和歌山をどうする

 9月21日、県議会で原日出夫議員に「知事は和歌山をどうする!」という質問を受けました。
 ①この4年間で知事が誇る実績は?
 ②次の4年間で、何を具体的に実現させるのか?
ということです。それに対して次のように答弁をしましたので、私の県政にかける思いとしてHPに掲げさせていただきます。

  3年余り前、知事に選んでいただいた私は、第1には、不祥事により傷ついたふるさとの名誉を挽回するために、職員と力を合わせて、制度改正をして、必死に働いてまいりました。その結果、この点については、県民の皆様の県政への信頼を取り戻せたのではないかと考えています。
 第2に、ずうっと低迷していた県勢、県の勢いでありますが、この再浮揚を是非したいと考えておりまして、これが、元気な和歌山実現のまさに中核であると考えております。そのために、考え得る限りプラスとなると思われる政策については、全て、できるだけ早く実施するということで頑張ってまいりました。 そのため、200にも迫る改革を実施してまいりました。その中では、企業誘致も頑張りました。最近の3年半で、それ以前の20年間の実績に匹敵するような件数と投資額を実現しました。
 トップセールスにかけずり回って県産品のPRをしました。新農林水産業戦略プロジェクト等によって生産から販売・技術開発に至る支援をいたしました。県内企業を励まし助けるために、技術開発や販売促進のための制度を使って、頑張って和歌山の雇用を増やすよう努力しました。地域的には、わがまち元気プロジェクトや過疎対策などの地域活性化対策に取り組んできました。
 そういう効果はあったと考えております。和歌山県は、このところ、毎年5000人の人口流出、人口の社会減がございました。私の就任時点でもそうでございました。現在は、これをだんだん少なくしてまいりまして、人口流出は残念ながらまだありますが、2000人ぐらいにすることができました。日本全国たいへんつらい、特に、雇用についてはたいへんつらい。和歌山も例外ではございません。ただ、相対的には和歌山の雇用状況は、近畿のトップになりました。これは、何も私だけの功績ではありません。アイデアと努力は、全て投入しましたが、全県庁あげて団結をして、努力してきました。また、県民がこの努力に協力して励ましてくれ、頑張ってくださった、そのおかげではないか思います。
 もうひとつ、第3には、安心安全という、例えば、福祉・教育・医療・防災という問題については、いささかも後退させることがないようにしたいと考えてまいりました。その点については、私は県庁の中に入って少し驚いたのですが、和歌山県の財政は、全国的に見るとそんなにひどくはありませんけれど、和歌山県でも2年半で財政が破綻しそうであった。それについて、再建策を講じて再建することができました。ただ、その中で、弱者切り捨てをすることがあっては、何のための行革か、ただ事業仕分けをすれば良いというわけではありません。そういう意味で弱い者、遅れた地域、困っている人々、期待している人々、そういう方々の期待を裏切らないような形で、なんとか財政も、安心安全施策も守れたと考えています。
 その中で、少し足し算もできました。例えば、全国トップレベルの紀州3人っこ政策や、教育の充実、高齢者の見守り対策、孤立集落の通信手段の確保、県立医大の定員の増加など地域医療崩壊を食い止めるための対策をするなど、幅広くやってまいりました。
 また、基盤整備に関しましても、X軸ネットワークが完成し、少しずつ高速道路も延びております。
 ただし、こうした施策の効果は、ようやく芽生えてきたところであります。未だ道半ばだなあと思っております。半ばであることについて、残念な気持ちもあります。しかし、今この改革をやめてしまうと、あるいは放棄してしまうと、人口流出などもまた元の木阿弥になってしまう可能性もあります。
 従って、この改革は続けていかなければならないと思います。
 引き続き県政の舵取りを負託していただけるならば、それは、県民の方が考えることでありますが、次の4年間では、全ての産業に関して全国一の振興策を講じて働く場をさらに増やし続けたいと思います。医療福祉・防災など県民の安心安全を死守したいと思います。教育・文化・スポーツ・環境などの面で活力と品格のある和歌山を実現したいと思います。県民に生きるチャンスを与えるインフラの整備充実に、議会や県民の皆様とともに、もっと努力したいと思います。
 ふるさと和歌山をさらに元気にすべく、力を尽くしていきたいと考えているところでございます。その中で新しい工夫をどんどんしていきたいと思います。
 ただし、こうしたことを実現するため、今後も、改革を続けなければならないということであったとしても、その改革は、弱い人々や遅れた地域を考えた温かい改革でなければいけないと考えています。 
 仁坂カラーと言われましたけれど、こういう方向でやっていきたいと思います。
 私は、県民とともに、全ての県民のいろいろな活動に参加していきたい、とりわけ、そういう県民の方々の力を結集していきたい。というふうに考えてやってきました。しかしながら、個人的にはなかなかつらいこともあります。たとえば、まちのお祭りがあります。私は一緒に楽しむのは大好きですから、そういうものはどんどん参加したいと思います。全県あちこち回っていろいろ仕事をしてまいりました。たぶん、歴代、及び、全国の知事の中では、そういう点について最も熱心な一人だと思います。しかしながら、そういういろいろな催し、お祭り、行事はあまりにもたくさんありますし、不公平になってはいけないというところもあります。私は残念な気持ちもありますけれども、例え顔を出せなくても、そういうお祭り、行事、こういうものが皆さんの力で今後ともちゃんと維持できるように、少なくとも、支える仕事をやっていくのが最低限の私の仕事だと考えております。そういうものを元気づける政策をやっていくということではないか思います。口先だけうまく言って回るよりも、それが私の仕事かなと思います。
  県民の笑顔は私の笑顔です。それが、尽きることがないように頑張って一日も休まず、全力を尽くしてやってまいりたいと考えております。