「ユリノミクス」に思う

 衆議院議員選挙に際する希望の党の政策集なるものが公表されました。10月7日付けの読売新聞に載っていましたので、それをもとに、本文を書いています。
 私の気持ちを引いた所は、「ユリノミクス」についてであります。読売新聞をそのまま引用させていただきます。

「2 経済に希望を
 金融緩和と財政出動に過度に依存せず、民間の活力を引き出す「ユリノミクス」を断行。①消費税増税を凍結し消費の冷え込みを回避する一方、大企業の内部留保に課税することにより、配当機会を通じた株式市場の活性化、雇用創出、設備投資増加をもたらす ②若者が正社員で働くことを支援し、家計の教育費と住宅費の負担を下げ、医療介護費の不安を解消する ③新規分野を中心に規制改革と社会実験を大胆に進めることにより、民間活力を最大限引き出し、潜在成長率を底上げ▽日銀の大規模金融緩和は当面維持した上、円滑な出口戦略を政府日銀一体となって模索する▽「時差Biz」による「満員電車ゼロ」実現など生活改革を進め、労働生産性を高める▽日本企業の事業再編を促すため、事業再編税制を強化▽電柱の地中化により、災害対策を強化するとともに、景観を改善」

 ここで、私が思ったのはユリノミクスという言葉です。たぶんアベノミクスに対抗して命名されたのでしょう。週刊誌によれば、元は「コイケノミクス」だったそうですが、語感が悪いのでユリノミクスにしたそうです。
 私はまたかと思いました。私はアベノミクスとして実施されている経済政策は評価していますが、アベノミクスという言葉は嫌いです。真面目に語るべき経済政策が、イメージだけの言葉遊びになりそうだし、特定の人の名を付ける事は、何となく個人崇拝みたいなイメージがあって、好きではありません。ましてや、私のような古い人にとっては、米国のレーガン政権の時代に唱えられたあのレーガノミクスの真似かなあという思いがつきまとうのでよけい嫌いです。
 このレーガノミクスという政策はレーガン大統領の時代に米国経済が段々と立ち直りの兆しを見せ、後の後のクリントン大統領がその恩恵を受けたという意味で日本ではプラスのイメージで捉えられているようです。それは、レーガノミクスのいう言葉を借りたとしか思えないアベノミクスという造語で分かりました。

 しかし、もともとこの言葉が発足間もないレーガン政権から打ち出され、その内容となる政策が発表されるや、米国や日本のまっとうな経済学者や経済人はあきれました。口の悪い人は、これをブードゥー経済学と呼びました。呪術みたいなもんだと悪口を言ったわけです。レーガン大統領にはマクロ経済政策をアドバイスするサプライサイダーと呼ばれる経済学者が付いていて、このサプライサイダーの理論が、レーガノミクスの支柱(又はその一つ)になっているのです。その時の代表的な人にラッファーという人がいましたが、その後何をしているのか私は知りません。

 当時アメリカは、スタグフレーションに苦しんでいました。経済の調子は悪いし(stagnation)、インフレもひどいし(inflation)ということで、2つをくっつけて作られた造語です。と同時に財政赤字もひどくなって、これは心配だという状態でもありました。そこでサプライサイダー達は、これらを一挙に解決しようとしてレーガノミクスを発表したのです。
 まず景気を良くするためには、今までのようなケインジアン的需要拡大策を採っていては駄目で、供給サイド(サプライサイド)に着目しないといけない。そのためには、大幅な所得税と法人税の減税を行って、投資を喚起し、そうすると財政が心配だから、前の民主党政権が行っていた大きな福祉支出などを切り詰めて小さな政府を目指す。さらにインフレも心配なので、金融は引き締め基調にし、金利高通貨高によって需要を抑制してインフレ抑制も図るというものでした。

 これは大変斬新なものでありましたので、世の中の耳目を呼び、レーガノミクスという言葉がまず有名になりました。また、産業政策という供給面での経済政策をずっと手がけてきた私たち通産省の役人にとっては、供給面が大事だとついにアメリカも言い出したかとの感慨もありました。しかし、同時に、でも変だなあ、供給面で投資を促進したかったら、投資減税をしたら良いので、一般的な所得・法人減税をしても、それはマクロの景気刺激策としては有効でも、消費や投資など一般的な需要刺激策と変わらないなあという思いがありました。それに、消費や貯蓄が伸びて投資は伸びないということもあるなあとも思いました。

 さらに、それ以上に、問題は財政面です。福祉支出は若干削減したようだけど、それ以上に軍事支出増加を図ったので、小さい政府は達成されず、財政赤字は、政策意図とはまったく逆にむちゃくちゃ増加してしまったのです。したがって、当初意図されたレーガノミクスは、まったくの失敗政策であったと言えるでしょう。

 しかし、実はレーガノミクスとはとても言えないレーガン政権の経済政策は、ずっと長い間かけてアメリカによい結果をもたらしたと私は思います。軍事支出の増加は、もはやこれ以上米国に対抗できないという思いをソ連のゴルバチョフに思わせた結果、ソ連と共産主義の崩壊と、世界的な軍縮、緊張の緩和をもたらし、アメリカのみならず世界の経済を成長させました。また、大幅な減税はその政策当局者の意図に反して総需要を喚起して、それによる景気拡大と将来に向けた投資を盛んにし、アメリカの経済の不況の打破と成長に寄与しました。これには同時に行われた規制緩和の運動が大いに役立ち、経済の活性化と新産業を生む契機になったとも思います。
 かくてレーガン政権の経済政策はアメリカを立ち直らせ、それが本当に効いてきたのはまったく政策意図の異なるクリントン大統領の後半ぐらいだったと思いますが、レーガン大統領は、まずは、米ソ対立と共産主義との戦いを勝利に導いた偉大な大統領と言われたのです。

 そういう背景から、レーガン大統領は私もえらいとは思うけれど、当初麗々しく言われた「レーガノミクス」はやはり、インチキの臭いが消えません。
 安倍総理がされようとしたデフレ退治の政策、特に金融政策は、それに比べるとずっと論理的で、その立派な政策に、私はアベノミクスといった、レーガノミクスを彷彿とさせるネーミングを与えてほしくなかったのです。

 さらに言えば、〇◯ミクスという経済政策は、お互いにトレードオフの関係にある政策目標を、複数の政策手段で全体として調和を保ちながら同時に達成する場合に使われることが予定されていた言葉だと考えます。減税はインフレを助長しかねないので、金融引き締めで臨み、また財政赤字を増やしそうなので、財政支出抑制で臨むという具合です。
 ところがいわゆる「アベノミクス」は第1の矢の金融政策も、第2の矢の財政政策も、第3の矢の構造政策もすべて経済成長を目標としたものであって、別にどこかに目標間にトレードオフがあるわけではなく、したがって、別にアベノミクスといってミクスを強調する必要もなかったわけであります。
 したがって、私は安倍政権の経済政策は、正しいと思うのですが、そのアベノミクスというネーミングだけは鼻白んでいて、ずっと気に入らないネーミングだと言い続けてきたわけです。でも、今の日本には、私のようなへそ曲がりはほとんどいないためか、アベノミクスが中々格好よいと思う人が多いせいか、これに対抗しないといかんと思ったのでしょうか、ユリノミクスが登場しました。

 その中味は、冒頭のように新聞では報じられていますが、安倍政権の今後やろうとする経済政策に関する公約を全部否定する事だけが目的のように私には見えまして、私には、ラッファーのようなサプライサイダーの言ったあのレーガノミクスよりも、もっとよく分かりません。もちろん上記のような理由で「ミクス」と言わなければならない論理的必然性はありません。ただ経済面での雑多な政策の寄せ集めのように見えます。

 一見格好よい名前をつけて耳目を引くのはもうやめにしませんか。名前にはよい所も悪い所も含めてその名前ができた意味があります。その意味を理解すれば「ユリノミクス」という造語はちょっと恥ずかしいように思います。