ミラノの町と都市計画

 最近、私はこれ以上の都市の荒廃と農地の減少は防がなければならないと警鐘を鳴らし、かつ言うだけ番長では困るので、県でできる事は最大限やろうと制度の厳格化に着手したところです。
 日本では今、同じような問題が全国至る所で起こっています。しかし、全国の主要都市の中でも和歌山市の旧市街の荒廃ほどひどい所は他に知りません。これは都市計画に無理解な行政のほかに、もともと結構栄えていて町の中の地価等が高かった事と、経済発展が急に減速した事と、地形的に平らな土地が外延部に多いので広がりやすかった事があると思います。
 しかし、平らな地形という点では、私が1989年から1992年に住んでいたイタリアのミラノも同じです。イタリア第2の都市ですから、旧市街(狭義のミラノ市)で人口150万人、周辺のミラノ郡も入れると400万人の大都会で、市街地の外側には広大なロンバルディア平原がずっと続いています。
 しかし、ミラノは旧市街地の外には住居や店舗や工場を断じて拡がらせません。ミラノの近郊にはリナーテ空港という、えらい近いので便利な近距離航路用の空港があるのですが、ミラノの町から空港へ行こうとすると、旧市街の城壁を過ぎるとすぐに畑になっていて倉庫1つ建っていません。そして畑の中の平らでまっすぐな道を進んでようやく家が出てきたなと思ったらもうリナーテ空港というものです。日本から着いたばかりの私はこのコントラストにいささか驚いたものですが、これも都市を守るという大変な情熱に出でたものと分かってその論理性に感心したものです。
 町の活力が失われるからと、近郊にショッピングセンターなどはほとんど建てさせません。ミラノが大発展してあまりにも過密になると、高規格道路でずっと遠くに行った所にサイズ的に、これまたぐっと締まった新市街地を計画的に作るのです。そこも真ん中にショッピングセンターとか学校とか役所とかを作り、その周りに中高層住宅群を作るというもので、そういう新市街地と旧市街地との間は完璧に何も建っていないというものでした。イタリアの人々にとっては町自体を守ることが大切な事なので、戦災で町が焼けても、またがれきなども利用して元通りの町並みを再建するし、建物が古くなっても壊すことは御法度で、外壁はまったくそのまま残して内装だけをすっかりやり替えるという方法をとります。従って大変コスト高になりますが、そんな事は我慢するわけです。また、都市の外延的拡大も禁止なら高層ビルも禁止ですから、経済学の教える所によって住居費がえらく高くなるわけです。でも、都市を守るためには皆が我慢するわけです。さらに町を構成するお店が衰退すると市民生活に支障が出ますから、お店も守ります。
 先に述べた郊外の大型店も認めませんし、勿論町並を変えられないのですから市内に大型店など建てようもないのです。こうして守ろうとしても、お店の後継者がいないと店を閉めてしまったりしますね。現に和歌山市の商店街で行っていることです。それを防ぐためには現経営者から次の経営者に承継がスムーズになされなければなりません。このためには、小規模な店舗出店も規制して、八百屋の隣には、例えば仕舞屋を改造して何らかの意味でも八百屋と競合する食料品店は作らせないのです。作るためには、近隣の現店舗の経営者の同意がいります。だから何が起こるかというと、新しく店を出したい人はもう閉めたくなった人の店の権利をお金を出して買うのです。かくしてお店を売って閉業した人には売却費用が入りますから、これを元手にこのお年寄りは年金生活に入るのです。でも考えてみると、絶対に高コストになりますね。町を守るためにはヨーロッパの町の人々は随分物価高、コスト高という代償を払っているのです。でも彼らは、それにはあんまり文句を言いません。それだけ自分たちの住んでいる町を守るという事に大きな価値を置いているのでしょう。

 私は、このようなミラノ流の厳格な都市計画がいつも正しいとまでは思っていません。町が、地域が発展している時は、その発展の力を削がないために、町を少し拡大することも、高層のビルやマンションを建てることも一概には間違いだとは思いません。所得も少ない若い世代にはもう少し規制の緩やかな町づくりの方が幸せに暮らせたことでしょう。しかし、人口増が止まり、急激な成長が無理になってきた時、相変わらず次から次へと市街地を拡大していくのは、町も荒れるし、地価が下がって皆が貧乏になるし、市役所も広い所を面倒をみるあまり財政がアウトになるしで、あんまり賢いことではありません。その時に及んで、まだ、市街化の規制を緩くしてくれ、ミニ開発で利益を上げようというのは、自分自身をだめにしているようなものです。行政というのは何でもバランスです。時代時代にあったバランスで少し先も見ながら最も賢明な事をしていかなければなりません。しかしそういう時に、都市計画の持っている意味すら知らずに、行政の責にあることは許されないと思います。