友は裏切らない人情の人、中村愼司前紀の川市長

 今年の1月13日紀の川市の中村愼司市長が亡くなられました。大ショックでした。健康診断で少し厄介な病気が見つかったので、その病気の治療では定評のある県立医大に入院し、新年早々に手術を受け、手術は成功しまもなく退院できるでしょうという連絡を病院側からいただいていたので、病状が急変し延命治療の甲斐なく亡くなられましたという報告を突然受けた時はわが目と耳を疑いました。入院前はお元気だったので、まさかこんなことがおこるとはと、病院側も最善を尽くしてくれたと信じますが、こういう結果になったことを、私は県立医大の設置者ですから大変申し訳なく思います。

 中村市長は偉大な政治家であります。合併でできた”大”紀の川市をうまくまとめ上げ、発展に結びつける数々の布石を着々とうってこられました。紀の川市の特産の果物の販売に全国各地を一緒に回ったことから、縮小一手であったパナソニック(当時は松下電池工業)の紀の川工場を一緒にリチウムイオン電池生産拠点に大復活させたこと、北勢田の工業団地建設には中村市長の熱意にほだされたこと、京奈和関空連絡道路構想を無から考え出して、計画路線一歩手前まで前進させたこと等々一緒に力を合わせてきたことが次々と思い出されます。

 アイデアマンでブルドーザーのような突進力。しかし、中村市長の最大の魅力はそのお人柄であると私は思います。人情の人。こわいと人に言われたお顔の下にいつもあたたかく人に接するやさしさを秘めた人でありました。思い切った物言いもし、人とも議論はされるけれど、絶対に友は裏切らない、人情の人というのが私にとっての中村市長であります。
中村市長は私なんかと違ってまさに政治家の中の政治家という人でありましたが、政治家の中には、自己の保身のためには宗旨をかえ、仲間や支えてくれた人をすて、自らが有利な所へ位置取りをしようとする人もいる中、中村市長は絶対に人を裏切らない人情の人であったと思います。人が皆それを分かっているから、中村市長のもとにはいつも人が集まる。紀の川市の強固な後援者もそうですし、二階先生のような有力な政治家の信頼もゆるがない。京奈和関空連絡道路促進協議会も私や紀の川市周辺の和歌山の首長のみならず、大阪南部及び奈良の有力な市町長の方々が大結集をしましたが、それはひとえに中村市長のこの人情に皆がほだされた結果であると思います。 

 私にとっても、中村市長は県下の有力市長さんというだけでなく、私の知事選挙の際の選挙対策本部長をずっとやって下さった大恩人です。大恩人ですから、中村市長の選挙の時は、他の市町村とのバランスを欠くとの苦情が出るのを覚悟のうえで、必ず応援に行きました。そして、紀の川市の有権者に「中村市長は私にとって永遠の選挙対策本部長なのです。どうかよろしくお願いします。」とお願いをずっとしてきました。久し振りに投票が行われた昨秋の紀の川市長選挙も同様です。そして見事に中村市長は当選されたばかりであったのです。

 本当に残念です。しかし、紀の川市は市長空白という事態は許されませんから2月27日に市長選挙をむかえます。実は、昨秋、中村市長の選挙の応援に行った私に中村市長がぽつりとこう言われました。「実はわいの後は岸本についでもらいたいと思ってるんや。そういうつもりでいる。」と。私はこの言葉がものすごく印象的でしたが、まさか、御自身が亡くなられ、私に後継者と打ち明けてくださったその岸本健前県議会議長が今、まさにそのお言葉通り、中村市長の後継者として立候補されることを思うと感無量の思いです。

 私は、岸本候補の対立候補の森田幾久元紀の川市議もおそらく立派な人だとは思いますが(岸本候補は2年間も県議会議長を務められ、知事の私と車の両輪として県政を担ってきた素晴らしい人であることはもちろんであります。)、私は岸本候補を応援したいと思います。人を裏切らない人情の人中村市長を敬愛するが故に、その遺言ともいうべき「わいの次は岸本を」という言葉が耳にいつまでも残っているが故にであります。