善の目標も分かるし、従業員にも共感を持って協力してもらえるといったことがその効果だという訳です。なるほどと思いましたが、またまた、今回は面白いことを聞きました。「見える化」をしない前は、運転手は自分ではこの路線を走っても客はいないなと言うことが分かっているのだけれど、わざわざ経営陣にそれを訴えてより乗客が多そうな地域を走るようにしたりしない。なぜなら、給料は一緒だから、わざわざたくさん乗客が乗ってきそうな路線にする必要もない。面倒なだけだ。どうせ公共交通機関はつぶれないし、路線を維持することがその地域の責任ある政治家の努めだから、自分が運転している路線はなくなることはないし、自分が失業する心配もない。したがって、余計なことはしないほうがよくて、客が多かろうが少なかろうが、自分にはどうでもよくて、安全に運転をしていればいいのだという訳です。また、どうやら「キセル」行為が横行しているようなのだが、それに目くじらを立てて暴いても、乗客との間が気まずくなるだけだから見て見ぬふりをしておこうというようなことも起きていたというのです。なるほどそうだなあと思います。だから「見える化」が必要だという訳ですが、それを前提にして、あるいはそれとともに、良い仕事への動機付けを適切に行うことがとても必要だと思います。この企業の成功はおそらくこの動機付けを、うまく塩梅できたからに相違ありません。

 私は経済学部経済学科の出身ですが、経済学部には経営学科と言うのもあって、経済学科の学生にも2,3年生ごろから経営学が必修科目として教えられます。その時、出会ったのは、この動機付けと言う言葉でした。英語で言うとMotivationです。動機と言われるとそれまでも普段使っていたけれど、動機付けとは変な言葉だなとその時思ったことが妙に頭に残っています。今はこの動機付けを、(おそらく時々動機と間違って使っていると思いますが、)私もよく使います。
 辞書的には、動機は行動の根本にある心理的要因で、その動機をきっかけに行動が始まり、それを目標達成まで持続させる心理的なプロセス全体が動機付けだということのようですが、印象としては、動機付けは少し高めの視線でものを考えるときによく出てくる概念であるように思います。したがって、経営者目線、政策当局者目線、人事当局者目線で考えると、動機付けで表せる現象が沢山あります。

 私は、人間はみな怠け者の資質を持っているので、特段の動機付けがないと、怠けてしまうと思っています。世の中にはとても立派な人がいるので、どんな時でも怠けないで立派に行動している人がいますが、普通の人は怠けます。怠け者の私だからよくわかります。そのような人に適当な動機付けを与えてやると、普通の人でも怠けないで、よく仕事をするようになります。例えば先の公共交通機関で言うと、わが社は経営危機なので、もっと収入を増やさないと、路線廃止など経営縮小に追い込まれる恐れもある。そうなると人員整理もせざるを得なくなる。だから普段走っている路線をどう改めたら収入が増えるか考えてくれと言うと、乗務員の行動は失業の危機感もあって、少し違ったものになるような気がします。またそこで、給与もうんと上げてあげて、さらに、もっと儲かったらさらに賃上げもするからねと言うと、さらに多くの改善点が提案されると思います。高い給料ということは、この会社に居続けようという動機付けになるからです。
 また、この会社は大枚をはたいて、バス運賃支払いのカードシステムを導入したそうです。そうしたら、システムのデータからまた多くの「見える化」が果たせます。どこの区間で乗客が多いか、何時ごろ多いかと言った塩梅です。これをまた、経営改善に繋げていけばよいのです。また、この「見える化」によって、キセル行為が不可能になります。そうすると、キセルを注意してトラブルになるというリスクもなくなり、乗務員の仕事への動機づけはさらに高まるでしょう。
 しかし、公共交通機関の経営改善にはさらにハードルがあります。公共交通機関の経営者は通常自治体の長ですが、その自治体の経営が人ごとのような自治体の長にかかると、せっかくの経営改善のアイデアが生かされなくなります。ここに、自治体の経営に関する危機感の共有と、経営センスの良い民間に公共交通の経営を任せる意味があるのでしょう。
 公共交通機関に限らず、人を使って事業をしようとするときには従業員に仕事に関するどのような動機付けを与えるかがその企業の死命を制することになると私は思います。

 考えてみると、こういう点でもっと深刻な問題を孕んでいるのは自治体そのものです。自治体の役人は首にならないからいいなあと言った民間からの怨嗟の声もどこ吹く風、前例踏襲で仕事をこなし、色々な波風を立てそうなことには手を出さないように、そっと時間が過ぎるのを待つ、と言った職員がどっさりいる自治体が全国いたるところにあるのではないかと疑います。私の思うところによれば、そういう自治体が存在しているのは、すべてその自治体のトップの責任だと思います。すなわち、職員に適切な動機付けを与えられないという人事管理上の能力とやる気の欠如という問題と、トップ自体が職員を引っ張っていくべきビジョンや使命感といったものに欠けるから、職員にも良い仕事への動機付けが与えられないという問題の両面において。

 前者の問題は、私の経験ではかなり深刻です。トップが自身の再選という政治過程にしか関心がないと、まじめに人事管理をしなくなります。人事管理は、人事課長とか総務部長とか、副知事とか副市長とかに任せきりになってしまいます。そうすると、人事が時として、恣意的になったり、多くの場合おざなりになります。私の経験では、和歌山県庁は、古来決して恣意的な不正な人事をしていたわけではありませんが、人に後ろ指をさされないように人事をしようとして、結構癖のある運用をしていました。例えば、入庁試験の学力試験の重視、一度経験した部署には適性のいかんにかかわらず経験ありという理由で戻すこと、昇進は現位階での経過期間で自動昇進と言った具合です。いい企画や工夫をどれだけしたか、どれだけ熱心に職務に取り組んだか、外部の関係者の評判はどうか、そもそも本人の能力や適性、また、理想として取り組みたい行政の分野は何だったのかと言ったことはあまり考慮していないように思いました。人は、だれでも理想があり、希望があり、そして能力があり、適性があります。それがはまればとてつもないいい仕事をするけれど、そうでなければ、色々な壁に突き当たり、失敗を恐れて前例踏襲の壁の中に閉じこもります。みんなまじめでいい人たちですから、こういう壁の中から、つらい人、伸び悩んでいる人を救い出して、緑の荒野に放ってやるのはトップの努めです。私はそう思って、ある程度の職階以上の人事は人事課の原案にきちんと目を通し、納得がいくまで詰めました。ただ、私にも間違いがあり、こいつは営業が得意だろうと思ってそのような能力が必要とされるポストにつけたところ、実は恥ずかしがりで、出不精であったというような例がいくつもあります。このような見誤りは、当該職員にとっても、つらい目に合うことになるので、申し訳ないことでした。この関係で、原案を作る人事課の諸君にあらかじめ言っておいたことがあります。「人は大きく4類型に分けられる。にぎやかなのと、詰め詰めマンと、心の優しいのと、オールラウンダーとだ。にぎやかなのは振興とか営業的分野、詰め詰めマンは会計とか法令とか、心の優しい者は福祉とか環境とかにつけるといい仕事をしてくれるよ。」と言うことです。人事当局者が変わると、必ずこう言い聞かせていたのですが、私が辞めてからはどうなっているのでしょうか。

 もう一つの動機付けにまつわる問題は、トップ自身に職員の動機付けを与えるようなものがないということであります。職員はみなまじめですから、トップが組織の目標や行動原理を語り、それに共鳴すれば、一生懸命仕事に励んでくれるものだと思います。人は誰でも上司に気に入られたいものですから、上司の動向には特に関心を払います。おそらく組織の中で出世したいという願望もその中に入っていることでしょう。しかし、トップからのそれが何もないと、どうしたらいいのか不安になりますし、その指導原理があまりにも不合理で納得できない時は、いくら上司の言うことでも、それに従えと言ってもそうは行かないでしょう。そうすると、職員はみな前例踏襲の壁の中に閉じこもるのです。

 したがって、自治体の機能がよくない、職員が働かないと言って多くの人が不満に思う時は、私の意見ですが、すべてトップに原因があります。適切な人事管理をしていないからと、自分自身に適切な行動原理がないからのいずれか、又はその両方により引き起こされていると私は思います。
 さらに、時々中央政府でも自治体でも、組織のトップが、自分の部下である職員をあしざまに言い、組織の機能が十分でないのは職員のせいだと外部に公言する人を見かけます。私は、これは全く間違いだと思いますし、卑怯者だとも思います。組織の機能がうまく行かないのはすべてトップの責任ですし、自分が人事権を持っている部下のせいにして、自己の責任を転嫁しようとする人は卑怯者です。私は、随分厳しい注文を直接職員につけたと思いますが、県庁の職員をあしざまに外部の人に言った記憶はありません。それは、そう演技をしていたのではなくて、本当にそう思っていたからです。県庁の職員にどういう動機付けを与えられるかは組織のトップたる知事の仕事です。私が和歌山県の知事をしていた時、なかなか耳に痛いことを言ってくれる民間の人がいっぱいいました。就任後少し経つにつれ、そういう人から、「最近の県庁職員はよく働くなあ」と言うお褒めの言葉を時に貰えることがありました。そういう時は自分が褒められるよりずっとうれしい思いがしたことを今でも思い出します。