シンガポールの指導者とIR

 シンガポールは、マレー半島の南端に浮かぶ小さな島国で、人口は561万人の小さな国ですが、一人あたりの国民所得は日本を遙かに凌駕する豊かな国です。(2015年でシンガポールの一人あたり名目GDPは、54,940$、その時日本は34,612$です。)民主主義国家ですが、建国以来、政府というか首相の力が圧倒的で、リー・クァンユー、ゴー・チョクトン、そしてリー・クァンユーの息子のリー・シェンロンという3人の首相が順に強い力で国を治めてきました。この人達は事実上は独裁者と言ってもいいのですが、合理的な政治、行政をずっと続けていて、哲人のイメージがあります。小さい国だからでしょうか、国を侵す者は噛みつくぞとばかり徴兵制があり、軍隊も強力で国の治安を守るための警察力や規制もうるさい、言わばピリリとした甘くない国であります。私の居たブルネイには、シンガポール軍の駐留基地兼演習場があり、実は弱いブルネイがシンガポール軍に守ってもらっているという一面もありました。
 シンガポールは、南シナ海からマラッカ海峡に抜ける海峡の要路にありますので、戦前からイギリスの植民地兼軍事基地であり、ここを日本軍が攻めて、一時「昭南」という名前で日本の統治下にもありました。海上の要路にあるということをうまく生かして、シンガポールは海上輸送の基地、国際ハブ港として栄えました。しかし、単純な通商国家は脆弱であると高坂正堯さんが喝破したように、海運、物流に加えて、大規模な石油化学基地を作るなど、製造業を加えて、加工貿易の国として発展してきたのです。
 このように発展を遂げた豊かなシンガポールではありますが、近年再びその構造を変えながら、所得を大幅に増やしています。2005年と2015年の10年間をとると、GDPの構成比で、製造業が25.6%から17.5%と8.1%のダウン(それでも随分高いのですが。)に対して、サービス業が62.3%から68.3%と6%のアップです。
 その中でも金融サービス(2.8%アップ)、ビジネスサービス(3.6%アップ)、卸売・小売(2.5%アップ)が伸びていて、物流と製造業の国から、金融、商業の国へと舵を切り替えたことがよく分かります。それによって実質GDPは2005年から2015年にかけて1.9倍に増加しています。そしてそのちょうど中間の年2010年にシンガポールの誇る二つのIRマリーナ・ベイ・サンズとリゾート・ワールド・セントーサがほぼ同時に開業しているのです。

 IRの構成要素であるカジノが合法化されている国は世界の201カ国中127カ国で、ほとんどのOECD諸国やほとんどの有力な大国は認められています。認められていない国は、イスラム諸国を除くと中国、インドネシア、ブラジルくらいかなと思うのですが、シンガポールも、かつては強力な指導者リー・クァンユーがカジノは断固認めないと頑張っていました。ところが、2004年リー・シェンロンが首相に就任すると、すぐにカジノを含むIRを作ると言い出し、国民の間で大変な議論がわき起こったのですが、リー・シェンロンは「IRは毎年大勢の人々を魅了しており、その大多数はギャンブルをするためにIRに来ているのではない。リゾートを楽しむ旅行者であり、展示会や会議に参加する経営者やビジネスマン達なのだ。」と演説し、法制や規制組織を作って、5年後の2010年2つのIR開業にこぎ着けたのでした。 
 私はこの表明時、ブルネイにいました。シンガポールからわずか2時間の隣の国で、ブルネイは何から何までシンガポールに頼っている国ですから、私も隣国シンガポールで起こったIR導入に大いに関心を持ちました。
 正直に言いますと、私も根は保守的で現状維持派マインドがありますので、「あの栄えているシンガポールが何でまた、カジノというギャンブルのようなそれこそギャンブルをするんだろう。やめておけばいいのに。」と懐疑的でありました。しかし、リー・シェンロンはびくともしないで作ってしまうのです。カジノに最も反対だった父のリー・クァンユーも「次世代のシンガポールを担っていく今の若者達に判断を委ねるべきだ」「もしあなたがシンガポールの明るい未来、人々に責任を負う立場だとしたらノーと言えますか。」と息子のリー・シェンロンを支援しました。
 今から考えますと、この哲人指導者達は、世界の流れがサービス業中心に変わっていくということに気付いていて、物流と製造業というこれまでのシンガポールモデルでは時代に取り残されるということに危機感を持っていたのではないかと考えます。さらに、シンガポールの観光業も低迷をしていました。ラッフルズホテルとマー・ライオンだけでは人を呼べない。観光客もビジネスマンも呼べるような仕掛けが、国の変容と発展の中心に何かいる、それがIRだと思ったのではないでしょうか。

 その後のシンガポールの発展は冒頭に述べたとおりです。シンガポールは金融やビジネスサービス、商流の世界の中心地として再び発展を始めました。
 IRの開業の2010年の前の年2009年と次の年2011年を比べると、シンガポールの観光客数は36%の伸び、観光収入に至っては76%という大幅な伸びを示しました。IRは観光だけではありません。特にマリーナ・ベイ・サンズの大規模な国際展示場や両IRの大規模な国際会議場群は、新しく生まれ変わろうとするシンガポールのサービス業の発展に大いに寄与したものと思われます。
 一方、心配されたギャンブル依存症は、驚くべき事に大きく下がりました。シンガポール国民のギャンブル依存症有症率は2005年の4.1%から2014年には0.7%に下がっています。IR導入前は、スポーツくじ、toto、競馬、外国のカジノへの耽溺、闇カジノなどによって、シンガポール国民はギャンブル依存症が問題になっていましたが、日本のIR法による規制ほど強くないとしても、きちんと規制されて、堂々と楽しめる所ができたことと、適切な教育、サービス、既に依存症にかかっていた人々への治療の強化が同時に始まったことで、このような結果が生じたものと思われます。また、IRの開業に伴って国全体の犯罪数も下がり気味で、IRができたら犯罪の巣窟になるといった懸念を持つ向きは、それが杞憂であったということが証明されています。

 世界は今大きく変容しようとしています。産業構造も、国際環境も大きく変わっていきます。その中で和歌山も巧に対応していかなければ衰退していきます。今までのままでいいと思っていても、それが叶えられることはありません。時代から取り残されて、ずるずると後退していくだけです。時代の流れから判断すれば、和歌山もサービス産業のウエイトが高まっていくでしょう。製造業や農林水産業もサービス産業の要素をどう融合していくかがポイントになってくると思います。ただし、和歌山の地政学的位置づけを考えると東京のように金融やビジネスのセンターというわけにはいかないでしょうし、近くに大阪というもう一つの中心地を控えている和歌山は、どうしてもそのような分野は難しいでしょう。とすれば、観光を中心として構想するというのがより現実的です。和歌山のめざすべき観光もより多くの人を集めるためにメニューの多様化を実現していかねばなりますまい。その意味で、豊かな自然と歴史文化と食をアピールし、関西という大きな人口集積を背景とするそこに色々な産業を融合させたような生き方を目指すしかないでしょう。温泉の白浜にはIT産業の集積とパンダをはじめとするアドベンチャーワールドで魅力を高め、ロケット射場を誘致して、打ち上げを見に来てくれる観光客を期待し、農業や水産業も製造業や観光の要素をより多く取り入れるといった風に。
 IRもまさにその考え方の延長線上にあります。IRによる巨大な集客機能が発揮されるならば、和歌山県全体にその波及効果で多くの産業分野で様々なチャンスが発生します。リー・シェンロンの構想から15年、ついに日本政府が動き、和歌山にもチャンスが回ってきたのです。若い世代に、そして次の世代に夢を与えるような世界と互して発展する和歌山を残そうとしたらどうしたらよいか、我々は皆責任があります。未知のもの、危なそうなものは、嫌いだから、やめておいて、後はそれでも何とか同じように和歌山が発展するように知事が何とかしてくれと言われても、なかなかそうもいきません。皆が和歌山の未来に責任があるのです。リー・クァンユーの言葉にあるように、「もし私たちが和歌山の明るい未来、人々に責任を負う立場だとしたら、ノーと言えますか。」という問いに皆が答えなければならないと私は思います。
 私はとてもノーとは言えません。