開かれた棺

 なんだか、推理小説、それも歴史推理小説、あるいはおどろおどろしい猟奇推理小説の臭いのするタイトルですが、実は、和歌山県の誇る県立博物館である紀伊風土記の丘の令和元年度秋期特別展のタイトルであります。副タイトルは「紀伊の横穴式石室と黄泉の世界」となっています。

 和歌山県には、近代美術館、博物館、紀伊風土記の丘、自然博物館、という4つの県立博物館があります。今年のICOM国際博物館会議でも脚光を浴びましたが、文化の振興、発展のためには博物館の役割は大きいものがあります。和歌山県では、最近ではそれを大いに自覚して、どういう企画展をやるか等、和歌山県の文化発信という観点から、私も含めて大いに議論して決定しています。従来は、それぞれの館ごとに、短絡的に言うと学芸員の一存でテーマを決めていたところがありますが、これを県庁中で議論して決めよう、また全国をあっと言わせるような企画展を3年に1回は行うこととし、そのための予算も特別に増額しようということを行い始めました。各館の学芸員は皆熱心で、優秀ですし、館長には、その道の大家をスカウトしてくることとし、随分立派な人に来ていただいています。

 私も、文化には大いに興味がありますので、時間を割いて視察に行っていまして、県立の博物館はもとより、和歌山市立博物館にも時々出かけています。
 今回は、その一環として、岩橋千塚古墳群の山の麓に位置している和歌山県立紀伊風土記の丘に出かけたのです。一口で言うと大変立派な企画展で、中村浩道館長と学芸員の方が熱心に説明して下さったので大いに勉強になりました。
 まず、言ってみました。「『開かれた棺』というのは推理小説みたいですね。」そうすると、学芸員がおっしゃるには、「このタイトルには二つの意味があります。一つは文字通り、古墳の中でも特にスケールの大きな天王塚古墳をもう一度発掘調査をしたので、その壮大な横穴式石室を開いたということですが、もう一つはこの岩橋千塚古墳を中心とする墳墓には内部に石棺がなく、遺体を石室の中にそのまま安置していたので、石室全体が開かれた棺とも言えるというのを掛けて命名したのです。」とのことでした。

 この紀伊風土記の丘のある和歌山市の岩橋地区は日本を代表するような多数の古墳群がかたまって存在する地域ですが、国からも宮崎県の西都原古墳群と並んで、古墳群として、2つだけ特別史跡の指定を受けている所です。
 古墳と言えば今年世界文化遺産にめでたく登録された、百舌鳥・古市古墳群も壮大なスケールで、おそらく、絶大な権力を握っていた支配者の墳墓というような、いくつかの古墳から成り立っていますが、こちらの岩橋千塚古墳群は、千塚と言うだけあって、ものすごくたくさんの古墳から成り立っていて、しかも、百舌鳥・古市型とは一線を画した構造的特色があります。
 すなわち、横穴式の石室を持ち、入り口から通路をたどっていくと死者を葬る玄室があり、その玄室には、高い天井を支える石積みの壁と時には、巨石による梁や棚が作られ、しかも死者は棺に入れられることなく玄室の中に安置されたというものであります。通路と玄室の間には、薄く加工された大きな岩がはめられていて、玄室内の死者の空間と通路までの現身の空間が隔てられています。あの壮大な百舌鳥・古市古墳群も、死者は棺に入れられ、古墳のてっぺんから掘り下ろされた縦穴に直接釣り下ろされたと思われるのに対し、とんでもなく手の込んだ構造になっていて、これらが作られた時代の当地の繁栄ぶりが推測されます。この棺を作らなかったというのは、おそらくは死者の魂は狭い棺の中に閉じ込められるのではなく、広い玄室の中を自由に飛び回り、おそらくは神の世にそのまま行けるようにというような考え方であったのではないかというのが学芸員の推測でした。
 この形の古墳は、この岩橋千塚を中心に紀の川筋はもちろん、紀南の沿岸部にも広く分布しますが、遠く九州にも存在するようで、残りの地域にはすべて棺があるということでした。ここから、また日本古代史に触れられそうですが、私はその力がないので省略です。
 館内にはたくさんの古墳が図示されていましたが、基本は同じでも、石の加工方法や、デザインが地方により、また時代により異なり、中々興味深いものがありました。さらに副葬品の豪華さにも目を見張るものがあり、往事のこの地域の繁栄ぶりに思いがいたされました。

 5世紀から6世紀、古墳時代の華ともいえる岩橋千塚古墳という古代の宝物を和歌山県が持っているということを誇りに思います。

 最後に面白い話を1つ。
 日本の国造りの神話にイザナギ、イザナミの話があります。先に逝ってしまった最愛の妻イザナミに会いに、イザナギは黄泉の国へ行くのですが、地下のあの世への長い通路を通って、ようやく会えた妻は、変わり果てた姿になっていて、イザナギは逃げ出します。追ってくるイザナミをあの世の出口の戸を必死で閉めて地下のあの世に閉じ込めて・・・ という話と、岩橋千塚古墳に代表される横穴式石室の構造はぴったり一致するというのです。あの国造りの神話は、まさに横穴式石室が一般的に作られていた地で生まれたに違いありません。古代の和歌山は、大和と朝鮮半島などとを繋ぐ海路の要所にあり、岩橋千塚古墳群の主と言われる紀氏が勢力を持ち、その一族武内宿禰が大和朝廷の守護神という活躍をしたというような重要な地でありまして、そういう古代史的視点でものを見ても大変面白いところがあると思います。

 でも、こうやって古事記のイザナギ、イザナミのあの記述などを思い浮かべながら古墳群の横穴式石室を見ていると、思わず寒気がしてきます。そういう人のために館では、中々面白い装置を作っています。入館者本人がイザナギになって、地下の黄泉の国へ出かけていくのです。長い通路を過ぎると前方に巨大な1枚岩があります。玄室の入り口です。その1枚岩をぐいと開けると、そこにはあの美しかったイザナミの変わり果てた姿が・・・!

 古代の謎に目を開かせてくれる企画展、和歌山県立紀伊風土記の丘の令和元年度秋期特別展「開かれた棺-紀伊の横穴式石室と黄泉の世界-」を是非ご覧下さい。12月1日まで開催しています。