和製英語

 かつてこの欄で、キャリア官僚のキャリアというのは和製英語で、元の意味と随分違うんですというようなお話を致しました。カタカナ言葉を使うとナウい感じがするので人気が出やすい、特にマスコミでよく使われるようになると、人々は元の意味など考えないでどんどん使うようになります。
 その際、その言葉が持っていた本来の意味よりもかっこよく日本人に受け取られる場合もありますし、ひょっとしたら、これは本来の意味とは違うと分かっている人がわざと違う意味で使って、そのかっこよいイメージから世論を操作しようとしているんじゃないかと思うこともあります。

 そのような和製英語の一つにVAN(ヴァン、Value Added Network の略で、付加価値通信網と訳されます。)があります。通信回線のネットワークにValueすなわち価値が付け加わったものという意味です。多くの流通業者を巻き込んだ受発注システムや遠隔医療のシステムなどがそれですが、物の売り買いや決裁の情報、あるいは診療内容と言った価値のある情報が、通信ネットワークの中で、たし算や引き算や平均値やらの情報処理を伴いながら、あるいは患者さんの診断が類例などと比較されながら、送られていくというイメージで、従ってValue=価値がネットワークに加わっているので、付加価値通信VANだというのです。
 これは通信回線開放の議論の中で、通信回線の利用と情報処理が伴ったものを、通信(Communication又はNetwork)と言うか、情報処理(Computing又はData processing)と言うかという争いがあり、郵政省は、通信だから所管は郵政省だと言い、通産省は情報処理だから所管は通産省だと言い張っていたのです。従って、上記の例のようなシステムのことを、郵政省は付加価値通信(VAN)と言い、通産省はオンライン情報処理と言っていたのであります。実に低次元な話なので、私はあんまりこの手の話は重視していませんでしたが、言葉のかっこよさからすると、VANの方が優勢で、このことは、その時の郵政省と通産省の所管争いをマスコミがVAN戦争と名付けていたことからも明らかであります。
 しかし、このVANという言葉は全くの和製英語でありまして、欧米の世界にもVAN (Value Added Network)という言葉はあるのですが、その意味は日本で使われている上記のような意味とは全く違っていたのでした。米国で使われているVANは、通信回線の多重分割によって、同じ回線でも一人の人が使うより多くの人が使うことにより回線の価値が高まるので、それを価値が加わった(Value Added)ネットワークと言ったというものです。そういう意味で、ここではアプリケーションサイド、すなわち先ほどの例で言うと商取引とか医療診断と言ったものが全く入る余地がありません。従って、米国でVANという言葉で先程の例のようなシステムをイメージさせようとしてもそれは無理なのです。それでは、日本で使われているVANの意味を表す米国の英語で一番ポピュラーなものは何かというと、リモートコンピューティングサービス(Remote computing service、遠隔情報処理)であろうと私は思います。VANと言うとなんだかえらくかっこよくて、オンライン情報処理とか遠隔情報処理とか言うと間延びしてダサいので、VANという言葉が時代の寵児になってしまいました。そして、当時の通産省が、郵政省との争いに結構苦戦したのは、このように言葉の位置取りで遅れを取ったということもあるのではないでしょうか。
 ただよくあることですが、当時の争いが、所管はどちらかというただの権限争議ではなくて、コンピュータを通信ネットワークにつないで色々と世の役に立つことやっていこうという営みを、規制の下でやらせるか、規制をなくして自由にやらせるかという争いであったということが、マスコミの報道などでは完全に忘れられていたということは残念なことでした。すなわち、VANは通信だから規制の下でという考えに対して、オンライン情報処理はコンピュータによる情報処理だから自由でいいではないかという考えの争いであったのです。
 話が本筋からそれましたが、かくて一時VANという和製英語が時代の寵児となりました。(どういうわけか、今はあんまり使われなくなりましたが。)私は、言葉などどうでもいいけれど、大事なことは、コンピュータと通信をどう使うかは人類の創意工夫の問題で、それは、無限の可能性が拡がる話なのだから、規制で型にはめて政府や当局がこうしろ、ああしろと言うようなものではないのではないかとずっと思っていて、そう行動してきました。その後30年~40年の世の動きは、そのような方向にどんどん動いていっているのは当然のこととは言え、良い事だと思っています。

 しかし、言葉などどうでも良いとは言ったものの、和製英語が流行りすぎると、それを本物の英語だと思い込む人が出て、外国人の前で違った意味で使ってしまったとしたら、ちょっと困ったことだとも思います。従って、世に喧伝されている外国語でも、本物か和製か、ちょっと用心してかからねばならないのではないでしょうか。大いに気をつけましょう。