10月26日、和歌山市の県民文化会館大ホールで、「にさか吉伸後援会決起集会」が開かれまして、生憎の雨模様のお天気にもかかわらず、約1,800人の方々が応援に駆けつけて下さいました。
和歌山県選出、またはゆかりの全ての国会議員の方々(代理の方も含みます)、ほとんど全ての県議会議員や市町村長、様々な団体の幹部の方々もご出席下さり、本当にありがとうございました。
また、後援会で支えて下さっている若手の方々が、オレンジ色のジャンパーを着て、会場整理や受付をして下さり、皆さんそれぞれの会社や団体では、責任のある地位にある、お忙しい方ばかりですのにと、頭の下がる思いです。
会においては、神坂次郎 仁坂吉伸後援会長のご挨拶を、笹本昌克後援会青年部長が代読して下さいました(神坂先生は体調が十分でなくご欠席)。島正博 後援会副会長、中村慎司(紀の川市長)選挙対策本部長が並んで下さり、中村本部長からは対策方針などのお話がありました。
その後ご来賓でお越し下さった、次の方々から身に余る懇切克つ愛情あふれる激励のお言葉をいただきました。誠に感激しています。ありがとうございました。
衆議院議員 二階俊博 自由民主党幹事長
衆議院議員 石田真敏 総務大臣
参議院議員 鶴保庸介
参議院議員 世耕弘成 経済産業大臣ロシア経済分野協力担当大臣(代理)
衆議院議員 門 博文
衆議院議員 浮島智子 文部科学及び内閣副大臣
衆議院議員 岸本周平
県議会議長 藤山将材
市長代表 望月良男 県市長会会長有田市長
町村長代表 寺本光嘉 県町村会会長紀美野町長
各種団体代表 池田祐輔 連合和歌山会長
そのような激励のお言葉を受けて、私がご挨拶に立ち、次のように皆様にこれまでの感謝と決意を述べさせていただきました。その後、壇上に上がりきらないほどのオレンジ色軍団が壇上に上がって下さり、ご来賓の方々もご一緒に全会場ガンバローコールの大合唱となりました。
本当にありがとうございました。大感謝、大感激ですが、そればかりではいけません。皆様のご厚意に報いるためにも頑張ります。
以下、私の申し上げましたご挨拶を以下に記させていただきます。
『後援会決起集会でのご挨拶より』
みなさん、本当にありがとうございます。
こんなお忙しいなか、かつ足元も悪いなか、こうやって本日の決起集会にお越しくださいまして、心からお礼を申し上げます。
感激しております。
本当にありがとうございます。
12年前でございますが、あまり政治のことも、選挙のことも分かっておらん、まあ、行政だけは長くやっておったからちょっとだけ技術が分かっておる、そういう私が、前知事の汚職辞任の後を受けて立候補させてもらいました。
立候補するからには和歌山を立て直そう、気持ちだけは大変ございまして、みなさんにいろいろ訴えさせていただき、そして知事に選んでいただき、もう12年でございます。
この12年間、考えてみますと、ここにいらっしゃるみなさん方をはじめ、県民のみなさんに本当に育てていただいたなあ、というふうに思います。
一番初め、私は「えー」とか「あの」とか、まだいっぱい言っていますが、「たくさん言うなあ」と言ってニコニコされました。
だけど「えー」とか「あの」とか言うんですけれども、もっと問題なのは、いろんな政策を実現するときに、どうしたら県民のみなさんが分かってくださるか、あるいはどうしたら、これが全体に、例えば国のレベルでも認めていただいて実現していくか、そしてどういうものを県民のみなさんが望んでおられるか、そういうことについて、もう本当に多くの方々がコーチをしてくださいました。
「こうやったらええんやで。」とか、あるいは「そういうのはあんまり、ちょっと性急過ぎてあかんぞ。」とか、本当に多くの方々が教えてくださって、それで育てていただいたと思っております。
と同時に、和歌山県政もまた、みなさんに育てていただいたと思っております。
選んでいただいたからには、一生懸命やらにゃいかんということで、これまでの和歌山の欠陥、「これあったなあ」というようなこと、みなさんと議論しながら是正に努めてまいりましたし、あるいは、いろいろ苦難、あるいは危機、災害、いっぱい来ましたが、みなさんとともに乗り越えてまいりました。
それから、やっぱり和歌山の夢も語らにゃいかんということで、皆さんに教えていただきながら、この頃その夢を「こんなのどうでしょうか」というようなことを言い始めています。
我ながら言うのも変ですが、全力で知事の仕事をやらせていただいたと思っております。
この12年間で、和歌山県は大分変わったところもあると思います。
例えば、クリーンで公正な公共調達制度、これは初め、ずいぶん制度が変わりましたから、いろんな問題も起こったんですけれども、今は定着したかなということで、県庁をめぐる汚職っていうのはもう発生していないようになっています。
それから財政も、ちょっと危なかったんですけれども、今や健全で安定しております。
高速道路にいたっては、就任時、全国で46番目の達成率で37%しかできていませんでした。
今や、おかげさまで、全国並みの、平均並みの80%まで追い付いてまいりました。
200社になろうかという企業誘致も成功いたしまして、産業政策や農林水産業の政策も、ちょっと緒に就いてきて、頑張ってくださる人が随分出てきたなあというふうに思います。
みかんは、とうとう生産額で日本一を奪還することができました。
和歌山の観光も脚光を浴び始め、内外の観光客のみなさんがずいぶん来てくださるようになりました。
医療崩壊や福祉の後退も食い止められたと思います。
また、それぞれの分野で、少しいろんなものも足せるようになってきたということは喜ばしいことだと思います。
子どもの数、これをうんと増やしていかないといけないんですけれども、その伸びは全国平均以上はいっていますし、また学力や体力という点でも、かなり向上してまいりました。
長年の懸案であった大学も4つできつつあるということでございますし、あの紀伊半島の大水害からも、みなさんと力を一つにして、奇跡の早期復旧ができたというふうに思います。
そしたらまたやってきた台風からも、今まさにみなさんと力を合わせて、早く立ち直ろうというふうに思っている次第であります。
今や和歌山は、これから発展する条件がちょっと整ってきたんじゃないかと思っておる次第でございます。
ただ、このような話、いま私が申し上げましたが、私一人の力だけではないことは明らかであります。
「仕事せえ。」と言う県知事がやってきて、県庁の職員も本当に一生懸命付いてきてくれました。
それから、これら全てのことは、県会議員の方々や、あるいは市町村の方々とも、いわばこれは共同作業でもあります。
それから、ここにいらっしゃいます国会議員の方々や政府にもですね、本当に助けてもらいました。
何よりも、今日いらっしゃる方々をはじめ、みなさん方に、和歌山県政を盛り立ててくださった、協力してくださった、貢献してくださった、献身してくださった、そういう思いが次々に浮かんでまいります。
ただ、発展の条件が整ってきたというふうに申し上げましたが、みなさん、和歌山の課題はそろそろ解決かというと、「まだまだやなあ。」というふうに、みなさん思っておられると思います。
それから、和歌山の発展はもうこのへんでええんかということについて、「まだまだやなあ。」というふうにみなさん思っておられると思います。
私自身が、実は一番思っております。
これから、もっともっと和歌山を元気にしていかないといけない。
子どもの数ももっと増やして元気に走り回れるようにしたいし、あるいは人口減に歯止めをもっとかけていきたいというふうに思います。
和歌山の潜在力をもっと解放して、産業も発展するようにしたい。
そしてチャンスがあれば、いろんなプロジェクトに挑戦してまいりたい。
例えば、新しい企業とかIRとかロケットとかバイオマスとか、何でも問題がちゃんと解決できるならば、思い切って挑戦しないと、和歌山はずっとこのままでいいんだと思っていたら、ずるずるとまた後退しかねないわけですから、これはどこでもそうでございますが、ぜひ和歌山をこれから発展させるために、みなさんと協力してやっていきたいと思います。
もっと災害に強い和歌山にしたいし、福祉や教育ももっともっと良くしたいし、交通を便利にして観光をもっと盛んにして、和歌山を発信して、そして県民を豊かにしたいと思っております。
和歌山をもっともっと元気にしたいわけであります。
そのために、これはもっと頑張らにゃいかん、もっと頑張らせてほしいいうことで、4期目の立候補をさせていただきました。
どうかみなさん、県政の重責をもう一度担わせていただきますようにお願い申し上げます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
「えー」とか「あの」から出発した私でありますけれども、ぜひみなさんとともに、今度はちょっと力強く、「ようし、これから頑張って、和歌山ここまで来たぞ。」という雄叫びを上げたい、そんなふうに思う次第でございます。
どうぞみなさん、よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。