少女よ 泣くのはお止め

小椋佳さんの歌に「さらば青春」というのがあります。

「僕は呼びかけはしない、遠く過ぎ去るものに・・・・・」という調子の歌ですが、その中に「少女よ泣くのはお止め」というフレーズがあります。前後の脈絡も私には理解できないのですが、胸にぐっとくるものがあります。少女でも、少年でも同じですが、泣いている子がいたら大人以上にかわいそうです。男女平等的ではありませんが、私は男ですから少女が泣いていたらとりわけかわいそうだと思います。

子どもが泣くことはたくさんあります。家庭環境が恵まれないから、成績は抜群によいのに大学進学を諦めざるを得ない子ども、いじめにあって辛い子、お父さんお母さんの仲が悪くて辛い子、学校の授業について行けなくなって苦しい子、先生が怖くてたまらない子、何らかの理由で学校に行けなくなった子、信じていた友人に裏切られた子、真剣に恋をしていたのに振られた子・・・・・ 中にはそのようなことに絶望して、自暴自棄になったり自ら命を絶とうとする子もでてきます。

 

我々大人は、特に県政や教育行政に携わる人は、少年少女がこういう事で泣くことのないように最善のことをしなければなりません。県庁でもいつも新政策で大議論をしているのはこのことです。もうすぐ発表しますが、来年からもまた子どもを大事にする政策を色々と実施していこうとしています。

 

しかし、個々の子どもの悲しみは、行政などが届かない所もたくさんあります。その時のために、私はこの3つをアドバイスすることにしています。高校生に講演をする機会もあるのでいつもそう言っているのです。

 

第1は、辛い、苦しいことがあってもいつか終わるということです。大部分の不都合はその原因がいつか無くなります。本当に気が合わなくて嫌だなと思った友達や先生がいたとしてもクラス替えなどで遠くへ行ってしまうこともあります。中には原因は無くなった訳ではないけれど、他にたくさんの仕事や問題がどんどん来てまぎれてしまうこともあります。だから少女たちよ、たまには泣いていいけれど、絶望することはありません。必ずいつか終わります。

 

第2は、「まあいいか」と思おうということです。世の中は中々上手くいかない。やる前からどうでもいいというのは、全くの間違いだと思うけど、一生懸命何かをして上手くいかなくても、いつまでも悔やんでいないで、まあいいかと思えばよい。

すぐに次の興味と情熱を打ち込めるようなものが現れます。少女よ、誰かに振られてもいいではありませんか。きっともっと良い人が出てきますよ。(失礼!中高の同級生と純愛を実らせて結婚した立派な夫婦も周りにいっぱいいました。)

 

第3に、日々の感激に浸れということです。大感激に値するようなものは、人生で滅多にありません。毎日コツコツ、普通に、いつも通り、石ころなどにどんどんけつまずいたり、もめたり、人生はそういうものの連続のような気がしますが、その中でも日々の感激はあります。これは、まあよかったなと小さいことでも日々の感激に少しの間だけ浸っていると泣く事を忘れます。少なくとも泣き続けることはありません。

 

少女よ、泣くのはお止め。