私は、行政が危機的課題を抱えている時、大事なことは継戦能力だと思います。行政を指揮しておりますと、時々大変な危機に遭遇いたします。自然災害に見舞われた時など特にそうであります。
和歌山県は2011年東日本大震災の傷跡も生々しいその秋に、紀伊半島大水害に襲われました。県全体が破壊され、多くの人が亡くなり、たくさんの不通箇所ができ、孤立集落がたくさん出来、多くの集落が吹き飛んで、住家を失った人が大勢できました。JR那智川橋梁が流されるなど、鉄道はズタズタになり、電気や水道が不通の集落がものすごくたくさん出ました。もちろん観光客はゼロ、和歌山県は経済的にも大変な苦境に立たされました。人命救助から復旧、復興と、当時、県がやらなければならないことは山のようにあり、しかも、すべてが一刻を争うものでありました。
その時、私もそうですが、和歌山県と県民を救うために、和歌山県の危機管理局をはじめとする関係部局の職員は、大変頑張りました。
志気は高く、全員が阿修羅のように働いてくれました。
発災後、初めの2、3日は、ほとんど全員が徹夜であったと思います。しかし、全体の指揮官である私としては、これに甘えているわけにはいきません。いくら志気が高くても、人間の生物的限界には勝てません。睡眠もとらないと、段々と判断が鈍ってきて、能力の高い人もその力を十分に発揮できなくなることがあります。私は、通常残業省と言われた通商産業省(現経済産業省)でずっと働いてきましたので、このことに対する感度は高いと思います。毎日毎日、国会対策や、法案作成や、国際交渉で、ほとんど寝られない日々が続くと、要員ひいては組織の能力が極端に落ちて参ります。
私も30才くらいの頃、大臣の海外出張のお伴をして、3日間完全徹夜で働きましたが、最後には呂律が回らなくなり、現地勤務の通産省の先輩から本庁に仁坂おかしいぞ説が流れて、皆に大変心配をおかけしました。その後たっぷりと寝てから日本に戻ってきて、心配してくださっている周囲に「どうしたんですか。私はこのとおり何ともありませんが。」などと、とぼけた事を言っていました。
紀伊半島大水害の時も、直ちにこれを思い出しました。そこで、張り切ってバリバリ働いてくれている職員を3人1組として、順番に、2人が働いている時は1人が帰宅して寝て、その人が出てきたら、次に1人が帰って寝ることにせよと命じました。
急に言ったので、完全に機能したかどうかよく分かりませんが、災害対策も、完全に山を越すまでには何日も何日も大変な日々が続きます。従って、次に同じような状況になった時は、これをモデルにして継戦能力を高めるようにしています。
今回のコロナ対策でも同じです。危機に直面した時、日本人は皆そうでしょうが、和歌山県庁の職員の献身は大変なものがあります。しかし、コロナ対策で一番大事な役割は、保健所にいる保健師や看護師のような専門的知識を持つ人々による、PCR検査などによる陽性者の発見や、入院の手配などのプロフェッショナルな仕事です。また、そのヘッドクォーターとしての県庁の福祉保健部健康局の職員による機能であります。
ところが、実際に感染が発生したり、疑われたりするようになると、このような核心的な仕事以外にたくさんの仕事が保健所や健康局に押し寄せてくるようになります。
所管だからと雑用を含むすべての関連の仕事をこれらの中核部隊に押しつけると、これらのプロフェッショナルな人々は専門的な仕事が出来ないほど雑用で振り回され、肝心の専門的な仕事に専念できなくなるのです。これを放置していてはいけませんし、そうなることを予測して、あらかじめ手を打っておかなければなりません。
和歌山県では、2月の済生会有田病院で大騒ぎになった当初から、じゃんじゃんかかってくるであろう問い合わせや苦情処理を保健所の中核部隊にやらせてはいけないと、本庁に専用ダイヤルを設けて、そちらに別の人を当てて担当させました。また、病院の周辺に感染が拡がっていないかという調査もしなければと思いましたが、この調査は、単なる聞き込みであって、医学的専門性を要するわけではありません。従って、保健所にいる医学的知識のある中核部隊とは別に、他の仕事をしている職員を急遽組織化して、この人達に周辺を回ってもらいました。
コロナ対策も予想通り長期化しようとしていますが、保健所を中心とした専門知識のある中核部隊が疲弊することのないよう、全体の用兵を考えていくというのが指揮者である私などの仕事だと思っています。
その意味で、よくテレビで報道されたことですが、コロナが流行っている地域で保健所の職員が雑多な苦情電話に振り回されて多忙を極めて、肝心の陽性者の発見やお世話が出来ないと言って嘆いている場面が映されたりしました。テレビはそれを当たり前のように扱っていましたが、私はこれを見ていて、その地域の行政のリーダーは何をしているんじゃと思いました。
日本人はまじめだから、また義に殉じようとする気持ちも強いので、どうしても、皆目の前のことに必死で没頭して、この継戦能力のことを忘れがちであります。それでは戦に勝てません。
私はちょっと軍事オタクで、戦史研究マニアでありますので、そのような例はたくさん思いつきます。
先の大戦でも、日本軍はこのことを忘れました。優秀な熟練パイロットに不時着して助かろうとするなとか、捕虜になるなとか言って、彼らを失ってしまいました。助かって帰ってくれば、また、別の機で戦ってもらうことも可能であったのにであります。訓練も十分でない若者をどんどん戦地に投入して命を失わせ、生きていたら戦後日本の復興を担ったであろう有為の士を大勢失いました。インパール作戦やボルネオ戦などでも明らかなように、補給や、物資備蓄などに、そんなに意を用いなかったのも日本軍の特徴です。もっと言えば、戦闘場面の背後で、続々と新造艦や新造機を生産して供給する面も重視してきた米国と日本との彼我の差は、日が経つにつれて圧倒的な力の差となってしましました。何せ米国は戦争が始まってからエセックス級の3万トンクラスの制式空母を30隻も造った国でありますから。
私は、今コロナと立ち向かう和歌山県職員のリーダーでありますので、こんなにも志気の高い専門的技術をもった職員軍団が疲弊して力を落とさないように、継戦能力に特に意を用いて頑張って参りたいと思います。