最近、政治家のあり方について考えました。そしてある所で次のように語りました。
以下、皆さんにもちょっと披露したいと思います。
1 願望と技術
政治家は皆願いがあります。情熱といってもよいかと思います。しかし、それだけではいけません。政治や行政の技術「ああすれば、こうなる」というのは、結構行政とか政治で大事です。一番端的なことを言えば、ばらまいたら財政が潰れる。例えば、ばらまくと皆さん喜びます。選挙で勝ちたいと思ったらばらまきたくなる。だけど、その後、和歌山県の永続性というのが、大いに傷ついたら、我々の子孫にどういう申し訳ができようか。ああすれば必ずこうなる。こうなることを、どう評価して、あるいはこれを副作用と考えて、この副作用を消すための方策を別途考えて、政策というのはやらないといけない。そういうことを、我々行政のトップは常に考えないといけません。これは、結構技術が要ります。「こうやったら、ああなるぞ」とか、「これはこういうことだなあ」とか、「こっちで無茶苦茶になるじゃないか」というような話がある。情熱と心だけでは、ああしたい、こうしたい、というのはいくらでも考えられます。だけど、ああすれば、こうなる。こうなるけれども、勇気を持ってやってみて、ここの副作用は必ず出るから、これはこうやってカバーする。そこまでやらないと、きっと皆さんを無茶苦茶にさせてしまうということを政治や行政は自分の中にメカニズムとして持っているということを申し上げておきたいと思います。
そうすると、どうすれば可能か。こういうことをやりたい。やりたいけど、その手段が思いつかないとなかなかできないわけです。例えば、私が30何年間の悲願であった医科大学の定員を、一気に解決しました。当時、60人だったのを、いっぺんに85人にしました。実は、その前に閣議決定があって、1人たりとも、医科大学の定員はどこの県であろうと増やしてはいけないということになっていました。それをどうやって打ち破るか。そのため、その理由を調べました。そうすると、その時の閣議決定の理由は、医者を増やしたら、医療費が増える。つまり、余計な医療を進めるから医療費が増える。(これはちょっと非人道的な閣議決定だと思いますけれど)財務省か何かが無理矢理やらせたのでしょう。だけど、それならば、例えば病院の勤務医を増やすのはいいじゃあないか。別に病院が患者を増やしているわけではありません。救急医療の医者が足りない時に出すような人を我々養成すればいいのであって、開業する人というのは、私はそんなことないと思いますけども、その論理にはまるのです。だけど、和歌山県の地域医療のために貢献してくれる人を増やすのに、何で医療費高騰という話になるのですかという理屈を言いました。それともう1つは、和歌山県の100万人の人口に対して、和歌山県立医大の60人の養成数というのは、実は日本最少であります。もっと、小さい県、例えば、鳥取県、島根県でも和歌山県よりもっと多くの人を養成している。そんなのおかしいじゃないですかというような理屈は、通用するんですね。そういうことを我々は言って、粘り強くやっているうちにズボっと通っちゃったということでありまして、そういうことを考えつかないと、いくら頭を下げたり、あるいは政権と仲良しであったり、かわい子ちゃんであったりしてもなかなかやってくれない。なぜやってくれないかというと、それをやってあげたら必ず隣の県もあるし、他所の利害関係者があります。その人たちに、政権を持ってる人は説明して、「これはこうだから仕方が無いのだ。だから、あなたを苛めているわけではないのだ」と言わないと、身が保たない。ですから、そういうことをちゃんと言えるような理屈をこちらで考えて、どうすれば可能かということを考える構想力が無いと、絶対に県政は何もできません。要するに技術が必要なのです。そういうことを、「いつも考えていないといかんのだ」ということではないかと思います。
2 政治家があらねばならぬこと、やってはいけないこと
それから、政治家のあり方というのがありますが、これは和歌山県の将来を見据えて頑張らないといけない。これをどうやったら将来を見据えられるかというと、これはどうやったら良くなるんだという診断がついて、治療法が分かって、これはお医者さんと一緒だと私は思っています。お医者さんはいくら口が上手で明るい人でも、治してあげると言って熱心な人でも、結局はちゃんと診断してくれて、どこが悪いと言ってくれないと話にならないし、それは正しい治療法でないと間違った投薬をされたら話になりません。そういうことを本当は期待されていると思います。だけど、その能力をお医者さんは患者を救うために使うべきであって、あんまりそんな人いないと思いますけど、お金儲けとか、ごまかしとか、そういうことに使っちゃいかんというのは当たり前であります。だから、心とか情熱とか県民のために尽くすということはやっぱりちゃんと考えないといけない。だけど、それだけで留まったら、ひょっとしたらその人は職業的な人間として政治家たり得ないかもしれない。特に首長たり得ないかもしれないというふうには思います。
もう一つ大事なことは、見返りモデルから、ひたむきモデルへというのがあります。これは、例えば、選挙の時なんかに応援してくれたら後でお仕事あげるとか。逆に、お仕事を打ち切られたくなかったらちゃんと応援せんとあかんでとか。こういう話をやり始めたら、世の中は無茶苦茶になってしまいます。うまくいっても、こっちの人に行く仕事をこっちにあげているだけで、社会全体はちっとも伸びていません。それから非効率な人にあげたら、社会全体は落ちてしまいます。したがって何がいいかというと、そういうこととは関係なく、ちゃんと真っ当にひたむきに努力する人がちゃんと報われるようにしておけば良い。ということで、これは、色々と難しいことがたくさんあるんですけど、こいつを忘れたらいかんし、こういうことをやろうとしている政治家とか何とかがもし仮にいるとすれば、それは物凄く危険な状況じゃないかと思います。ですから、このひたむきモデルだけは絶対に崩しちゃいかん。見返りモデルを導入しないというのが、この4年間私が言ってきた姿勢なんで、これを崩したらきっと無茶苦茶になってしまうと思っているというのが申し上げたいことであります。