制限・禁止は簡単だが作為の強制は困難

 私は目下の日本経済の一番の問題は価格転嫁が進まないことだと思っています。
 日本はものすごく長くデフレで苦しみました。これを退治するために第二次安倍内閣が発足してから、日銀総裁に黒田東彦さんを据えて、異次元の金融政策が始まりました。インフレターゲット2%を設定して、ここに至るまでは俗にいうとお金を刷りまくるぞという政策をとったわけです。その結果、それまでそんなはずはないと言われていた円高が解消し、円安が進み、輸出環境は良くなって、とりわけドル建てで契約している輸出企業の円の手取りが円安の分だけ増え、企業は大いに潤いました。失業も減り、株価も上がり、景気も良くなったように思いました。少なくとも、それまでのマイナス成長はほぼなくなり、輸出採算を持っている大企業を中心にその企業の社員の給料が上がり、都会の中小企業経営者や新興企業の経営者の所得も上がって、高価な不動産も売れ始め、高級品を中心に一部の消費も上向き、大都市の地価も下げ止まりました。
 でも、インフレターゲット2%まではなかなか届かず、地方を中心に景気回復が我々のところまでは及んでいない、回復の実感がないという声が聞かれ、同時に都会と地方との格差が広がりました。
 実際に和歌山で暮らしていて、和歌山企業の方々の話を聞いていると、景気回復は和歌山のような地方には及んでいないということがひしひしと感じられます。

 何故こうなっているのか。世上言われたことはアベノミクスの第3の矢、すなわち構造改革がまだうまく発動していないからで、岩盤規制のようなものが温存されているからだ、規制緩和が遅れているからだということでありますが、私の答えは違います。もちろんつまらない規制は早いところやめたほうが良いので、規制改革の努力は必要でありますが、地方に景気回復が及ばないのは主として価格転嫁が進まないからだというのが私の答えです。
 日本経済は長い間デフレに苦しんできました。その中では名にし負う大企業といえども倒産のリスクさえあるのだから、需要が伸びない中で経営を守るためにはコストを切り詰めるしかありません。その中でも購買担当部門の働きは重要です。会社トップからの号令のもとに、できるだけ調達コストを安く、下請け代金を安くというのが当然の行動原理であります。しかも、この行動は会社の社員の愛社精神にぴったりでありまして、会社のために、会社が生き残るために、調達コストを少しでも下げて会社に貢献しようということであります。そして、この行動原理は習い性となり、企業が円安などで空前の利益を上げた今となっても綿々と続いていると推察されます。

 そうすると、その企業は社員の給料をはずみますから社員は豊かになるが、調達先や関係会社は原料価格が上がっても、倒産しそうな赤字に苦しんでいても、価格転嫁が認められず、会社の採算はよくなりません。そうすると、いくら可愛い社員のためと思っても、社員の給料を上げるわけにはいきません。そうすると、その社員の家計が消費水準を上げるわけにはいきません。したがって、地方の消費は伸びません。そうすると日本の需要全体が伸びませんから、景気回復が足を引っ張られ、特に地方の景気はどんどん悪くなります。何故ならば、輸出採算のある大企業の本社は東京など大都市に多く、下請けや調達先企業は地方に多いからであります。

 私はマスコミなどで発信力のある有名人ではありませんので、なかなか世の中全体を動かすことはできないのですが、上記構造がアベノミクスの唯一といってもいい問題点だということを、ずっと政府要人や経済界要人に説得したり、あらゆる機会をとらえて言い続け、書き続けてきました。さすがに政府の中枢の方々や、経済界の中心にいる人々は、この構造をよくわかっておられて、歴代総理も価格転嫁が大事だとずっと言ってくださったし、経済界も、中小企業の味方日商の三村会頭はもちろん、大企業側の経団連首脳もできるだけ価格転嫁に応じて上げて、日本経済全体を元気にしようと発言してくださいました。
 ところが、成果は十分ではありません。和歌山県では、地元企業にいつも調査をかけているのですが、価格転嫁が認められたという企業も以前よりは少々増えてきましたが、まだまだ多数派にはなっていません。地方の苦難は続くのであります。

 おまけにコロナとウクライナで、サプライチェーンががたがたになって、供給ネックで商品の流れが滞ったり、価格が高騰したりということがどんどん起こるようになりました。とりわけ、ウクライナ情勢により、エネルギーや一次産品の価格が急騰し始めました。テレビなどの報道は、製品価格が上がりましたというニュースばかりで、物価の高騰ラッシュが始まったような感があります。さすがに消費物価もこのところ上昇し、ついにCPI(消費者物価指数)がここ2~3カ月対前年比2%を超えるようになりました。それでも2%を少し超えた程度なのですが、報道は「ようやく長年の懸案であったインフレターゲットが実現されました」では全くなくて、「物価値上がりで庶民の暮らしは塗炭の苦しみです」になっています。
 しかし、どう考えてもこの物価値上がりは景気が良くなって物価が上がってくるデマンド・プル型ではなくて、エネルギー、原材料の供給ネックによるコストプッシュ型であります。そうすると、コストプッシュ型に金融引き締めで臨むのはナンセンスでありますから、ここは物価を無理やり下げろではなくて、賃金や所得を上げて、物価上昇をカバーさせよという主張が正しいと思います。それも特に苦しい地方の人々の賃金や所得を上げよということです。とすれば、ずっと申し上げてきましたように、史上空前の利益を上げた大企業、それも輸出採算のある大企業が、調達先の地方企業に価格転嫁により所得移転をし、それを原資に地方企業が社員の給料を上げてあげるということしかありません。
 今こそ、政府も、財界も、地方の我々のような行政も、国民も、何とか価格転嫁で富の再分配をというしかないと私は思います。

 しかし、ここで立ちはだかるのがタイトルにある「制限・禁止は簡単だが作為の強制は困難」ということかと思います。これが「コストを切り詰めろ、価格を切り下げよ、高く買うな、シビアに行け」ということなら、号令一下、購買担当の方々が動き出すと思いますが、「もう少し高く買ってやれ、会社の利益が少なくなってもかまわないから相手に儲けさせてやれ」というのはおそらく購買部のトップも言いにくいだろうし、実際に担当をしている人は結構当惑することだろうと思います。しかし、日本経済を救うのはやはりこれしかないと思いますから、会社のうんとトップにいる人は、大きな目で会社全体に「価格転嫁には前向きに対応するように」という意思が伝わるようにお願いしたいと思います。