アベノミクス

 新政権の滑り出しは上々のようです。特に安倍首相が就任後すぐに唱えた「三本の矢」3つの主要経済政策(大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略)は、まことに時宜を得たもので、少なくともその方向性は、極めて論理的であると思います。多くの人がそう考えるのか、安倍首相がそう唱えたとたんに、為替が円安の方向に振れ、株価が随分上がりました。まだ具体的な手を打っていなくても人々の期待が変わることで、経済は動くのです。ただし、期待だけでは、経済の好転は長続きしません。具体的な政策が追いついてこないと期待は期待はずれ又は失望になって元の木阿弥になります。

 しかし、ここでも新政権は着々と手を打っています。金融政策では、いやがる日銀を法改正して独立性を制限するぞと脅して、インフレターゲットを日銀自体が追求することを認めさせました。日銀は、私に言わせると、インフレ退治だけが自分の仕事と思いすぎ、銀行貸し出しを通じた貨幣供給だけに頼りすぎ、かつ、全ての局面でファインチューニングができなくなるような事態をあらかじめ避けようとする余り、世界中のどこでもやっている金融緩和を追求しそびれ、デフレと円安を放置したのでした。
 また、財政政策では、間髪を入れず、景気浮揚と社会に必要なインフラの早期整備を目的とした緊急経済対策と大型補正予算を組んで、景気回復の期待が裏切られなかったという確証を人々に与えました。国土強靱化というと、中味も見ないで、また無駄な公共事業だ、建設業者救済だと言って騒ぎ始めた人々も、多くの人々の期待と為替、株価などの経済の実際の動きを見て、あっという間に口をつぐんでしまいました。
 そして、新たな成長産業を探して、その発展の障害を取り除いて、育てていくという産業競争力強化の新成長戦略です。マクロの政策のみならず、ミクロ面も見た、かつ経済社会の構造の変革も見据えた政策を3本目の柱として、これから具体化して行こうという姿勢も極めて論理的で好感が持てます。
 円安化と株価上昇は、イタリア総選挙でまたユーロへの不安が兆したので、少し頓挫しましたが、この三本柱の政策の方向性がぶれずに、着々と進められている限りは、大きな心配は少ないでしょう。

 この安倍新政権の経済政策を世人は「アベノミクス」と呼びます。安倍首相や、政権側はこのような言葉は使っていませんので、恐らく軽薄な言論界の人が使い始めた言葉だろうと思います。おそらく、レーガン大統領が唱えた経済新政策「レーガノミクス」から取った言葉であろうと思います。レーガンのエコノミクス(経済学)のような安倍さんの経済学というわけですが、私は、この言葉は好きではありません。
 レーガノミクスの時代のアメリカ経済は、それより前の民主党政権によって「福祉国家が追求され、大きな政府が出現し、これをまかなうための重税で、人々、特に企業が投資をしなくなったので産業競争力が弱くなった」(というのが共和党の言い分です。)ので、レーガンとしては財政支出を小さくして小さい政府を目指し、うんと減税をして、浮いたお金で民間投資を盛んにしていこうという政策を唱えたのです。財政支出を切りつめたら景気抑制的ですが、減税をすれば景気刺激的ですので、総需要コントロールは同じとしても、その政策の混ぜ方を変えて、成長を図ろうとしたのです。
 アメリカでレーガノミクスという言葉がことさら言われたのは、産業の投資を盛んにするのだという政策意図が明白的に唱えられたという点で新しかったからだろうと思います。しかし、レーガノミクスでは、減税をすれば投資が増えると言っていたのに、減税は投資には回らず、消費に回ってしまった感がありました。当時通産省にいた私は、投資を増やしたいのであれば、通産省が推進してきたような、様々な投資減税をやればよいので、一般的に減税をするというのは、政策割当が間違っていると思ったのですが、実際にその通りになりました。一方財政支出を削減して小さい政府を目指したはずなのに、一方で国防支出を大幅に増やしたために、財政赤字はかえって拡大をしてしまいました。一方で、景気はよくなり、米国経済を背景にした軍事プレゼンスの拡大が、とうとうソ連などの共産圏社会を崩壊につき動かした面もあることは確かだと思います。また、この時代からブッシュ父政権にかけて、産業に係る様々な規制をとっぱらって産業活動を盛んにしようという試みがなされ始めました。規制改革の時代です。このような政策の効果は、むしろクリントン政権の時代に表れたのですが、クリントン時代の経済成長は、レーガン時代の政策によるところ大ではないかと当時私は思っていました。

 「レーガノミクス」に比べると、安倍政権の経済政策はもっと論理的です。これが効果を及ぼして、いずれ和歌山経済にもチャンスが拡大するようになることを願います。