私はその昔規制緩和の闘士でした。昭和54年頃から通信回線開放運動に取り組んでいました。当時の通信の制度は、コンピュータをつないで色々と仕事をしようとするとえらい不便で、今で言うネットワークシステムもクラウドサービスも、その時独占的通信業者であった電電公社(今のNTT)以外は本当に限定された形でしかできなかったです。
日本のコンピュータの利用は、現実には生産現場で進みました。職人の優れた技をコンピュータで標準化し、また工場内を、全く新しいコンセプトで制御することによって世界に冠たる生産性を上げたのです。それが日本産業の高い競争力につながりました。しかし、オフィスでは、オーダーメイドのコンピュータシステムをコンピュータメーカーやソフトウェア業者がそれこそ力づくで作って使っていましたが、パッケージドソフトで武装した米国などに比べると少々生産性で見劣りするし、オフィス、事業所を一歩外へ出ると通信回線の自由使用が認められないので、ほとんどすべてのコンピュータ機能がコンピュータのある計算センターなどに孤立してしまって、これまた米国などが既に今の社会システムもクラウドサービスなどをやり始めて社会全体の生産性を上げようとしているのに比べて圧倒的に見劣りしたのです。
そこで通産省が火付け役となり、通信の規制権限を握っている郵政省に圧力をかけて、様々な紆余曲折を経て現在の制度になったのです。
今も、このような規制緩和ないし規制改革の波は続いています。通信の自由化に次いで国鉄、電電公社、郵政の民営化や郵便事業や運輸事業、流通業、銀行、金融業の自由化が行われ、多くの分野で競争が行われるようになっています。今や電力やガスというエネルギー業の自由化が進み、事業者間の競争が戦国乱世の観を呈しています。
このような競争は、少なくとも需要者の利益、そしてその多くは消費者余剰を増加させるでしょう。需要者、消費者のコストダウンや選択の幅を広げるということです。競争している事業者は大変ですが全体としては良いことだとは思います。
しかしどうも昨今の規制改革についての世の動きには私は個人的に少々不満があります。元祖であるから余計わかると言うと少々生意気ではありますが。
一つは、規制改革で経済成長をもたらそうとすれば、規制改革が世の中の大きな動きをもたらすような分野からやっていかなければならないということを少々忘れていないかということです。安倍政権の経済政策の第3の矢の唯一人のエースが規制緩和だと言われた時期もありましたが、かつての通信回線開放が、情報化の流れを一挙に社会全体に及ぼすことにつながったような分野を狙わなければ、少々消費者余剰の増加と、事業者間の勢力変化に影響を与えるだけに終わってしまうような気がします。そういう意味で、私は、農業の法人化と医療の自由診療の拡大が大きな成長因子だと思うのですが、どうもあまり進展がないようです。反対に医薬品のネット販売などはひところ経済政策の大問題と報じられていましたが、町の中小薬局からネット通販業者に商圏が移るだけで、それによってあんまり大きな成長が期待できるとは思えません。
もう一つの問題はクリームスキミングとユニバーサルサービスであります。何のことかという人が国民のほとんどであると思いますが、これもそういう所をあんまり詰めて議論していない証拠とも言えるでしょう。私が通信回線の自由化の運動をしていた時、反対の立場の人とこういう議論をよくしました。例えば通信回線を自由に借りられるようにすると、又貸し業者やコンピュータシステムの運営者は、東京大阪間のような回線の使用頻度の多いところ、ドル箱の所だけ借りて、その分自由化がなければもとの通信業者が儲かったはずの機会をガバッと奪ってしまう。通信業者は規制をされていて全国津々浦々まで同じサービスを提供しなければならないのに、ドル箱の儲け頭を取られたら、どうやってこの義務を果たすのだ・・・・というような議論です。前者をいいとこ取りなのでクリームスキミング、後者を全国どこでもくまなくなのでユニバーサルサービスと言うのです。こういう点が結構重要だというので、昔から経済学は公益事業の理論を唱えて、独占的サービスを認めるかわりに、当局の規制下に置き、独占によって得られた利益で全国同一サービスの義務付けを強制してきたのです。もっとも技術や社会の進歩によって、環境条件が変わってきますので、規制緩和が正当化されることもあるのですが、こういう規制のあり方を考える時、ユニバーサルサービスをどうしてくれるのだということと、それならクリームスキミングをどこまで許すかということは看過されてよい問題ではありません。
現にはるか昔、私などが通信回線の開放・自由化を推進していた時も、こういった問題を忘れたことはありませんでした。
しかし、昨今、電力の自由化のやり方や議論などを見ていると、こういうユニバーサルサービスをどうするかというような議論を曖昧に放置しているような気がしてなりません。ましてや、クリームスキミングという言葉は、これに対するセンシティビティが失われ、死語になってしまったかなという感もあります。
電力問題について言うと、和歌山県には、多くの中山間地があり、そういう所に住んでいる人々も電気なしには生きていられません。その料金が大都会に住んでいる人より高くてよいというのでは余りにも酷であります。しかし、こういうユニバーサルサービスを誰が責任を持つかということが、現行の自由化プロセスでは先送りにされているようです。とりあえず暫定的に、今の電力事業者がユニバーサルサービスを負うということになっていますが、それがクリームスキミングによって電力事業者の経営がガタガタになってきた時どうしてくれるのでしょう。和歌山県知事は過去の経験を思いつつ、県民の未来を心配しています。