我が〇×を取り巻く環境はますます厳しく

 職業柄たくさんの大会にお呼びいただいて、祝辞やご挨拶を申し述べさせていただいています。呼んでいただくことはありがたいことだし、県知事の務めですから、どうしたら良いメッセージが送れるか心を込めてお話をしています。(もっとも演説はエーッとかアノーッとかが多く、下手というのがからかいの種にされていますが。)
 もちろん、他の方々のご挨拶もよく聞かせてもらっています。その中でよく出てくるのが、標記の言葉です。「我が業界を取り巻く環境はますます厳しく」とか「環境は近年著しく変化し」とかが必ずと言ってよいほど入ります。私はその通りで環境条件が厳しくなくて、経営は楽ちんだという産業、企業など滅多にないし、皆さん必死でしのいでいるというのが真実だと思います。しかし、時にはその後がない時もあります。どこがどう厳しいのかがなかったり、そのためにどうしたらよいのか、皆でこういうことを心掛けようという話がない時があります。実はそういう事を、会長さんや理事長さんとして語る方もいるのですが、よおく聞いていると、そういう方は、上記枕詞の「環境はますます厳しく」と言うようなことはおっしゃらないで、いきなり、具体的な厳しさから入っていることが多いと思いました。業界の代わりに「国」や「県」や「市」や「町」を入れても同じで、どうもこれはセットバージョンの枕詞として使われているなと思います。和歌山県でも、よく挨拶文の原案を作ってもらいますと、よくそう書かれていますので、書いてくれた職員はちゃんと考えているのかいなと思いつつ私なりに少々具体的に変換してしゃべらせていただいています。
 自民党二階俊博幹事長は、挨拶をされる時「厳しい」とか「遅れている」とか「大変だ」とかばっかり挨拶などに人前で言うのは止めようとおっしゃっています。嘆いてばかりいてどうするかということです。実は私もそうなのですが、人間というのは人前で嘆いたりぼやいたり、卑下したりすると、心中のストレスが少し軽くなると私は思います。しかし、そうしてストレス降ろしをしてしまうと、今度はその苦しい状況を何とか克服しようとする気力が減ってしまうような気もするのです。常に前に向かって戦っておられる二階幹事長が、嘆き節を言うなとおっしゃるのは、こういう理由からではないかと私は勝手に推測しています。

 それにもう一つ、こういうセットバージョンは頭を使わなくても、つまり予め具体的な情報収集をして、それをもとにして論理や対策を考えなくても、原稿に書けてしまうのであります。だから、県庁の諸君などがそういうフレーズを使う時、具体的な問題や対策を頭を使って必死に考える機会をそいでいるのではないかと思います。

 日本も、和歌山県も、県庁の仕事も、実は本当に大変なのです。だからこそ、本当にどうしたらよいか皆で考えよう。特に県民の負託を受けている県庁4,000名の全員が必死に考えようと私は呼びかけています。