読書のすすめ

 私は読書が大好きです。当然、読むのが好きなのですが、こんな本があって読みたいなと思っても、仕事にかまけていると忘れてしまうので、すぐに買ってしまって、たまります。それでもちゃんと読めばよいのですが、読むスピードが少々遅くなっているので、「積んどく」状態となっています。

 中味は何でもありですが、小説も、歴史物も、生物物も、経済物も、社会物も、旅物も何でもおもしろいと思います。昔から漫画も好きですから、これも時々。
 いずれも著者が一生懸命書いてあることなので、感心する所も、新しく知っちゃったぞという所も、これは仕事に使おうという所もたくさんあって、そういうものに出会うと得をした感があります。でも最近はすぐ忘れてしまうのが問題です。また読んでいて感動したり、涙したりする所もあり、これまた、いいものに出会えたと得をした気持ちになります。小説や評論物は好きな人がいますから、よくやるのは、その人の本を全部読むということです。反対に世の評価が高くてもこいつは嫌いとなったら見向きもしません。(作家で誰がそうなのかは秘密です。)
 最近は世の中が読書をしなくなったとよく言われます。かつては通勤電車などで本を読んでいる人が圧倒的に多かったのが、最近は皆さんスマホをのぞいておられます。スマホでも本は読めますが、少し横目でのぞいて見ると、スマホの読書組は少数で、チャットをしている、映像を見ている、ゲームをしている人が多いようです。そのせいか、最近人と話をしていると、昔の知り合いが知っていた知識が随分少ない人が多いなあと感じることがあります。和歌山県庁でもものすごい読書家がいて、ものしり度がえらく高い人もいますが、少数のようです。本によらず、レポートでも雑誌の記事でも、新聞やテレビのニュースでもプロがちゃんと取材をして心血を注いで仕上げたものは、やはり傾聴に値すると思います。反対は「つぶやき」です。その時思った感想をちょっと言ってみる、そういうのにそんなに意味があるとは思いません。何か感想を抱いたら、よく調べたり、考えたりしてもっとカッチリしたものに頭を整理していけばよいのにと私は思います。そういう意味で記者の方々がちゃんと調べてこしらえたニュースを流しているテレビが、大切な画面の一部にこうした「つぶやき」と称するコメントをのせることに何の意味があるのでしょう。のせてもらう人は満足かもしれませんが、他の人からすると見たくもないのではないでしょうか。テレビ局がこういうつぶやきをしたい人に媚びて、自らのスタッフの努力の産物を汚しているような気を「がんこじじい」の私は感じます。しかし、このような一連の感覚はひょっとしたら、私が年をとって、若い人々の教養目録を理解していないだけかもしれません。

 と思いつつも、やはり人は読書をした方がよいと思います。教育熱心な保護者が多いですが、勉強ができるようになる条件は絶対に読書量だと思います。数学や理科や社会や外国語も日本語がちゃんと理解できるようになっていないと、上達は覚束ないと思います。子供に勉強しろと言うより本を読めといった方がずっと早いと思います。もちろん本をたくさん読んでいても、試験問題が解けるかどうかは別ですが、読書量がないとそういう試験勉強の効率がいいはずがありません。
 そこで、教育委員会の推奨に従って、読書の癖をつけるために、学校で朝などに皆で読書をするという試みをしている学校が結構あるようです。いいことだと思います。ただこのレベルでは何を読んでもいいとしておけばいいので、教養項目としてこの本を読めと先生が言いすぎると、なかなか読む気がおきません。また、よく読書感想文を書かす先生がいます。考えをまとめて要約したり、自分の意見を要領よく入れたり、起承転結をきちんとしたり、漢字をちゃんと覚えたりといいことはたくさんあるのですが、こんなレベルの高いことを要求すると、読書自体がいやになる子が増えるのではないかと心配になります。それに本当に感動をしていないのに感想文を書かすと、先生が気に入りそうな内容でまとめてしまう子が出がちです。大概は頭の良い子でしょうが、そんなステレオタイプを書かすよりは、自由自在に頭を使わせた方が、その子はきっと伸びると私は思います。

 和歌山県立医科大学の元学長の故板倉徹先生は、ラジオが脳によろしいと言っておられました。理由は音声で聞いて脳内で画像を形成するから、想像力が養われ、脳の力が鍛えられるという事だと思います。確かにテレビは音もストーリーも映像も全部与えてくれるので、それに操られて、想像力を鍛える機会がなくなるかもしれません。
 しかし、この論旨を進めていくと、文字を読んで、その音声も想像し、さらに画像も想像できる読書の方がもっと頭が良くなるような気がします。漫画は絵があるので少々減点ですが。

 色々言いましたが、最近コロナで割に早く公舎に帰ります。夜の公務がパッタリとなくなったからで、昼も職員との打合せとか勉強とかはありますが、イベントものがパッタリなくなった分だけ時間に余裕が出ました。そうなれば、かねて「積んでいた」本をどんどん読めば良いものを、食事後ちょっと見てやれとテレビやビデオをつけている内に思わず居眠りをしてしまって、時間を空費して、いつも後悔ばかりしているのが私です。