季節は桜も満開、山々は新緑に萌え、様々な緑の中に山桜の桃色や白が所々混じり、本当に美しい時を迎えています。
そんな時、尾花滋さんがお亡くなりになりました。4月6日田辺市の芳養ホールで行われた御葬儀に出席させていただきました。最近がんが見つかり、技術的に中々治療が難しいとかで、随分辛い闘病をされ、それも乗り越えられて、快方に向かっておられたと信じていただけに、急な御逝去は残念でなりません。尾花さんは、戦争で父上を亡くされ、苦労しながら会社を興されて、今日までの大建設会社を作られた立志伝中の人であります。お人柄は、豪傑のようにお見受けする反面、人には優しく、大変な気配りの出来る方であったと思います。長く紀南建設業協会のリーダーとして活躍されたことも、さもあるらんと思えます。
尾花さんとの最も鮮烈な思い出は、和歌山県に災害が起こり、川があふれ、崖が崩れた時、私が心配で様子を見に行った時、必ず長靴姿の尾花さんの勇姿にお目にかかったことでした。御自身の会社のみならず、同業他社の会社の方々が復旧に全力を挙げている姿を、ちょっと高台の周りがよく見える所にすっくと立って、現場を指揮しておられたあの姿は神々しいほどでした。
私は、官製談合で逮捕された知事の後釜ですから大変透明度の高い公共調達制度を作って、運用していますので、誰かを特別に優遇することなど出来ないのですが、尾花さんは、共感をしてくれ、仲間によく説明して下さって、私を支えてくれました。お婿さんの現尾花組社長、谷口庸介さんにも大変助けていただいています。
こんな立派な尾花さんはまだ73歳ですから、もっともっと活躍をしていただきたかったのに残念です。お見舞いに伺った時に気丈に話しておられた姿は忘れられません。
葬儀は、尾花さんの人徳を偲んでたくさんの方が葬儀場の芳養ホールにおいでになりました。とても御多忙のはずの二階俊博自民党総務会長が葬儀委員長として、お通夜もお葬式も仕切られました。これも尾花さんの御存在の大きさを物語っていると思います。二階先生の葬儀委員長としての御挨拶もとても心のこもった素晴らしいものであったし、谷口庸介さんの御遺族代表の御礼の御挨拶も感動を呼ぶものでした。
尾花さんの若すぎる死は、本当に残念な事ですが、後継の谷口さんは立派だし、会社を上手くリードしていってくれるでしょう。奥様やお嬢様、そして3人のお孫さんは、立派な尾花さんを心の中で慕いながら、幸せに生きていかれると信じます。そして、残された我々が尾花さんの分も頑張って和歌山を盛り立てていかねばならないと思います。
御葬儀からの帰り、高速の車中から見た田辺周辺の山々は様々な緑に桃色や白が混じって本当に美しい景色でした。この美しい景色を御覧になりながら逝かれた尾花さんの人生を天が讃えているように思いました。