9月15日の日本経済新聞「経済教室」欄に旧知の川本明さんが標記のタイトルで論文を載せておられました。私は全く賛成です。そこで、その走りのところだけを引用させてもらいます。(川本さんの仕事上のパートナー中村彰利さんには、大ピンチであった和歌山県の大手観光業者の再生を手伝ってもらいました。お陰様で和歌山県の観光の振興上大穴が空くことが防がれました。そういう県の大恩人のお仲間です。)
『学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡る問題は、規制改革の方針に関しても一石を投じる結果となった。世上伝えられるように文部科学省の学部新設の認可が、獣医の需給に関する判断に基づいているとすれば、これは従来規制改革で議論されてきた「需給調整規制」に該当することになるからだ。政府が獣医の需要を認定し、もし需要が少なければ学部新設は認めないという考え方である。
こうした規制は競争制限の効果が強く、獣医志望の人々や、獣医のサービスを受けたいと考える生産者や消費者に大きなマイナスをもたらす。憲法が保障する職業選択の自由、営業の自由の上でも問題がある。従って歴代政府の各種の規制改革の方針の中でも最も問題視されてきた。
どのくらいの獣医数が世の中で必要十分なのかは、畜産・ペット動物などの市場や労働市場によって決まってくる。そのバランスを図るのは賃金を含めた価格の変動だ。あらかじめ何人必要かを政府が決めるのは社会主義的な計画経済といってよい。』
この論文の引用していない後段で川本さんが言うように、私は規制がすべて間違っているとは思っていないし、むしろ、必要な場合も多いと思っています。私は、規制というのはゲームのルールみたいなものだと思っています。
本来我々は自由にビジネスをしたり、社会活動をしたりしても良いけれど、その際に守るべきルールが規制だと思うわけです。従って規制を守っている限りにおいて(それに本当はもう一つ、人倫の道に反しない限り)自由に活動して良いというのが正しいと私は思っています。
従って逆に言うとこのルールとしての規制を変えることによって、人々の行動も変わり、その結果できる社会も変わってくると思っています。もちろん、余計な手続きを課すだけの下らない規制はやめるべきだし、過剰な規制は人々の活動を撓め社会を萎縮させますので、私は十分に規制緩和論者ですが、同時に規制を通じて人々の活力を社会として望ましい方向に持って行くべきだと思うという意味において、規制緩和万能論者ではありません。
しかし、それは、いずれも、人々の自由な活動が社会の活力に繋がるはずだという考えに成り立っていて、需要と供給を官がうまく調整してやるという需給調整は、うまくいくはずもないし、極力排すべきだと思っています。
需給調整というのは、経済学の基本的考えでは、市場で行われたら良いのであって、それを官がやろうとすると、どうしても既得権益を保護してしまうことになります。加計学園事件の場合に、過去何十年も、供給側すなわち獣医師さん、特に町の獣医さんとして営業をしている人たちの利益を守るために獣医師の数を制限してきたというのがそれでしょう。獣医師さんはとても重要で引く手あまたの職業でして、県庁でも様々な分野で活躍してくれているのですが、有資格者の数が制限されているために、ずっと県庁は採用者を確保するために苦労してきたのです。したがって、獣医師の数は足りているからもう増やす必要はないというのは間違いだと思います。既存の獣医学部のある大学がそう言っているのではないかという人もいますが、ライバルの大学が増えたら困ると思っている人たちがそう言うに決まっているではないかということはちょっと考えたら分かることであります。
しかし、日本の制度は、昔々は経済のいろんな分野でこのような需給調整が行われてきました。業界の秩序維持とか、共倒れを防ぐためとか言う理由で、金融、運輸、エネルギーなどの分野でそういう規制制度が幅をきかせ、その姿は一斉に皆が秩序を守って粛々と進むので護送船団方式と言われてきました。
しかし、世界で日本が生きていくためには、こんなやり方ではとても持たないと、この需給調整式規制がどんどん廃止されていきました。そして、今でもしがみつくように残っているのが、医師、歯科医師、獣医師、弁護士などの数を制限しようとする参入障壁なのだと思います。
考えてみれば、このような分野だけ、参入数を厳しく制限することによって、既にその職に就いている人が悠々と暮らせるというのは、他の職について厳しく競争にさらされている人からすると、ずるいと思われるはずです。
ならばこのような需給調整型の規制はやめて、品質規制型の規制をすれば良いというのが川本さんの主張です。獣医さんの場合で言うと、学部の新設や定員増などはどんどん認めるが、獣医さんの一定の質を問う、獣医師国家試験は厳しく運用するぞという姿勢は堅持し、また、獣医学部に入学してきた若者が、ひどい教育を受けるというようなことがないように、大学の教育内容については、必要なレベルを確保させるといった規制をちゃんとやったらいいではないかということです。
とここまで書いていましたら、我が同級生竹中平蔵教授が同様の内容の記事を産経新聞紙上に寄稿しておられましたのでご紹介しますので併せてお読み下さい。(9月21日付産経新聞19面「正論」欄) http://www.sankei.com/column/news/170921/clm1709210004-n1.html