「神々が宿る巡礼の聖地」和歌山

top 10月16日、1998年以来姉妹道提携を行っているガリシア州の州都サンティアゴ・デ・コンポステーラ市に行って、巡礼や聖地観光、歴史遺産観光をテーマにした総合カンファレンス・フェア「第1回巡礼道フォーラムFAIRWAY」で、熊野古道を含む世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の持つ精神文化等についてスピーチしてきました。

■以下、スピーチの全文です。

第1回巡礼道フォーラムの開催にあたり、皆さんに世界的に有名な「カミノ・デ・サンティアゴ」の姉妹道である「熊野古道」について、お話しする機会をくださいまして感謝申し上げます。
本日は、熊野古道を含む世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の持つ精神文化を中心にお話ししたいと思います。

和歌山の位置
 「紀伊山地の霊場と参詣道」がある和歌山県は、日本本州の南部に位置する紀伊半島にあります。スペインから関西国際空港まで14時間、関西国際空港からは和歌山市まで30分です。また京都からは電車で1時間30分、大阪からは1時間と皆様に大変訪問していただきやすい所です。和歌山県内では和歌山市から、熊野の霊場や高野山に電車や自動車でそれぞれ2~3時間で行くことができます。また、東京から熊野の入り口、南紀白浜空港まで飛行機で70分間です。

熊野の岩、滝、原生林、川
和歌山県のある紀伊半島の大部分は山岳地帯が占めています。そこには、標高2,000m近い山々が連なり、その温暖な気候と年間3,000mmを超える降水量により、うっそうとした森林が広がっています。
紀伊半島の南部に位置する熊野はこのように険しい山岳地帯にあります。そこには雄大な自然を構成する巨岩や大木、滝、川が数多くあります。太古の人々は自然を恐れ敬い、それらの中に神を見いだしました。日本人は自然の中に神を感じ自然を心の拠り所とし、大切にしてきたのです。
熊野地方は、古代、都が置かれた京都から見ると、ずっと南の、うっそうと茂った山の奥に位置しており、当時の京都に住む人々にとって、神々が住んでいる神聖な場所として崇められ、また、そのような奥まったところですから、先祖の魂が集まっている所として大切に思われてきました。そこで、京都の皇族や貴族を中心に、神々や先祖の霊が住んでいる熊野にお参りしようということが盛んになってきました。政治の争いに巻き込まれたりして心身共に傷つくと、熊野にお参りし、もう一度蘇り、心の元気を取り戻すという巡礼の旅が始まりました。

霊場「熊野三山」
一方、古代の信仰は組織化され、神社が登場してきます。神社では自然の化身として神が祀られます。そのような神社の中で、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社が人々の信仰をどんどん集めるようになって大きくなりました。そして巡礼の旅の目的地はこの3つの神社、熊野三山になったのです。

神仏習合
6世紀中頃、朝鮮半島から仏教が伝わると、日本人は、先祖伝来の神道を捨てることなく新しい宗教である仏教をも受け入れます。我々を救ってくれる神も仏も峻別することなく、仏を神に取り込んだのです。神仏習合といわれ、日本文化の特色の一つです。これはまた、違いをことさらに強調して争うのではなく、他者をも尊重しながらありのままを受け入れるという「寛容の心」につながります。

寛容の精神・・・4つの不問
熊野には「老若男女を問わず、貴賤を問わず、浄不浄を問わず、信不信を問わず」という有名な言葉があります。熊野ではいかなる差別もすることなく、お参りしてくれる人は全て受け入れるということです。「老若男女を問わず」と「貴賤を問わず」ということは今ではあたり前のように思われていますが、ずっと昔はこのような神様へのお参りは身分の高い男性に限られていましたね。熊野では誰でもOKです。「浄不浄を問わず」はもっと哲学的です。キリスト教における、卑しい職業に就いていたマグダラのマリアの信仰の話はこれに通じるでしょう。熊野では、罪を犯した人も、改心をし、蘇りをするためにお参りすることができます。最後の、「信不信を問わず」というのは、哲学的に大変意義深いものがあると思います。熊野の神々を信じていなくても、熊野三山に参詣する人の魂は蘇るというのです。これは私の知る限り、世界でも熊野信仰にしかない寛容さだと思います。宗教の聖地で自分の信じるどんな神様にも祈ってよいというのは究極の宗教的寛容さです。今、世界は異なる宗教対立から生じた不幸な出来事が数多く起こっています。熊野で育まれた「寛容の心」でお互いを認め互いに受け入れることができれば、もっと世界は平和になるのではないでしょうか。

霊場「高野山」と霊場「大峯」
紀伊山地には熊野のほかにあと2つ霊場があります。その一つが「高野山」です。高野山は中国で密教の奥義を会得し、その正統な後継者となった「空海」により9世紀に開かれました。
高野山は深い山々が連なる山上盆地に位置し、厳しい自然環境の中にあります。空海は、この高野山から今も人々を救い続けていると信じられています。
空海を慕う人々によって高野山に多くの寺院が建てられ、1200年にわたり人々が高野山に巡礼を続けてきました。この高野山にも熊野で見られた寛容の心は生きています。生前、生死を賭けて戦った武将の墓が同じ有名な広い墓所「奥の院」に設けられています。この雰囲気を愛する世界の人々が宗教宗派を越えて高野山を訪問しています。
そして、もう一つの霊場は、高野山の東に位置する「吉野・大峰」です。ここは自然の中で苦しい修行を積む山岳宗教の一つ「修験道」の聖地です。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、このように宗派の違う3つの信仰の対象が、争うことなくお互いに尊敬されながら共存してきており、その姿こそ世界文化遺産としてふさわしいということで認定されました。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、熊野参詣の霊場熊野三山と真言密教の聖地高野山と修験道の聖地大峯山とこれらの聖地を結ぶ参詣道から成り立っています。現在熊野古道と言われる参詣道は、紀伊半島にいくつも開かれ、古来多くの人々が聖地・霊場に参るために通ってきました。最初は巡礼をすることができたのは皇族・貴族だけでしたが、経済の発展とともに、庶民でも巡礼ができるようになり、日本各地からの多くの巡礼者で紀伊半島は賑わいました。人々が参詣に連なる姿は蟻の行列のようだと言われたこともあります。

熊野古道とカミノ・デ・サンティアゴ
このような熊野古道は、紀伊半島の豊かな自然を反映して、主として深い神秘的な森の中を通ります。日本人の信仰は、森の木々や岩や山や水のせせらぎや滝にも神様がいらっしゃるということですから、巡礼者は、神々の中を、神々に守られながら歩き続けるのです。一方、サンティアゴ・デ・コンポステーラへのキリスト教の巡礼路は、森林の中も通りますが、豊かな畑の実りの中も、村々の中をも通っていきます。紀伊半島の気候はスペインに比べるとうんと湿潤ですから、私には湿った深い神秘的な森の中を歩いて行く熊野古道に比べ、カミノ・デ・サンティアゴは乾いた大地を歩き続けるというイメージがあります。
私は、これは巡礼者の宗教観の違いをよく表していると思います。キリスト教の巡礼者は唯一人の神を心の中で思いながら歩き続けます。日本人の巡礼者は、深い神秘的な森林の中を周りにいる多くの神々に守られながら歩き続けるのです。

伏拝の丘から見た熊野本宮大社の鳥居と歓喜の丘から見たサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂
熊野古道には熊野の神々の子供と思われている「王子」を祀る神社が99もあります。巡礼者はこの1つ1つに参拝をしながら進むのです。そして長い旅の末ついに巡礼者の最終目的地が見えます。巡礼者の喜びはいずれも同じです。苦労の結果、目的をかなえた、聖地にたどり着けたという喜びです。サンティアゴ・デ・コンポステーラには歓喜の丘がありますが、我ら熊野古道にも参詣の最終目的地熊野本宮大社が見える伏拝の丘があります。この2つの写真はこのような事情をよく物語っています。

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日本の旅行と旅行業の原点:熊野参詣
熊野参詣は、考えてみると日本における旅行の原点であったと思います。ずっと昔は、人々の暮らしも貧しく旅をする余裕もありませんでしたが、熊野への巡礼が始まり、それが日本における旅行の始まりでありました。紀伊半島の我々和歌山県の人々はこのような巡礼者すなわち旅人をずっと受け入れ、大事にしてきたのです。いくら地形や自然がそれにふさわしいからといって、和歌山県の人々の心が不親切で排他的であったら、きっと熊野参詣はこんなにも盛んには続かなかったでしょう。その中で旅人をもてなす術も育まれてきました。旅行業の原点がここに誕生しました。全国に熊野をPRして回る熊野比丘尼と呼ばれる人々も活動しました。旅人を熊野に案内する、今で言うツアーガイドである「先達」の制度もできあがりました。また現地では旅人を適当な旅館に案内する「御師」という職業も発達しました。今で言う観光案内所ですね。また、高野山でも、高野聖と言われる僧が全国に高野山をPRして回りました。専門の宿泊施設の無い高野山では旅人はお寺に泊まりました。その制度は「宿坊」として現在も日本人のみならず外国人にも大人気です。これらはまさに日本の旅行業の原点です。
カミノ・デ・サンティアゴについてもこの点は大変立派です。古代からずっとスペイン、ガリシア州の人々は巡礼者を大事にしてきました。巡礼道沿いにアルベルゲと呼ばれる簡易宿泊所を設けたり、教会に宿泊させたりして巡礼者をもてなしています。
スペインの方々は、正義感に冨み、宗教や家族を重んじますが、陽気で明るく、よそから来た者を優しく迎え入れる人が多いと思います。和歌山県もよそから来た人にも分け隔てなく親切で、明るくやさしい人が多いのです。来る者を受け入れ、もてなす気質をスペイン人も和歌山県民も有しています。我々はカミノ・デ・サンティアゴの素晴らしい点をお手本として更に参詣者を大事にする心を身につけていきたいと思います。

「巡礼道」がつなぐ、和歌山県とガリシア州
和歌山県とガリシア州は1998年からずっと熊野古道とカミノ・デ・サンティアゴとの姉妹道関係を結んでいます。毎年、青少年交流を実施し和歌山県とガリシア州の若者を相互に派遣していますし、昨年には熊野・高野山の文化紹介を大聖堂で実施しました。私も何度もサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪問していますし、カミノ・デ・サンティアゴも少しですが歩きました。昨年はガリシア州のフェイホー州首相も来県され、熊野三山を訪問されたほか、熊野古道を歩かれました。ユーラシアの東と西の端で、それぞれの宗教を胸に数あまたの人々が熊野古道とカミノ・デ・サンティアゴの巡礼路を踏みしめていきました。日本でもカミノ・デ・サンティアゴのファンがどんどん多くなっています。スペインでもヨーロッパでも熊野古道のファンがどんどん増えていくことを期待しています。熊野三山と熊野古道はミシュラングリーンガイドジャポンでも3つ星になり、多くのヨーロッパの人々がそのスピリチュアリティを求めて熊野を訪れ始めています。
私の話が皆さんの理解のお役に立てば幸いです。本日は我々和歌山県民が誇りにしている「紀伊山地の霊場と参詣道」とくに熊野参詣についてカミノ・デ・サンティアゴとの対比をしながら、その成り立ち、特色、そして現代への意義をご説明しました。このような機会を与えてくださったガリシア州政府と巡礼道フォーラム事務局に感謝いたします。このあと国際熊野学会常任委員の山本さんお話もあります。また和歌山県の観光案内ブースも会場にありますので是非ご覧下さい。我々は皆さんを心より歓迎します。

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