ヨーロッパ通貨統合

 川口マーン恵美さんの「ヨーロッパから民主主義が消える」(PHP新書)という本を読みました。また、川口さんは「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」とか「住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち」(両著とも講談社+α新書)とかも書いておられ、昔通産省で欧州課長などをしていた私ですのでタイトルに興味があり、中々面白く読ませていただきました。
 「ヨーロッパから民主主義が消える」は、最近著ですが、イギリスのEU離脱を決めた国民投票の前に出版されたものではありながら、その後のイギリスの動きを予測させるような内容となっていて、素晴らしいものと思いました。
 民主主義の総本山とも言うべきヨーロッパではあるが、EU統合によって各国の自由に行動できる範囲が制限されている中で、第一に共通通貨ユーロがそれぞれの国の経済に悪影響を及ぼすことにより、第二に移民や難民がそれぞれの国の治安や社会生活に悪影響を及ぼすことにより、ヨーロッパ各国の人々の心が分断されて、民主主義的な国民行動ができなくなっているというのが大体のあらすじです。
 やっぱりそうなるよなというのが、私の印象であります。EUはヨーロッパで二度と戦争を起こしてはいけないという考えの元に、作り上げられてきた制度ですが、ECSCからEC、さらにはEUへと統合の度合いを高めてきました。私がイタリアのミラノで仕事をしていた1989年から1992年の頃は、このEU統合のあり方を巡って大議論がなされていた時期でした。EUはその前身のECの頃から既にWTO条約上の関税同盟でした。EU各国は、もちろん域内は自由市場、関税もありませんが、域外に対しても独自の関税はなく、共通関税をEUが持っていたのです。したがって、その他の貿易制度上の問題も含め、我々日本の通商当局は、各国とではなくEU委員会と交渉をするのです。そのEUの統合をさらに強化して、通貨を共通にしよう、労働移動を自由にしよう、国境チェックも廃止してしまおうという様々な議論があり、更には共通のヨーロッパ軍隊まで作ろうという話までありました。
 こういう統合の中味の強化をEUの深化と言います。さらにちょうどベルリンの壁が崩壊する時で、東欧諸国がソ連の頸木から脱してEUへ(もう一つはNATOへ)なだれ込んでくる時期でもありましたので、EU参加国を増やそうという話もありました。これをEUの拡大と言います。
 イタリアの中ではEUにどんどん統合されたいと考える人がほとんどでした。イタリアでは、当時ローマの政府が頼りなく、政治家がばらまきをやるので、財政赤字がどんどんたまり、ミラノを中心とするイタリア経済人は将来を大いに憂慮していたのです。そういう人々は、ローマ政府は信用できないので、この際EUに大いに権限を渡して、ブラッセル政府に統治してもらった方が万事うまくいくと考えていました。これを彼らはディシプリン効果と名付けていたのです。当時私は、自分の国の事を人の力を借りて解決しようという発想は、いかがなものかという思いを持ったものでした。
 一方、ヨーロッパの中でも、サッチャーさん達イギリスの保守政治家はこの動きに懐疑的でした。原点はどっかへ行ってしまいましたが、サッチャーさんはヨーロッパ統合の唯一の意味は規制緩和だ、域内のものの動きを制約する余計な規制をなくすことができたら、一つになった大きな市場の中で企業が自由競争ができるので、ヨーロッパの企業がより大きな市場をバックにしている米国や日本の企業より不利な状況に置かれることはないというのです。サッチャーさんに言わせると、それ以上のEUの統合はブラッセル官僚の規制権限の拡大になるだけの夢物語で、何の意味もない。したがって通貨統合はナンセンスであるというのです。

 私はサッチャーさんの言うことの方が論理的であると思いました。当時既に世界の枢要な通貨は変動相場制であるので、経済実態を反映して為替相場で調整が進むので、無理に通貨統合という、いわば域内固定相場を作っても、何のためにそんなことをしているのか分からない。もっと成長をしたい時には積極的財政政策をしたらよいし、物価が心配で引き締めたければそうすればよく、その結果通貨は落ち着くところに落ち着くので、それでいいではないかと私は思いました。経済学では政策割り当ての理論というのがあって、政策目標と政策手段は同じ数だけ必要であるが、ある政策手段をある政策目標に割り当てる時に、政策目標に対して相対的に効果の高い政策手段が割り当てることが必要であるといったことが言われます。この理論によれば成長とか物価安定のためには、それぞれ財政政策や金融政策を割り当て、その結果為替レートが変動相場で変わってもそれでいいではないかいうことなのでしょう。それに加えて、財政が統合されていない中で、通貨政策だけ又は金融政策だけ統合すると、全体のシステムとして調整ができないではないかとも思いました。通貨統合がなされたとしても、財政は各国の主権に任されています。従ってむちゃくちゃ財政赤字を垂れ流す国が出たとすると、それを通貨で調整できないとしたらいったいどうやって調整するのであろうかと言うことです。

 そこで私は、当時よくミラノにお越しになっておられた日本の著名な経済学者の方々に、ユーロ導入の是非の議論を吹っ掛けました。ミラノのボッコーニ大学が一橋大学ととても親密で次々と著名な先生方がお見えになったのです。しかし、金融や経済政策が御専門の先生方も中々そうはおっしゃりません。「それはイタリアの人々がそれを望んでいるのは政治の問題であり、それならそれでいいんじゃないの」といった具合です。一人だけ野口悠紀雄先生だけが、「通貨統合など政策割当の議論からすればナンセンスだよね」と賛成してくれました。余談になりますが、野口さんは大蔵官僚から後で経済学者になった人で、他の方々は、ずっと昔からアカデミズムの世界におられた人々です。元々学問をしておられた人は、発想が自由自在で、何も一々原理論的な議論をしなくても、色々な考えがあってもいいんじゃないかという傾向にあるのに対し、後で学者になった人は、基礎理論に結構執着があって忠実であるというのが、その後私が確信していることです。すなわち、にわか学者ほど原理主義者となると。野口先生などに失礼なことを申しました。

 しかしながら、一橋大学の多くの先生方がおっしゃるように、ヨーロッパ中が憑かれたような統合への情熱に沸き立っている中で、ヨーロッパの統合はどんどん進み、域内労働移動は自由となり、英国などを除く各国は共通通貨ユーロを持つに至りました。
これが進行中、私は、イタリアから帰国し、輸入課長の後、欧州課長になりました。私は信じる所に従って、ヨーロッパの統合、特に通貨統合はうまくいきませんよ、従っていずれ統合にストップが来ると思いますよと省内などで説明をしていたのです。
 しかし、私の予言に180°反して、ヨーロッパの統合はどんどん進んだのでした。イタリア人が自分の政府の財政赤字たれ流しを自分達でやめさせることをせずに、通貨統合によって、不都合な事も何もかもいっしょくたに一挙に解決しようと願ったように、EU統合がヨーロッパの熱病となってしまいました。精微な利害損失など誰も考えなくなったのです。かくてEU統合を決定するマーストリヒト条約は1993年に、そしてさすがに英国など脱落者は出たものの、1999年には通貨統合が完成し、ヨーロッパは統一通貨ユーロを持つように至りました。私がさんざん言ってきたことは、見事にはずれ、私は大いにクレディビリティを失ったことは否めません。

 しかし、やはり理論的に欠陥のある制度はいつかおかしくなります。私の予言は、20年の時を経て、ようやく当たり始めたかと思われます。そのことを示す事実が川口さんの「ヨーロッパから民主主義が消える」の随所に語られています。しかも大事なことは、事態は単に統合の一部を元に戻せば問題が解決するという状況ではなくて、理論的に不十分な統合にまい進した結果、ヨーロッパ諸国では、国民の和と民主主義という大事なものも危殆に瀕し始めているという事であります。
 物事をなす時は、熱情も必要です。しかし、理論的におかしい事はいつか破綻するのだから、フィーバーに負ける事なく、いつも冷めて眼をもっている必要があると、改めてこの本を読んで思いました。